特集:月刊TRANSIT

Drafting around Setouchi

2025.01.15

30 min read

毎月一つの主題で旅をする、月刊TRANSIT。

今月のテーマは、「瀬戸内一周!」です。
「住むならどこがいい?」 旅好きな友人たちとそんな会話をしたりするけど、真っ先に思い浮かぶ風景の一つが瀬戸内かもしれない。

波の穏やかな碧色の瀬戸内海。街から一歩船に乗れば点々と散らばる島々。太陽をたっぷり浴びた蜜柑も、活きのいい海の幸も、うどんやお好み焼きみたいな粉もんもエネルギーチャージにはもってこい。

広島、愛媛、香川、岡山と、瀬戸内海を囲んで通底する空気も感じるけれど、どの土地も個性が立っていておもしろい。

旅してよし、住んでよし。 ということで、その土地に暮らす人の声を頼りに、瀬戸内4県をぐるり一周駆け抜けた!

Photo : Kazuto Uehara

瀬戸内ってなんだ?
村上海賊、しまなみ海道、
瀬戸内国際芸術祭……etc.
気候、地形、歴史、海道まで解説!

月刊TRANSIT/瀬戸内一周!

瀬戸内ってなんだ?
村上海賊、しまなみ海道、
瀬戸内国際芸術祭……etc.
気候、地形、歴史、海道まで解説!

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2025.04.16

7 min read

「瀬戸内」と聞いて、思い浮かべる場所は人それぞれ。
瀬戸内国際芸術祭の会場でもある直島や豊島、小豆島といったアートな島々。サイクリストの聖地と呼ばれて久しい、しまなみ海道。海とともに発展してきた高松、尾道、倉敷、今治などの文化&商業都市。そんな瀬戸内イメージができるまでを総おさらい。気候、地形、歴史、海道まで解説しました!

Text:TRANSIT

瀬戸内ってどこ?

瀬戸内とは、日本の本州、四国、九州に囲まれた内海(うちうみ)のこと。東は紀伊水道を通じて太平洋へ通じ、西は関門海峡を通じて日本海と繋がっていることから、古より海上交通と文化交流の要として重要な役割を担ってきました。香川や岡山を中心に行われている瀬戸内国際芸術祭や、本州、四国、九州エリアにまたがる瀬戸内海国立公園などで「瀬戸内」の名称を耳にする機会も多いかもしれません。
 
「瀬戸」という言葉は、もともと「迫門・狭門・湍門(せと)」など、海峡や川の水の流れが狭く速くなる場所を指す言葉に由来するともいわれています。気候は非常に温暖で、岡山県のように「晴れの国」ともいわれるほど雨が少なく、柑橘類や小麦に代表される農業や漁業も盛んに行われてきました。
 
地形の特徴は、多島美(たとうび)と呼ばれる島々と海が織りなす景観。大小あわせて3,000以上の島々が点在し、入り組んだ海岸線とゆるやかな山並みが生み出す風景は、朝靄(あさもや)や夕焼けに染まるたびに異なる表情を見せ、まるで一幅の絵画のような美しさをたたえています。
 
穏やかな海、大小数千の島々、そしてそこに息づく人びとの暮らし。旅人にとっても、暮らす人びとにとっても、瀬戸内はどこか懐かしく、静かな魅力に溢れています。ここからは瀬戸内の歴史を、古代、中世、近代〜現代にわけて簡単におさらいしていきましょう。

瀬戸内MAP

瀬戸内MAP

水色の部分が、領海法で定義されている瀬戸内の範囲。面積は約1万9,700㎢。

古代:物流と文化の大動脈

縄文時代から7世紀前半にかけて、日本列島の交通体系は瀬戸内の航路を中心に発展していきました。なかでも、北部九州の大宰府と畿内の難波津(現在の大阪)を結ぶルートは、政治・経済・文化の交流において欠かせない通路となっていきます。山岳や森林によって分断されがちな陸路に対し、風と潮流を利用して移動できる海の道は、より効率的で安定した移動手段として重宝されました。

奈良時代に律令制が成立すると一時的に陸上の交通整備が進んだものの、8世紀に入ると海上輸送が見直され、瀬戸内は再び主要な交通ルートとして活用されるようになります。
 
この時期、中国や朝鮮半島から伝来する文化は、北部九州を起点として瀬戸内を経由し、大和(奈良)地方へと届けられていきました。遣唐使や遣新羅使も、この海路を通って大陸へと渡航しています。天平年間(729~749年)には、僧・行基の尽力により、室生泊、韓泊、魚住泊、大輪田泊、河尻泊など、日程に応じた中継地(泊)が整備され、瀬戸内航路の基盤が確立されました。
 
沿岸地域には古墳や神社といった数多くの文化遺産が現存しており、当時の人びとがこの地域で豊かな文化を築いていたことがうかがえます。『万葉集』や『古事記』などの古典文学にも、瀬戸内の潮流や美しい島々を詠んだ歌がみられるように、自然への敬意とともに、人びとと海との深い関わりが文化として息づいていたのです。

中世:村上海賊の登場と産業の発展

中世に入ると、瀬戸内は軍事・経済の両面で、戦略的にきわめて重要な海域として、その存在感をいっそう強めていきます。
 
平安時代末期には、平清盛が日宋貿易を推進する拠点として大輪田泊(現在の神戸港)を整備し、瀬戸内の航路網を拡充。それから約200年後の1400年代、室町幕府は明との貿易において瀬戸内海の港に遣明船を配船し、地域の港町を交易の拠点として育てます。鞆の浦、牛窓、尾道、因島などはその代表例で、いずれも国際・国内の物流を支える重要な港町として栄えました。

万葉集にも登場する広島県福山市の鞆の浦。室町幕府の重要拠点の一つでもあった。

© Joël Fukuzawa

戦国時代に入ると村上海賊(水軍)が登場。「海賊」というと、現代では略奪者をイメージしますが、当時は少し意味合いが違っていました。村上海賊は独自の海上ルールを築いて通行料を徴収し、普段は通行人の水先案内人として各地域との交渉にのぞんだり、海外諸国とも交易を行うなど、海の秩序と安全を守る公務員のような側面もあったのです。

大島と伯方島の間に浮かぶ能島(のしま)。村上海賊は因島、能島、来島の三家に分かれ、なかでも能島村上氏は宣教師ルイス・フロイスから「日本最大の海賊」と呼ばれた。

© 国土地理院

同時期、沿岸地域では塩田の開発が盛んに行われ、製塩業が瀬戸内を代表する産業として根付きます。潮の干満と日差しを利用する「入浜式塩田」は、温暖で雨の少ない瀬戸内の気候と相性がよく、地域の暮らしを支える基盤となりました。
 
こうして中世の瀬戸内は、政治・経済が交差する場として大きく繁栄し、その存在感を強めていったのです。

近世〜現代:物流の黄金時代から、再生と共生の海へ

江戸時代、瀬戸内海は日本各地をつなぐ物流の大動脈として繁栄を極めました。豪商・河村瑞賢による西廻り航路の開発や、北前船の登場によって、瀬戸内はますます活気づきます。千石船と呼ばれる大型帆船が、弓削(ゆげ)島や御手洗(みたらい)といった芸予諸島の港に寄港しながら、多くの人や物を運び、経済を動かしました。

また、朝鮮通信使の来訪や、綿・米・大豆などの商品作物の輸送も盛んで、沿岸部の農業や港町はその恩恵を受けて発展します。こうした流通の中心にあったのが、穏やかな瀬戸内でした。
 
しかし明治時代に入ると、蒸気船や鉄道の発達によって、一部の港町は次第に衰退していきます。「瀬戸内の港は、まるで水から引きあげた切花のように凋んでしまった」ともいわれるように、かつての賑わいは静まりを見せることになります。
 
それでも、近代化の波のなかで、またしても瀬戸内は重要な役割を担います。造船業を中心とした重工業が沿岸部で急速に発展し、広島県呉市、尾道市や愛媛県今治市などは「造船の街」として知られるようになりました。さらに、鉄鋼、化学、精密機械などの工場も建設され、地域経済を支える産業基盤が形成されていきます。

来島海峡大橋のたもとに造船所を構える今治造船。

© 妖精書士

一方で、20世紀後半以降になると、高度経済成長による都市への人口集中や若年層の流出により、離島や小さな集落では過疎化が深刻化。学校や病院の閉鎖、空き家の増加といった問題も見られるようになり、農業や漁業を中心に支えられてきた伝統的な暮らしは、少しずつ姿を変えていきました。
 
近年では、地域の再生に向けた取り組みが各地で活発化しています。その代表例が、瀬戸内の島々を舞台に開催される「瀬戸内国際芸術祭」。アートを通じて地域の魅力を発信し、観光客だけでなく住民にも新たな誇りと経済的な循環をもたらしています。

直島の李禹煥美術館。李禹煥の70年代から現在に至るまでの絵画・彫刻が安藤忠雄設計の静謐な空間に展示されている。

© TRANSIT

銅製錬所の遺構を保存、再生した犬島精錬所美術館。建築がいかにして地球の一部になりうるかを追求する三分一博志の設計。三島由紀夫を主題にした柳幸典の作品も必見。

© TRANSIT

瀬戸内を望む小高い丘の傾斜を生かした豊島美術館は、美術館そのものが建築家・西沢立衛とアーティスト・内藤礼による作品。建物の中に光が差し込み、風が吹き抜ける自然と一体化した空間に一日を通して「泉」が湧き、移ろいゆく時間の流れを感じることができる。

© TRANSIT

近代から現代にかけて、産業の海から共生と創造の海へ——。瀬戸内は、変化のなかに未来への希望を見出す場所として、静かに進化をつづけているのです。

瀬戸内をつなぐ海道6選!

瀬戸内の海道MAP

瀬戸内の海道MAP

ここからは旅したくなる瀬戸内の海道を広島、愛媛からピックアップ。尾道と今治を結ぶしまなみ海道だけじゃなく、ほかにも個性的な海沿いの道がいろいろあるんです。ドライブ、サイクリング、散策を楽しんで!

① しまなみ海道(尾道〜今治)

ルート:広島県尾道市〜愛媛県今治市

広島県尾道市から愛媛県今治市までを結ぶ約60kmの海道で、本州と四国を陸路でつなぐ西瀬戸自動車道の一部。瀬戸内海に浮かぶ向島(むかいしま)、因島、生口島(いくちじま)、大三島(おおみしま)、伯方島(はかたじま)、大島の6つの島々を7つの橋で結び、車だけでなく、自転車や徒歩でも通行できる国内初の海峡横断道路として知られています。

しまなみ海道の象徴的存在でもある来島海峡大橋。全長約4kmの3つの吊り橋が今治市内と大島を結ぶ。

© TRANSIT

② とびしま海道(呉〜岡村島)

ルート:広島県呉市川尻町〜愛媛県今治市岡村島

広島県呉市川尻町から愛媛県今治市の岡村島までを結ぶ全長約30kmの海道で、安芸灘に浮かぶ7つの島々の下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、平羅島、中ノ島、岡村島を、安芸灘大橋をはじめとする連続した橋で結んでいます。島々には江戸時代の面影を残す町並みや、朝鮮通信使にゆかりのある歴史的遺構、海産物の直売所、穏やかな砂浜などが点在し、地元の暮らしや文化に触れられるのが魅力。サイクリングロードも整備されており、瀬戸内の穏やかな風景のなかを自転車で巡るのに最適なルート。

重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている大崎下島の御手洗地区。江戸時代に北前船や千石船などの寄港地として整備された。商家や茶屋、船宿などの歴史的建築やレトロな建築も点在し、縦横無尽に伸びる路地をあてどもなく散策するのも楽しい。

③ さざなみ海道(尾道〜呉)

ルート:広島県尾道市〜呉市(国道185号沿い)

広島県の尾道市から呉市までを結ぶ全長約82kmのサイクリングルート。​このコースは、国道185号線および国道2号線を主軸としており、瀬戸内海沿岸の美しい景観を横目に楽しみながら走行できます。 ​
 
とくに三原市から竹原市にかけての約26km区間は、瀬戸内海の多島美を間近に感じられる絶景スポット。沿線には歴史的な港町や観光地が点在しており、戦艦大和を建造したことで知られる呉市、安芸の小京都と称される竹原市、タコ料理が名物の三原市、ノスタルジックな坂の町並みが魅力の尾道市など、多彩な文化やグルメを堪能できるのも魅力の一つです。 ​
 
さざなみ海道は比較的アップダウンの少ないコースですが、途中いくつかの小山を越える際に急勾配があるため、適度な運動強度を求めるサイクリストにおすすめです。​

“安芸の小京都”と呼ばれる竹原の町並み。平安時代には京都・下鴨神社の荘園として栄え、室町時代には瀬戸内の交通の要衝として重要視された。1650年頃には塩田が開発され、竹原の塩が全国へ運ばれるようになるにつれ海運業も発展。

© igamania

④ かきしま海道(呉〜江田島)

ルート:広島県呉市〜倉橋島・江田島など

広島県呉市のJR呉駅を起点に、音戸大橋を渡って倉橋島、能美島(のうみしま)を経由し、江田島市の切串港までつづく全長約70kmのサイクリングロード。​平清盛ゆかりの名勝地「音戸の瀬戸」や、遣唐使船が立ち寄った歴史をもつ倉橋島の桂浜など、歴史と文化を感じるスポットが点在しています。 ​
 
沿線には新鮮な海の幸を味わえる飲食店も多く、サイクリングの合間に瀬戸内の味覚を堪能したいところ。車や信号が少なく、穏やかな瀬戸内海の風景を楽しみながら快適に走行できるのもおすすめポイントです。

平安時代末期に平清盛が開いたとされる海峡「音戸の瀬戸」。その上に架かる真紅の橋は国内初の2層半螺旋型高架橋として1961年に竣工。瀬戸内海初の本土と離島の架け橋となった。

© jugoinoge

⑤ ゆめしま海道(上島町)

ルート:弓削島、佐島、生名島、岩城島(橋で接続)

愛媛県上島町に属する弓削島、佐島(さしま)、生名島(いきなじま)、岩城島(いわぎじま)の4つの島々を結ぶ全長約6.1kmのルート。2022年3月20日の岩城橋開通により全線が繋がりました。 ​
 
この海道は信号やトンネルがなく、交通量も少ないため、サイクリング初心者にも適したコースとして大人気。 ​また、各島々はフェリーで本土や周辺の島々と結ばれており、アクセスも良好です。 ​
 
各島には、弓削島のせとうち交流館や岩城島の積善山など、観光スポットやグルメスポットが点在。 ​とくに春の風物詩である、積善山の3000本の桜は圧巻です。

瀬戸内を前に咲き誇る岩城島、積善山の桜。ソメイヨシノ、ヤマザクラ、オオシマザクラなど10種以上の桜が咲き誇る。

© Yoshio Kohara

⑥ しおまち海道(福山〜戸崎)

ルート:広島県福山市〜戸崎港

広島県福山市の福山駅から尾道市の戸崎港までを結ぶ約30kmのサイクリングロード。平坦な道が多いため、初級〜中級者にもおすすめのルートです。福山駅から芦田川沿いを南下し、瀬戸内の海を横目に爽快なサイクリングが楽しめます。
 
ルート上には古くから交易で栄えた港町、鞆の浦も位置しているので、自転車を降りてのんびり観光したいところ。江戸・明治期から昭和戦前までの伝統的な建造物が284も保存されている西町の伝統的建造物群保存地区や、鞆の浦だけで醸造される薬味酒「保命酒(ほうめいしゅ)」を醸造する酒蔵群など、古きよき町並みが多く残されています。瀬戸内の海の幸が味わえる食事処もあるので、ぜひ時間をとって訪れてみて。

昔懐かしい雰囲気漂う鞆の浦の町並み。

© Masahiko Satoh

瀬戸内の友だちと、一周ドライブ。
広島編/島と農のある風景

月刊TRANSIT/瀬戸内一周!

瀬戸内の友だちと、一周ドライブ。
広島編/島と農のある風景

People: 上原和人(農家、フォトグラファー)

TRAVEL&EAT

2025.04.16

15 min read

住んでよし、旅してよし……そんな広島、愛媛、香川、岡山の瀬戸内4県をローカル視点でまわろうと、その土地の友人の声を頼りにぐるり一周ドライブへ出かけた。

広島のキーワードは、“島と農”。 一緒に旅をしたのは、広島・因島出身で農業と写真を仕事にしている上原和人さん(この企画の撮影も担当!)。そして広島生まれのマツダの「MX-30 ROTARY-EV」。

柑橘畑、産直カフェ、町の食堂から夜の尾道まで。1泊2日でしまなみ海道、とびしま海道を駆け抜けた!

Photo : Kazuto Uehara

Text:Maki Tsuga(TRANSIT) Cooperation:MAZDA

いざ、柑橘の島へ!

友人と「次に旅するならどこにいく?」と同じくらいよく話すのが、「住むならどこがいい?」という話題。
そんなとき私が真っ先に思い浮かべる風景のひとつが瀬戸内だ。実際にそこに暮らしている人たちは、どんなふうに瀬戸内を見ているんだろう、どんなふうに地元を旅するんだろう。それが地元の知人たちの声を頼りに瀬戸内を一周ドライブしようという旅のはじまりだった。
 
そんな瀬戸内一周旅に誘ったのが、因島(いんのしま)に暮らすフォトグラファー上原和人さんだった。瀬戸内の島で農業と写真をやっているおもしろい子がいるよと知人の写真家から教えてもらって、以前、しまなみ海道を和人さんに案内してもらったことがあったのだ。
 
そしてもうひとつの旅の仲間が、広島生まれのマツダ。ロングドライブに頼れる車をということで、「MAZDA MX-30 ROTARY-EV」で旅をすることに。 広島で旅の仲間たちと合流して、瀬戸内一周のはじまり、はじまり!

1920年の創立から広島に拠点を置くマツダ。本社の中には、マツダの歴史がわかるマツダミュージアムもある。

上/プラグインハイブリッドの「MAZDA MX-30 ROTARY-EV」。100km超のEV走行ができて、バッテリーが減ってくるとマツダ独自技術のロータリーエンジンで発電を行う。充電の不安を気にせずに、環境にもお財布にもやさしく走れる。 下/家から海まで走って10秒という環境で育った上原和人さん。高校時代はパイロットを目指していたことも。

まず目指したのは、和人さんが暮らす因島。
レモン、温州みかん、ネーブルオレンジなどなど、日当たりがよくて水はけのよい斜面を好む柑橘は、瀬戸内の島々と相性ぴったりだ。広島や愛媛には数々の柑橘が栽培されていて、島によって少しずつ得意な品種が違ったりする。
 
因島は八朔発祥の地。安政柑(あんせいかん)という在来の柑橘もある。因島で柑橘の種類が豊富な理由は諸説あるけど、そのひとつが村上水軍説なのだと〈comorebi farm〉の小嶋正太郎さんが教えてくれた。

柑橘農家comorebi farmを起ち上げた、東京・新宿出身の小嶋正太郎さんと広島・福山出身の名部絵美さん。comorebi farmが八朔のナチュラルクラフトサイダー「ISLANDER」は県外のセレクトショップで目にする機会も。

「因島は村上水軍が拠点を置いていた島のひとつで、彼らは瀬戸内の水運を取り仕切るだけじゃなくてアジア諸国や日本各地と交易していたから、いろんな柑橘の品種が因島に持ち込まれたんじゃないかといわれてるんです」と正太郎さん。
村上水軍が活躍していたのは中世のこと。21世紀から一気に数百年前へ、目の前の瀬戸内海からアジアの外洋までつながって、ちょっとロマンのある話。
 
因島をはじめ瀬戸内には柑橘栽培をしている島々がたくさんある一方で、耕作放棄地も増えてきている。斜面につくられた柑橘畑は農作業もひと苦労。農家さんが高齢になると畑を維持するのが難しい。正太郎さんと絵美さんは、そんな放棄された畑を受け継いで柑橘を育てている。
「耕作放棄地に生えやすい竹や姥目樫(うばめがし)は、根が浅くて土砂崩れの心配があるんですよね。島の風景を守るためにも柑橘畑をつづけたほうがいいんですよ」と絵美さんが教えてくれた。

山の上にある資料館・因島水軍城本丸には、因島村上氏が残した遺品や古文書を展示されている。村上水軍は14世紀頃から瀬戸内海で活動していた水軍。造船、操船、海の戦闘に長けていて、とくに広島の因島、愛媛の来島(くるしま)、能島(のしま)を拠点に、瀬戸内の水先案内、輸送、略奪、戦闘を行っていた。1588年、豊臣秀吉が公布した海賊禁止令で表舞台から姿を消していく。

comorebi farmには、旅人、子連れの家族、料理人、大学生、移住先を探している人など、いろんな人たちがやってくる。農業体験ができるファームツアーをやっていて畑を訪れやすいというのもあるし、正太郎さんは編集、絵美さんは企業のPRやしまなみ映画祭を企画する仕事もしながら兼業農家をしていることもあって、いろんな仕事の縁があることもその理由。柑橘畑が、島外の人たちが因島を訪れるきっかけにもなっているのだ。

comorebi farmで育てている柑橘3種。左から八朔、レモン、安政柑。安政柑の味わいは八朔に似ていて、酸味、甘み、ほろ苦さのバランスが絶妙。さっくりドライな食感もいい。

和人さんもcomorebi farmの畑に通いながら挑戦していることがある。
「瀬戸内で栽培された柑橘は、そのまま果実を販売することもあるけど、多くは消費期限の長いジュース、ジャム、スイーツに加工されるんですよね。そのときに大量に皮が廃棄されるので、それを使ってなにかできないかなと思って、今、精油づくりをしているところなんです」
 
精油の名前は〈nagomu OiL〉。試作品でもらった八朔の精油は、まさに皮を剥いたときのような生き生きとした目の覚めるような香り。レモン、八朔、安政柑など、いろんな品種で試作中とのこと。柑橘ごとの香りの違いも気になる。

因島の新旧農業イノベーション!

comorebi farmの畑を後にして、海沿いの〈COGO〉へ向かう。使われなくなっていた保育園を改装した産直カフェで、和人さんの高校の同級生で農家をやっている加藤靖崇さんとパートナーの志穂さんがはじめたスペースだ。

園庭だったところには、軽トラが数台並んでいる。靴を脱いで中に入ると、地元のおじいちゃんたちがお茶を飲みにきているところだった。
 
COGOでつくったハーブティーや柑橘のケーキを注文。ケーキは志穂さんの手作りなので、何があるかはそのときのお楽しみ。この日いただいたのは安政柑のチーズケーキ。柑橘とチーズの爽やかな酸味と甘みが合う! 店棚には他の農家さんが栽培した農作物も販売している。
 
「自分でつくった野菜やハーブティーは通販や出張販売で売っているんですが、できれば島内に農家と消費者が直接やりとりできる場所がほしかったんですよね。それでこのCOGOで農作物を販売したり、カフェでその場で口にしてもらえるようにしたんです」と靖崇さん。

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お店を切り盛りする加藤靖崇さんと志穂さん。靖崇さんは「みなと組」という名義で因島の農業を発信中。窓際にいたおじいさんは、シュロでハエたたきを制作中。絶妙なしなり具合が仕留めるのにちょうどいいそう。

ちなみにCOGOには、農機具メーカーのクボタの展示もある。実はクボタの創業者・久保田(大出)権四郎さんは因島生まれ。幼い頃に瀬戸内を行き交う船を見て自分も船を造れるようになりたいと思い、14歳で単身大阪に乗り込む。住み込みで働きながら鋳造を学び、自ら町工場を起ち上げて、水道管、農機具、船舶の部品も造るようになって、いまや世界トップ10に入る農機具メーカーになったのだ。

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ふじ組の教室にあるクボタの展示。高低差のある因島は、昔は島内の移動も難儀していたところ、久保田権四郎さんが、道路、橋、公共施設を整備したという。COGOのすぐ近くにも久保田橋がある。

船に憧れた久保田権四郎に限らず、瀬戸内の人にとって船は身近な存在だ。
本州や別の島へ行くときに日常的に渡船を利用するし、船は働く場でもある。因島だけでなく、呉、尾道、今治といった瀬戸内沿岸は昔から造船業が盛ん。このあたりは外洋の沿岸よりも潮の干満の差が大きく、それが造船や船の整備に適しているんだそう。ちなみにマツダの前身となる東洋工業の創業者・松田重次郎も呉で造船の仕事をしていた経験がある。瀬戸内のイノベーション、恐るべしだ。

COGOの近くにある〈ミドリノコヤ〉にも立ち寄る。和人さんの姉・上原碧さんがやっているカフェだ。空き家を買い取って、知りあいの大工と一緒になって改修した場所で、目の前が穏やかな入江になっていて落ち着く。手作りナッツタルトのバーがとってもおいしい。サイクリストのエネルギーチャージにもぴったり。

行き交う人の街、尾道の夜

しまなみ海道を通って尾道へ渡る。
尾道は、広島と愛媛を結ぶしまなみ海道の起点で、国内外の旅人、サイクリスト、この周辺に暮らす人たちも集まる、このあたりの一大カルチャー都市だ。といっても、この賑わいは今にはじまったことじゃない。歴史を遡れば、平安時代から都に年貢を運び出す集積地として開港され、江戸時代には北前船が立ち寄るようになり、山の手には千光寺をはじめとする無数のお寺が建てられて、参拝客も押し寄せた。
尾道は、今も昔も変わらず、人も物も行き交う街だ。

夜の新開エリア。日曜日は空いていないお店も多くて静か。賑やかな雰囲気が見たければ金曜、土曜に歩くといい。

COGOの靖崇さんにもらったご飯処リストから、「地元の海鮮を食べるならここ!」というメモを元に向かったのが〈遊膳〉。尾道のアーケードをくぐり、新開(しんがい)地区へ。新開はもともと遊郭があった歓楽街で、現在はスナック、バーといったお酒を楽しむ場所から、寿司、焼き鳥、お好み焼きなどおいしい料理がいただけるお店が肩を寄せ合って並んでいる。
 
路地の先に〈遊膳〉の看板を発見! 高級クラブのような佇まいなうえに、窓がなくて店内が見えなくてちょっと入りにくいけれど……扉を開けると、カウンターにお客さんがずらり。カウンターの向こうでマスターと女将さんが出迎えてくれた。先客のみなさんが注文している料理がどれもおいしそう!みなさん常連のようで、「刺盛りは頼んだほうがいい」「巻物も絶対頼んじゃうな」「魚のこもね」「いかせんべいもいいよ」とお店の方と一緒になって自分のイチオシメニューを教えてくれる。

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どれもおいしい&良心的なお値段! ちなみに「魚のこ」というのは魚卵のこと。お腹がいっぱいになった頃、おもむろにカウンターテーブルに出てきたのがデンモク……! 遊膳の第二部、カラオケが幕を開けた。

刺し身盛りをお願いすると、瀬戸内で獲れたタチウオ、コチ、デベラといった地魚が並んだ。「刺盛りに赤身のお魚がなくて驚いたんじゃない? 瀬戸内は白身の魚がおいしいんですよ」と女将さんがにっこり。タチウオは脂があって、コチは淡白ながら噛むほどに旨味を感じて、デベラはヒラメのエンガワのようなこりっとした歯ごたえで、どれもおいしい!

尾道を走る銀山街道。その昔、島根の石見(いわみ)銀山で採れた銀が尾道まで陸路で運ばれ、船で大阪まで運搬されていた。この街が栄えていた理由のひとつでもある。

とびしま海道の、農床と町の食堂

翌日はとびしま海道へ。
広島の呉市から安芸灘諸島を通って、愛媛県今治市の岡村島を7つの橋で結ぶルートだ。広島市街地から1時間ほど車で走ると、信じられないくらいのんびりした光景が広がる。
 
尾道と今治を結ぶしまなみ海道の橋とも違って、とびしま海道は一つひとつの橋が小さいので、その名前のとおり飛石を跳ねていくような感覚でドライブできる。海と道が近くて、そのまま海に吸い込まれてしまいそうな気持ちよさだ。

すれ違う車も少なく、のびのびドライブできる。とびしま海道は映画『ドライブ・マイ・カー』のロケ地にもなっている。

お昼ごはんにと立ち寄ったのが、大崎下島にある〈まめな食堂〉。人口300人ほどの久比(くび)集落にあって、元病院を改修した食堂だ。メニューは肉か魚の定食の2種類。この集落の住人たちに毎日食べに来てもらっても栄養バランスのがいいようにと、日替わりの献立を考えているそう。

木造の建物がかわいらしい、まめな食堂。右がこの食堂を起ち上げた更科安春さん。左が運営スタッフの一人、福島大悟さん。営業は11:30〜13:30の時間帯で木曜休み。

この日の魚定食は、しらす丼とお味噌汁。

肉定食はビビンバ丼とサラダ。ビビンバに入っていたホウレンソウは地元の方からの差し入れ。

デザートに注文したのは、とびしま海道唯一のケーキ屋さんの「紅八朔のタルト」。

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この場所を起ち上げたのは更科安春さん。東京生まれでアパレルの仕事をしてきたけれど、母親を自宅の介護で看取ったことをきっかけに、介護のない世界をつくれないか考えるようになったそう。そんなときに、偶然仕事で訪れた久比の住人たちが元気に農作業をしている姿を見て、ここにヒントがあると思った。

「80代の人たちが柑橘畑の農作業をしていたり、農床(のうとこ)といって家の前の家庭菜園を世話をしていたり、元気に生活しているのを見て、自然豊かな場所で自分の体を動かす暮らしって、なんて健康的なんだと思ったんです。ピン・シャン・コロリ(体がピンピンしているだけでなく頭もシャンとしている)でいけたらいいなと。久比の人たちに元気をもらうのと同時に、この集落の人たちにも元気でいてほしいという思いから、食堂をはじめました。元気なように見えても自分で料理するのが大変という高齢の方もいるので、出来合いのものじゃなくて、肉、魚、野菜を使った出来立てのごはんを食べて健康でいてほしい。食堂以外にも、訪問介護ができる看護師を呼んだり、できるだけ島を離れず暮らせる仕組みづくりもしていたりするんです」と更科さんは話す。

久比集落の農床を見せてもらう。ネギ、ブロッコリー、白菜が植わっていて、これから夏野菜を準備するところだそう。自分たちで食べたり、街で働いている孫たちに送ったり、近所の人とあげたり、まめな食堂に差し入れしている。

農床は久比ならではの文化で、同じ島でも他の集落にはこうした家庭菜園がないそう。久比の人たちは少しずつ違う種類の野菜を育てたり時期をずらしたりして、近所の人同士で野菜を渡し合う習慣があって、まめな食堂でも地域の人が農床でつくった野菜をお裾分けしてもらって、料理に使うことがあるのだそう。
 
「農」を通していろんな姿を見せてくれた広島。
名残惜しいけれど、とびしま海道の東端、岡村島からカーフェリーに乗って愛媛の今治に渡る。車と一緒に1時間20分ほどの船旅。愛媛はどんな出会いが待っているか……!

岡村港からは、車が乗れるカーフェリーと、人や自転車専用の旅客船があったり、「せきぜん渡船」が運行する今治行きの路線と、「大三島ブルーライン」が運行する大三島行きの路線があるので、行き先、乗船条件、時刻表をしっかりチェックしたい。乗船は先着順で、とくにカーフェリーを利用する場合は余裕をもって港に着いていたい。迷ったら岡村港務所に電話を(0897-88-2252)。しまなみ海道の下をくぐって今治港へ向かう!

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MAZDA MX-30 ROTARY-EV

マツダが世界で初めて量産に成功したロータリーエンジンを発電機として搭載。普通充電、急速充電に対応したプラグインハイブリッド自動車。100km超のEV走行ができて、さらなるロングドライブもロータリーエンジンによる発電で充電の不安なく運転できる。環境・走り・電動車としての利便性をうまくバランスさせ、気軽に、身軽に、環境に配慮した使い方が楽しめる。

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瀬戸内の友だちと、一周ドライブ。
愛媛編/聖地・石鎚山ハイキング!

瀬戸内の友だちと、一周ドライブ。
愛媛編/聖地・石鎚山ハイキング!

People: 日野 藍(YON編集長)

TRAVEL&EAT

2025.04.16

15 min read

住んでよし、旅してよし……そんな広島、愛媛、香川、岡山の瀬戸内4県をローカル視点でまわろうと、その土地の友人の声を頼りにぐるり一周ドライブへ出かけた。

愛媛編のキーワードは、“瀬戸内の山”。 一緒に旅をしたのは、四国のアウトドア雑誌『YON』の創刊編集長・日野藍さん。そして広島生まれのマツダの「MX-30 ROTARY-EV」。

パワフルな藍さんの背中を追いかけて、四国最高峰の石鎚山を拝んで、外界でほっとひと息パワーチャージするまでの1泊2日。登山初心者にもやさしい、山気分を味わえる旅をどうぞ。

Photo : Kazuto Uehara

Text:Maki Tsuga(TRANSIT) Cooperation:MAZDA

今治の夜、台湾を想う

とびしま街道の東端にある愛媛・岡村島の岡村港から今治行きのカーフェリーに乗ること約1時間20分。ほどよい揺れが心地よくて船内のベンチでうたた寝していると「間もなく今治港に到着します」というアナウンスが。車の中に戻り、緑色の船のタラップが岸に降りるのを見守って、「MX-30 ROTARY-EV」のエンジンをかける。

船から降りて今治の街中を走る。
「四国に着きましたね」一緒に旅をしているフォトグラファーの上原和人さんがちょっとうれしそうに一言。船で渡ってきた小さな達成感と安堵。広島・因島生まれの和人さんにとっては船の移動は当たり前かもしれないけど、そんな瀬戸内の日常の中にいるのも楽しい。

海が広がるとびしま海道の景色から一変。
造船工場あり(尾道の風景に似てる)、今治城あり(築城名人・藤堂高虎が築いた海城だ!)、今治市庁舎、今治市公会堂、旧今治信用金庫本店といった数々の丹下建築あり(丹下健三が幼少期に住んでいた!)、のまうまハイランドあり(日本最小の在来馬・野間馬に会える、馬好きにはたまらない〜!)。今治に渡ってきただけでも、愛媛ならではのカルチャーが散らばっていて楽しい。ちなみに今治といったらタオルを思い浮かべるかもしれないけど、丹下健三が今治にいたのもタオルのご縁。丹下の父が家業のタオル業を引く継ぐことになって大阪から引っ越したといういきさつがあったりも。

そんな引き出しいっぱいな愛媛では、四国のアウトドア雑誌『YON(ヨン)』を起ち上げた日野藍さんに山を案内してもらう約束をしていた。愛媛で山といったら、四国最高峰1,982mの石鎚山。空海も修行したという聖地だ。山頂まで登るには長い長い鎖場か長い長い階段の迂回路があって、難易度高め。それでも「登山初心者でも弾丸で石鎚山を味わう方法、ありますよ!」と藍さん。それ、ついていかせてください!

というわけで、翌日の山歩きに備えて、身体が暖まるものを食べようと向かったのが、藍さんが教えてくれた台湾料理が食べられる〈スナック 洋酒・喫茶 碧空〉。青と黄色のファサード、肩書き多めな看板、さらに愛媛で台湾?と思いつつ、扉を開ける。女将さんにおまかせコースをすすめられてオーダー。注文を受けてから餃子を包んだり、蒸籠料理をセット。粽、小籠包、エビ餃子、焼売、餃子、春巻き……どれもおいしくて、追加でスープ餃子やビーフンも頼んで、すっかり全部お腹の中に収まった。

碧空は、ハイボールの名店でもある。GHQで働いていたこともある先代のマスターは洋酒の扱いを知っていたので、近くのラムネ工場から砂糖抜きの炭酸水を仕入れて、四国でいち早くハイボールを出したのだそう。ちなみに現地で買いつけている台湾烏龍茶も料理によく合う。

「看板に『スナック』って書いてあるから、乾き物を置いてるお店だと思うかもしれないけど、もともとスナックは食事ができる酒場という意味があったんですよ」とマスター。実はマスターのお父さんは台湾出身。戦後、GHQの仕事で今治で働いていたときに、怪我をした日本人女性を助けた縁から、その女性の娘さんと結婚することに。その後、今治で洋酒を出すお店をはじめた。その息子さんが、現在お店に立っている2代目マスターだ。マスターが日本と台湾で料理を学んだおかげで、今、こうしておいしい台湾料理がいただけるというわけ。港町今治ならではの海外とのつながりに感謝しながら、身も心も充電完了。
明日はいよいよ石鎚山だ!

聖地・石鎚山でハイキング!

翌朝8時、日野藍さんと西条市で合流。藍さんは愛媛・西条生まれのデザイナーで、山好きというところから、四国をアウトドアの視点で巡る雑誌『YON』を四国の仲間たちと一緒に自費出版でつくっている。『YON』も藍さん自身も元気をもらえる存在だ。

集合場所の駐車場の脇には四国山脈から瀬戸内海に流れ出るまでの恵みも……!「西条市には地下水が湧き出た井戸がたくさんあって、”うちぬき”っていうんです。江戸時代から地面に穴を掘って打ち抜いたところから地表に溢れてきた湧水を使っていたことから、この名前がついたんです。よく水を汲んでいく人もいますよ」と藍さん。

早速、石鎚山に向かってドライブ。
白く雪化粧した石鎚山が遠くに見える。朝靄が立ちのぼる緑の道を悠々と運転して、麓の市街地から30分ほどで登山口の駐車場に到着した。

上/ここから車で15分もいけば高知県という山中にある、西条市の〈金子商店〉。近くには加茂川も流れている。石鎚山登山口に行く前に、飲料、お弁当を調達するならここですませよう。駄菓子やおもちゃも売られていて懐かしい雰囲気。 下/山道も楽々走行する「MX-30 ROTARY-EV」。

石鎚山登山のハイシーズンは5〜10月。一年を通して入山できるけれど、毎年7月1日から10日は「お山開き大祭」があって、とくに賑わう。昔ながらの山岳信仰が残っていて、7月1日だけは女人禁制で女性は山に入れないのでご注意を。

上/狭い山道も心配なし、それでいてたくさん荷物が詰めるのでアウトドアシーンでも頼れる「MX-30 ROTARY-EV」。 下/道路から覗き込んでも川底が見えるほど川の水の透明度が高くてびっくり。

「ロープウェイ乗りますか? ちょうど出ますよ!」チケット売り場のお姉さんの声で、駆け乗る。「山はどこまで登ります? 昨日雪が降ったから、足元が不安だったら上の駅で長靴借りてくださいね」とこちらの装備を見て声をかけてくれる。
ゴンドラの窓からは瀬戸内海と島々がくっきりと見える。海と山がこんなに近いなんて。こうしてみると、瀬戸内海から顔を出している島々も、山の連なりの一部のように見えてくる。

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ロープウェイの山頂成就駅に到着。一気に標高1,300mまで上がる。ぐっと気温が下がったのがわかる。3月下旬、麓の気温は13℃ほどだったけど、山頂の駅の壁にかかっていた温度計の針はぴったり0℃を指している。

駅を出ると……一面、白銀の世界!
サングラスなしで目を開けていられないくらいの、雪の白、空の青。山の上にある石鎚神社の中宮 成就社を目指して歩きはじめる。じっとしていると寒いけど、歩いていると汗ばんでくる。スキーシーズンも終わった雪山ということもあって、登山客も時折すれ違う程度……と思ったら、郵便局の人が歩いてくる(!)。手紙や荷物の郵便物を届けに、こうして週6日、山と麓を行き来きしているそう。挨拶代わりに、といって肩にかけていたホラ貝の音色を披露してくれた。す、すごい。

「よかったら前を歩きます? 誰もいない景色もいいですよ」と藍さん。
ぐぐぅ、ぐぐぅ、っと雪を踏みしめる音、木の陰と雪の反射のコントラスト、得体の知れない獣の足跡の列……。何も喋らず、自分の体を取り巻く360°の世界に夢中になる。このままずっと歩いていけそうなくらい、静かで、楽しい!

20分ほど歩くと急に目の前に大きな鳥居と宿や土産物店の建物が出現。さっきまで人工物のない世界にいたので、ちょっとびっくりしてしまう。冬場はほとんど休業してしまうけど、7月のお山開きの期間を中心に開かれ、登山客や参拝客で賑わうそう。

「このお店は開いているかも!こんにちは〜」と言って、藍さんが顔見知りのお店〈白石旅館 民藝茶屋〉のドアを開けて中に入っていく。
店の奥から、店主の岩田雅好さんが出てきた。おでん、カレーライス、中華丼、ラーメン、そば各種……ごはんのメニューが壁一面に並んでいるけど、準備前ということで「あめゆ」をいただく。水あめ、三温糖、生姜、片栗粉、塩が入っていて、身体が温まる。ありがたい。石鎚山にはあめゆを出すお店が数件あって、登山客はスポーツドリンク感覚で飲むのだそう。

ほっとひと息ついたところで、石鎚神社 中宮 成就社に参拝へ。
ここの見返遥拝殿から、石鎚山の山頂・弥山(みせん)を望むことができる。山に向かって壁一面が窓になっていて、自然と山と自分が対峙する空間になっている。息を呑むような景色、背筋がのびるような緊張感。
 
見返遥拝殿の中には、天狗のお面や、開山の祖・役小角(えんのおづの)の像などが置かれている。最初に山頂に登ったといわれる役小角は、はじめはなかなか頂上にたどり着けず諦めかけていたときに山で斧を研いで針にしようとしている老人に出会って感銘を受けて、再びチャレンジして登頂を果たしたという。(一回諦めたところが現実味がある)。ここでお祈りすれば、難しい願いも達成できるかも……!

石鎚神社 中宮 成就社の見返遥拝殿。お賽銭箱の隣には登山保護用の寄付金箱もあって、山頂への荷物運搬、登山道整備、救急保護費といった、山の管理・運営に充てられている。

石鎚山山頂の弥山が見えた。山頂には石鎚神社 奥宮 頂上社があって、なんと5月から11月頭まで職員が常駐。宿泊、飲食できる山小屋もある。

藍さんは年に数度、石鎚の山頂まで登るそう。
「山頂に行くまでに、試しの鎖、一の鎖、二の鎖、三の鎖があるんです。鎖はそれぞれ30〜70mほどの長さがあって、ほぼ垂直の断崖を登っていくんです。登るにも、途中で諦めて降りるにも、自分でいくしかない。もう目の前の鎖しか見えなくなって、地上の出来事を全部忘れられますね」と答えてくれる。藍さんの清々しい横顔から、山の厳しさと魅力がないまぜになってびしびしと伝わってくる。

試しの鎖は、名前のとおり、一、二、三の鎖が登れるか自分の力を確認するためのもの。それぞれに迂回路があるので、そこから山頂を目指すこともできるが、なかなかの階段地獄らしい。石鎚山は修験道の聖地としても知られているけど、本当に修行だ……。

それにしても、藍さんが四国のアウトドア雑誌『YON』をはじめようと思ったきっかけはなんだったのだろう?
「山は自分にとって、しがらみを忘れて夢中というか無心になれる場所なんですよね。何者でなくてもよくなってくるというか。私はデザイナーなので、自分の好きな四国と、山と、雑誌を全部合わせたものをかたちにできないかと思って、ちょうどコロナ禍になったタイミングでつくりはじめたんです」と藍さん。
雑誌名には、四国の“4”と、「なにしよん?」の“ヨン”の意味がある。誌面に四国愛と山、川、海など自然への愛が溢れ出していて、ページを捲っているうちにどこかに出かけたくなるような雑誌だ。アウトドア好きな人もそうでなくても、四国旅のヒントになるので、ぜひ読んでみてほしい。

山道具の店、鉄板ナポリタン、海辺のコーヒーで癒やされて

石鎚山参拝でご利益を得たところで、藍さんに山帰りによく立ち寄る場所に連れていってもらった。まずは石鎚山の麓にある、山道具のお店〈crosspoint〉。ウエア、ザック、シューズ、ポールから、ランプ、ナイフといったキャンプ用品まで、アウトドアギアがぎゅぎゅっと並んでいて、たしかに山に入る前後に必要なものを揃えられそう。店主の久保一平さんは、子どもの頃から西条の裏山で山遊びをしていた山好き。お店もやりつつ、四国を中心にハイキング、登山、キャンプ、カヌーなど、山&川遊びのガイドも企画している。

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crosspoint店主の久保一平さんと妻の未央さん。カフェやギャラリーも併設されているので、コーヒーや展示を目的に遊びに来るだけでも気分転換できるような空間。

「そろそろお腹空きましたよね? ガツンとお腹いっぱいになれるご飯だと、今治の焼豚玉子飯か、西条の鉄板ナポリタンもいいかな」と藍さん。白ご飯の上に、目玉焼き2つとたっぷり焼豚がのった焼豚飯にも心惹かれるけど、雪山で冷えた体に熱々ナポリタンも大アリ。ということでナポリタンを食べに、〈MAHALO〉へ入店。
 
ナポリタンに生卵が1つ。生卵は、崩してもよし、目玉焼きにしてもよし、炒り卵にしてもよし。鉄板でそれぞれの楽しみ方ができる。麺は、やわやわと鉄板で焦げたパリパリ食感のどちらも楽しめる。はぁ、生き返る〜。

食後のコーヒーを、ということで新居浜市にある自家焙煎の店〈みんなのコーヒー〉へ。新居浜市の市街地から離れた県道沿いに、ぽつんとある。店の目の前に瀬戸内海があって、コーヒー片手に海岸線を散歩するのも気持ちよさそう。

お店の名前のとおり、老若男女いろんな人がさっとコーヒーを飲んで、その場に居合わせたお客さんと会話をして帰っていく。顔見知りだったり、はじめてだったりするようだけど、お店の人ともテーブルで隣り合わせた人とも声をかけやすいようなムードが流れている。会話の輪に入っても入らなくても、コーヒーの香り、目の前の海、店主の伊藤淳さんとスタッフの平田達也さんの朗らかさを同じ空間で共有できて、境界線を緩ませてくれる。

「東京でデザイナーとして働いていて、30代になって地元の愛媛に戻ってきたばっかりの頃、最初は自分の中でうまく東京と地元の間のほどよいところが掴めなかったんですよね。そんなときに、この〈みんなのコーヒー〉を見つけて、母と一緒に来たんです。地元の人も旅人もどちらもいて、それが心地よくて。こういう場所が近くにあってよかったって、すごくほっとしたのを覚えてます」と藍さんが話す。こんなお店、近くにあったら通ってしまうだろうなぁ。

  • 淳さんが自家焙煎したコーヒー、コーヒーバナナジュース、チョコレートケーキにクッキー。

  • 〈みんなのコーヒー〉店主の伊藤淳さんと一緒にお店を切り盛りする平田達也さん。

  • 海辺にぽつんと佇む。

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荘厳な山と穏やかな海、あったかい人たちとおいしいもので、すっかりパワーチャージされた愛媛旅。コーヒーをテイクアウトして、次は香川へ!

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MAZDA MX-30 ROTARY-EV

マツダが世界で初めて量産に成功したロータリーエンジンを発電機として搭載。普通充電、急速充電に対応したプラグインハイブリッド自動車。100km超のEV走行ができて、さらなるロングドライブもロータリーエンジンによる発電で充電の不安なく運転できる。環境・走り・電動車としての利便性をうまくバランスさせ、気軽に、身軽に、環境に配慮した使い方が楽しめる。

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Yayoi Arimoto

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