「旅からみたイラン」
ヴェールに包まれた
イラン女性の素顔

web特集|「わたしがみたイラン」

「旅からみたイラン」
ヴェールに包まれた
イラン女性の素顔

People: 林 紗代香(TRANSIT統括編集長)

TRAVEL&LIVE

2026.03.22

4 min read

西アジアの高原に位置する「イラン」。古代にはペルシア帝国として栄え、絨毯、詩、音楽といった美しい固有の文化を今に伝えている。イスラーム、革命、核開発、石油資源、そしてアメリカとイスラエルとの攻防──そんな言葉が浮かぶかもしれないが、イランの日常はいったいどんな姿をしているのだろう。 彼の国を旅した人、文化を伝える人たちに、「わたしがみたイラン」の話を訊いた。

2014年、イランを旅したTRANSIT編集部の紀行文をここに。

Photo : Hiroko Matsubara

Text: Sayoka Hayashi (TRANSIT)

「テヘランに黒い雨」「首相がイランを非難」「イラン小学校へ爆撃」。そんな文字がニュースのヘッドラインに並ぶたび、胸がぎゅっと締めつけられる。
 
私がイランを訪れたのは12年前のこと。イスファハーンのイマーム広場は壮大で、シーラーズのマスジェデ・ナスィーロル・モスクは幻想的で。なんて美しい場所なんだろうと、イランでしか見られない景色に心が躍った。そして、今よりもSNSが一般的ではなかった時代、イランに対して近づき難いイメージをもっていたけれど、そんな不安を吹き消すように、イランで出会った人はみな旅人を心あたたかく迎えてくれた。
 
だから、今回のイランをめぐる有事で真っ先に思い浮かんだのは、そんなイランの人たちのやさしい眼差しだった。彼女たち、そして私たちのささやかな日常がつづくことを願って、以前に綴った文章を再掲したい。

*『美しきイスラームという場所2015』の再編集記事を掲載しています

渡航前、イラン行きを告げた友人や家族は「大丈夫なの?」と表情を曇らせた。TVや新聞、インターネットで知る中東関連の話題は不穏なニュースばかり。ヒジャブやチャドルで身体を覆う女性の姿はとらえ難く、自らを重ねることはできない。でも、だからこそ知りたい。イランに生きる女性たちの素顔を──。
 
テヘラン空港への到着を知らせるアナウンスが流れると、女性の搭乗客はぱらぱらと席を立った。手提げ鞄からスカーフの類を取り出し、慣れた手つきで頭部を覆う。あ、もうスカーフ巻かなきゃいけないのかと、女性たちが身支度を整える様子に、早くもイランへ来たことを実感する。
 
厳格なイスラームの教えに則り、女性たちは肌を隠し、頭髪は「ヒジャブ」と呼ばれるスカーフで覆うことが法律で定められているイラン。それは外国人旅行者にも義務づけられていて、入国審査前、飛行機を降りる時にはすでに着用している必要があるのだ。日本から持参したスカーフをあわてて取り出し、とにかく頭髪を隠さなければと見よう見まねでほっかむりにし、ヴェールに包まれた国、イランへ足を踏み入れた。

シーラーズにあるマスジェデ・ナスィーロル・モスク。ステンドグラスから差し込む光がバラの装飾を彩る。

イラン第2の都市イスファハーンのザーヤンデ川に架かる橋で出会った女性は、全身をチャドルで覆っていた。

交通渋滞と人びとでごった返すテヘランの喧騒をすり抜けて、向かった先は古都イスファハーン。荘厳なモスクや宮殿で囲まれたイマーム広場を、ぐるりと一周する。ラマダン月に、真夏の太陽の下を歩いている者は少ない。40℃近い暑さと陽射しを避けて、木陰で涼をとる家族の姿が微笑ましい。礼拝を呼びかけるアザーンがこだまし、モスクや宮殿が陽炎のように幻想的に浮かび上がる。こうして、なんだか天国みたいだなぁと、ふらふらと夢見心地で歩いていたときだった。「DownUSA」「DownIsrael」と書かれたフラッグが目に飛び込んできた。
 
訪れた2014年7月は奇しくも、イスラエルがガザを攻撃し戦闘が始まったとの情報が、日本でも連日ニュースになっていた。1979年のイラン・イスラーム革命で、それまでの親欧米派路線から厳格なイスラーム国家へと舵を切ったイラン。シーア派イスラームを国教と定めるゆえに周辺のスンニ派国と対立し、核兵器を開発しているとアメリカから経済制裁を受け、同盟国であるイスラエルとも敵対しているのが現状だ。なかなか大変な国にやって来たと、このときにようやく気の引き締まる思いがした。

陽射しを避け芝生で団欒中の家族。地方ではまだ女性のみで行動することが多い。イスファハーンにて。

たびたび問題となるイランにおける女性蔑視や迫害のニュースが、イスラームのそのほかの国でも日常的に行われていることなのか、国際非難を煽るためのアメリカ側のプロパガンダによるものなのかはわからない。しかし、そうした“ニュースとなるべき出来事”からは、女性たちの素顔は見えてこない。いったい彼女たちは、どんな思いで暮らしているのだろう。

イスファハーンの書店で本を探していた女性。現在イランではほぼ男女同等の教育が受けられるのだそう。

市内バスでは、前方が男性、後方が女性専用シートになっている。「あなたどこから来たの?」と話しかけてきた女性はアフガン難民だった。

イランの女性が描く未来。

「男女同様に教育が受けられるので、満足しているわ。今の仕事も気に入ってる」
 
テヘラン市内の旅行会社で働く29歳のナスリンは、女性であることが窮屈だとは思わないと言う。聞けば、イラン革命で服装の規定は厳しくなったが、政府は女性の社会進出を奨励しているのだという。現在、高等教育を受けている全体の約65%が女性であるとのデータもある。
「国際的には低いかもしれませんが女性の社会進出はイスラーム国家のなかでは高いといえるでしょう。大学進学率も伸び、この15年ほどは、外で働く女性も増えました。なまけものの男性と違って女性のほうが勤勉ですから」。そう苦笑いを浮かべるのは、ナスリンの友人である40代半ばの男性だ。ホテルの受付、工芸品制作を行う職人工房、カフェ、バスの切符売り場、ブティック、カメラのラボ……。彼が言うように、街のそこかしこで生き生きと働く女性に出会った。

テヘラン市内のカフェ。欧米風のモダンな店内でも、もちろん女性はヒジャブを着用。

一方で、彼女たちにまったく不満がないかといえば、それは一概にはいえない。
 
「絶対にスカーフをとってはダメよ。裸を見せているのと同義だから、仮に何かあってもあなたの責任になってしまうわ」とは、ホテルで出会った年配の女性の言葉。でも暑いわよねぇ、と手うちわで顔を扇ぎ、眉をひそめた。都市部では、カットソーにスリムパンツ姿といった、ヒジャブを着用している以外は西洋人と変わらない服装の若者も多い。
 
しかし本来は体のラインが隠れるようにチャドルを纏い、たっぷりとしたパンツ姿が基本だ。だから、TVドラマや映画のスクリーンに映し出されるイランの女性たちはみな、お手本にならった姿で登場する。“乱れた”服装が政府の目に触れたなら、処罰されてしまう可能性もあるからだ。ヒジャブを被らなければいけないことへの不満はあるかとの問いに言及を避けた女性も多かったが、ヒジャブからほんの少し前髪を出し、ピタリとしたデニムパンツをはき、法律ギリギリのお洒落を楽しんでいる姿は、彼女たちの抵抗を少なからず物語っていた。

3人乗りバイクにカメラを向けると、女性がにこやかに手を振ってくれた。イランの人は本当にフレンドリー。

旅の終わり、ラマダン明けの礼拝で知り合った家族が自宅に招いてくれた。出会う人がみな親切でフレンドリーだったこともあり、この頃には、人びとに対する警戒心はほとんどなかった。母親と姉妹の後についてマンションの一室へ足を踏み入れると、母親も娘もヒジャブをとり、ゆるやかにウェーブがかった長い髪をなびかせた。
 
「家の中ではスカーフをしなくてもいいのよ。暑かったでしょう、どうぞくつろいで」
 
母親は身振り手振りでスカーフをとっていいのだと促し、突然の来客をお茶菓子でもてなしてくれる。20年も前の結婚式のアルバムを引っ張りだした母親は、写真に写る白いドレスの娘を指して「これは私よ」と誇らしげに胸を張る。16歳の姉ビータが流暢な英語で通訳をすると、英語を習い始めたばかりの11歳の妹ザッハロは、にこにことYesだとかBeautifulだとかの英単語を後に続ける。はじめは、知り合ったばかりの家族の自宅にお邪魔して(その後、祖母の自宅で夕飯もごちそうになった!)、世間一般のたわいもない話や身の上話をしていることに不思議な心地がしたけれど、しばらくするとごく自然なことのようにも思えた。将来の夢は何かとビータに尋ねると、「医者になりたい」と彼女は言った。
 
プライドをもって働く女性、お洒落をしたいと望む若者、客人をもてなしてくれる母親に、医者になりたいと願う少女。こうした、彼女たちの意志や行動、なんてことのない日常は、決してニュースで取り上げられることはないだろう。わたしは彼女たちに過去、現在、未来の自ら、あるいは友人や家族を重ねあわせた。
 
ヴェールをめくったイラン女性の素顔は、わたしたちといったい何が違うというのだろう。

シーラーズにある、マスジェデ・ナスィーロル・モスク。彩色タイルで複雑に装飾された入り口のイーヴァーン。

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Yayoi Arimoto

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