人あるところに、祭りあり! お祭りは、その土地の文化、暮らし、環境を全身で体感できる、またとない時間。そんなハレの日めがけて国内外を旅する「お祭探訪記」。 今回訪ねたのは、岐阜県の最北端にある飛騨市。山に囲まれた和風建築が残る美しく穏やかな場所なのだが、毎年4月19日、20日は街の人びとが「やんちゃ」になるという。それが「飛騨古川祭」。ユネスコ無形文化遺産にも登録されているお祭りだ。もう一つの街の顔に出合うべく、いざ飛騨へ!
Photo : Momoka Omote
Text:Maki Tsuga(TRANSIT)
岐阜の南部を美濃地方、北部を飛騨地方と呼ぶが、祭りのために訪れたのが飛騨地方のなかでも最北にある飛騨市だ。飛騨山脈をはじめとする3000m級の山々に囲まれた自然豊かな街で、総面積は約792.5㎢。なんと東京23区(約627.6㎢)がまるごと入る大きさだ。そのうち93%が森林だという。
「特急ひだ」に乗って、名古屋駅から飛騨古川駅へ向かう車窓から。山も、川も、どこを切り取っても緑が広がる。
飛騨市は自然だけでなく歴史もある街だ。江戸幕府の天領だったことから、街中に白壁土蔵群が残っていたり、昔ながらの和風民家が立ち並んでいたりと、古きよき日本の風景にも出会える。お隣の高山市も天領で、古い街並みが広範囲に残っていることから多くの観光客が行き交うが、そんな高山市に比べると飛騨市は暮らしの街といったところ。
地元の人たちが集う喫茶店でモーニングをして、白壁土蔵群を歩きながら老舗の酒造で酒を味比べして、お昼は惣菜屋で郷土料理をつまみ、夜はレストラン、居酒屋、スナックへ行って、ソバ(飛騨ではラーメンのこと)で〆め。宿は気軽にビジネスホテルもいいし、料理自慢の旅館や、町中の古民家に泊まることもできる。のんびり過ごしたい人にとっては日常がみえていい街だ。
そんな穏やかな飛騨市の街の様相が一変するのが、毎年4月19日、20日におこなわれる「飛騨古川祭」。この2日間は、地域の学校や会社は休みになり、市民総出で祭りを執り行う。とくに19日夜におこなわれる「起し太鼓」の神事は、日本三大裸祭としても有名だ。
噂に聞いていたお祭に、飛騨の人に誘われていくことに! お祭りの様子をレポートしました!
平安時代前期に創建された気多若宮神社。能登の気多大社に縁があり、大国主神が祀られている。映画『君の名は。』のモデルになった場所でもある。
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19日の朝、飛騨市古川町の高台にある気多若宮(けたわかみや)神社へ向かう。古川祭はこの気多若宮神社の例祭なので、お祭りはここからはじまる。拝殿で宮司が粛々と祭りを進行。雅楽が奏でられ、舞姫が舞を奉納する。神様への挨拶が終わると、神様を「からびつ」と呼ばれる箱に移して山を降り、さらに神様を神輿に移す。これで神様が街をまわる準備完了だ。
雅楽も舞姫も、古川の街の大人や子どもたちが担う。
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お昼過ぎに、気多若宮神社の足元にある大鳥居の下に神輿、雅楽、獅子舞が集合。宮司によって勅が挙げられ、獅子舞が舞ったあとに、いよいよ神輿が動き出す。ここから祭りの舞台は神社から街中へ移っていく。神輿の高さは2mほど。綱引きのように十数人の大人が引っ張って、ゆっくりゆっくり神輿が進みだす。
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行列の先頭をいくのは闘鶏楽(とうけいらく)の組。ニワトリを模した衣装を纏って鐘を打ち鳴らしながら神様を街中へと案内する役割だ。こうした祭りの役割は、気多若宮神社の氏子にあたる古川町内の12組が担当している。闘鶏楽は栄町、獅子舞は上気多の宮本組が担当で、さらに屋台をもつ10の組がある。
神輿が街中を通る時間になると、白い粉で線を引く人たちの姿が……。表通りから家の玄関先まで塩で白線を引いて、神様が自分の家にも訪れるようにと目印をつけているのだ。
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19日は、気多若宮神社で神事がおこなわれている間も、闘鶏楽が街を行進したり、獅子舞が家々をまわっていたり、各町の屋台が練り歩いていたりと、同時多発的に祭りごとが進む。祭りの全貌を掴むのはなかなか難しいけれど、逆にいえば見どころがたくさんあるので街のどこにいても楽しめる。お囃子の音や人だかりを頼りに街を歩けば、屋台や獅子舞や神輿の行列に出合うことができる。
19日の日中の目玉のひとつが獅子舞。「そーりゃぁ、そーりゃっ!」と大きな掛け声をあげながら、宮本組の獅子とお囃子の一団が一軒一軒をまわって激しい舞を披露しているところだった。住人は舞のお礼に謝礼を包んで獅子舞の組に渡すことになっている(そのお金はお祭り後の打ち上げに使われるのだとか)。獅子は全部で8頭いて、その後をついて街を歩くのも楽しい。
「白虎台」の屋台で、地元の子どもが弁慶と牛若丸に扮して歌舞伎を演じているところ。「麒麟台」の屋台には唐子人形がついていて、謡曲に合わせて地元の大人たちが20本以上の糸を操って見事なからくりを見せてくれる。
そしてもうひとつの目玉が、各町内の「屋台」。古川の屋台は、江戸の屋台文化、京都のからくり仕掛け、飛騨の匠の技術が加わって、独自の進化を遂げたものだ。間近にみると、塗りも、彫りも、織物も豪華絢爛。19日には10台の屋台がそれぞれの地域で曳行されて、20日には街の中心にあるまつり広場に屋台が集まって、一斉にその姿をみることができる。
日が傾きはじめると、街のいたるところからさらしを巻いた裸男の集団が現れる。4月中旬とはいえ、飛騨ではようやく桜が満開になったばかりの肌寒い時期。大声を上げたり地酒を飲んで体を温めながら、「付け太鼓(太鼓が取り付けられた棒)」を担いで街を歩いていく。
ときどき男たちが立ち止まって、掛け声をあげる。すると付け太鼓の棒を天に向けて棒を支え、一人がその棒にかけあがる。3mほどの棒によじ登って、棒の上で大の字になったり、逆さになってポーズを決める。それを一人、また一人と交代で挑戦する。
トンボと呼ばれるこの動作。なかには登れない人や落ちそうになる人もいて、まわりの応援も白熱する。鳶職のような技をやってのけるけれど、みんなそうした職業なわけではない。この日のために練習するわけでもないそう。飛騨の匠の名残なのだろうか、なかなか迫力がある。
そんな裸男たちが18時ごろにはまつり広場に集合する。広場には大きな神輿があって、焚き火の光に煌々と照らされている。この大神輿が起し太鼓の櫓(やぐら)だ。そのまわりを12の付け太鼓が取り囲む。あっという間に裸男たちで広場が埋め尽くされた。出立祭のはじまりだ。
気多若宮神社の宮司が祝詞を唱え、飛騨市長が挨拶をして、その年の総司(起し太鼓仕切り役)が宣誓して、若松様という祝い唄をみんなで歌う。
いよいよその時がきた。10人の裸男たちが起し太鼓の櫓に乗り、それを100人ほどの裸男たちが担ぐ。櫓の上の裸男が大きなばちを空に振りかざす。そして勢いよく太鼓を打つ。「ドォオン」お腹の深いところに音が響く。「うおぉーーーーー」何百人もの男たちの声とともに、ぐらりと大櫓が動き出す。同時にまわりの付け太鼓をもった男たちも起し太鼓に一斉に群がる。半裸の男たちが広場から街中へと動き出す。
大太鼓をバチで叩く「太鼓打ち」。飛騨古川の男の人にとっては、一生に一度は経験したい名誉職。太鼓打ちになった人は、柳の生木を取ってきて自分で削ってばちをつくる。
起し太鼓の上には、バチで太鼓を叩く人、提灯をもって中腰で屈伸する人。その下には、櫓を担いで移動する男たち。そして掛け声があがるたびに、血気盛んな付け太鼓の男衆が櫓に詰め寄る。起し太鼓の櫓の後ろにある太鼓にいかに付け太鼓をくっつけるかが勝負。昔は押し合いへし合いするなかで、街中の建物が壊れたり、喧嘩になることもあったという……。道端や家の二階からその様子を見ている人たちが歓声を上げる。この起し太鼓の行列が、夜0時頃まで古川町内を練り歩くのだ。
そんな起し太鼓の裏側には、もうひとつの夜のお楽しみがある。それが「呼び引き」だ。古川祭の夜は、親しい人を招いて家に上げて「ごっつぉ(ご馳走)」を振る舞う文化があって、それを呼び引きというのだ。
お祭りの日のごっつぉは、こも豆腐(藁に包んで煮込んだ豆腐)、ナツメの甘露煮、フキやゼンマイやヒメタケの煮物、アズキナやタラノメといった山菜の天ぷらなど。天ぷらのなかでも、ごぼ天(ごぼうの天ぷら)とお饅頭の天ぷらは、甘じょっぱくて飛騨ならではの味つけでおいしい。家族や親戚や友人、ときにははじめましての人まで(!)が家に招かれて、ご馳走に預かる。
こうして19日の夜が更けていく。1日目だけでも見どころ満載なのだが、2日目もまた違った古川祭が見られていいのだ。
飛騨の中村さんの家の呼び引きにお邪魔したときの様子。ずらりと飛騨のごっつぉが並ぶ。
古川祭の2日目は、まつり広場からはじまる。町内のきらびやかな屋台が一同に集って、それぞれの芸を順番に披露していく。19日夜の喧騒から一変、華やかで静かなお祭の時間だ。
屋台によって個性はさまざま。三之町下組の「白虎台」には舞台がとりつけられていて屋台の上で子供歌舞伎が演じられたり、壱之町下組の「麒麟台」と殿町組の「青龍台」ではからくり人形の仕掛けを見ることができる。向町組の「神楽台」も豪華で、屋台上段に太鼓がついていて体を大きく反らせて太鼓を叩く様子が見られたり、さらに神楽の演奏と獅子舞もついている。一番大きい「龍笛台」は7m超の大きさを誇る。逆に一番小さいのが壱之町上組の「三番叟台」。明治37年の古川大火で屋台の大部分が消失してしまったため、台座と旗を曳く。この時代に屋台を修復しようとすると、何億円もかかるのだとか……。
20日の古川祭は、そんな屋台の魅力が存分に味わえる日。日中には、からくり、獅子舞、神楽の演奏、子供歌舞伎などが演じられて、日の下で美しい屋台をみることができる。
夜の屋台がまたいいのだ。夕方頃になると、いくつもの提灯が屋台に下げられて古川の街を練り歩きはじめる。その名も「夜祭(やさい、よまつり)」。民家の玄関先にも提灯がつけられて、暗闇のなかで屋台や着物や法被を着た街の人たちが灯りに照らされてタイムスリップしたよう。
21時を過ぎた頃には、10の屋台が街の中心部からそれぞれの町内へ帰っていく。屋台が屋台蔵に収まって、静かにお祭りが閉じていく。
また来年も無事にお祭りをむかえられますように、飛騨古川の人たちの背中をみているとそんな無言の声が聞こえてくるようだ。
気多若宮神社の山の上の神様が、神輿に乗って人里に降りてきて、屋台や獅子舞や起し太鼓の賑わいをみて、また山へと帰っていく2日間。
地元の人たちが各町内の屋台で親戚や友人を見つけて声を掛け合う様子を見ていたり、呼び引きで知人の家にお邪魔させていただいていると、なんだか飛騨に家族が増えたような気持ちになってくる。飛騨古川祭は、神様も、街の人も、外の人も、みんなが街の一部になったように感じる時間なのだ。
「古川祭が飛騨のお正月なんや」という街の人もいた。実際、山が近く、雪も多い飛騨にとっては、4月の古川祭は待ちに待った春を報せる行事だ。祭りの1カ月前から、獅子舞、お囃子、舞姫、屋台の子供歌舞伎やからくりする人など役割分担を決めて準備する。祭りにかかわる地元の人は、子どもから大人まで総勢千人にもなるという。
お隣の高山市の飛騨高山祭も春と秋の2回、4月14日、15日と10月9日、10日に行われているので、春は古川祭と高山祭を同時期に見ることもできる。豪華で静かな屋台行列が見られる高山祭と、静と動を併せもつ古川祭を見比べてみるのもいいかもしれない。
人の温もりを感じる春の古川祭に行ってみませんか?
飛騨古川祭
日時|毎年4月19日、20日
場所|岐阜県飛騨市古川町一帯、気多若宮神社、まつり広場など
アクセス|
>>東京から飛騨古川へ向かう場合
・電車
東京-富山(北陸新幹線)-飛騨(JR高山線)……約4時間30分
東京-名古屋(東海道新幹線)-飛騨(JR高山線)……約5時間
・バス
東京-金沢-飛騨……約4時間30分
新宿-松本-奥飛騨-飛騨高山……約5時間30分
・飛行機
羽田-富山空港-富山(バス)-飛騨……約3時間
・自動車
東京-松本(中央道)-奥飛騨-飛騨高山-飛騨古川……約5時間30分
飛騨古川祭