連載:NIPPONの国立公園
National Parks of Japan.
連載:NIPPONの国立公園
TRAVEL & THINK EARTH
2024.11.07
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樹齢千年を超える屋久杉をはじめ、多くの固有種をもつ屋久島は、亜熱帯に位置しながら、山間部は亜寒帯の気候を有する特異な場所だ。年間を通して雨が多いこの島で、循環する水を追いかけた。屋久島の旅を前編「黒味岳の頂へ」、後編「山、川、海へ、水めぐる島」に分けてお届けします。
Photo : Yusuke Abe
text:Sayoka Hayashi Supported by THE NORTH FACE Special thanks: Takuya Tabira
苔や石が蓄えていた水が集まると、沢となって岩を削りながら山を下り、やがて海へと流れ出る。そんな屋久島の水の冒険を追いかけて、黒味岳登山の翌日は、山間を流れる川へと向かった。
ガイドさんに案内され、女川を1時間ほど沢登りして着いたのは、知る人ぞ知る楽園のような場所。巨大なチョックストーンのトンネルを川に潜ってくぐった先の奥まった空間は、天女が水浴びをしてそうな雰囲気が漂う。あまりの心地よさに童心にかえり岩から天然のプールにジャンプした。
別の沢では、川原のポットホールにゆらゆら浮かび、自然のウォータースライダーを楽しむ外国人グループの姿があった。さらに海岸が目と鼻の先にあるまた別の沢では、地元の子どもたちが水浴びに興じていた。名前がついているだけでも140の川があるという屋久島には、水が織りなす無数の景観と物語があるのだろう。アメンボの波紋のように湧く水や、清らかな流れの小さな沢、ごうごうと音を立てる落差のある迫力満点の滝……。姿かたち、色を変えて目や耳を楽しませてくれる水のしなやかさに、改めて屋久島が水とともに生きている島であることを知る。
そもそも、屋久島にはなぜ雨が多いのか。その理由は、山と海の距離にある。外周道路を走ると、海岸から距離をおかずして急峻な山が聳えていることに気づくだろう。温かく湿った海の空気が山の斜面に沿っていっきに上昇し、その空気が冷却されて雲をつくるというわけである。
このように、雨量とそれにともなう森の植生を考えたとき、山と海は切っても切れない関係だ。だが、それだけでなく、山と海の距離の近さは海の生態系にも影響を与えているという。屋久島には、「山黒味」という言葉があるのだとガイドさんが教えてくれた。”黒味”というのは豊かさを象徴する言葉で、山が海に影を落とすことで暗くなった島の沿岸部は、外的にねらわれないという理由で稚魚が育ちやすいことを表現したもの。いっとき周辺の海の魚の種類は日本一だったという。恋人のような関係の山と海が雨を降らせ、森を生み、魚を育てている。創生神話のような屋久島の事実である。
大川の滝を見に出かけたときのこと。外周道路沿いに、「日本名水百選」にも選定されている湧き水の標識が目に入り、車を停めて水をひとくち飲んだ。とてもおいしくて、もう一度近くを通りかかったとき、再び立ち寄り水筒に水を汲んだほど。そんなことがあったから、ガイドさんに「ふだん湧き水を汲みにいくことはありますか?」と尋ねた。すると、「いつも水道水ですよ」とにこやかに返ってきた。柔らかい水は口当たりがよく、水道水でも十分においしいのだという。飲食店や酒蔵、旅の途中で出会った何人かに同じような質問を投げたが、いずれも、店の料理にも焼酎造りにも水道水を使っていると口を揃えた。
そこで思い出したのが、”地球と人類の宝物である屋久島。”の前文からはじまる、屋久島憲章の4つの条文のうちのひとつだ。そこにはこう書かれている。
“わたくしたちは、島づくりの指標として、いつでもどこでもおいしい水が飲め、人々が感動を得られるような、水環境の保全と創造につとめ、そのことによって屋久島の価値を問いつづけます。”
屋久島憲章とは、屋久島の貴重な自然や美しい水を保っていくために、住民総意のもと制定されたもの。自然との共生を掲げたこの憲章は、島の将来を示すものとして、住民たちの暮らしの指標になっている。(これは同じ地球を生きる私たちにとっての指針ともなるような素晴らしい文章なので、ぜひ一度読んでほしい)。だが、今でこそ自然は島の財産であり、守るべきものだとの共通認識があるが、かつて島民の間で森林伐採推進と保護で対立した時代があった。というのも、豊かな森林はお金を生む資源になるからだ。
はじまりは16世紀末、薩摩藩の時代。困窮から屋久杉を伐採し、年貢として幕府に納めたことをきっかけに、徐々に森林伐採が行われるように。明治時代には8割弱が国有林に指定され、1954年には屋久杉が特別天然記念物に指定されるといったいきさつはあったが、大規模な伐採はつづけられた。そして高度経済成長期の1971年、森林伐採はピークを迎える。以降、1990年頃まで、森林開発と自然保護の対立の時代がつづいた。
屋久島憲章はそのような経緯と、世界遺産登録をふまえて制定されたものだったのだ。そもそも屋久島では中央部に位置する麓から見えない山のことを「奥岳」といい、以前は人が踏み入ることのできない神聖な領域だった。一方で「前岳」と呼ばれる里に近い標高1000mほどの照葉樹林の山は、薪を拾ったり、伐採した木を焼き炭にするなどして、昔から生活と直結した山だった。元来、島の人びとは山に畏怖の念を抱き、棲み分けをし、自然と共生してきたともいえる。
そうした先人たちの知恵や伝統文化を受け継ごうと、高度経済成長期に若者の流出により途切れてしまっていた「岳参り」の風習が復活した。岳参りとは、もともとは疫病を鎮めるための山岳信仰で、集落の安全や豊漁豊作を祈願するもの。海水で身を清めたあと、白装束に身を包み、海の砂を入れた竹筒をもって集落ごとに信仰する山を詣で、砂を神に捧げる神事である。 豊かさとは何か、大切なものは何か。世界各地で環境問題が叫ばれるいま、山と海に抱かれた水の島で過ごす時間は、自分がすべきこと、守りたいものは何かを教えてくれる。
沿岸部・平地で約4400mm(東京の約3倍)、山間部では1万mmに達するとされる屋久島の年間降水量。林芙美子が小説『浮雲』で表現した「ひと月に35日雨が降る」という言葉は、キャッチフレーズのように、多くのガイドブック等に登場する。雨が多いのは、島が温暖な黒潮の流れの真ん中に位置することで、温かく湿った空気が急峻な山肌を駆け上がって厚い雲となり、多量の雨を降らせるから。島の中心部は花崗岩でできているため保水はできず、雨を蓄える土も少ないが、土に代わって森の苔が水を蓄える。そして川は山を削って島特有の地形をつくり、海に注ぎ込むと再び水蒸気となって天上へ。屋久島は苔の宝庫で、約600種類が生息している。
本記事はTRANSIT49号より再編集してお届けしました。
日本の国立公園
北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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