LEARN&THINK EARTH
2025.11.13
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「自然を考える旅に行きませんか?」オーストラリア・クイーンズランド州からそんな誘いを受けて写真家の表萌々花さんが向かったのは、クイーンズランド州北東部のケアンズ&グレートバリアリーフ地域。真っ青な太平洋に広がるグレートバリアリーフとオーストラリア大陸最古の熱帯雨林デインツリーを巡るなかで見えてきた光景と、環境を考える人たちの話。
後編、デインツリー編をどうぞ。
Photo : Momoka Omote
Text:Momoka Omote Cooperation:クイーンズランド州政府観光局
木々が空を覆い尽くす、太古の森。一歩進むごとに変わる空気の色、木々のざわめき、そして森の案内人であるククヤランジ族のヤガンダさんのまなざし。彼は森と会話するように語り、私はその声にそっと耳をすます。
ここはケアンズシティから車で1時間半ほどにある、地球上でもっとも古い熱帯雨林のひとつ、オーストラリアのクイーンズランド州の「デインツリー熱帯雨林」だ。デインツリー国立公園内に広がるこの森は、約1億8000万年の歴史をもち、動植物の宝庫として知られている。ここはククヤランジ族をはじめとするアボリジナルの人びとの土地でもあり、彼らはこの森と深いつながりをもち、先祖代々この地で暮らしてきた。
自然と人びとの共生の象徴ともいえるデインツリーの森を、ククヤランジ族の案内で巡るプログラム「ドリームタイムウォーク」に参加するためにやってきた。ドリームタイムとは、アボリジナルの信仰体系や世界観の中心にある重要な概念で、万物の起源を描いた先祖からの伝承のことだ。
朝早くにケアンズを出発し、デインツリーの入り口であるエコツーリズム施設「モスマンゴージ・カルチュラル・センター」に到着した。
この施設は、ククヤランジ族の暮らしや文化を伝えるための場所であり、デインツリーの自然を保護するための活動や、ククヤランジ族の人びとが現代社会に適応できるよう教育や職業訓練を行っている。自家用車はセンターまでしか入れず、ここから先は専用のシャトルバスで移動する。
シャトルバスで森の奥へ進み、ツアーの出発地点に到着すると、まず儀式が始まった。この儀式は「スモーキング・セレモニー」と呼ばれ、メラルーカという木の皮を使って火を焚き、その煙で身体を浄化し、悪霊を祓って安全に森に入るための儀式だそうだ。火の周りをプログラム参加者のみんなでぐるぐる回って浄化する。
儀式が終わると、いよいよ森の中へ案内された。「熱帯雨林の森に来たら、むやみに植物に触れてはいけない。たとえばこのスティンギングツリーは、世界でもっとも危険な植物といわれているんだ」と、ヤガンダさんが教えてくれた。一見なんてことない大きな葉の植物だが、この葉っぱには棘があり、触れてしまうと6カ月間激しい痛みがつづく。
ククヤランジ族の教えでは、スティンギングツリーの根から採取できる樹液を患部に塗ると症状が和らぐと伝えられている。ちなみにこの植物についている実はピンク色に熟すと食べることができて、ビタミンCが豊富でセロリのような味がするという。
「もし森の中で迷子になったら、川の音を聴くこと。川は海につながっているから、川の流れに沿って進めば森から出られる。あとは大きな音を出して仲間に居場所を知らせること。このバンゴの木を石で叩くと、とても大きな音が出るんだ」
森の住人たちが昔から使ってきた、連絡手段のひとつだ。バンゴの木は連絡手段のほかにも、カヌーを作ったり、さまざまな儀式にも用いられるそうだ。アボリジナルの人びとの暮らしに深い関わりを持つ木なのだと教えてくれた。
水分補給ができるツル、石けん代わりになるソープリーフ、ボディペイントに使う染料となる土や鉱物……。ヤガンダさんがいなければ気にも留めなかったような植物や木々について、一つひとつ伝承されてきた知識を交えて解説してくれるので、ただの風景としての森ではなく、彼の先祖たちの声が息づく場所のように感じることができる。
「食べ物も、薬も、学びも、この森にはすべてがあるんだ。我々にとって森は、なんでも揃うスーパーマーケットだね」と笑顔で語るヤガンダさんを見て、本当の豊かさを教えてもらったような気がした。しかし気候変動による気温上昇で、十年間でこの森で食べられる植物の実が大幅に減少したそうだ。地球温暖化の影響は、デインツリーの森にも大きく現れている。
しばらくして、ヤガンダさんがドリームタイムの伝承を語ってくれた。はるか昔、光とともにやってきた精霊グブリが、熱帯雨林で生きていく術を人びとに教えてくれたという。そしてグブリは今もここにいて、悪い精霊から人びとを守ってくれていると信じられている。だからこそ、アボリジナルの人びとはこの森を守りつづけている。
それを聞いて、アボリジナルの「ドリームタイム」と日本の「八百万の神」の考えは、互いに目に見えないものの存在、自然の力を深く尊重し信じているという点で共通しているように思えた。自然とのつながりを大切にし、森と人との調和を保とうとするアボリジナルの人びとの姿勢に、まったく異なる文化であるにもかかわらず親和性を感じることができた。
「森の中にいると、先祖の声、生き物の気配、目に見えないけれど感じることができるんだ。森に吹く風が物語を運んできてくれる。そして、その風がまた別のどこかに物語を運んでいってくれる。この森に足を運んで、それを感じてもらえることが何よりうれしい」
広くて深い熱帯雨林の入り口で、どこからか聞こえてくるざわめきに耳を澄ませてみると、鳥の声、風の音、はるか昔からこの土地で生きてきた人びとの気配、この森に息づく声が、ほんの少しだけ、聞こえたような気がした。
デインツリーでは森の中を歩くことができたが、ケアンズシティ近郊には空から熱帯雨林を楽しめる施設「スカイレール」がある。ケーブルカーに乗って世界自然遺産に登録されているウェット・トロピックスと呼ばれる湿潤熱帯雨林の一部であるバロン滝やバロン川などの上空をゆっくりと横断し、途中にある2つの停留所では軽く散策することもできる。空の上から眺める熱帯雨林は、また違った視点で楽しむことができる。スカイレールに乗ると、森の緑がどこまでもつづき、木々の密度や川の流れが上空から鮮明に見渡せる。何千年もの歴史をもつこの森を、壮大に一望することができる。
スカイレールの終着点キュランダ駅から歩いて5分ほどにあるキュランダ・マーケットでは、お土産が買える商店などがずらっと並んでいて、店先には地元の手工芸品やアート作品などのアボリジナルアートに出合える場所だ。
おすすめは、手作りアイスクリーム店〈Mungalli〉。このお店では、環境にやさしいオーガニックアイスクリームが食べられる。地元で栽培されたバニラが使用されていて、化学肥料や農薬の使用を避け、自然のサイクルに従った農業で作られた素材が使われているそう。アイスクリームひとつにしても、こういった選択肢があるだけで食の背景に意識を向けることができる。
この土地では、自然と共生することが当たり前であり、それは観光地や日常生活の隅々にまで息づいている。私が今回宿泊したケアンズシティにあるホテル〈Crystalbrook Bailey(クリスタルブルック・ベイリー)〉もまた、自然との共生を大切にした場所だ。
熱帯雨林やグレートバリアリーフなど、自分たちが大切にしていきたい環境を守るために、このホテルではサステナブルを実現するための取り組みが数多く行われている。
エコトランスファーとして宿泊客に自転車を無料で貸し出ししたり、ソーラーパネルを導入してホテルの電気を賄ったり、リサイクル可能なものや持続可能な方法で生産された家具や装飾品を使用している。
ホテル内のレストランでは、食材の85%をホテルから車で3時間以内の場所で調達できるものにして、地産地消を目指しているという。ホテルの選択ひとつで、旅先での滞在がただの贅沢ではなく、環境への配慮と未来に向けた選択であることを実感できる。
グレートバリアリーフの海を守るフィッシャー博士、デインツリー熱帯雨林の森を守るヤガンダさん。彼らが守っている自然は、ただの風景ではなく、私たちの未来でもある。
最大のサンゴ礁が生きる豊かな海、最古の熱帯雨林が広がる森を抱く、オーストラリア。海が好き、森が好き、自然のなかに生きる人の知恵に触れたい……そんな人は、オーストラリアの旅で一度その空気を肌で感じとってほしい。
その体験は、きっと折に触れて、新たな気づきや思索をもたらしてくれるはずだ。