2025.06.01
75 min read
毎月一つの主題で旅をする、月刊TRANSIT。
今月のテーマは、「これが私のモンゴル旅」です。
羊たちが草を食み、馬駆ける大草原。
ラクダが暮らす砂漠に、高層ビルとゲル地区のコントラストを放つ大都会ウランバートル。
世界の隅々までグローバル化が進むなかでも、強烈なアイデンティティをもってユーラシア大陸に佇むモンゴル。
そこは最後のフロンティアなのだろうか。
彼の地を旅した人たちは、みなモンゴルの光景や価値観に打ちのめされて帰って来る。
研究者、漫画家、編集者……それぞれのモンゴル旅の話に耳を傾けたり、未知なるモンゴルという国の基本のキをおさらいしてみた!
Photo : Kazuto Uehara
モンゴルを旅するときに玄関口となるのが、日本からの直行便も就航中の首都ウランバートル。世界一寒い首都といわれていたり、社会主義の香りも残っていたり、高層ビルの周縁にはゲル地区があったり……未知のベールに包まれたウランバートルだけど、実は古着に書店、音楽が楽しめるスポットも続々誕生。日本モンゴル映画祭の主宰者の一人で、日々、モンゴルユースカルチャーを発信中の大西夏奈子さんに街案内してもらった!
Text:Kanako Onishi
モンゴルの首都ウランバートルは、ユーラシア大陸の草原にぽつんと浮かぶ、標高1350mの都市。トーラ川沿いに位置し、周りを山に囲まれた盆地で、中心部には高層ビルが立ち並び、郊外にはゲル地区が広がります。街を歩けば、社会主義時代に建てられた重厚な建築物と、壁に描かれたグラフィティアートが混在し、自由な雰囲気が漂います。道行く人の服装も老若男女問わず色鮮やかで、日差しが強いためサングラスの着用率高し(旅支度に入れておこう)。ビルとゲル、ラマ僧とDJが青空の下で共存する、エネルギッシュで刺激的な街へようこそ!
空から見たウランバートル
ウランバートルでしたい10のこと!
ウランバートルのメインストリート、平和通り沿いにある石畳のスフバートル広場は、モンゴル人の生活に欠かせないスポット。広場の中央には、1921年の人民革命の指導者だったスフバートルの像が空に向けて右手をあげ、隣接する国会議事堂の前には巨大なチンギス・ハーン像が鎮座しています。
広場に敷かれた人工芝では、若者がギターを弾いたり、寝転がっておしゃべりしたり、突然モンゴル相撲を始めたり……。お祭りやイベント、卒業式、結婚式、政府への抗議デモなど、日々さまざまな催しが開催され、多くの人が行き交うウランバートルの心臓部ともいえる場所。民族衣装のデールを着て胸に勲章をいくつもつけた年配の方や、チベット仏教のラマ僧、アイスクリームを食べ歩きする家族連れなど、さまざまな人びとの日常の一コマを垣間見ることができます。
モンゴルがソ連の衛星国だった時代に建てられた建築物が、ウランバートルのあちこちにいまも点在しています。どっしり無骨で巨大なフォルムと、パステルカラーの色使いが独特な雰囲気を醸し出し、この街が社会主義時代だった頃の歴史を無言で物語ります。
たとえば、スフバートル広場の東側にある派手なピンク色の国立オペラ劇場。ドラマ『VIVANT』で、架空の「バルカ国際銀行」として登場したこの建物は、実は日本と深い縁があります。戦後、モンゴルへ連行され強制労働に従事した日本人抑留者の若者たちが、この劇場の建設に関わっていたのです。
平和通り沿いにある旧国営のノミンデパートや、広場の北東にあるモンゴル国立大学、第二次世界大戦の戦勝と戦士たちの追悼を記念したモニュメントであるザイサン・トルゴイも、社会主義時代に建てられた建物。時代が変わっても、人びとの生活を支え、街のシンボル的な存在となっています。
モンゴル料理は肉が主役!味つけは塩味がメインで、スパイス類はほとんど使用されません。ゲルのようなまるい形をした蒸し餃子「ボーズ」、羊肉や牛肉の具を詰めて油で揚げた「ホーショール」、肉を豪快にゆでた「チャンサン・マハ」など、ボリューム満点のメニューばかり。塩味のミルクティー「スーテーツァイ」と一緒に食べれば、身体にエネルギーが満ちあふれてきます。
地元の人にとっておなじみの〈Zochin mongol zoog-4(ゾチンモンゴルゾーク4)〉や〈Khaan Buuz(ハーンボーズ)〉、〈Modern Nomads(モダンノマズ)〉では、リーズナブルなモンゴル料理を味わえます。値段はちょっと高くなるものの、おしゃれな店で食べたい人は、Shangri la Centre(シャングリラ・モール)にある〈MONGOLIAN’S RESTAURANT〉へ行ってみて。
活発でおしゃれ好きなモンゴル人にとって、ファッションは重要な自己表現手段。そんなモンゴル人の若者たちの間でブームになっているのが、古着なんです。人気のショップは〈TOIROG thrift shop〉や〈988_thrift_shop〉など。日本で暮らしていたこともあるクリエイティブ・ディレクターの若手店主ツェルメンさんが営む〈TAKO Vintage shop〉では、レトロな世界観の店内に日本で仕入れた古着が並びます。
ウランバートルのカフェでは読書する若者の姿をよく見かけます。キリル文字で書かれたモンゴルの本が気になったら、書店を覗いてみよう。ジャンルを問わず品揃えが豊富なのは、大型書店の〈Internom(インターノム)〉や〈Azkhur(アズホール)〉。店内ではカテゴリーごとの売れ筋ランキングがいつも発表され、村上春樹など日本人作家の翻訳本も人気! スフバートル広場からほど近い〈Anjuna BOOK & ART CAFE(アンジュナ)〉に入ると、壁一面に本やグリーンが並び、喧騒からちょっと離れた都会のオアシスのようです。
毎年5月半ばと9月半ばには、スフバートル広場で「ウランバートル・ブックフェア」が開催され、出版社や作家のブースでさまざまな本に出会えます。1000トゥグルグ(約40円)均一の古本コーナーでは、希少な本をお手頃価格で買えるチャンス!
モンゴルの本は手書き風の題字やイラストを用いた装丁が多く、温かみのあるデザインを見ると、ついジャケ買いしたくなります。
7月11日に開催される国民的祭典「ナーダム」では、モンゴル中から集まってきた512人のブフ(力士)による相撲大会が相撲宮殿で行われ、国中が盛り上がります。日本の大相撲と違うのは、決められた土俵がなく、手以外の身体の一部が地面に触れたら負けであること。ナーダム時期の前なら相撲宮殿を訪れてみて。運がよければブフたちの練習風景を見られるかも。
年々、人口過密の一途をたどるウランバートル。中心部は高所得者層が暮らし、そのまわりの「ゲル地区」と呼ばれる郊外にそれ以外の人びとが主に暮らしています。ゲル地区が気になっていても、なかなか目指すスポットがないと足を延ばしにくいのもたしか。そんなゲル地区にある「ノゴーンノール児童公園(Lake At The Hills)」に、2025年夏、ガラス張りのカフェがオープンするという話が!カフェの真下にある切り立った岩場は、かつて捕虜になっていた日本人抑留者が石を切り出していた場所。同じ敷地内に造られた「さくら博物館」のゲルには、日本人抑留者に関する貴重な資料が展示され、日本でもモンゴルでもあまり知られていない歴史的な資料を目にすることができます。
ノゴーンノール児童公園までは、ウランバートル市内中心部から車で約20分(交通渋滞がなければ)。公園の入口へ伸びる道の壁には、コロナ禍最中に外国人アーティストが描いたアートも見られます。なお、ゲル地区は街灯がないところもあって夜は暗く、日中でも場所によっては治安が悪いので、できれば現地の人と一緒に行くことをおすすめします。
→ノゴーンノールに関する記事(在モンゴル日本国大使館HP)を読む
モンゴル国内最大の青空市場ナラントール(Narantuul Market)では、「ここで買えないものはない」と言われるほど、生活に必要なあらゆるモノが売られています。ゲルのパーツ、馬の鞍、民族衣装のデール……。社交場での重要アイテムとなる嗅ぎタバコの小瓶を、ひとつ買ってみるのはいかがでしょうか? 敷地がとても広いので、買いたいモノがあるなら、市場のどのあたりに売っているのかを事前に確認しておくとスムーズです。なお、外国人はスリに狙われやすいので要注意!
ナラントール市場の向かいにあるドゥンジンガラブ市場(Dunjingarav Market)は屋内にあるため、-30℃の真冬でも凍えることなく買い物ができます。
現代の日用品から、民族衣装のデール、嗅ぎたばこの小瓶といった伝統的な暮らしのものまで揃う。
夜のウランバートルで静かに熱を帯びる地下空間が〈FAT CAT JAZZ CLUB〉。ウランバートルのアダルトグッズ・ショップを舞台としたモンゴル映画『セールス・ガールの考現学』にも登場したシンガーソングライターのマグノリアンが友人とオープンしたお店。ムードのある赤い内装が印象的なバーで、日替わりでミュージシャンが舞台に立つ。生演奏を堪能しながらカクテルを楽しめるナイトスポットです。
ウランバートルの地下にあるジャズバー〈FAT CAT JAZZ CLUB〉。
また、ウランバートル郊外のナライハ地区で7月上旬に4日間開催されるモンゴル最大の音楽フェス「Playtime Music Festival」では、大草原でビール片手に全身で音楽を浴びることができます。モンゴル人のカルチャー感度はとても高く、日本のポストロックやシティポップを愛する若者も少なくないですし、過去には日本のMONO、ミツメ、toeといった音楽家たちも参戦しているアジアの注目フェスです。
開放感たっぷりの場所で開かれるPlaytime Music Festival。
ウランバートルの夜は、平和通りの南側に並行するソウル通り沿いの「フーフディーン100(Huuhdiin zuu)」と呼ばれるエリアが熱い。夏の涼しい夜風に吹かれながら、ネオンに彩られたバーのテラスで飲む生ビールは最高!モンゴルで売られているビールの銘柄は「アルタンゴビ」「シングール」「ニースレル」など数多くあり、日本よりも価格は安めなので飲み比べてみるのも楽しいし、ストリートフードでお腹を満たすこともできます。
現地の若者に人気のクラブといえば、〈ZU〉や〈choko〉、ザイサン丘から近い〈Eon〉。モンゴルではカラオケも人気で、歌が上手な人が多いです。モンゴル人のラテン的な情熱がスパークする、混沌のナイトライフをぜひ味わってみてください!
ソウル通り沿いにある「フーフディーン100」。
大西夏奈子(おおにし・かなこ)
東京外国語大学モンゴル語学科卒業。ライター・編集者。株式会社NOMADZ代表。日本モンゴル映画祭の開催に関わるほか、現代のモンゴルカルチャーを届けるような、音楽ライブや写真展などのイベントを行っている。
東京外国語大学モンゴル語学科卒業。ライター・編集者。株式会社NOMADZ代表。日本モンゴル映画祭の開催に関わるほか、現代のモンゴルカルチャーを届けるような、音楽ライブや写真展などのイベントを行っている。
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2025.06.01
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かつて地球上の陸地の約25%を征服したといわれるモンゴル帝国。そんな中世のモンゴルを舞台にした漫画『天幕のジャードゥーガル』が話題だ。壮大な世界史のひと幕とはいえ、漫画にするには少々ニッチ? しかも主人公はチンギス・ハーンじゃなくて奴隷の女の子!? かわいいキャラクターたちが血湧き肉躍る中世モンゴルを駆け巡る!いったいどうやってこの作品が生まれたのか、作者のトマトスープ先生にインタビューしました!
Interviewee:Tomato Soup Text:Maki Tsuga(TRANSIT) Special Thanks:Akita Shoten
Index
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© トマトスープ(秋田書店)2022、以下同
T
こんにちは!本日はTRANSITのモンゴル特集の発売に合わせて、漫画家のトマトスープ先生を編集部にお招きしました。TRANSIT.jpの本記事に加えて、編集部Podcastではロングインタビューver.をお届けするので、合わせてお楽しみください。
さっそくですが、漫画『天幕のジャードゥーガル』についてお伺いさせてください。なんといっても主人公の奴隷の女の子ファーティマのしたたかさが光っていて、さらに皇帝をとりまくお后たちの思惑や陰謀が生き生きと描かれた大変魅力的な作品なんです! タイトルにある「天幕」は“テント”、「ジャードゥーガル」はペルシア語で“魔女”を意味していますが……簡単に作品の設定について教えていただけますか?
スープ
こんにちは、作者のトマトスープです。『天幕のジャードゥーガル』は、13世紀初頭のモンゴルが舞台になっています。主人公は現在のイランにあたる地域で生まれた女の子。奴隷となって学者の家庭に住み込みで働いていたところ、さらにその町がモンゴル帝国に襲われてモンゴルの皇宮に仕えることになります。いろんなものに出会いながらも、故郷を奪われた憎しみを忘れずに、歴史上の出来事に巻き込まれていくというお話です。
モンゴル帝国軍に襲われて廃墟となったトゥース(現イラン北東部にあった街)を歩く、主人公シタラ。のちにファーティマと名乗るようになる。
学者一家の家で文字の読み書きを習得していたファーティマは、モンゴル帝国の捕虜になると后の世話係に選ばれる。
T
TRANSITでは特集が決まると、その土地の衣食住、政治、歴史、最新カルチャーなどいろんな方面でリサーチをするんですが、今回、モンゴル号で苦戦したのが歴史でした。遊牧民族なので、街や建物が残っていなかったり、国の範囲自体も大きく変動している。それが『天幕のジャードゥーガル』を読むと、どういったロケーションで、どういった衣装を纏った人たちが、どんなふうに生きていたのかがつぶさに描かれていて衝撃でした! トマトスープ先生がモンゴルを題材にしたきっかけを教えてください。
スープ
モンゴルはもともと馴染みがあって好感をもっていた場所でした。5歳くらいのときに、中国側の内モンゴル自治区に行ったことがあったんです。そのとき通っていた保育園の先生たちの研修旅行先がモンゴルで、それに家族と同行していったんですよ。そのとき初めて地平線を見たのを覚えています。馬に触れたり、ゲルに泊まったりもしましたね。それもあって、遊牧ってロマンチックな感じがしていて……。
大学は美大に通っていたんですが、制作の題材を探していたながれで、偶然モンゴルを調べることになったんです。改めてリサーチしてみると、想像していたロマンチックな暮らしとは全然違ったんですよね。遊牧といっても好きなところに行くわけじゃなくて、厳しい環境のなかで生きる知恵として移動していることがわかってきて。日本やヨーロッパのような多くの国が農耕で生きていると思うんですけれど、モンゴルはまったく違う経済活動や考え方があることを知りました。そこから「モンゴルって新しい価値観を与えてくれる世界なんじゃないか」と興味をもちはじめました。
トマトスープ先生が取材旅で訪れたオルホン渓谷。モンゴル中央部を流れるオルホン川の両岸につづく渓谷で、豊かな水と土壌があってモンゴル帝国時代やそれ以前から遊牧民が暮らしてきた。
© Tomatosoup
T
もともとモンゴルに馴染みがあったわけですね!そこからなぜモンゴルの歴史に興味をもったのですか?
スープ
もともとロシア史のほうに興味があったんですけど、 ロシアの歴史を辿っていくとモンゴルが出てくるぞと思って気になりはじめたんです。当初はモンゴル帝国に怖いイメージがあったんですが、よくよく調べてみると想像していたモンゴル帝国と違いました。国というのは、領土があって国境があるものだと思っていたんですが、モンゴル帝国はそういう世界ではなかった。
今もモンゴル国のことを、彼らの言葉では「モンゴルウルス」というんですが、 ウルスというのが国にあたる言葉なんですよね。そうはいっても、私たち日本人が思うような“土地”がベースの国ではなくて、“人の集団”をベースにウルスと言うみたいです。
T
『天幕のジャードゥーガル』のなかでも、皇帝チンギス・ハーンの息子たちがたくさん登場していて、息子たちに領土を分配していく様子が描かれていますね。モンゴルのなかにさらに国ができていくというか。そして相続争いもおこる。
チンギス・ハーンの4人の息子たち。四男トルイが家産(土地、軍隊など)を多く受け継いだ。日本にも末子相続の習慣が残る地域もある。
スープ
モンゴルは相続の方法がユニーク。日本は長子が家を継ぐことが多いと思いますが、モンゴル帝国では末子(ばっし、まっし)相続なんですよね。
チンギス・ハーンの次の代でいうと、ジュチ、チャガタイ、オゴタイ、トルイという4人兄弟が正室たちの子どもで、嫡子としてウルスを与えられた人たちなんです。チンギス・ハーンは、四男トルイに大きな土地や軍隊を引き継がせるのだけれど(家産)、実権は三男オゴタイに渡すんです(家督)。モンゴル帝国では、家督は実力主義的な評価で受け継がれていたのではないかといわれています。
T
実はポーランドに取材に行ったときにも末子相続という習慣に出会ったんです。紡績産業の盛んな街で、あるユダヤ人が繊維工場を経営して財を成していたんですが、誰に家業を引き継ぐかといったら、長男ではなく末子だった。家族のなかで一番若くて長生きする可能性があって、一番最後まで親元にいるから委ねやすいという理由からでした。
スープ
モンゴルも基本的には同じような考え方で、最初に上の兄がどんどん独立していくので、一番最後まで親の近くにいたものが財産を受け継ぐという発想だと思います。
T
『天幕のジャードゥーガル』を読んでいると、モンゴルの歴史や社会の仕組み、価値観、なんでもない日常が見えてきますよね。とくに印象に残っているのが、屠殺のエピソード。
主人公ファーティマはイラン育ちのムスリムなんですよね。イスラームにはイスラームの、モンゴルにはモンゴルの屠殺の方法があると。
モンゴルの人たちが羊を屠殺する場面。
スープ
モンゴルの人たちもイスラム教徒の人たちも、家畜をベースに生きていたりするので、それぞれに家畜の屠殺の仕方があるんですよね。でも、どの民族も根底には家畜をいかに苦しませずに締めるかというのがあるようです。イスラームでは首をサッと切ったほうが苦しまないはずだとか、モンゴルの人たちは心臓の弁を切ったほうが苦しまないはずだとか、場所によっては傷をつけずに窒息させるのがいいとか……それぞれの流儀がありますね。
子どものときに訪れた内モンゴルの旅でも、実際に屠殺するところを見ていたんですが、生きた羊が連れてこられて、ひっくり返してお腹を上にしてサッとナイフで腹を切って、その傷口からスッと手を入れて、あっという間に心臓の弁を切って、くたってなるんです。その後、お腹を裂いて、内臓を一つひとつ切り分けていくんですけど、血をできるだけ大地に落とさないようにしていましたね。内臓を切り分ける間も、羊の体自体が器みたいになっていて、どんどん血が体の内側に溜まっていって、内臓をすべて取り出した後、ゼリー状になった血をおたまですくって、それを腸に詰めてソーセージを作っていました。
T
屠殺を見ていて、子ども心に感じたことはありましたか?
スープ
不思議とかわいそうだと思いませんでしたね。モンゴルの人たちが、家畜に対して礼を尽くしている感じはしましたし、羊もそんなに苦しがっていなかったので、自然に目の前のことを受け入れられた気がします。
トマトスープ先生が子どもの頃に訪れた内モンゴルで。現地の人が手際よく羊を捌いていく。
© Tomatosoup
T
トマトスープ先生は、漫画家になるまでの道のりがユニークですよね。漫画家を目指すよりも先に、そもそも歴史がお好きだったとか?
スープ
インターネット上で歴史が好きな人たちが集まって、自分なりに歴史漫画や歴史小説を描いて発表しているのを知っていたので、その人たちと仲よくなりたい!仲よくなるためには自分で描くしかない!と思って漫画を描きはじめました。趣味で描きたいものを描いてはお互い見せ合うような場で、広いコミュニティではないけれど、閉じてもいなくて、そこでいろんな人と交流していました。
ただ仕事を辞めたタイミングで、漫画を出版社に持ち込んでみようと思った時期があって、短編を描いて、出版社の方に作品を見てもらって、運よく興味をもっていただいて漫画を描くようになっていきました。
ちなみに漫画家になる前はデザイナーだった時代もあって、旅行パンフレットをつくったりもしていたんですよ。そのときからTRANSITもよく読んでいました。
T
そうだったんですね! たしかにTRANSITではイスラーム文化圏やコーカサスなども特集しているので、トマトスープ先生の作品のエリアとも近いなと思っていました。
スープ
TRANSITのコーカサス号も読みましたよ。
T
ありがとうございます! 現在、トマトスープ先生は『天幕のジャードゥーガール』以外にも、ジョージアやアルメニアといったコーカサス地方にモンゴルが攻め入ってきた時代の『奸臣(かんしん)スムバト』も連載中ですよね。大航海時代末期の世界を船で旅する航海士を主人公にした『ダンピアのおいしい冒険』も旅行+世界の食文化に出合えておもしろかったです。どれも歴史のロマンと旅感が詰まった作品ですよね。
スープ
そうですね。とくにモンゴル帝国は広くて侵略の歴史があるので、いろんな国々の周縁に登場するんです。モンゴルだけ調べていても、それぞれの国や人びとのドラマがみえてきて、広域を旅するような気持ちになるんですよね。
T
おもしろいのが『天幕のジャードゥーガル』も『奸臣スムバト』も、モンゴル帝国に征服された側が主人公になっていること。それはあえてだったんでしょうか?
スープ
私が一番好きな時代がモンゴル帝国の拡大期なんですが、支配者目線で物語を描こうとすると、ずっと勝ちつづけていてあまり葛藤がない気がしたんですよね。どちらかというと、抵抗したりあえて逆境に飛び込むキャラクターを描いたほうが、漫画として見応えがあるものになるかなと思いました。だからジャードゥーガルもスムバトも、モンゴル帝国に侵攻された側の人たちの目線で描かれています。
モンゴル帝国は、東は朝鮮半島、西はポーランド、ハンガリー、トルコ、コーカサス地方まで攻め入った。
T
『天幕のジャードゥーガル』では、支配者側としてはチンギス・ハーンの息子オゴタイが重要なキャラクターだと思うんですが、彼が被支配者側から見てどんなリーダーだったのかというのも垣間見えて興味深かったです。
オゴタイは征服した土地に対して、被支配者側の宗教・文化・習慣を尊重するような姿勢もとりますよね。それに首都カラコルムを築いて、争うだけでなく他民族が行き交う場をつくろうとする。皇帝として国を存続させていくためにはどうしたらよいのか、支配の先にある何かをみようとしているというか。力技ではないリーダーの在り方がみえてくるような……。
スープ
ありがとうございます(笑)。皇帝としてはチンギス・ハーンがとても有名だと思うんですけど、チンギスが草原の一部族からモンゴル帝国を打ち立てて拡大していくカリスマ的な一代目だったとしたら、二代目以降のオゴタイたちは国のシステムを構築して帝国を支えたものたち。
モンゴル帝国がいつ終わったのかは、結構難しいところでもあるんですが……それでも後世までモンゴル帝国の影響がずっと残っているのは、オゴタイみたいな人たちがいたからこそだと思います。
T
モンゴル帝国って、大帝国を築いたのに跡形もなく消えてしまって、諸行無常のような気持ちがあったんですよね。でも『天幕のジャードゥーガル』を読んでいると、モンゴル帝国と現代のモンゴルに生きる人たちの価値観ともつながる部分が見えてくる気がしました。
スープ
オゴタイにはこんな逸話があるんです。オゴタイはいろんな支配者の話を聞くのが好きだったんですが、ある支配者がどんな財を蓄えてどれだけ偉大だったかという話になったときに、「財産を蓄えることにはあまり意味がない。それよりも人の心や記憶に留まるほうが偉大である」という言葉をオゴタイは残したそうです。
モンゴル帝国の第2代皇帝となったオゴタイ。
T
現在のモンゴルにも、チンギス・ハーンの像が広場にあったり、モンゴルの人たちにとって英雄のような存在であることを感じます。征服されたヨーロッパ側の人たちからしたら、アジア人の衝撃として残っていたと思うんですが……。
スープ
現在のユーラシアの部族編成や民族分布って、ソビエト時代の影響もありますが、モンゴル帝国期に大きく変化して原型ができているんですよね。それもモンゴル帝国の痕跡を現代に感じる部分の一つかもしれません。
主人公ファーティマ(左)と、モンゴル帝国第2代皇帝オゴタイの第6夫人ドレゲネ(右)。ドレゲネもまたモンゴルに復讐心をもつ一人。もともとナイマン族出身で、メルキト族に嫁いだ先でモンゴル帝国に攻め入られ、その後、オゴタイの后となった複雑な過去をもつ。ナイマン族はモンゴル高原西北部、メルキト族は高原北部に居住していた遊牧民。
T
『天幕のジャードゥーガル』は、リサーチが本当に綿密だなと思うんですけど、歴史の筋、人物像、当時の風俗まで、いったいどうやって漫画に落とし込んでいるんですか?
スープ
本を読む、ですね。もっと現地に取材に行ったりもしたいんですが。幸い日本はモンゴル研究が進んでいまして、モンゴルにまつわる論文を日本の研究者の先生がたくさん書いてくださっていたので、最初は図書館にある一番手に取りやすいような本から読んでいって、同じ人が書いている本とか、その本の巻末にある参考文献や論文や出典元をリレーのように読んでいって……。
T
おぉぉ、TRANSITの誌面をつくるときも同じというか、トマトスープ先生はもっと深いと思うんですが、私たちも参考文献を読んで、モンゴルのこの分野はこの研究者に、あの分野はあの識者に取材してみよう、という感じで辿っていきます。識者の方にまた別の人を紹介してもらったり……。
スープ
そんな感じでモンゴルのことを調べていますね。それが辛いという印象もなく。うん、本当に楽しくやっております(笑)。
T
しかもアシスタントをつけずに全部自分で描いていると聞きました。あれだけの絵を一人で描いているなんて……!
T
子どもの頃に内モンゴルを訪れて以来、現地に行ったことはあるんですか?
スープ
はい、大学生のときにモンゴルで一人旅しました。モンゴルの歴史に興味をもちはじめた頃なんですけど、訪れたのが12月で、ウランバートルの街を歩いたり、カラコルムの遺跡まで行ったりしました。
T
真冬のモンゴルに! いわゆるモンゴルのベストシーズンって、7、8月頃だといいますよね。
スープ
夏のほうが、草原が広がっていて動物たちも元気ですよね。私が訪れたときは、気温が−20℃でも「今日は暖かいほうだね」っていわれるような世界でした。丘の上に登って写真を撮ろうと思ったら、カメラが動かなくなるし……。でも、その寒さを感じられたのもよかった。冗談じゃなく寒い、というか痛いんだっていうのがわかりました(笑)。
あとは『天幕のジャードゥーガル』を描くようになって、当時の秋田書店の担当編集の方と取材旅にも行かせていただきました。写真を撮ったり、メモを取ったりして、それを日本で漫画を描くときに参考にしたりして。取材旅で訪れたのは5月で、12月に比べればだいぶ暖かかったですね。一面の草原とはいかないまでも草が生えはじめていて、ちょうど家畜の仔羊や仔山羊たちが生まれて跳ね回っているような時期でした。
そのときは、ウランバートルやカラコルムにある博物館を訪れたり、さらにカラコルムから少し足を延ばして、オゴタイの離宮があったといわれているところにも行きました。
T
離宮は名残があるものなんですか?
スープ
いやぁ、それが……。彼らは季節に合わせて移動するんですが、「春の離宮」と呼ばれるところは、建物の遺構が少し残っている丘だったんですが、「夏の離宮」だったところは、私には人工物のようなものは何も見つけられませんでした。ただ、たしかにその場所は高原になっていて涼しくて、5月でも雪が少し残っていました。ヤクがいたり針葉樹がぱらぱら生えていたりして、きっと夏に来たら気持ちいいんだろうなという場所でしたね。
春の離宮。
© Tomatosoup
夏の離宮。ヤクや水鳥が水辺に集う。
© Tomatosoup
T
『天幕のジャードゥーガル』は中世モンゴルの話ですが、実際に現代モンゴルを訪れて感じたことはありますか?
スープ
現代のモンゴルではゾドと呼ばれる雪害があって、冬が極度に寒くなってしまうことが問題になっているんですよね。5月にモンゴルを訪れたときも、ところどころに死んでしまった家畜の骨や毛皮が落ちていて、モンゴルで遊牧している人たちは厳しい環境に直面しているのだなと感じました。
T
TRANSITでもそうした現代モンゴルの問題にも触れているんですが、本当に近年もゾドによって何万頭も家畜が亡くなっていて、気候変動の影響がモンゴルには極度の寒さとして現れているんだなと気づかされました。
スープ
チンギス・ハーンが草原を統一していった時代もまた、気候的には寒冷期だったといわれています。いろんな部族が南下したり争ったりしていたのも、寒冷な気候がきっかけだったという説もあります。モンゴル帝国ができあがった後は温暖期に入っていったので、だいぶ安定していったみたいなんですけれど。気候で人の歴史が大きく左右されるのだなと興味深いですね。
T
とくにモンゴルは自然の力をダイレクトに受けている場所でもあるし、土地と人との結びつきが強いように感じました。ここまでグローバル化が進んだ世の中でも、モンゴルの環境やモンゴルの人たちの間で成立する道理が根強く残っている気配があります。
スープ
いやぁ、そうですね。現地に行ったときに、モンゴルの人たちは一期一会の生活をしているんだなって感じました。遊牧民の方のゲルを訪問させてもらったときに、見ず知らずの外国人がいきなりやってきても、写真撮っていいよって温かく迎えてくれましたし、ちょうど羊を捌いたところだからと、料理を振る舞ってくれたり……。広い大地の上で遊牧して生きていると、助け合って生きていく文化があるんだなって感じました。
天窓から光が差し込む遊牧民のゲル。
© Tomatosoup
遊牧民の一家が出してくれた羊肉の料理。
© Tomatosoup
T
漫画の話から旅のお話まで、ありがとうございました!
『天幕のジャードゥーガル』のような作品がどんなふうに生まれているのか、その謎を垣間見ることができた気がします。
そして、今後のファーティマたちがどうなっていくのか、ものすごく気になるところです。ちょうどコミックの5巻が発売されたところで、オゴタイがカラコルムを首都にするぞ!というところまでいきましたね。
スープ
これからヨーロッパに大きな遠征があったりと、いろんなことが起こっていく時期になります。オゴタイや彼の息子たちの時代の話に少しずつ移ってくるかもしれません。
T
日本がモンゴル帝国に襲われた元寇はフビライ・ハーンの時代ですよね。オゴタイにとっては……。
スープ
甥に当たる人物ですね。
T
いったいどの時代まで描かれるんでしょう!
スープ
歴史ものなので、調べようと思えばその先までいけてしまうんですが……歴史通りになるかどうか、そういうことも含めて楽しみにしていただけたらうれしいです。
T
『天幕のジャードゥーガル』はテレビアニメ化も控えていますよね! これからもトマトスープ先生の作品を楽しみにしています!
漫画家
トマトスープ
群馬県生まれ。中世モンゴルを舞台にした奴隷少女と皇帝や皇妃たちの物語『天幕のジャードゥーガル』(秋田書店)や、モンゴル帝国の侵略に揺れるジョージアの地方貴族が主人公の『奸臣スムバト』(新書館WINGS)を連載中。大航海時代末期に世界を旅したイングランドのウィリアム・ダンピアが登場する『ダンピアのおいしい冒険』(イースト・プレス)全6巻も好評発売中。
群馬県生まれ。中世モンゴルを舞台にした奴隷少女と皇帝や皇妃たちの物語『天幕のジャードゥーガル』(秋田書店)や、モンゴル帝国の侵略に揺れるジョージアの地方貴族が主人公の『奸臣スムバト』(新書館WINGS)を連載中。大航海時代末期に世界を旅したイングランドのウィリアム・ダンピアが登場する『ダンピアのおいしい冒険』(イースト・プレス)全6巻も好評発売中。
X
13世紀、イラン東部に暮らす学者一家の預かり奴隷だった天涯孤独の少女ファーティマ(シタラ)。働きながら勉学に励んでいたときに、モンゴル帝国が攻め入られて帝国の皇妃に仕えることに……。故郷を奪われた復讐心に燃えながら、歴史の渦に飲み込まれ、自らも歴史を揺るがす存在になっていく。「このマンガがすごい!2023」オンナ編1位を獲得、テレビ朝日系列でサイエンスSARU制作のアニメ化も決定。秋田書店のウェブコミックサイト「Souffle(スーフル)」発の漫画作品。
Souffle Web
Souffle Instagram
Souffle X
モンゴル遊牧民の研究をしている、文化人類学者の堀田あゆみさんは、ご自宅にゲルを建てて暮らしているという。
そんな話を聞きつけて、大阪府内にあるゲルを訪ねた。住み心地は? 遊牧民の魅力とは?
モンゴル特集の誌面で掲載したインタビューのロングバージョンをお届けします!
Photo : Takamori Hamagami
Text:TRANSIT
Index
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大阪にある堀田あかねさんのご自宅のゲルを訪ねると、堀田さんは遊牧民の朝の習慣なのだと言って、天窓を開けた。玄関の敷居を踏まないように、という助言とともにゲルに招き入れてくれた。やや頭をかがめ敷居を跨ぐと、ほのかに薄暗い密室の中から、家具や柱に施された鮮やかな色彩の装飾がぬうっと浮かび上がってくる。足を踏み入れた先は、まさしくモンゴル遊牧民の家の中だった。
モンゴルの乳茶、スーテーツァイ。近年の流行だという、バターオイルつきのスプーンが斬新。
「まずはお茶をどうぞ」
到着早々、矢継ぎ早に質問を投げかける取材陣を鎮め、堀田さんはソファへと案内してくれた。差し出されたのはモンゴルの乳茶、スーテーツァイ。モンゴルの大ヒット商品だというギー(バターオイル)つきのスプーンでかき混ぜて、ミルクティーの完成。ひと口含むと、やや塩っぱいけれど滋味深く、クセになる味。「乾燥地帯に暮らす遊牧民には、この塩分が大切なんですよ」と、すかさず堀田さんが合いの手を入れた。
陽が高くなるにつれ、天窓から室内に光がまわってくる。スーテーツァイを飲みながら、ゲル暮らしや遊牧民の暮らしについて話しはじめる。
モンゴルでは馬具の置き場となる玄関先には、堀田さんの自転車が。玄関は南東向きに(大阪湾からの海風を避けるためでもある)、竈を配置するゲルの中心部にはストーブを置くなど、家具の配置も基本的には現地のゲルを踏襲している。
T
このゲルはいつ、どうやって手に入れたのでしょうか?
堀田
ゲルはお世話になっている遊牧民に見立ててもらい、家具や構造用の紐などは一緒に現地の市場で選んで、3年前にモンゴルから送りました。私のゲルは4枚壁の直径5mほどの小型ゲルで、現地では母屋の隣に貯蔵室や作業場として建てられているものです。
T
日本でどうやってゲルを組み立てたんですか?
堀田
建てる前の準備から組み立て手順までを記した「ゲルの建て方」という資料をつくり、友人知人に協力いただきながら建てました。現地だと大人3人で2時間半ほどで組み立てられるのですが、やはり慣れていないので、そんなにスムーズにはいきません(笑)。
T
モンゴル初心者にとっては、ゲルは旅の気分が味わえて楽しそうな空間ですが、実際の住み心地をお聞かせください。
堀田
梅雨と真夏以外は、リビングルームとしてゴロゴロしたり、友人が訪ねてきた際の集いの場、ゲストルームとして利用しています。ただ、正直なところ、日本の気候・風土には合わないですね(笑)。本来は屋根と壁を覆うのは羊のフェルトなんですが、湿度の高い日本では匂いが強く虫もついてしまうことから、日本で調達した工業製品を断熱材として使っています。でも、フェルトのもつ多機能性、たとえば防音効果や資材を固定する摩擦力と重量、風通しのために裾を巻き上げられる柔軟性などにはかないません。フェルトはよくできていると実感します。
ゲル内北側の仏画や仏像が置かれる神聖な空間「ホイモル」には、堀田さんがゲルを建てるのにお世話になった人たちの写真が飾られている。
装飾品やクッションカバーなど、インテリアの多くもモンゴルで手に入れたもの。
T
円形で、間仕切りのない一間構造のゲル。今日は、堀田さんはモンゴル流にお茶を出してくださいましたが、複数人が集っても必然的に向かい合うようになっていて会話もしやすいですね。日本人の住居観とは異なるように感じました。
堀田
遊牧民の住居というのは人を迎えるためにあります。草原はよく海にたとえられますが、ゲルというのは大海原を航海している人が立ち寄れる港のようなものなんです。だから、たとえ見ず知らずの人が訪ねてきても、お茶を出すのが礼儀です。ただ、そこにあるのはホスピタリティだけではありません。遊牧というのは情報産業ですので、遊牧民は常に新しい情報を求めています。そして、情報を手に入れるために他人の家を訪問することが日課です。だから、人を訪ね、人を迎える場所、それが遊牧民にとっての住居なんです。
© AYUMI HOTTA
T
遊牧民とウランバートルに暮らす都市生活者の間で、社会の在り方、個々の性格、価値観の違いを感じることはありますか?
堀田
根本として、情報社会で生きていることには変わらないのですが、都市ではご近所づきあいが少なく、季節ごとに組み替える共営世帯というものもありません。また、遊牧民のように知り合いの家を万遍なく訪問して情報を収集する機会も草原ほど多くはありません。アパートの二重扉の中に暮らしていますし、他者に対する警戒心の高さという意味で、都会のつき合い方があると思います。それでも、ウランバートルでも草原と同様に、毎朝起きたらまずベッドメイキングをするという習慣が残っているので、ゲルに人を迎えるための準備をする遊牧民のDNAが流れているなと感じますね。
そもそも、草原と都市は断絶されているわけではなくつながっていて、人びとはその間を自由に行き来していますので、2つの世界の価値観も時と場合に応じて使い分けられています。
遊牧生活でも、対人関係やモノのやり取りにおいて2つの原理が通っています。1つがいわゆる”市場経済の原理”で、もう1つが交渉によってモノを融通し合う”草原の原理”。草原でも、あまり親しくない人や交渉されている対象のモノによっては、市場原理にのっとって現金や物々交換でやり取りをします。一方で、これまで培ってきた人間関係や交渉力を使ってモノを自分の手元に移動させるという、融通の原理も使いこなしているんです。
T
最後にひとつ質問です。堀田さんが草原に暮らす遊牧民の研究をつづける理由について教えて下さい。どのような点を興味深く感じているのでしょう?
堀田
私はモンゴルの人たちのような”交渉の文化”で育っていないので、彼らが息をするように交渉しているのを見ると純粋にすごいなと思います。情報の価値を理解していて、それを使って交渉できる能力は注目に値します。遊牧民は大陸で常にいろんな民族と交渉をしながら生きてきたので、日本が島国じゃなかったらやられていただろうな、とも(笑)。
情報リテラシーの高さもそうです。現代の遊牧民はスマホでSNSも利用していますが、誰でもアクセスできるメディアだとわかっているので、本当に大切なことは対面でのみ伝えます。しかも、機密性の高い情報は、人のいない野外で風向きも考慮して話します。ゲルは人の集うところですから、ゲルの中や傍では誰かに聞かれてしまうかもしれませんので。また、モノを見られたら情報を抜かれるという意識があるので、家具の扉や鞄のチャックを常に閉めたり、使ったモノはすぐにしまうなど、情報の管理能力が非常に高いんです。
モンゴル遊牧民のゲル内部。以前は蝋燭を用いていたが、中央部のアルハンガイ県では2009-2010年の境で太陽光発電パネルが普及し、電灯がつくようになった。
© AYUMI HOTTA
現在は蓄電量が増えたことで、遊牧民のゲルの家でも、TVや冷蔵&冷凍庫も自家発電で賄えるようになってきている。
© AYUMI HOTTA
堀田
ですので、遊牧民のゲルの中が整然として見えるのも、モノが少ないからではなく、見せるモノをあらかじめコントロールしているからです。それはつまり、常に家族以外の他者が存在しているという大前提のうえに、住居であるゲルも遊牧民の立ち居振る舞いも備えられているということなんです。
そして、他者との関係のなかで生きているという感覚が日本よりもはっきりしていて、対人の強さがあります。他者とかかわりながら生きるというのは、受動的に恩恵を受けるという意味ではなく、能動的に他者を活用して生きるという意味で、対人の強さというのは、他者への興味・関心、社会関係を築こうとする志向性が強いという意味です。自分たちだけで完結しない、そこが逆に強みになっている。
だからこそ彼らはふだんから人間関係を構築するように動いているし、いざというときのためにより多くのセーフティーネットを確保するべく、人と交わる、会話をする、融通できるものは融通する、自分が必要なときは大いに人に頼って人を使う。それが生き方の土台にあるのは、私たちとの大きな違いではないでしょうか。そして私がモンゴルの遊牧民をカッコイイと思うところです。
堀田あゆみ(ほった・あゆみ)
1980年、大阪府生まれ。高校卒業後にモンゴル国へ語学留学。総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻で、モンゴル遊牧民のモノの情報をめぐる交渉を研究。博士(学術)。専門は文化人類学、モンゴル遊牧民の物質文化・情報文化研究。主な著作に『モンゴル遊牧民 エンフバト一家のモノ語り』『交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦』など。
1980年、大阪府生まれ。高校卒業後にモンゴル国へ語学留学。総合研究大学院大学文化科学研究科地域文化学専攻で、モンゴル遊牧民のモノの情報をめぐる交渉を研究。博士(学術)。専門は文化人類学、モンゴル遊牧民の物質文化・情報文化研究。主な著作に『モンゴル遊牧民 エンフバト一家のモノ語り』『交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦』など。
モンゴルの草原を旅してみたい。だけどちょっとハードルが高そう……。
そんな不安をおもちのみなさま、ご安心ください。ウランバートルから西に約60kmのところにあるツーリストキャンプ「Mongol Nomadic Camp」では、モンゴルの大自然と伝統文化を、気軽に、そして快適に体験できるんです。編集部が体験した日帰りモンゴル遊牧Dayのお話をどうぞ。
Photo : Hirotaka Hashimoto
Text : TRANSIT Special Thanks : SUNRISE PROMOTION TOKYO, DIPPS PLANET
いらっしゃ〜い!
ウランバートル中心部から車で西に1時間半ほど、中央県アルガラント村にある「Mongol Nomadic Camp」に到着。ゲルに宿泊できて、遊牧民の暮らしや乗馬トレッキングも体験できると聞いてやってきました。
伝統衣装デールと、帽子マルガイを身につけた遊牧民のみなさんが、相棒のラクダ、ヤク、馬とともにお出迎え。草原のオールスター勢揃いで、まるでドラマのオープニング。
それでは早速、遊牧民文化をのぞいてみましょう。
川や湖などの水場が少なく、農業に向かない草原や砂漠地帯で、牧畜を主な生業とするのが遊牧民。
彼らのパートナーは、厳しい気候条件に耐えることのできる「馬、牛、ラクダ、羊、山羊」の五畜。肉や乳は食料に、毛皮や革を衣類や生活用品に、移動・運搬手段としても欠かせません。文字どおり、家畜とともに生きる自給自足の生活です。
現在、モンゴル全体の人口の約1割が遊牧民というデータもありますが、兼業も含めると3割ともいわれています。
モンゴルに暮らす遊牧民が飼っているのは、主には馬、牛、ラクダ、羊、山羊だが、場所によってはトナカイ、ヤク、犬鷲を飼って生活に役立てながら暮らしてきた人びともいる。
家畜のエサと水を求めて、遊牧民たちは季節ごとに移動します。冬は暴風雪をしのぐ谷間の地形に、夏は川のある平地へ。新しい生命を迎える家畜の出産期や、夏の毛刈り、肉の保存、越冬など、自然や生き物とともに生きる、そんな遊牧生活を支える家が、移動に適したゲルなのです。
このゲル、なんと大人4名もいれば1時間ほどで組み立て完了だとか。ゲルの骨組みは格子状の折り畳み式で、牛やラクダに積んでお引っ越し。ご近所や親戚総出での大移動です。
訪れた6月初旬は、羊毛でフェルト作りの真っ最中!
遊牧民たちの夏は、羊の毛を刈り、断熱性や防水性に優れたフェルト作りを行う季節。フェルトは、ゲルの壁や天井、床材などに使う、大事な大事な素材なのです。
刈り取った長い羊毛を広げて濡らし、両手に棒を持ってひたすら叩く! こうして繊維の束をほぐし、均一な厚さに並べます。水を撒いてローラーに巻き付け、外側から牛革でくるみます。それを紐でしばり、馬やラクダで引いて転がすと、フェルトが圧縮して、硬くなります。
作業中は、祝いの言葉を歌いながら羊毛を叩くのが伝統的なスタイル。リズムに合わせて、叩いて叩いて、また叩く!
ゲルの内部は、中央部に2本の柱、放射状の垂木が天井を支え、壁は格子状の木とフェルト仕上げ。窓はなく、「トーノ」と呼ばれる丸い天窓の枠から光が射し込みます。その下にはストーブ兼かまどがあり、料理も換気もばっちりです。
間取りはワンルーム、角も壁もない開放的設計。入口から向かって左側が上座(男性)、右側が下座(女性)というシンプルな空間構成になっています。このゲルの中に、遊牧民の衣食住のすべてがつまっているのです。
モンゴルの塩入りミルクティー「スーテーツァイ」でおもてなし。茶葉を煮出して、生乳と塩を加えたもので、甘味はありませんがじんわり沁みる味わい。
さらに小さな揚げパン「ボールツォグ」(写真左)、ミルクでできた「アーロール」(写真右)もいただきました。アーロールはヨーグルトのような酸味がクセになるおいしさで、家畜の恵みそのもの! 遊牧民の食は肉と乳のものが基本で、それぞれ「赤い食事」「白い食事」と呼び、夏はほとんど「白」中心の食生活です。
ゲルの壁ではお酒を発酵中。馬の生乳を牛の皮袋「フフル」に入れて発酵させると、馬乳酒「アイラグ」ができあがります。発酵の過程で乳酸菌がビタミンを生成し、大事な栄養源に。家畜の毛皮や革は衣類や道具にフル活用されます。無駄のない暮らしが垣間見えます。
ゲルの中でミニコンサートが始まりました!
低音と高音を同時に歌うホーミーの不思議な響きに、横笛リンベ、馬頭琴モリンホール、太鼓のリズムが重なります。カントリー調の明るい楽曲もあれば、遊牧民の暮らしをうつすような民族音階の調べもあり。遊牧民の自由さと大自然の雄大さを感じさせる多層なハーモニーに酔いしれます。
小さな演奏会が静かに幕を下ろすと、ゲルの外へ。動物たちと触れ合えるお楽しみ時間です。
生まれたばかりのカシミヤヤギを抱っこしたり、ヤクに乗せてもらったり、動物たちとの距離がゼロなのも楽しい。遊牧民の少年が披露してくれたのは、猛スピードで駆け抜けていく間に地上の帽子を拾うパフォーマンス。馬との呼吸がぴったりで、華麗な姿と馬術のレベルの高さに感嘆します。
そして1時間の乗馬トレッキングツアーへ繰り出しました。引率者の馬とつないでもらえるので初めてでも安心。「Mongol Nomadic Camp」の敷地内ですが、360°見渡す限り草原。遠くに見える山との距離感もつかめないほどに広い野原を、馬の速度で駆ける開放感はすばらしいものでした。徐々に馬のリズムに体を合わせられるようになって、もっと遠くへ行きたい……と思ったところで終了。なんてあっという間なんでしょう!
6月初旬、夜8時をすぎてもまだ明るいモンゴル。夕食は施設のレストランで羊肉のボーズやホーショールといった本格的モンゴル料理を楽しみ(羊肉が苦手な人のために牛肉やお野菜もたっぷり)、暖房・水洗トイレ・シャワーも完備のゲルに宿泊。施設内には本格的なサウナも併設されて、トトノウこともできるのです。
そして真夜中には、星空が瞬く天体ショーが始まります。
大空と草原と。動物と人が寄り添って暮らす風景。そんな世界から、しばらく帰りたくなくなってしまうのでした。
広大な草原、遊牧の暮らし、そして深い歴史をもつ国、モンゴル。日本とも古くからつながりがあり、最近では観光やビジネスの場面でも注目されています。でも、馬と草原の景色以外、ぼんやりとしたイメージしか浮かばないのが正直なところ。そこで、モンゴルにまつわる20のQ&Aを用意しました。これを読めば、モンゴルの輪郭がはっきりと浮かんでくるはず。
Text:TRANSIT
Index
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Q1/ウランバートルの緯度は?
Q2/モンゴルの面積は日本の約何倍?
Q3/モンゴル国の人口は?
Q4/モンゴル全土にいる羊の数は?
Q5/モンゴルの主要産業は?
Q6/モンゴルが社会主義政策をとりはじめたのはいつ?
Q7/モンゴルに世界遺産はいくつある?
Q8/モンゴルでもっとも使われている文字は?
Q9/モンゴルで「白い食べ物」とされるのは?
Q10/遊牧民は年に何回移動する?
Q11/モンゴルで「いい馬を持っている」という慣用句は、どんな意味?
Q12/モンゴル帝国の軍事組織「千戸制」は何を目的として導入された?
Q13/フビライ・ハーンが建設した都市で、現在の北京の原型とされるのは?
Q14/フビライ・ハーンが1271年に定めた国号は?
Q15/モンゴル相撲(ブフ)で、土俵の代わりに使われるのは?
Q16/モンゴル相撲「ブフ」の試合前に選手が行う儀式は?
Q17/モンゴルでシャーマンが復活しはじめたきっかけは?
Q18/どのようにしてシャーマンになる?
Q19/モンゴルでヒップホップが盛んになった文化的背景は?
Q20/モンゴル語がラップに向いている理由は?
① 東京と同じ
② 札幌と同じ
③ サハリンと同じ
正解は……③
ウランバートルの緯度は北緯47.92°で、ロシア・サハリン州の州都、ユジノ・サハリンスクの北緯46.95°とほぼ同じ。冬には気温が-30℃まで下がることも。
ウランバートル市内へ向かう、チンギスハーン国際空港からの道中。
© Chinneeb
① 2倍
② 4倍
③ 8倍
正解は……②
ブラジルやインドよりは小さいが、それでも日本の4倍もの面積をもつモンゴル。その広い土地を生かして、遊牧や鉄工業が栄えてきた。
© Linh Vien Thai
© Tengis Bilegsaikhan
① 東京と同じくらい
② 千葉と同じくらい
③ 静岡と同じくらい
正解は……③
人口は約350.5万人で、静岡県の約352万人と同じくらい。モンゴルの人口密度はなんと2人/ ㎢!(日本は340/ ㎢)。ただし人口の半分はウランバートルに集中しており、ウランバートル市内は深刻な交通渋滞の問題を抱えている。
現在のウランバートル市街。
© Alexkom000
① 約90万頭
② 約640万頭
③ 約3100万頭
正解は……③
モンゴル国家統計局(NSO)の2023年の統計によると、羊の数はおよそ3,100万頭前後とされ、人口の約3倍。羊以外を含む家畜全体の数は7,000万に上る。
© Peter Smith
① 金属鉱業と畜産
② 繊維産業と観光
③ 自動車製造
正解は……①
石炭や銅など豊富な地下資源が主産業で、レアアースの埋蔵地として国際的に注目されている。遊牧民が担う牧畜業も依然として重要な産業だ。
© ONEMOREPROD
① 1917年
② 1924年
③ 1949年
正解は……②
1917年に、レーニン率いるボリシェビキがロシア革命を起こし、世界初の社会主義国家であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が誕生。1924年には、中国から独立するかたちでアジア最初の社会主義国になったのが、モンゴル人民共和国だった。第二次世界大戦後には世界に社会主義国が誕生する。1940年代には東欧が社会主義化、アジアでも、1948年に北朝鮮、1949年に中華人民共和国が社会主義体制ととった。モンゴルでは1990年代に民主主義運動がおこり、1992年に社会主義体制を放棄してモンゴル国と名乗るようになった。
社会主義時代に建てられたモンゴル国立大学。
© Sodbileg
① 4つ
② 8つ
③ 10つ
正解は……①
オルホン渓谷の文化的景観、アルタイ山脈の岩絵群、ウヴス・ヌール盆地、大山ブルカン・カルドゥンとその周辺の神聖な景観が世界遺産に登録されている。
① キリル文字
② モンゴル縦文字
③ アラビア文字
正解は……①
1940年代、旧ソ連の影響を受けてキリル文字を導入。現在のモンゴル国の公用文書や教育、メディアの多くがキリル文字で書かれている。一方で、伝統的な「モンゴル縦文字」も近年見直されており、学校教育などで復興の動きも進んでいる。
キリル文字。
© TRANSIT
モンゴル縦文字。
© TRANSIT
① 米
② 小麦
③ 乳製品
正解は……③
遊牧民はかつて食生活のほとんどを家畜で賄っており、ミルク、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品を今も重要な栄養源としている。米はほとんど食べない。
モンゴル西部、遊牧民のゲルの中でふるまわれる伝統的な食事風景。
© Bfreeproductions
ホフホト北部の草原でふるまわれる、モンゴルの伝統的な茶菓。向かって右のボウルには揚げキビ入りのミルクティー、ピンクの魚形の器にはそのトッピング用の揚げキビ。手前には乾燥ヨーグルトも添えられている。
© Popolon
① 1回
② 4回
③ 12回
正解は……②
四季に合わせて家畜に適した場所へ移動するのが基本。2~3回だけの場合も。近年では、公共施設やスーパーがある街からは離れ過ぎない程度に移動する家庭が多い。
© Francisco Anzola
① タイミングがいい
② お金を持っている
③ センスがいい
正解は……①
タイミングよく何かいいところに出くわす人のこと。たとえば、モンゴルには客人に食事をふるまう習慣があり、たまたま食事中に訪れると「いい馬を持っている」人になる。
© Brücke-Osteuropa
① 税制改革
② 騎兵隊の整備と軍政統合
③ 地方分権の推進
正解は……②
千戸制とは、チンギス・ハーンが導入した十進法による軍事組織制度で、血縁を超えて兵士を編成することで部族間のしがらみを排除し、ハーンへの直接的な忠誠を確保した。軍と行政を一体化させることにより、強固な統制と高い機動力を可能にした点で、モンゴル帝国の軍事的成功を支える柱となった。
父子関係を結んだトオリル(左)を歓待するテムジン(右)。※テムジンはチンギス・ハーンの即位前の名。
① 西安
② 大都
③ 長安
正解は……②
フビライ・ハーンは、遊牧国家だったモンゴル帝国を定住型の世界帝国へと再編するため、「大都」を建設した。これは今日の北京市の原型であり、以後の中国王朝にも大きな影響を与えた。整然とした街路、宮殿や市場、役所が並ぶこの都市は、モンゴル的な移動の論理ではなく、漢的な定住の秩序を取り込んだ象徴的な都市だった。
現在の北京市内。
© Ermell
① 金
② 大元
③ 大都
正解は……②
1271年、チンギス・ハーンの孫であるフビライ・ハーンは、自らの支配を正統化し、中国全土を統治する王朝としての体裁を整えるため、「大元(だいげん)」という国号を定めた。これは、儒教の経典『易経』に由来する「元」の文字を用いることで、中国の伝統的な政治理念に基づく王朝であることを内外に示す意図があった。これによってモンゴル帝国の中国支配が本格化し、元朝としての歴史が始まる。
フビライの狩猟図(劉貫道『元世祖出猟図軸』より、国立故宮博物院蔵)。
至元通行寳鈔とその原版。上段左の欄にパスパ文字で「至元寳鈔(jˇi ’ŭen baw č‘aw)」と書かれている。
© PHGCOM
① 土で固めたリング
② 石を円形に並べた場所
③ とくに区切られていない平地
正解は……③
もともと草原で育まれた伝統なので、とくに囲いのない平らな地面で勝負する。勝ち負けは、相手の体の一部が地面についた時点で決まり、土俵の外に出たら負け、というようなルールはない。
©︎David Lienemann
① 水を飲む
② 鷹の舞
③ 弓を引く
正解は……②
両腕を広げ、鷹が大空を舞うように羽ばたく「鷹の舞」は、自然や祖先への敬意、相手への礼を込めた神聖な所作である。鷹は勇敢さと誇りの象徴とされ、舞うことで精神を整え、競技に臨む準備を整える。モンゴル相撲は単なる力比べではなく、伝統文化や精神性が息づく神聖な競技であり、この舞もその象徴のひとつである。
16世紀頃の絵画。ブフの様子が描かれている。
① 欧米のスピリチュアルブームの影響
② 精神的不調を抱える人びとの増加と自己癒やしの試み
③ チベット仏教の衰退
正解は……②
モンゴルでは、1990年代初頭の社会主義崩壊後、体制の変化により多くの人が精神的・身体的不調を抱えるようになった。とくに少数民族であるブリヤート人の間では、これを「シャーマンの先祖を継がなかったための祟り」と解釈し、新たにシャーマンとなることで自己を癒やす動きが広まった。この思考は首都ウランバートルにも広がり、2000年代以降、格差の拡大や都市生活への疲弊のなか、「偉大なシャーマンの先祖が憑依する“すごいシャーマン”」となることで自らの存在を肯定し、癒やそうとする人が増えている。
© Munkhbayar.B
① 自ら望んで修行を始める
② 社会的地位や血筋によって選ばれる
③ 病や悩みをきっかけに「なる運命」と告げられる
正解は……③
好き好んでなるものではない。多くの場合、発端は病気や仕事の悩みである。病院での治療やラマ僧によるお祓いに効果がなく、最後に訪れたシャーマンから「あなたはシャーマンになる運命だ」と告げられたとき、イニシエーションの扉が開かれる。チャナルと呼ばれる儀式が始まり、太鼓を叩きながら森の中を夜通し走ることになる。
ウランバートル近郊のチンゲルテイ山にあるオボー(祭壇)。
© Martin Vorel
儀式で使われる太鼓。
© Taylor Weidman/The Vanishing Cultures Project
① モンゴル語が英語に似ているから
② 遊牧民の伝統文化に韻を踏むスタイルが根いているから
③ アメリカから直接ヒップホップ文化が輸入されたから
正解は……②
モンゴルには、古くから伝統的に韻踏みの文化が深く根づいている。ことわざや慣用句に始まり、のりと詞や呪文、シャーマンの祈禱歌、吟遊詩人が歌い語る英雄叙事詩にいたるまですべて韻が踏まれている。
ラッパーのBIG Gee。モンゴルのラップ・ミュージックは民族楽器を取り入れることも多い。
© Al Jazeera English
① 母音が少なく、単語数が限られている
② ラップに適したテンポの一定した言語である
③ 子音を複数連結でき、リズムを刻みやすい
正解は……③
モンゴル語では、子音を三連結以上にできる。破裂音や摩擦音といった子音を二重、三重に重ねられるので、非常にリズミカルにラップをすることができる。さらにモンゴル語ラップでは、フランスのラップの影響か、リエゾン(単語を2つ連続して発音する方法)も採用されている。
ラッパーのジェニー。モンゴル初のプロの女性ラッパーでもある。
© multi.lectical
本誌のモンゴル特集でゴビやカラコルム周辺の取材をすることになった私は、渡航前、Google Mapsを眺めてはうろたえていた。
どこをビューしてみても、360°何もない風景ばかりが出てくる。しかし、どこまでもつづくモンゴルの大地と広い青空が、私を呼んでいる。これまで旅といえばおしとやかな街ばかりを選んできたが、自分の耐久力を試したい気持ちにもなり、遊牧民のゲルに寝泊まりしながらゴビを旅するあえてワイルドなプランを立てた。風呂には入れるのか、ゲルで眠れるのだろうか、果たして私は生還できるのか。
編集部が記した、TRANSITモンゴル特集の取材裏話その1をどうぞ。
Photo &Text:Ono Haruka(TRANSIT)
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旅程|ウランバートル〜バガ・ガザリン・チョロー〜ヨリーン・アム渓谷(約650 km、車で8時間)
朝6時半、ウランバートルのホテルを出発。旅のメンバーは、写真家の柏田テツヲさん、ガイドのトゥル、ドライバーのアンカ、そして私の4名。私以外は全員男性なので心強い。
大都会のウランバートルから車で30分も走ると、一本道に出る。時折、馬や羊がゆっくり道路を横断していく。脇には建設途中の建物や、プレハブ小屋のように使われているゲルが見える。
最初の目的地は、バガ・ガザリン・チョロー(Baga Gazariin Chuluu)。本誌では紙幅が足りず紹介しきれなかったが、奇岩や古代の人が描いた岩の絵があるということで行ってみたかったのだ。
ウランバートルを南下し2〜3時間経ったところで舗装された道路を外れ、オフロードへ出た。地面にはこぶし大の石が混じっていて、四駆の三菱デリカは豪快にガタガタ揺れる。思わずバックパックを手繰り寄せ、酔い止め薬を取り出し口に放り込む。
牛が道路を渡っていく様子。
我らが相棒の三菱デリカ。
やがていよいよ揺れすぎて笑っちゃうくらいの岩場に来た。USJにこんなアトラクションがあったような気がする。私があまりにも笑うので、トゥルが引いている。馬に取り囲まれたりしながら約40分走り到着。
バガ・ガザリン・チョローに着くと、高さ5mほどの花崗岩の奇岩群が出迎えてくれた。人気(ひとけ)がまったくないが、ゲルがあるので遊牧民が住んでいるようだ。どこからか、山羊の群れが現れた。岩塩を舐めながら、岩を登り下りして移動している。夢中になって山羊を追いかけているうちに岩のてっぺんまで辿り着いた。
そこで見たのは、気の遠くなるほどどこまでもつづく平地と、岩、そして、導かれるわけでもないのに秩序を保ちながら粛々と移動する山羊たちの群れ。わずかな風と、山羊が大地を踏み締める音のほかには何も聞こえない。ここで私はモンゴルに、ゴビにすっかり魅了されてしまったのだった。後に訪れるヨーリン・アム渓谷やホンゴル砂丘、バヤンザグも、そんな圧倒的な静寂との対峙の連続だった。
バガ・カザリン・チョローの岩に登って。
詳しい時代は不明だが、何世紀も前に描かれた岩の絵。
初日に宿泊したのは「ゲルホテル」と呼ばれる施設だ。ホテルといってもベッドとテーブル、椅子があるだけのシンプルなゲルが5棟と、共用のシャワーとトイレがあるという簡素なもの。遊牧民の方が運営しているという。人生で初めて入るゲルは想像以上に堅牢で、乾いた風が吹きすさぶ外とは対照的な安心感がある。鮮やかな内装もあいまって、まったく違う世界に足を踏み入れたようだ。シャワーは湯が出ず、早速オフロード旅の洗礼を浴びることになる。途中で寄った街のスーパーで買った弁当をみんなで食べ、この日はさっさと就寝。
オフシーズンのため、1人1棟のゲルを使わせてもらえることに。
中はこんな感じ。
「ゲルホテル」の近くには大抵このような共用トイレとシャワーがあるが、湯が出る保証はない。
旅程|ヨリーン・アム渓谷〜ホンゴル砂丘(約200 km、車で3~4時間)
今日は、昨日行けなかったヨリーン・アム渓谷(Yolyn Am)へ。200〜300mの崖が切り立ち、その間を流れる川は春でも凍っているという渓谷だ。モンゴルの馬は、競馬などや映画の戦のシーンなどでイメージする馬と比べると小柄。よく躾られており、運動神経の悪い私でも簡単に乗ることができた。
次にホンゴル砂丘(Khongoryn Els)に向かい、そばのラクダ飼いの家族を訪ねる。宿の主は留守にしており、隣人の遊牧民ツォグツォルマさんの家庭でもてなしを受けた。実際に人が暮らすゲルにはテレビやタンス、仏壇、洗面台があり、ますます外とは別世界の生活感があった。チベット仏教の影響を受けているらしき鮮やかな内装はどこも共通のようだ。
宿泊したのは母屋とは別に建てられた宿泊者用ゲルで、昨日泊まったところと似たようなものだった。てっきり母屋でご家族のみなさんと寝ることになると思っていたが、こうした来客用のゲルを用意してくださっているのだ。風呂はない。遊牧民の人たちは、街に用事ができたときについでに公共シャワーを浴びているのだという。空気が乾燥しているので、確かにそれで十分かも、と思う。
今日の夜ご飯はスーパーで買った材料でアンカが作ってくれたモンゴル版焼きうどん「ツォイワン」。具材の肉はラクダ。牛肉に似ていて、甘辛い味つけでおいしい。
この日は一晩中風が強く、ゲルの中にいてもものすごい轟音がしていたが、それでもゲルがびくともしないことに驚いた。ほぼ木の枠とフェルトしか使っていないのに、こんなに丈夫な構造を発明した遊牧民の知恵に畏れ入る。
馬で行く、ヨリーン・アム渓谷。
朝起きてゲルを出ると近隣で飼われている人懐っこい牧畜犬の仔犬がしっぽを振っていた。
昼食は街のレストランで。
伝統料理の餃子や肉まんに似た「ボーズ」は肉汁たっぷりでおいしい!
ホンゴル砂丘の手前は岩場で、今回の旅でもトップクラスに揺れた場所。
ゲルの中央にはストーブ兼コンロがついている。
来客用のゲルにもついていたので、今夜は自炊。
旅程|ホンゴル砂丘からバヤンザグ(約200 km、車で3~4時間)
今日は朝から、昨日天気が悪く撮影できなかったホンゴル砂丘にリベンジ。しかし、風速40 kmの強風で頂上までは到達できなかった。いつかリベンジしたいと思う。
ホンゴル砂丘の撮影を終え、バヤンザグ(Bayanzag)に向かう。元は海だったといわれる崖の群で、恐竜の化石が見つかったことで有名な場所だ。しかしその道のりはいよいよ、遠くに山さえない地平線がひたすらつづく。
「小野さん、トイレに行きますか?」後部座席でボーッとしている私にトゥルが助手席から声をかける。見渡してももちろん何もない。「天然のトイレです」。女性である私のために、身を隠せそうな段差のある場所を見繕ってくれたようだ。かなり抵抗があったが、思い切って一度してしまえば爽やかな風に尻を撫でなれる感覚がくせになり、なかないいものである。狭い汲み取り式トイレに比べれば、臭くも不潔でもない。
途中、砂場にタイヤがスタックしたりしながら、バヤンザグに到着。
バヤンザグ周辺では、レトロなデザインのバンをよく見かけた。ロシア製だそうで、ツアーガイドたちの間ではパワーのあるロシア製の車か、壊れにくい日本製の車で好みが分かれるらしい。かわいいと思って呑気に写真を撮っていたが、後日これに乗ってとんでもない目に遭うことをこのときの私は知る由もない。
宿は今日も遊牧民にお世話になる。遊牧民に住所はなく、道や目印になるようなものもない。トゥルが電話で「木が1本あるから、そこを左へ進め」というような指示をもらいながら、道なき道を行く。
ずっとこんな風景がつづく。
ブリキのおもちゃみたいなバン。
お世話になったバッニャムさん一家。
山羊たちを小屋に戻す様子を撮影させてもらった。
Geru Travel Mongolia
今回のオフロード旅をガイドしてくれたのはGeru Travel Mongoliaのトゥルさん。
gurutravelmongoliaは日本人旅行者向けに、手頃な価格でオーダーメイドのモンゴルの旅のプランを提供してくれる旅行会社です。みなさんもぜひ、Geru Travel Mongoliaと一緒に自分の理想のモンゴル旅を作ってみては。
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編集部が記した、TRANSITモンゴル特集の取材裏話その2。 遊牧民のゲルに寝泊まりしながら移動する旅は、4日目に突入した。壮大なゴビの風景に大感動しながらも、今のところ、スタートしてから1回もシャワーを浴びていない。
Photo &Text:Ono Haruka(TRANSIT)
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旅程|バヤンザグ〜オンギ(約170 km、車で4時間)
今日からは南部のゴビを抜け、中部にある古都ハルホリン(Kharkhorin)を目指す。1日では行けないので、この日は中間地点にあるオンギ川のそばのゲルホテルに宿泊する。ここでもシャワーのお湯は出ないようで、風呂なし生活は4日目が確定した。
ただ、やはりモンゴルでは空気が乾燥しているのでそこまで不快ではない。トイレも同様で、汲み取り式のところも多いが匂いはそこまできつく感じない。この時期には虫も見かけない。それでいて風景は素晴らしく、動物はかわいいやつばかりで、星空の美しさはいうまでもない。モンゴルはアウトドアのいいとこ取りをしたい人にはうってつけの旅先なのではないだろうか。
夕食はオーナーさんの住む母屋のゲルでご馳走になる。2つのゲルが連結した1K+1LDタイプだ。モンゴルのTV番組を観たり、ウランバートルの社会問題について語り合ったりしてから就寝。
砂漠を走り抜き、デリカももう砂まみれ。
オンギ川は、モンゴル中部では貴重な水源となる川。靴下などの小物を洗濯した。
ところどころ現れる小さな街には、たいていこういう無骨な外観のスーパーがある。
スーパーは1日1回、どこかしらに立ち寄れたので、お菓子や飲み物、ティッシュなど消耗品は都度購入できる。スーパーにはロシアや韓国製の食品が多い。
オンギン・ヒード(オンギ修道院/Ongiin Khiid)はかつて1000人の僧が修行する広大なチベット仏教の修道院だったが、19世紀のチベット弾圧で破壊されてしまった。
連結タイプのゲル。入り口側がキッチンやその他水回り、奥側がリビングになっている。
ゲル手前には洗面台や洗濯機、炊事場がある。
モンゴルの恋愛リアリティショーを見ながら夕食。
旅程|オンギ〜ハルホリン(約300 km、車で5.5時間)
オンギを出発し、さらに北上する。岩だらけだった風景が少し変化し、草がまばらに生える草原帯に戻ってきたようだ。舗装道路の割合も多くなってきた。
ハルホリンはカラコルムとも呼ばれ、モンゴル帝国をはじめかつての騎馬民族の国が首都を置いたところで、現在の街の規模は大きくないが、かつての繁栄を支えたであろう豊かなオルホン川がゆったりと流れ、その景観が世界遺産に登録されている。
観光客向けの施設も多く、夕食は街のレストランで。この旅で初めて酒を飲み、アンカの奥さんがとんでもない美女だとかいう話で大いに盛り上がる。コテージのある宿に泊まり、シャワーを浴びることができた。
ゴビにはあまりいなかった馬も、ハルホリンではちょくちょく見かけるように。
古都ハルホリンと、そばを流れるオルホン川。
遊牧中はバイクを使う人が多いが、馬を使う人も少数ながらいる。
モンゴルの代表的なビール、ゴールデン・ゴビはコクがあっておいしい。羊肉のゴリアシ(煮込み料理)にぴったり!
旅程|ハルホリン〜ホスタイ国立公園〜ウランバートル(約380km、車で4時間)
今日はいよいよウランバートルへ戻る。オフロード旅の最終日だ。
ウランバートルの手前で、ホスタイ国立公園(Hustai National Park)に寄ることに。野生の馬「タヒ」が生息しているという。原種に近い馬らしく、写真で見てみると小柄でずんぐりむっくりしていてかわいい。
ホスタイ国立公園のエリアに入ってしばらくしたところで、デリカが止まってしまった。どうやら、サスペンション付近の部品が壊れてしまったらしい。トゥルとアンカはどうしようかと手をこまねいているが、私と写真家の柏田さんは余裕綽々だ。ここがゴビだったらいざ知らず、国立公園だから近くに案内所もあるし、いざとなれば泊まるところもあるらしいのでガイドしてもらう側としては何も心配していない。むしろあれだけの悪路でこれまで壊れなかったことのほうが驚きである。
デリカのことはアンカに任せ、ほかの3人は別の車をチャーターして引き続きタヒを探すことにした。そこで登場したのが、バヤンザグなどで見かけた例のロシアの車だ。
これがすごかった。シートが硬い椅子に厚さ2cm程度しかないクッションがついているというだけのもので、掴まるところもなく、揺れるたびに吹っ飛んで行きそうだった。運転手の5歳くらいの子どもが助手席から訝しげに私を見ている。トゥルはスマホでニュースのようなものを読んでいる。騎馬民族の体幹は尋常ではない。
そして肝心のタヒ。国立公園に棲んでいるとはいえ、野生ではあるのでタヒに会える確証はなかったが、30分ほど探せばたいていは見つかるようで、無事にタヒを撮影。デリカのところへ戻ると、アンカが自力で溶接して修理してしまっていた。実はアンカはふだん鉄道会社で働く技術者で、こういうときのために溶接セットを積んでいるのだという。私は車に詳しくないのでどれだけすごいことかよくわからなかったが、柏田さんは「すごい」「かっこいい」としきりに褒め称えていたので相当すごいことなのだろう。
壊れたデリカに気を揉むトゥル(写真手前)とアンカ(奥)。
代わりに登場した例の車。
夜はウランバートルで宿泊。久しぶりに都会へ戻ってきた。トゥルは久しぶりに帰ったウランバートルの自宅で気絶するように寝たらしい。
この後、ウランバートル周辺を見て回って帰国するのだが、オフロード旅日記はここで終了だ。
期待通りのワイルドな、しかしながら親切なトゥルとアンカ、遊牧民の皆さんのおかげで思いのほか快適な旅ができて大満足だった。途方もない場所まで足をのばし、原始的な風景やそこで生きる人びとに出会ってこそ、モンゴルの何たるかをほんの少しだが知れたような気がする。
私がワイルド旅を希望したからこうなったものの、風呂トイレ完備の宿もきっとたくさんあるはずなので、心配な人は旅行会社やツアーガイドにぜひ気軽に相談してほしい。今回案内してくれたトゥル(@gerutravelmongolia)には、私の要望を細やかに聞いてもらって本当にお世話になった。最後に、モンゴルオフロード旅をサバイブするための必需品を紹介して終わりたい。
トイレットペーパー
モンゴルのオフロードでは人口の建物及びトイレはほとんどなく、つまりトイレットペーパーさえあればどこでもトイレになりうる。現地でも買える。
ウェットティッシュ
蛇口やシャワーの水が出ないことがあり、トイレには手洗い場がないことも多いので1日10枚くらいは使ったような気がする。
現金(MNT、モンゴルトゥグルグ)
スーパーではクレジットカードが使えるところがほとんどだが、宿泊施設や泊めてくれた遊牧民への謝礼は現金で支払う。ちなみに遊牧民のゲルに泊まった場合、高くても1人あたり1泊3,000円程度だった。
保湿アイテム
とにかく乾燥しているので、肌や髪、唇を保湿するためのアイテムはマスト。
日焼け止め&サングラス
標高が1,300mほどのモンゴル高原は、日差しが強い。
軽くて嵩張らない上着
寒暖差が激しく、春夏でも夜は寒い。星を観たり、布団が十分にない場合のために暖かい上着がマスト。
スリッパ
ゲル内ではスリッパが大活躍。
洗い流し不要のボディケア用品
水のいらない歯磨き、ドライシャンプー、メイク落としシート、ボディシート、ドライシャンプー、メイク落としシート。ボディシートは持っていたものの、歯磨きも水のいらないタイプがあるとよかったと思う。
Geru Travel Mongolia
今回のオフロード旅をガイドしてくれたのはGeru Travel Mongoliaのトゥルさん。
gurutravelmongoliaは日本人旅行者向けに、手頃な価格でオーダーメイドのモンゴルの旅のプランを提供してくれる旅行会社です。みなさんもぜひ、Geru Travel Mongoliaと一緒に自分の理想のモンゴル旅を作ってみては。
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