本からはじまる旅。
その土地の縁の人が、現地のことを広く深く知るための作品を選びました。 本とひとときの世界旅行をしませんか。
今回の舞台は韓国。
『82年生まれ、キム・ジヨン』『保健室のアン・ウニョン先生』など、話題の韓国小説を多数翻訳している斎藤真理子さんが、韓国社会で生きる人たちの人間らしさ、たくましさを感じられるような作品を選んでくださいました。
Text:Mariko Saito
チョン・セラン著 斎藤真理子訳(亜紀書房)
旅先で出会った忘れられない人。誰にでもそんな思い出があるでしょう。この小説には、そんな人たちがわんさか登場します。韓国のとある町の大学病院をハブとして、医療関係者、患者として訪れた人、通りすがりに病院前を通った人まで、約50人の物語をつなげたユニークなスタイルの短編集です。
人物の一人ひとりが愛おしく、切実で、応援したくなる魅力でいっぱい。ある章で主人公だった人がさりげなく他の章にも名前を伏せて出ていくるので、そのつながりがわくわくして楽しいのです。韓国のさまざまな社会問題や、その解決のために努力する姿がさりげなく書き込まれているのも特徴。次はどんな人かなあと夢中で読んでいき、気がつくと励まされている……本書の長所はここだと思います。
著者のチョン・セランは1984年ソウル生まれの女性、若い世代を中心に圧倒的な信頼を集めている頼もしいお姉さんのような作家です。この作品によって「韓国日報文学賞」を受賞しました。韓国の「今」をこれ以上ないほどビビッドに描きつつ、世界につながる普遍的なメッセージが広がります。
ニム・ウェールズ、キム・サン著 松平いを子訳(岩波文庫)
『フィフティ・ピープル』の読書が「今」の韓国への旅なら、こちらは歴史への旅。1905年に朝鮮北部に生まれたキム・サン(本名:張志楽)が、日本→満州→上海→北京と移動しながらいかにして革命家になっていったかを描く、スケールの大きい一代記です。これを書き記したのはアメリカ人女性ジャーナリストのニム・ウェールズで、本書の成立は奇跡のような偶然の産物でした。1937年、毛沢東らのインタビューのために訪れた延安で、図書館から目立って多くの本を借りている人物をニム・ウェールズは見つけました。それが当時32歳の朝鮮人革命家キム・サンだったのです。
「そう、(朝鮮人は)生来温順で寛容です。しかしがまん強い人間が少し長くいじめられすぎたときの怒りほど激しいものはありません。おとなしい水牛にはご用心です」。そう語る彼の人間性にニム・ウェールズは強く惹かれ、彼を通して朝鮮への関心を深めます。
日本の植民地にされて以来、朝鮮の独立運動はその開始の時点から否応なく国際性を帯びていました。それは朝鮮内での活動がきわめて困難だったためです。この国の人々が近代化以降、世界で経験した旅程を総合したら膨大なものになりますが、中国革命に同伴しながら朝鮮の独立を夢見たキム・サンの旅もその一端でした。国境を越えて旺盛に活路を求める姿勢は、現在の韓国人にも引き継がれています。
個人的なことをいえば、今から40年ほど前、私が韓国・朝鮮のことを知りたいと思いはじめたころ、女性の先輩に「やっぱり、これかな」と教えてもらったのがこの本でした。一見、自分と接点がないように思えるかもしれませんが、世界に開かれたこの本を知ることは、東アジアの近代化を、ひいては自分自身を見つめることに必ずつながります。
斎藤真理子(さいとう・まりこ)
1991-92年、延世大学語学堂に留学。編集者を経て、2015年パク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフンとの共訳 クレイン)で第一回日本翻訳大賞を受賞。そのほかの訳書に『こびとが打ち上げた小さなピンボール』(河出書房新社)ハン・ガン『誰でもない』ファン・ジョンウ『誰でもない』(晶文社)、チョン・セラン『保健室のアン・ウニョン先生』(亜紀書房)など多数。
1991-92年、延世大学語学堂に留学。編集者を経て、2015年パク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフンとの共訳 クレイン)で第一回日本翻訳大賞を受賞。そのほかの訳書に『こびとが打ち上げた小さなピンボール』(河出書房新社)ハン・ガン『誰でもない』ファン・ジョンウ『誰でもない』(晶文社)、チョン・セラン『保健室のアン・ウニョン先生』(亜紀書房)など多数。