エストニアといったら、世界遺産にもなっている首都タリンの旧市街の景色を思い浮かべる人もいるかもしれない。でも、今おもしろくなってきているのは実は旧市街の外側。とくに北タリンには旧工場地区が点在していて、ここ十数年でショップ、ギャラリー、レストランなどが集まるカルチャースポットになっているというという。なぜ、最近になって工場をリノベーションした複合施設が生まれているのだろうか? 前半は、訪れて楽しいリノベ工場地区をピックアップ。後半では、現地在住の建築家・林知充さんにタリンのリノベ工場地区について教えてもらう。
Text:Anna Hashimoto(Päike Editorial Room)
エストニアを訪れたら、まずはユネスコ世界遺産にも登録されている首都タリンの旧市街散策は外せないかもしれない。石畳の道路や赤屋根の家など、中世の姿を残す旧市街の町並みももちろん美しい。けれど、地元の人に聞いてみると、旧市街の外側の工場地区だったエリアが次々とリノベーションされていて、新しいお店ができたり、イベントが企画されていて、最近おもしろいエリアが生まれてきているという。タリン市内に点在する工場跡地のリノベ地区を歩いてみることにした。
© Patrik Tamm
タリンの北側、バルト海に突き出たコプリ半島にあるPõhjala tehas(プヒャラ テハス)。
第一次エストニア独立時代の1924年に雨靴などをつくるゴム製品工場群として誕生したこのエリア。ソビエト時代の1970年代には700人以上が働いていたが、1998年に工場が閉鎖されてからは廃墟になった。それが、2018年頃からディベロッパーが開発を進め、いまでは100を超える店舗やオフィス、ギャラリー、スタジオ、飲食店などが集まり、人が賑わうエリアになった。コミュニティガーデンや屋上庭園がある緑の多いオーガニックな雰囲気と工場跡地の無骨さが、相反するようでいて絶妙に調和した空間が広がる。
古本屋とカフェが一体化した〈ankruSAAL〉に立ち寄ったり、テラス席やグリーンハウスも開放しているレストラン〈Kopli Köök〉でごはんを食べるのがおすすめ。クラフト作家やデザイナー、アーティストのスタジオ兼ショップを訪れることもできるので、ピンときたところにふらっと入ってみるのもいいかもしれない。
© Karolin Linamäe
旧市街から(頑張れば)歩いても行けるNoblessneri sadam(ノブレスネル港)は、1912年のロシア帝国時代に潜水艦造船所としてつくられ、つい最近まで船の修理工場として使われていた工場跡地。
造船会社とディベロッパーが合弁企業をつくり、2010年代半ば頃から住居や商業、レジャー、文化施設などがバランスよく集まる複合的なまちづくりが行われている。海沿いかつ都市部にも近いアクセスのよさや、造船所の石造り、煉瓦造り、巨大窓などの歴史的な建築特徴を残した景観が人を惹きつけ、高級マンションも立ち並ぶ上品なエリアになった。
海沿いを散歩するのが気持ちのいい場所で、イグルーサウナが集まる〈Iglupark〉や現代美術を扱う〈Kai Art Center〉を訪れたり、ミシュランの二つ星を獲得した〈180°〉で創作料理を味わうのもいい。クラフトビールの醸造所兼タップルームの〈Põhjala Brewery & Tap Room〉で一杯引っ掛けてから散策するのもあり。
エストニア最大のクリエイティブ地区と呼ばれるのが、このTelliskivi(テリスキヴィ)。
もともとは鉄道関連の整備・修理工場や倉庫が集まるエリアで、タリン市内で初めて鉄道を走らせたBaltic Railway Companyにより1890年代から1920年代にかけて建てられた。その後、ソビエト時代には電機工場となり、3000人が働いていたという。1990年代に工場が閉鎖してしばらくは廃墟化していたが、2007年ごろからクリエイティブシティ構想が立ち上がり、古い工場跡群をそのまま活かすかたちでリノベーションが始まった。
倉庫をギャラリーにしたり、スモールビジネスや文化機関を誘致する動きが高まって、現在では、300社以上の企業・スタートアップがオフィスを構え、勢いのあるカフェ、レストラン、ギャラリーが軒を連ねる。赤煉瓦が特徴的な工場建築をそのまま残した建物には、フォトギャラリーとゼロウェイストを掲げるレストランである〈Fotografiska Tallinn〉が入っている。鋳物工場だった建物にあるレストラン〈F-hoone〉は、タリンっ子にとっては「まず最初にゲストを連れて行く場所」。ほかにも、アイスクリーム店やバー、デザインショップなど、ローカル気分で行きたくなるようなところがたくさん。
Telliskivi Creative City
住所
Rotermann’s Old and New Flour Storage Office Building, HGA, 2006-2009
© Reio Avaste
タリンの元祖リノベーション工場地区が、ここRotermanni(ロッテルマン)。
19世紀から20世紀初頭にかけて、このエリアには穀物倉庫、製粉所、塩倉庫などたくさんの工場や倉庫が群集しており、実業家の家系のロッテルマン家によってその多くが経営されていた。1991年の再独立までソ連の国有工場として存続し、97年にパン工場が移転するまで生産が続けられた。廃墟と化した地区を再開発するため都市計画づくりが2000年代に入ってから始まり、2007年以降新築と復元された建築を組み合わせた新しい建物が次々と誕生。マンションも、ショッピングセンターも、オフィスもある職住近接型のライフスタイルを掲げる洗練されたエリアへと生まれ変わった。
ロッテルマン地区にある「エストニア建築博物館」は元・塩倉庫。タリンの歴史的な建築の特徴である「ライムストーン(石灰岩の一種)」が外壁に使われている。インタビューに答えてくれたエストニア在住の日本人建築家・林知充さんが手がけた建築プロジェクトで生まれた施設〈Rotermann’s Old and New Flour Storage〉は、元・小麦貯蔵庫で、新旧の建築が通路でつながれている。古い建物のほうには、ライムストーンが使われているので、ぜひよく見てみてほしい。
© ©︎Tomomi Hayashi (左)©︎Reio Avaste(右)
Rotermanni
住所
2027年に完成予定の現在進行中で開発が行われている大規模なリノベーション工場地区が、Krulli (クルッリ)。
北タリンの約10ヘクタールの広大な土地に、1910年から1930年代にかけて建てられた機械工場や鋳造工場などの重工業施設が群集していて、これらは歴史的な価値が高いためなるべく壊さず素材を再利用するという方針で開発が進められている。
イベントスペースになっている〈Remonditsehh(エストニア語で修理工場の意味)〉は稼働し始めていて、「Tallinn Design Festival」などの展覧会やコンサートなど、さまざまな催し物が行われている。開発にともないカルチャーエリアとしてここ数年で盛り上がりをみせていて、すでに写真スタジオ、小劇場、デザイナーのスタジオ兼ショップ、スケートパーク、美大の研究室などができている。〈KOTA klubi〉というスペースは、子どもから大人までクリエイティブなクラブ活動に使われている交流拠点なので、ぜひ覗いてみて。
レンガ造りの大きな煙突が目を引く〈Kultuurikatel〉は、1912年から1913年にかけて建てられた元・火力発電所。「タリンクリエイティブハブ」とも呼ばれ、現在は多機能イベント拠点として、非営利財団によって運営されている。発電のタービンやボイラーがあった空間をそのまま活用した天井の高いメインスペースはコンサートや演劇、フェスティバル、カンファレンス、展示会などのイベントホールとして生まれ変わった。
オフィスやスタジオ、制作スペースは入居者のみ利用が可能だが、イベントホールはイベントに参加するか、年に一回タリン中の建築を一斉公開する「Open House Tallinn」のタイミングなどで入ることができる。
© Luisa Greta Vilo
エストニア南東部にある第二都市・タルトゥにもリノベーション工業地域があり、カルチャースポットになっている。〈Aparaaditehas〉はソビエト時代に建てられた部品工場群を再利用したクリエイティブ複合施設。ソビエト時代には潜水艦のパーツを造っていたが、それを隠すために実際は使えない傘やジッパーなどを作っていた。最盛期の1970年代以降、1991年にソビエトが崩壊してからは、ほかの多くの工場と同じように荒廃したが、2014年ごろから開発が始まり、クリエイティブ産業に関わる起業家やデザイナーがオフィスやスタジオをもつように。
レタープレスと紙のアートセンターである〈TYPA〉では紙づくりや活版印刷機の使い方を学ぶことができ、独立系書店〈FAHRENHEIT 451º〉ではイベントが行われていることも。〈Kolm Tilli〉でのごはんもおすすめ。Aparaaditehasのデザイナーやアーティストが一斉にスタジオやギャラリーをオープンする日もある。
では、なぜ今、エストニアのタリンに工場跡地を活用したリノベーションが増えているのだろう。タリンを拠点に活動している建築家・林知充さんに、エストニアのリノベーション事情やまちづくりの歴史について話を訊いた。
タリン市内のトンディというエリアにあるオフィスコンプレックスの一部。1915〜16年に建てられた元兵学校の管理・サウナ棟をオフィスにリノベーションした。
Park Tondi Office Building Complex, HGA, 2022-2024
© Tonu Tunnel
上記で紹介したタリンにある6つの旧工場地区。それぞれの工場は、時代ごとに増築している場合もあるが、古い建物は19世紀後半から20世紀初頭にかけて建てられている。そもそも、どうしてこの時期に多くの工場が建てられたのだろう。
林
ときはロシア帝国時代から第一次エストニア独立時代にかけて。エストニアの産業が手工業から工場での大量生産へと移り変わった頃で、手狭になった工場がより広い土地を求めて開拓したのが、旧市街からも近く港に面した北タリンだったのだと思います。当時のエストニアでは、バルト・ドイツ系の人びとの力が強く、資本をもっていた彼らが実業家となって新しいビジネスを始め、さまざまな工場を建てました。なかにはパリ万博に出品したりと、帝国内だけでなく、ヨーロッパにもマーケットを広げていた企業もありました。
© Joosep Ints
そして1918年にはエストニア共和国として独立するが、しばらくの平穏な時代をへて、それから世界は戦争へと向かっていく。エストニアは1940年にソビエト連邦に併合され、バルト・ドイツ系の人びとは工場を含めた私有財産を手放し、国外に出ていくこととなった。ソビエト時代にも国有工場として工場は稼働していたが、1991年についに再独立を果たした後、工場などの私有財産はもとの所有者へ戻された。しかし、時代の変化もあって多くの工場は再開するにいたらなかった。使われなくなった工場は放置され、廃墟化していき、治安もあまりよくない場所になったという。ただ、ディベロッパーにとっては魅力がない場所ではなかったという。
クルッリ地区に残る工場跡のひとつ。
© Tomomi Hayashi
林
工業地域は地権者が少なく、数人の地主が大きな面積を所有しているケースが多いので、大規模な開発がしやすいという利点があります。最初に成功したのはロッテルマン地区ですね。今までは工場として立入禁止だった場所を人の行き来する場所に変えるために、敷地全体の50%を住宅、もう50%を商業(オフィス・店舗など)という職住近接のまちづくりをしました。それにタリンの流入人口は年間およそ5,000人。その人たちのためにも、住宅を供給しないといけないという事情もあります。2000年代後半にロッテルマンの事例がうまくいったのを皮切りに、ほかの工場地区にも再開発の波がやってきました。
タリンの旧工場地区では、工場群を取り壊して新しい建物を立て直すのではなく、元の建物を残す形で開発を行う傾向にある。その第一の理由として、工場群の一部は国の文化財に指定されているからだ。
林
とくにライムストーン(石灰岩の一種)が使われている建物に価値が置かれています。エストニアの北側は地面を掘るとライムストーンが出てくるので、昔はライムストーンを積んで建物をつくっていました。ライムストーンを使った建築は、ロシア帝国時代から第一次エストニア独立時代につくられた建築の特徴。ソビエト時代には、シリカ系のライトグレーのレンガが建築に使われました。使われている素材によってその建物がどの時代に建てられたかわかるんです。
林さんが共同主宰する会社の事務所内。ロッテルマン地区の隣の街区にあり、ここも元工場の建物。
© Tomomi Hayashi
個々の歴史的な建物の保存や改修に関する方針はタリン市の文化財保護局が決めていて、外壁を残すことや、増築・改築する部分に関してももともとの建物の大きさやシルエット、窓の位置などをできるだけ再現することが求められる。このように第二次世界大戦より前の建物は積極的に保護するが、一方でソビエト時代の増築部分は撤去を勧める場合が多いという。
林
戦火で建物が失われたり、傷んで取り壊されたりすることも多く、古い建物が残りそれを使い続けられることは貴重なことです。そして、戦前の建物や町並みには自分たちのアイデンティティーを形作る、歴史的・文化的な価値が見出されており、すごく大切にされています。ソビエト時代に建てられたものに対してはまだ「態度がはっきりしていない」感じです。
おそらくエストニアの人たちは、ライムストーンを使った建物にはノスタルジーを感じているんじゃないかと思います。素材がエストニア北部のものというのもありますし、エストニアが最初に独立した時代の建物だから、自分たちのアイデンティティを感じるのだと。反対に、ソビエト時代に建てられた建物に対しては、辛い記憶が刻まれていて嫌な感情をもつ人も年配の方のなかにはいらっしゃいます。
古い建物を残し、リノベーションすることは、もともとあった土地の文脈を今につないでいくことでもある。この重要性が再認識されたのは、1970年代以降に歴史的連続性を尊重するポストモダニズム的な建築観が広まってからだと林さんは話す。
林
すべて新築でなく、古いものを生かしながら、周辺の既存の文脈を圧倒しないように建築をつくるというアプローチが社会的にも好まれています。そしてグローバル化した世界では、それぞれの街がもっている特徴をうまく生かして、住んでいる人も訪れる人も「いいな」「気持ちが弾むな」と思える街にしていくことが、国際的な競争力にもつながり、観光資源にもなります。
1912年に建てられた元家具工場の機械棟をリノベーションした、ルッテル地区にあるオフィス。
Renovation of the Machinery Hall of A.M. Luther's Furniture Factory, HGA, 2015-2017
© Tonu Tunnel
林
たとえば、15年くらい前だと、友人がタリンに遊びにきたときに、旧市街を回った後は「どこへ行こうか?」と行き先を悩みましたが、今はこうした個性豊かなリノベ工業地域がありますし、タリンの新しい見所になっていると思います。工場地区がつくられたのと同じタイミングで、工場で働く人たちが田舎からやってきて自分たちでつくった集合住宅の並ぶエリアもあって近代産業遺産をかたちづくっています。代表的なものがカラマヤというエリアですが、その木造住宅の町並みを歩くのもおすすめです。
カラマヤ地区のヴァルゲヴァセ通り。
© Dan Mikkin / Tallinna Linnamuuseum
林
エストニアでは「この建物やエリアはいつの時代にできたか」とか「どんな理由でまちづくりが始まったか」など、地域や遺構に対して一般の人でもある程度の理解があると感じています。さまざまな時代に建物がつくられているので、タリンの街並みはまるで「歴史の教科書」。建物や街並みがもつ歴史的な背景を感じながらエストニアの人は生活している気がしますね。
もし一つの時代にものすごくお金があって、力があったら、そのときの様式や考え方で街をつくり変えてしまうことができたと思いますが、タリンにはお金がなかったので大規模な破壊から免れられたと説明してくれる友人もいます。全体的には統一感がなく雑多に見えますが、実は地域ごとに特徴があり、「コラージュ」のような街になっています。私はこの街並みのコラージュがおもしろいなと思って住んでいます。
ゆっくりと進行している元要塞の再生プロジェクト。監獄として使われていた時代を伝える博物館部分は来年公開予定。
Reconstruction of Patarei Sea Fortress, HGA + Achitect 11+ Väli., 2021-
© Tomomi Hayashi
中世の教会や民家から、第一次エストニア独立時代前後の工場や木造住宅、そして古い建物をリノベーションした建物まで、タリンにはさまざまな時代の建築がコンパクトにまとまっている。建築がまるで語りかけてくるようなタリンの街並みをぜひ歩いて楽しんでほしい。
林知充(はやし・ともみ)
建築家、ハヤシ・グロシュミット・アルヒテクトゥール (Hayashi-Grossschmidt Arhitektuur)共同主宰、タリン応用科学大学 (TTK University of Applied Sciences) 建築学部教授。エストニア・タリン在住。横浜国立大学工学部建築学科卒業、米国ヴァージニア工科大学大学院建築学修士課程修了。ラファエル・ヴィニョーリ・アーキテクツ勤務後、2001年エストニア・タリンに渡り設計活動を開始。「エストニア国立博物館 (2016)」において ローカルアーキテクトとしてDorell Gotmeh Tane / Architectsと協働。他、マスタープランの提案、既存の建物をアダプティヴ・リユースするプロジェクトも多数手掛ける。
建築家、ハヤシ・グロシュミット・アルヒテクトゥール (Hayashi-Grossschmidt Arhitektuur)共同主宰、タリン応用科学大学 (TTK University of Applied Sciences) 建築学部教授。エストニア・タリン在住。横浜国立大学工学部建築学科卒業、米国ヴァージニア工科大学大学院建築学修士課程修了。ラファエル・ヴィニョーリ・アーキテクツ勤務後、2001年エストニア・タリンに渡り設計活動を開始。「エストニア国立博物館 (2016)」において ローカルアーキテクトとしてDorell Gotmeh Tane / Architectsと協働。他、マスタープランの提案、既存の建物をアダプティヴ・リユースするプロジェクトも多数手掛ける。
橋本安奈(はしもと・あんな)
編集者。Päike(パイッケ)編集室主宰。エコ&ソーシャルマガジン『ソトコト』編集部、トラベルカルチャー誌『TRANSIT』編集部に在籍したのち、独立。2022年よりエストニアのタルトゥ大学(修士)にて民俗学やエスノロジーを学ぶ。新潟にあるデザイン会社U・STYLE所属。
編集者。Päike(パイッケ)編集室主宰。エコ&ソーシャルマガジン『ソトコト』編集部、トラベルカルチャー誌『TRANSIT』編集部に在籍したのち、独立。2022年よりエストニアのタルトゥ大学(修士)にて民俗学やエスノロジーを学ぶ。新潟にあるデザイン会社U・STYLE所属。