山伏でアーティストの坂本大三郎さんが、エストニアを訪れた。森と音楽の祭典「アイグ・オム(AIGU OM)」に招かれたのだ。向かった先は、ラトビアやロシアとほど近い、辺境の地、南東エストニアのヴォル。自然に関わる古い風習が残る地で、坂本さんが出会ったものとは。
Text:Anna Hashimoto
坂本大三郎さんと同じように、アイグ・オムにゲストスピーカーとして招かれたアラリ・アッリキさんは、日本文学を研究しているタリン大学の准教授だ。会場へ向かう車中、アラリさんと坂本さんの間では、木にまつわる自然信仰についての会話が弾んだ。
アラリさんが言うには、推古天皇の時代に寺院を建てようとして敷地に生えていた大木を伐採しようとしたところ何人もの人が亡くなったという話が残っている。時代は下り、エストニアでも、日露戦争から帰ってきたエストニア人の兵士が村に帰って農夫となり、畑にあった「切り倒してはいけない」という言い伝えのある大きな木を切り倒したところ、みるみるうちに体が弱り、亡くなったという伝承が残っているそうだ。樹木を伐採したり、傷つけたりすることで、人間に災いが起きるという伝承があるのは、エストニアでも日本でも、ほかの国でも共通しているとアラリさんは話した。
「こういう木に関する信仰は、古代信仰の名残だと思うんです」と坂本さんは言う。坂本さんがドイツへ行ったときのこと、宿泊したフリッツラーの街で、教会の前にモニュメントが立っていた。キリスト教の聖人が、斧を持ち大木の切り株の上でポーズをとっている像だったという。
「土着の信仰の対象だった大木が、キリスト教が到来して、聖人によって切り倒された。聖人による『(木を切っても)何も起きないじゃないか』というパフォーマンスだったんでしょうね。そこへ教会を建てたという記念碑です。歴史的な出来事を現在の価値観だけで判断することは避けたいですが、土着的な文化に関心をもっている自分にとっては深く考えさせられる像でした」
民俗文化や土着の信仰などは、啓蒙されるべきものとして否定されてきた時代がある。土着の信仰は、キリスト教から見れば「邪教」だったかもしれない。エストニアには、ヨーロッパでは比較的遅い13世紀ごろにキリスト教が伝播したとされている。坂本さんは旅の道中で「エストニアの人のなかにはキリスト教、とくにロシア正教の教会を複雑な気持ちで見ている人もいる」ということも耳にした。
旅の後半に、坂本さんはヴォル地方の隣、ロシアと国境を接するセト地域も訪れた。国境の端の村で、牛を引く女性と出会った。家に招かれて行ってみると、子どもが乳搾りを教えてくれた。
「牧歌的な、夢見たいな光景のなかで生きている人たちがいました。でも、その数100m先にはものものしいフェンスがあって」
その後、村を歩いていると(エストニアの)軍の車がやってきて、坂本さんはパスポートをチェックされたり、いろいろと質問をされたりした。日本にいたらわかりにくい「紛争や国境の感覚」を感じたと坂本さんは言う。「エストニアではのんびりと過ごしましたが、そうは言ってられない現実がすぐそこにあるんだなって」
エストニアの文化は重層的だ。たとえばタリンの街を見ても、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、ロシアの時代に建てられた教会、ソビエトの時代に建てられた集合住宅などさまざまな時代の痕跡が残る。
エストニアは外からの影響を大きく受けてきた国でもあるけれど、この旅で見てきた森のなかに息づく風習や信仰といったものは、エストニアの名もなき人びとによって、かそけくも、しかし脈々と、伝え受け継がれたものだろう。坂本さんが日本とエストニアの自然信仰の共通性を見出したように、土着のものはどこか普遍的で、地下奥深くでつながっているのではないか。
あるエストニア人が、坂本さんへこんな質問をした。「日本人とエストニア人、共通している自然観はなんだと思いますか」
坂本さんはこれに対して、日本の仏教哲学者である鈴木大拙の話をした。
鈴木大拙は、ヨーロッパ人と日本人の違いについてこんなふうに言及しているという。
あるヨーロッパの詩人は、何か興味のあるものを見つけたとき、それを手にとってバラバラに分解して、よく観察しようとした。一方で、松尾芭蕉の「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」という一句を例に挙げ、日本人は、そこに興味の惹かれる花が咲いていたときには、ただじっとよく見る。見ることによってその対象と一体になろうとするような心がそこにあるんじゃないか、と説いた。これを坂本さんは「現代人と、古い自然との関わり方を知っている人たち」の対比として読むことができるのではないか、と語った。
「現代人は何かに興味が湧いたとき、どうやって論理的に理解できるだろう、という思考回路が働くと思います。でも、もう少し自然との距離が近くなっていけば、ただ眺めているだけでもわかってくるものがたくさんあるんじゃないか。僕がエストニアで出会った人たちは、自然をよく見て、感覚を大切にして森に入っている。日本で森や自然に近い生活をしている人たちと、近いものを感じます。そんなふうに自然に向き合う心や、古い自然信仰の痕跡が、これからもずっとエストニアに残っていてほしいと思います」
日本からおよそ7800km離れたエストニアにも、森はあたりまえにずっとある。 西と東の文化が森を通じて出会う試みから、きっと深い理解や交流が生まれていくはず。
坂本大三郎(さかもと・だいざぶろう)
千葉県生まれ。自然と人の関わりのなかで生まれた芸術や芸能の発生、民間信仰、生活技術に関心を持ち東北を拠点に活動している。著書に『山伏と僕』(リトルモア・2012)、『山伏ノート』(技術評論社・2013)、『山の神々 』(エイアンドエフ・2019)等。芸術家として、山形ビエンナーレ(2014、2016)、瀬戸内国際芸術祭(2016)、札幌モエレ沼公園ガラスのピラミッドギャラリー『ホーリーマウンテンズ展』(2016)、石巻リボーンアート・フェス(2020、2021)、奥大和MINDTRAIL(2021)、documenta15(ドイツ、2022)、100 Tonson Foundation『PLANETARY SEED』(タイ、2024)等に参加。
千葉県生まれ。自然と人の関わりのなかで生まれた芸術や芸能の発生、民間信仰、生活技術に関心を持ち東北を拠点に活動している。著書に『山伏と僕』(リトルモア・2012)、『山伏ノート』(技術評論社・2013)、『山の神々 』(エイアンドエフ・2019)等。芸術家として、山形ビエンナーレ(2014、2016)、瀬戸内国際芸術祭(2016)、札幌モエレ沼公園ガラスのピラミッドギャラリー『ホーリーマウンテンズ展』(2016)、石巻リボーンアート・フェス(2020、2021)、奥大和MINDTRAIL(2021)、documenta15(ドイツ、2022)、100 Tonson Foundation『PLANETARY SEED』(タイ、2024)等に参加。
編集者・ライター
橋本安奈(はしもと・あんな)
「Päike(パイッケ)編集室」主宰。エコ&ソーシャルマガジン『ソトコト』編集部、トラベルカルチャー誌『TRANSIT』編集部に在籍したのち、独立。2022年よりエストニアのタルトゥ大学(修士)にて民俗学やエスノロジーを学ぶ。
「Päike(パイッケ)編集室」主宰。エコ&ソーシャルマガジン『ソトコト』編集部、トラベルカルチャー誌『TRANSIT』編集部に在籍したのち、独立。2022年よりエストニアのタルトゥ大学(修士)にて民俗学やエスノロジーを学ぶ。