特集:月刊TRANSIT
2025.01.01
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毎月1つの主題で旅する「月刊TRANSIT」。今月のテーマは「みんなのインド旅計画」! 宗教も言語も人種も風土も多様。混沌としていてローカルルールも色濃く残るインド。お腹を壊したり、騙されたり(編集部員たちも経験済み)……彼の地を旅するのは、一筋縄ではいかない部分も多いかもしれない。 それでも一生に一度は行きたい。はまったら何度だって行きたい。ほかに代わりのきかない唯一無二の国、インドを旅したい! そんな人に向けて、インドを旅してきた人たちの声をもとに「みんなのインド旅計画」をしたためました。
Photo : Isao Nishiyama
Index
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インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。
日本の国土面積の約 8.7 倍を誇るインド。初めてでも何度目かのインドだったとしても、どこに行こうか楽しい悩みが尽きない国だ。インド旅を計画中の人に向けて、まずは訪れたい東西南北のインド10都市を眺めるところからはじめてみよう。
Text:TRANSIT
Index
10 min read
1/デリー(Delhi)〜混沌に包まれるインドの玄関口
2/バラナシ(Varanasi)〜もっとも「死」に近い場所
3/チャンディーガル(Chandigarh)〜2人の建築家によるモダン都市
4/ジャイプル(Jaipur)〜マハラジャの風格漂うピンクシティ
5/ジョードプル(Jodhpur)〜城塞に抱かれるブルーシティ
6/ジャイサルメール(Jaisalmer)〜金色に輝く砂漠の至宝
7/チェンナイ(Chennai)〜誇り高き南インドへの入り口
8/コチ(Kochi)〜モダンカルチャー息づく港町
9/コルカタ(Kolkata)〜インドの混沌を追いかけて
10/ダージリン(Darjeeling)〜紅茶香るヒマラヤの町
北インド/North India
13世紀に中央アジアから南下してきたイスラーム勢力がインド亜大陸へ侵攻すると、デリーはイスラーム王朝の首都として徐々に発展していった。やがてイスラーム勢力の集大成であるムガル帝国が成立し、第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代には国の中枢となって、現在のオールドデリー周辺にラール・キラーやチャンドニー・チョウク、ジャーマー・マスジドなどができる。1911年には英領インドの首都がカルカッタから再びデリーへ移り、コンノート・プレイスを中心とした放射状の街並みに、官庁街やイギリス人居住区を配したニューデリーが誕生した。現在は外資系チェーンも多く集まるコンノート・プレイスと、屋台や商店がびっしり並んだチャンドニー・チョウクのコントラストは鮮烈。インドの混沌を体感するなら、まずはオールドデリーへ直行したい。ただし空港やニューデリー駅を出た瞬間に押し寄せる客引きや詐欺にはご注意を。インドの玄関口からすでに旅行者は試されている。
所在地|デリー連邦直轄領
公用語| ヒンディー語
主な玄関口|飛行機:インディラ・ガンディー国際空港/鉄道:ニューデリー駅
アクセス|成田から飛行機で約10時間/バンコクから飛行機で約4時間30分
母なる大河ガンジスを臨むインド最大の聖地。5世紀にはバラナシの中枢となるヴィシュワナート寺院が建立され、シヴァ信仰の中心地としてその地位を不動のものとする。しかし、12世紀末にイスラームが台頭するとヒンドゥー教寺院は破壊され、代わりにモスクが建立されていった。現在の街並みはムガル帝国の弱体化とともにヒンドゥー教のマラーター王国が勢力を増し、ヴィシュワナート寺院が再建された18世紀に造られたもの。再び栄華を取り戻したバラナシは、インド中のヒンドゥー教徒や世界中の旅人にとってもあこがれの聖地となった。この地で死を迎え遺灰がガンジス河に流されれば解脱できるという信仰から、バラナシには死期を悟ったヒンドゥー教徒がインド全土からやってくる。そしてここで荼毘に付され、母なる大河へ還ることはヒンドゥー教徒にとって無上の喜び。死がもっとも身近にありながら悲壮感とは縁遠いこの街は、これまでの死生観を根こそぎひっくり返してくれる。
所在地|ウッタル・プラデーシュ州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ラール・バハードゥル・シャーストリー空港/鉄道:バラナシ・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道で約12~17時間
ハリヤーナー州とパンジャーブ州の2つの州の共通州都。1947年のインド・パキスタン分離によってパンジャーブの州都ラホールがパキスタンに編入された際、チャンディーガル市の建設が決定。伝統にとらわれない近代的な都市にすることを目指し、新生インド政府が指名したのがモダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェだった。街は57のセクターに分けられ、セクター1のキャピトル・コンプレックスは2016年に世界遺産に登録された。しかしこの都市計画は、もう一人の建築家ピエール・ジャンヌレを抜きにしては語れない。コルビュジェが依頼を引き受ける条件としたのが、従兄弟であるジャンヌレを現場監督として起用すること。彼はコルビュジェが去った後もチャンディーガルに残り、計画遂行のために指揮をとった。現在インド政府が文化財として保護しているジャンヌレの椅子もこの時生まれたもの。無機質なモダニズムデザインの建物には、木の温もり溢れるジャンヌレの家具がよく似合う。
所在地|チャンディーガル連邦直轄領、パンジャーブ州、ハリヤーナー州
公用語|パンジャーブ語ほか
主な玄関口|飛行機:チャンディーガル空港/鉄道:チャンディーガル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道(特急)で約3時間30分/ムンバイから飛行機で約2時間30分
西インド/West India
タール砂漠を擁するラージャスターン州の州都・ジャイプル。「ラージプートの土地」を意味するラージャスターは、その名の通りこの地一帯を支配したラージプートの人びとの故郷だ。その一族であるカチワーハ家が11世紀にアンベール王国を興し、現在のアンベール(アーメール)城の地に首都を置く。1727年には人口増加や水不足などを理由に、11㎞離れた現在の旧市街の地へ首都を移転。今もマハラジャの暮らすシティ・パレスを中心に、7つの門をもつ城壁で周囲をぐるりと囲み、その内側に碁盤の目状の区画を配した北インド初の計画都市、ジャイプルが誕生した。ピンクシティの由来であるローズピンクの街並みは、イギリス統治時代の1876年にジャイプルを訪問したイギリス王子を歓迎するため、街全体をピンクに塗ったのが始まりとされる。絢爛豪華な建造物が立ち並び、四方に色彩が溢れる街は王都の名にふさわしく、隅々まで見どころが尽きない。手工芸の街でもあり、初めてのインド旅にも断然おすすめ。
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイプル国際空港/鉄道:ジャイプル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道で約4時間30分~5時間/ムンバイから飛行機で約2時間
タール砂漠の入り口にあたる、ラージャスターン州第二の都市。1475年にラージプートの一族であるラートール家の王がこの地をマールワール王国の首都に定め、壮大なメヘラーンガル城塞を築いたのがこの街の歴史の始まり。ジャイプルの「ピンクシティ」に対して「ブルーシティ」と呼ばれ、旧市街には外壁が青く塗られた家々が立ち並ぶ。なぜブルーなのかは諸説あり、バラモン階級の家を判別しやすいように青く塗ったとか、蚊を寄せつけない効果があるからなどといわれるが、いずれも判然としないところがインドらしい。拠点にしたいのはイギリス王子の訪問を記念して建てられたクロック・タワーと、その周辺に広がるサルダール・バザール。ここからメヘラーンガル城塞まで迷路のような旧市街が広がり、ヘリテージホテルや邸宅を改装したホテルなど雰囲気のよい宿も多い。ジョードプル駅前の客引きはデリーの駅や空港にも引けを取らない強引さなので、目的地まではUberの利用が賢明。
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジョードプル空港/鉄道:ジョードプル駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道(急行)で約10~13時間/ムンバイから飛行機で約1時間50分/ジャイプルから鉄道で約5~6時間
ジャイプルやジョードプルと同様、ラージプートの一族が建設した砂漠の中のオアシス都市。12世紀、旧都ラウドルヴァーへのイスラームの侵略や水源不足を理由に、ラーワル・ジャイサル・シン王がこの地に都を移転した。古くから東西貿易の中継地として賑わいを見せ、高級シルクや香辛料をラクダで運ぶキャラバンから税を徴収することで街は大いに繁栄。莫大な富を得た商人や貴族たちがこぞって建てた大邸宅が現在も多く残っている。ピンクシティ、ブルーシティに並びゴールデンシティと称される所以は、この地方で採掘される黄砂岩による建築群。城壁から宮殿、邸宅や民家にまで用いられ、街全体が独特の黄色味を帯びている。今も城壁内に人びとが暮らす街のシンボル、ジャイサルメール城で往時の面影を感じたら、ほぼ100%観光客が体験するキャメル・サファリへいざ。ラクダ乗り体験のみのプランや、砂漠の真ん中で眠るプランもあるので宿泊先に問い合わせてみて。
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイサルメール空港/鉄道:ジャイサルメール駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分/ジョードプルから鉄道(急行)で約5~6時間30分
南インド/South India
小さな漁村にすぎなかった街が、世界史の表舞台に登場するのは17世紀のこと。イギリス東インド会社が、綿花栽培地帯に近いこの地に要塞を築き上げると、貿易の拠点として重宝され、のちにインド4大都市に数えられるほどの発展をみせる。チェンナイを中心とするタミル・ナードゥ州は、南インド固有のドラヴィダ文化の宝庫。北インドとは違ってイスラームの影響を受けず、インダス文明以来の伝統がより純粋に残っている。ローカルの人びともその誇りを受け継ぎ、デリーの中央集権に抵抗の姿勢を見せてきた。英語名「マドラス」から「チェンナイ」に改称。現在は古きよき伝統と都会的なカルチャーが息づく文化都市として観光客を惹きつける。古代の寺院建築に古典舞踊、インド最大規模の古典音楽フェス。映画館やミュージアムも充実しているため、長期滞在者も飽きさせない。そしてこの街にはマリーナ・ビーチがある。喧騒に疲れたら海へ出かけて、ベンガル湾の潮風を感じよう。
所在地|タミル・ナードゥ州
公用語|タミル語ほか
主な玄関口|飛行機:チェンナイ国際空港/鉄道:チェンナイ・セントラル駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/ムンバイから飛行機で約2時間/コチから鉄道(急行など)で約12~19時間
エメラルドブルーの海と水郷地帯に囲まれた、風光明媚な水の都。天然の入り江があり、古代から海運の要塞として栄えてきた。14世紀には香辛料を求める商人が世界中から訪れ、「アラビア海の女王」と呼ばれるほどの繁栄をみせる。16世紀、ポルトガルによって初の欧州初のインド植民地となるが、その拠点がゴアに移ると、オランダとイギリスが代わって支配した。香辛料貿易を担ったユダヤ人の街、ポルトガルのカトリック教会、オランダの宮殿など、各国の面影が混在し、街並みの多様性がその歴史を物語る。コチのあるケーララ州はアーユルヴェーダ発祥の地ともいわれておりリトリートやヨーガの修行のために滞在する外国人も多い。2012年より、南アジア最大級の芸術祭「コチ・ムジーリス・ビエンナーレ」が開催されるなど、アートの拠点としても注目を集める。また、豊富な海産物も魅力。名物のフィッシュカレーは、香辛料の刺激とココナッツの甘味、魚の旨みが一体化した、まさにコチを象徴する一皿だ。
所在地|ケーララ州
公用語|マラヤーラム語ほか
主な玄関口|飛行機:コーチン国際空港/鉄道:エルナークラム・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/チェンナイから鉄道(急行)で約11~13時間
東インド/East India
隣国バングラデシュとともに「ベンガル」と呼ばれる地域で、1690年にイギリス東インド会社がアジア貿易の拠点を置くまで、コルカタは3つの漁村があるにすぎない牧歌的な土地だった。コルカタ(Kolkata)とは、そのうちの1つであるカーリーカタ村にちなんでつけられたもの。統治時代には英語名のカルカッタ(Calcutta)と呼ばれ、2001年、ベンガル語のコルカタに改称された。街中にはヴィクトリア・メモリアルやハウラー駅、セント・ポール大聖堂など、当時の栄華を思わせる豪奢な建築群が残っている。また、統治時代以前にこの地へ進出していたイスラームの雰囲気も色濃く、さまざまな信仰のかたちに触れられるのもおもしろい。ベンガル料理の本場でもあり、米と魚を主体にした郷土料理は馴染みやすい人も多いはず。派手な観光地はないが、ありとあらゆる物体が通りを行き交う光景は、1日中見ていても飽きない。かつて多くのバックパッカーを魅了した、消えゆくインドの姿がここにある。
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語
主な玄関口|飛行機:ネータージー・スバース・チャンドラ・ ボース国際空港/鉄道:ハウラー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/バラナシから鉄道(急行など)で約11時間30分~18時間
青空に聳え立つカンチェンジュンガ山を仰ぐ世界有数の茶葉の産地。チベット語で「雷の土地」を意味するこの街は、長い間覇権争いに巻き込まれてきた。シッキム王国の支配下にあったが、18世紀後半にネパールからグルカ人が侵攻。19世紀初頭まで一帯を併合するが、インド進出の機を窺うイギリスはシッキム側につく。1814年にグルカ人は敗北しシッキム王は復権したものの、その後再びグルカ人との戦争が勃発。療養所設立を目論んだイギリスはシッキム王と交渉し、ダージリンはイギリスのものとなった。当時は原生林が広がり、1839年時点で100人足らずだった人口は1849年におよそ1万人まで増加。イギリス東インド会社は欧風のコテージを次々と建設し、お茶、コーヒーの実験栽培を導入。なかでも、斜面で茶を栽培する計画は大成功し、ダージリンを世界有数の茶葉の産地に仕立て上げた。チベット文化圏でもあり、五色の祈願旗タルチョがはためく縦長の街にイギリス時代の面影はないに等しい。
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語、ネパール語
主な玄関口|飛行機:バグドグラ国際空港/鉄道:ニュー・ジャルパーイーグリー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/コルカタから飛行機で約1時間、鉄道(特急)と乗合ジープで約15時間
インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。
旅行先として少々ハードルが高いインドだからこそ、情報収集と準備は入念に行いたい。ベストシーズンや入国に必要なVISAの申請方法、必需品など、まずは旅の基本情報をまるっと集めました。
Index
5 min read
一般的には乾季である10〜3月頃が旅のベストシーズン。4~6月はもっとも気温が上がり、近年は最高気温が40度を超える日もあるため、暑さ対策は万全に。6~9月は南西からのモンスーンの影響を受けて雨季に入る。土砂降りの日も多いので、旅にはあまり向かない。とくに西部のムンバイでは想像を絶する激しい雨に降られることもあるので注意が必要。ただ、ヒマラヤ山間部ではその時期に晴天が多くなるので、ケーダールナート寺院をはじめヒマラヤ四大聖地巡りをするにはおすすめ。
インドは日本の国土の約8.7倍と広大なので、行き先によって発着する空港や路線がまったく異なる。初めてのインド旅行に人気のアグラ、バラナシ、ジャイプルを目指すなら、デリーinが便利。南インドでミールスを食べ歩くなら、バンガロールからチェンナイへ。歴史も最新カルチャーも楽しみたいならムンバイへ。昔ながらのインドの情緒を感じたいならコルカタへ。それぞれの目的によってinする空港を決めてから航空券を探してみよう。
2025年1月現在、日本からインドへ直行便で行けるのは、デリー、バンガロール、ムンバイの3カ所。東京(羽田・成田)からデリーのインディラ・ガンディー国際空港(DEL)、バンガロールのケンペゴウダ国際空港(BLR)へは直行便で約8〜10時間、ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー国際空港(BOM)へは約9〜11時間だ。南インドのチェンナイと東インドのコルカタへは日本からの直行便がないため、バンコク経由の便やインド国内線を選択しよう。
東京-デリー間の直行便はJAL、ANA、Air Indiaの3航空会社が主流。相場は往復10〜15万円ほど。アジア各都市での乗り継ぎを挟むAir AsiaやVietjet Airなどの格安航空券を利用すれば、往復5〜8万円ほどに収まる場合も。ただし乗り継ぎに半日〜1日近くを要したり、逆に乗り継ぎ時間が短く遅延補償未対応だったり、荷物の許容量が少なく追加で数万円支払うことになったりとさまざまな条件付き。いっそ経由地での観光も視野に入れ、乗り継ぎ時間がなるべく長い便を選んでみるのもあり。
ホテルの公式サイトから予約するのが確実。Booking.com、Expedia、Agodaなどの予約サイトでももちろん手配可能だが、公式サイトの方がお得な場合も多い。また、ホテルと予約サイトの連携がうまくいっておらず、トラブルがあった場合も「予約サイト側に聞いてくれ」などと現地で突き放されることもあるので利用の際は注意して。
日本人がインドに入国する場合、短期間で観光目的であってもVISAが必要。VISAの申請方法は、事前に手続きするオンライン申請、駐日インド大使館か在大阪インド総領事館への申請、インド到着時のビザ・オン・アライバルでの申請があるが、すぐにできるオンラインのe-TOURIST VISAがもっともおすすめ。出発の4日前まで申請が可能で、有効期間は30日、1年、5年から選択でき、申請料はいずれも25USD+手数料1USD。有効期間内は何度でも入出国ができ、有効期間1年もしくは5年の場合の1回の滞在は連続して179日まで可能。(つまり1年 or 5年がおすすめ!)入出国もデリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、ジャイプルほか主要31空港から可能。
【e-TOURIST VISA申請の流れ】
①下記サイトよりe-VISA申請する
インド政府 e-VISA申請サイト|https://indianvisaonline.gov.in/evisa/tvoa.html
>>申請に必要なもの
・有効期間1年1カ月以上のパスポート(有効期間30日を申請の場合は7カ月以上)
・1MB以下の顔写真のJPEGデータ(350×350px以上の正方形、背景白、帽子、メガネ不可。スマホ撮影のものでOK)
・パスポートの顔写真掲載ページのPDF
・VISA or MASTERカードまたはPayPalアカウント
②72時間以内にメールで届く審査結果をチェック
審査結果が「Application Status : Granted」となっていればOK
③2つの書類をプリントアウト
・1つめの書類
申請したサイトのトップ画面の右下にある「Check your Visa Status」をクリック
↓
申請で最後に取得したIDとパスポート番号を入力
↓
「Check Status」をクリックし、「Application Status : Granted」となっていることを確認して「Print Status」から印刷
・2つめの書類
申請したサイトのトップ画面の右下にある「Print e-Visa Application」をクリック
↓
必要事項を記入し、「Reprint」をクリックして印刷
インドルピー(Rs、INR)は日本国内の銀行や空港などでも両替可能だが、レートが悪いのでインド入国後の両替推奨。デリーなど大きい空港なら両替所はあるものの、こちらもレートが悪く少額だと両替できないこともある。また深夜便での到着だと両替所が閉まっていることも多いので注意。多くのホテルやゲストハウスでも対応してくれるため、空港では必要最低限の両替に留める、もしくはUberなどクレジットカードなどで支払いのできる配車アプリで街中まで行き、ホテルや街中の両替所で両替するのがおすすめ。
また、街中や空港にあるATMなら手持ちのクレジットカードでキャッシングが可能。利用の際は明細書の受け取りを忘れずに。自動で出てこない場合は画面をスマートフォンで撮影しておくと安心。ATM内に紙幣の在庫がなく、指定した金額以下の紙幣しか出てこなかったが銀行引き落としは指定した金額のままされていた、といったケースもまれにあるので、帰国後は不要な引き落としがされていないかカード利用明細でチェックして。
レストランやホテル、ショッピングモールなどはクレジットカード決済できるところも多いが、手数料が割高になることも。また、二重で引き落とされていたり、スキミングされ不正利用に繋がったりといったトラブルも報告されている。街中の食堂や屋台、マーケットなどは基本的に現金が主流なので多めに用意しておくと安心。
年2回ほどインドへ通う編集部員が、いつもインドへ持っていくマストアイテムをピックアップ。
✅️変換プラグ
インドでは、B3タイプ、BFタイプ、Bタイプ、Cタイプのプラグタイプが使用されている(日本はAタイプ)。インド国内でプラグタイプは統一されておらず建物によってプラグの種類が異なるので、4種に対応できる変換プラグが必要。電圧はインドが220〜240V、日本が100Vなので、日本の電化製品を使用する場合は対応電圧の確認を。
✅️SIMカード or e-SIM
日本で手配しておくと安心。アジア各国対応SIMなら乗り継ぎ地での入れ替えも必要なく、そのまま使えるので便利。ケータイがe-SIM対応の機種であれば、e-SIM契約が簡単。
✅️厚手の上着と薄手の上着
インドの寝台列車は予想以上に冷房が効いていて寒いことがある。寝るときは備え付けの毛布(座席クラス3A以上)に加え、厚手の上着があると安心。逆に日差しが強いときには薄手のパーカーやシャツなど日よけになるものがあると便利。
✅️薄手のストール
冷房対策や日差し対策のほか、スモッグや土埃から喉を守るためのマスクがわりにも。
✅️風邪薬
気をつけていても毎回寝台列車では喉をやられがち。日本で常用している風邪薬は必須。
✅️胃薬
いまのところ使用したことはないが、常に携帯している。
✅️カップ麺
どん兵衛などダシの効いたものが旅の終盤に沁みる。
✅️インスタント味噌汁とレトルトおかゆ
体調を崩してなくとも食べたくなるので2〜3食分は毎回持っていく。
✅️ウェットティッシュ
手食をするので必須。また、トイレでは使用後にシャワーで洗い流す習慣があるため使用前の便座が水浸しのことも多く、ティッシュペーパーと併用して使うことも多数。
✅️流せるティッシュ
インドでは、使用後にトイレットペーパーを使わずにシャワーで汚れを落とす形式のトイレが多い。街中の公共トイレや食堂のトイレではトイレットペーパーのないところも多いので、流せるティッシュやトイレットペーパーは常に携帯しておくのがいい。地域や価格帯によってはトイレットペーパーすらないホテルも珍しくない。
✅️虫対策グッズ
虫除けは体に直接塗布するタイプと、部屋の四隅にスプレーするタイプがあると安心。ムヒなど虫刺され時の塗り薬も必須。現地の薬局でもムヒに似た塗り薬があるが、即効性は前者に軍配。