世界を旅する冒険者の言葉から、歴史に名を残す著名人の旅にまつわる名言まで。
旅ってどんなもの? 彼らがみた世界とは? 旅する人たちの言葉から旅を知ろう。
今回は、船で世界一周を果たしたアメリカ生まれの女性記者・ネリー・ブライを紹介する。
Illustration:Yoshimi Hatori Text:TRANSIT
汽車もほぼなかった19世紀末、船で世界を一周した女性がいた。それは彼女が企画した、ジュール・ヴェルヌの小説『80日間世界一周』の80日で世界を一周するという記録を破るプランだった−−。
ネリー・ブライ。18歳にしてアメリカ初の女性記者となり、次々と世間を賑わす記事を書いたジャーナリストである。新聞には有名人のことだけでなく、貧しく虐げられた人のことも載せるべきだと、貧民街に通うなどして「彼らの物語」を書きつづけた。
最大の転機はピューリツァーの新聞社に入社したこと。精神病院への潜入取材、政界のドンを計略に乗せ悪事を暴くなど、その勇気と大胆さは喝采を得た。その反面、「女のくせに」と侮辱、反感をかうことも多かった。また世界一周企画については、女性のひとり旅は危険ではないかという声もあった。それでもピューリツァーはネリーを高く評価し、世界一周の最短記録をつくるという無謀な企画を承認した。
1889年11月14日にニューヨークから出発した彼女は、アジア経由でヨーロッパへ向かい、1890年の1月25日にゴールのフィラデルフィアにたどり着き、72日で世界を一周することに成功。当時の世界一周の最速を記録することに。
「私ひとりで世界をくまなく回りたい」と言ったネリーの持ち物は、服2枚にトランクと手提げ鞄が1つずつ。ロンドン、パリ、カイロ、北京、横浜と、さまざまな国から届く彼女の記事を、読者は自身の経験として読み、待ち望んだ。
彼女が勝ち取ったのは記録だけではなく、女性の自立の証明でもあったのだ。
Nellie Bly(ネリー・ブライ)
1864年アメリカ生まれ。世界初の女性記者。本名はエリザベス・ジェーン・コクラン。ネリー・ブライは初めての署名原稿に対して編集長がつけたペンネーム。34歳で実業家と結婚しジャーナリズムから引退したが、夫の死後、事業を継ぐもうまくいかず、記者の仕事に復帰。晩年までジャーナリストでありつづけた。1922年没。
1864年アメリカ生まれ。世界初の女性記者。本名はエリザベス・ジェーン・コクラン。ネリー・ブライは初めての署名原稿に対して編集長がつけたペンネーム。34歳で実業家と結婚しジャーナリズムから引退したが、夫の死後、事業を継ぐもうまくいかず、記者の仕事に復帰。晩年までジャーナリストでありつづけた。1922年没。
Yayoi Arimoto
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Yuki Kumagai
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