北は北海道から、南は沖縄まで、ひとくちに日本といっても、食べ物、お祭、習慣、自然が織りなす景色まで個性はさまざま。その土地ならではの愉しみ方は、その土地の人に訊くのが一番!ということで、連載「47都道府県ローカルのすゝめ」はじまりました。
日本一のさくらんぼの産地の山形県からは、山形県観光交流拡大課の真田恭輔さんが山形らしい精神文化が息づくスポットを教えてくれました!
Text:Kyosuke Sanada Special Thanks:山形県観光交流拡大課
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山形県は、東北地方の日本海側に位置し、東京から概ね北に300kmの距離にあります。蔵王、月山(がっさん)、鳥海(ちょうかい)、吾妻(あづま)、飯豊(いいで)、朝日と日本百名山に数えられる秀麗な山々に囲まれており、面積の7割を山地が占めます。
さらに、南北に連なる米沢、山形、新庄の各盆地と庄内平野を”母なる川”最上川が流れ、四季鮮やかな美しい自然に恵まれた地域です。また、清らかで水量豊かな湧き水と澄んだ空気が、「つや姫」や「さくらんぼ」をはじめとする農産物、多種多様な県産酒やワインなど世界に誇る美食美酒を生み出し、全市町村で湧き出る温泉とあわせて心ほどける温かなくつろぎの時間をお過ごしいただける日本の“ふるさと”です。そこには、人の住む集落、市街地と農地や里山が綾をなし、自然と人間が調和して存在する、”もう一つの日本”が広がっています。
江戸時代、俳聖・松尾芭蕉は「奥の細道」の全行程156日のほぼ三分の一にあたる43日間を山形県で過ごし、その旅は出羽三山を目指した”心の旅”ともいわれます。いにしえの昔から、山形県は山々を尊び崇める山岳信仰や草木への感謝と畏敬の念を表した草木塔に象徴される精神文化の地として受け継がれてきました。
そんな山形県で脈々と受け継がれてきた精神文化の一つに、宝珠山立石寺(ほうじゅさんりっしゃくじ)があります。通称・山寺と呼ばれ、貞観2年に清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開いた、天台宗のお山です。松尾芭蕉が詠んだ「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」の句でも有名です。
1015段もある長い石段を登った先には、静寂に満ちた世界が広がります。国の重要文化財にも指定され、ブナ材の建築物では日本最古といわれる根本中堂(こんぽんちゅうどう)や、雄大な山々を背景に巨大な奇岩の上に建つ納経堂、能の舞台のようなお堂の奥から田園風景を見渡せる五大堂などがあります。五大堂から望む紅葉は見ごたえ十分です。
また、山寺のさらに奥地には、円仁が山寺の構想を練った場所といわれている、峯の浦(通称:裏山寺)と呼ばれるエリアがあります。蜂の巣状の巨大な岩肌と鳥居の造形美がとても神秘的な垂水(たるみず)遺跡はひときわ目を引きます。
慈覚大師円仁が山寺を開山したとき、大阪市四天王寺の楽人・林越前守政照が円仁に従って東国に下り、天王寺系の舞楽を山寺に伝えました。林政照の子孫は、室町時代に現在の寒河江市にある慈恩寺(じおんじ)に、さらに江戸時代初期に現・河北町にある谷地(やち)に移り住み、山寺・慈恩寺・谷地八幡宮の舞楽を司りました。その「林家舞楽(はやしけぶがく)」は日本四大舞楽の一つに数えられ、門外不出、一子相伝を固く守っており、早くに地方へ移ったことで中央の楽制改革(当時の音楽を日本化した動き)の影響が少なく、シルクロードからの伝承当時の面影が色濃く残っているともいわれています。
9月に谷地八幡宮の秋の例大祭「谷地どんがまつり」で奉奏される舞楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。10の伝承曲目のうちの一つ、「陵王」という演目では、紅花染めの神聖な赤い衣装が用いられ、華やかに舞う姿は人びと々を魅了します。5月には慈恩寺の春の法会で奉奏されます。
慈覚大師が山寺に伝えたとされる紅花は、この地域で紅花交易をはじめとする経済だけでなく、林家舞楽など上方との交流から今に伝わる文化の面も大きく発展させました。「山寺が支えた紅花文化」は、日本遺産に登録されています。
出羽三山信仰の礎を築いた蜂子皇子(はちこのおうじ)など、ほかにも山形の文化を伝える史跡があります。
神秘的な日本に出会いに、ぜひ山形に立ち寄ってみませんか?
山形県のことがもっと知りたくなったら!