特集:月刊TRANSIT

Count Down to INDIA
みんなのインド旅計画

2025.01.01

15 min read

毎月1つの主題で旅する「月刊TRANSIT」。今月のテーマは「みんなのインド旅計画」! 宗教も言語も人種も風土も多様。混沌としていてローカルルールも色濃く残るインド。お腹を壊したり、騙されたり(編集部員たちも経験済み)……彼の地を旅するのは、一筋縄ではいかない部分も多いかもしれない。 それでも一生に一度は行きたい。はまったら何度だって行きたい。ほかに代わりのきかない唯一無二の国、インドを旅したい! そんな人に向けて、インドを旅してきた人たちの声をもとに「みんなのインド旅計画」をしたためました。

Photo : Isao Nishiyama

行ってみたいな
インドの東西南北10都市

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

行ってみたいな
インドの東西南北10都市

TRAVEL&LEARN&EAT

2025.01.15

10 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

日本の国土面積の約 8.7 倍を誇るインド。初めてでも何度目かのインドだったとしても、どこに行こうか楽しい悩みが尽きない国だ。インド旅を計画中の人に向けて、まずは訪れたい東西南北のインド10都市を眺めるところからはじめてみよう。

Text:TRANSIT

北インド/North India

その1/デリー(Delhi)〜混沌に包まれるインドの玄関口

© SONICWAVE

13世紀に中央アジアから南下してきたイスラーム勢力がインド亜大陸へ侵攻すると、デリーはイスラーム王朝の首都として徐々に発展していった。やがてイスラーム勢力の集大成であるムガル帝国が成立し、第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代には国の中枢となって、現在のオールドデリー周辺にラール・キラーやチャンドニー・チョウク、ジャーマー・マスジドなどができる。1911年には英領インドの首都がカルカッタから再びデリーへ移り、コンノート・プレイスを中心とした放射状の街並みに、官庁街やイギリス人居住区を配したニューデリーが誕生した。現在は外資系チェーンも多く集まるコンノート・プレイスと、屋台や商店がびっしり並んだチャンドニー・チョウクのコントラストは鮮烈。インドの混沌を体感するなら、まずはオールドデリーへ直行したい。ただし空港やニューデリー駅を出た瞬間に押し寄せる客引きや詐欺にはご注意を。インドの玄関口からすでに旅行者は試されている。
 
 
所在地|デリー連邦直轄領
公用語| ヒンディー語
主な玄関口|飛行機:インディラ・ガンディー国際空港/鉄道:ニューデリー駅
アクセス|成田から飛行機で約10時間/バンコクから飛行機で約4時間30分
 
 

デリーで行きたい場所

  • ラール・キラー/Lal Qila

    1639年から9年の歳月をかけて築か れた赤砂岩の城。第5代皇帝のシャー・ ジャハーンによって建設され、Red Fort(赤い砦)とも呼ばれる壮麗な姿はムガル帝国の象徴的な存在となった。精緻なレリーフや鮮やかな壁画が施された謁見の間や、大理石で造られたモスクまで、その佇まいは「地上の楽園」の名にふさわしい。

    ©SONICWAVE

  • ジャーマー・マスジド/Jama Masjid

    シャー・ジャハーンの勅令により、 1656年までに6年の歳月をかけて建立されたモスク。建設には 5000人の職人が動員され、大理 石と赤砂岩を組み合わせたファサードやシンメトリーに配置されたミナレット(尖塔)など、重厚さと優美さを兼ね備えた佇まいは建築としても見応え十分。広大な中庭は約2万5000人を収容できる。

    ©SONICWAVE

  • クトゥブ・ミナール/Qutub Minar

    1192年、現在のアフガニスタンを治めたゴール朝のクトゥブ・ウッディーン・アイバクが北インドを制圧した記念に建立したミナレット。5層からなる高さ72.5mの巨大な塔はイスラームの勢力誇示の意味合いが強く、これがイスラームのインド支配の幕開けとなった。そばのモスクは破壊したヒンドゥー寺院の石材を再利用している。

    ©SONICWAVE

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その2/バラナシ(Varanasi)〜もっとも「死」に近い場所

© Isao Nishiyama

母なる大河ガンジスを臨むインド最大の聖地。5世紀にはバラナシの中枢となるヴィシュワナート寺院が建立され、シヴァ信仰の中心地としてその地位を不動のものとする。しかし、12世紀末にイスラームが台頭するとヒンドゥー教寺院は破壊され、代わりにモスクが建立されていった。現在の街並みはムガル帝国の弱体化とともにヒンドゥー教のマラーター王国が勢力を増し、ヴィシュワナート寺院が再建された18世紀に造られたもの。再び栄華を取り戻したバラナシは、インド中のヒンドゥー教徒や世界中の旅人にとってもあこがれの聖地となった。この地で死を迎え遺灰がガンジス河に流されれば解脱できるという信仰から、バラナシには死期を悟ったヒンドゥー教徒がインド全土からやってくる。そしてここで荼毘に付され、母なる大河へ還ることはヒンドゥー教徒にとって無上の喜び。死がもっとも身近にありながら悲壮感とは縁遠いこの街は、これまでの死生観を根こそぎひっくり返してくれる。
 
 

所在地|ウッタル・プラデーシュ州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ラール・バハードゥル・シャーストリー空港/鉄道:バラナシ・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道で約12~17時間
 
 

バラナシで行きたい場所

  • マニカルニカー・ガート/Manikarnika Ghat

    ガンジス河に面した火葬場であり、もっともバラナシを象徴する場所。現在も伝統的なヒンドゥー教の火葬儀式が行われている。18世紀、イギリス東インド会社が火葬場の郊外移転を計画するが、住民の猛反対を前にあえなく頓挫。「火葬場が街のために存在するのではない。街が火葬場のために存在するのだ」という言葉が残されている。

    ©︎Isao Nishiyama

  • ダシャーシュワメード・ガート/Dashashwamedh Ghat

    80以上あるガート(沐浴場)のほぼ中央に位置し、常に巡礼者や観光客で賑わうガート。しつこい客引きをすり抜けた先には、罪や穢れを清めるため人びとが沐浴するバラナシらしい景色が広がる。毎晩日没後から行われるプージャー(祈り)の儀式は必見。河に花を浮かべ、祈りを捧げる姿に古代から受け継がれる人びとの信仰を想う。

    ©︎Isao Nishiyama

  • ケーダール・ガート/Kedar Ghat

    ガートの名は、ヒマラヤ四大聖地のなかでもっとも標高の高 い場所に位置するケーダールナート寺院を勧請してこの地に建てられた同名の寺院に由来。御神体は山型のピンダと呼ばれるもので、インド最北部ゆかりの寺院ながら南インドとの結びつきが強い。ゆえに南部からの巡礼者も多く、何日もかけてこの聖地へやってくる人びとの信心深さに心打たれる。

    ©︎Yusuke Abe(YARD)

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その3/チャンディーガル(Chandigarh)〜2人の建築家によるモダン都市

© Yusuke Abe(YARD)

ハリヤーナー州とパンジャーブ州の2つの州の共通州都。1947年のインド・パキスタン分離によってパンジャーブの州都ラホールがパキスタンに編入された際、チャンディーガル市の建設が決定。伝統にとらわれない近代的な都市にすることを目指し、新生インド政府が指名したのがモダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェだった。街は57のセクターに分けられ、セクター1のキャピトル・コンプレックスは2016年に世界遺産に登録された。しかしこの都市計画は、もう一人の建築家ピエール・ジャンヌレを抜きにしては語れない。コルビュジェが依頼を引き受ける条件としたのが、従兄弟であるジャンヌレを現場監督として起用すること。彼はコルビュジェが去った後もチャンディーガルに残り、計画遂行のために指揮をとった。現在インド政府が文化財として保護しているジャンヌレの椅子もこの時生まれたもの。無機質なモダニズムデザインの建物には、木の温もり溢れるジャンヌレの家具がよく似合う。
 
 
所在地|チャンディーガル連邦直轄領、パンジャーブ州、ハリヤーナー州
公用語|パンジャーブ語ほか
主な玄関口|飛行機:チャンディーガル空港/鉄道:チャンディーガル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道(特急)で約3時間30分/ムンバイから飛行機で約2時間30分
 
 

チャンディーガルで行きたい場所

  • 州議会議事堂/Vidhan Sabha

    コンクリートの迫力ある造形が印象的。エ ントランスはヒマラヤに向けて開かれ、大きな曲線を描いた屋根が覆い被さる。人びとを暑さから守るその断面は頭を垂れる牛の角を想起させ、インドの風土を愛したコルビュジェらしさが感じられる。高等裁判所 や行政庁舎とともにツーリストインフォメーションから出るツアーで見学が可能。

    ©︎Yusuke Abe(YARD)

  • 行政庁舎/Secretariat

    州都に必要な省庁を一つにまとめたキャピトル・コンプレックス最大の建築。粗いコンクリートで造られ、コルビュジェ の象徴である「ブリーズ・ソレイユ」のファサードが異彩を放つ。日々3000人が働く長さ254m、高さ42mのオフィスビ ルは、まるで一枚の巨大な壁のよう。屋上からはコルビュジェ の計画都市が見渡せる。

    ©︎Yusuke Abe(YARD)

  • ピエール・ジャンヌレ博物館/Pierre Jeanneret Museum

    スクナー湖畔にあるジャンヌレのかつての邸宅を博物館に改装。赤褐色のレンガなど、この地域特有の材料で造られた建物は厳しい気候にも適応している。インドの風土を大切にしたジャンヌレから、持続可能なライフスタイルのヒントが得られるかも。

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西インド/West India

その4/ジャイプル(Jaipur)〜マハラジャの風格漂うピンクシティ

© Eriko Kaji

タール砂漠を擁するラージャスターン州の州都・ジャイプル。「ラージプートの土地」を意味するラージャスターは、その名の通りこの地一帯を支配したラージプートの人びとの故郷だ。その一族であるカチワーハ家が11世紀にアンベール王国を興し、現在のアンベール(アーメール)城の地に首都を置く。1727年には人口増加や水不足などを理由に、11㎞離れた現在の旧市街の地へ首都を移転。今もマハラジャの暮らすシティ・パレスを中心に、7つの門をもつ城壁で周囲をぐるりと囲み、その内側に碁盤の目状の区画を配した北インド初の計画都市、ジャイプルが誕生した。ピンクシティの由来であるローズピンクの街並みは、イギリス統治時代の1876年にジャイプルを訪問したイギリス王子を歓迎するため、街全体をピンクに塗ったのが始まりとされる。絢爛豪華な建造物が立ち並び、四方に色彩が溢れる街は王都の名にふさわしく、隅々まで見どころが尽きない。手工芸の街でもあり、初めてのインド旅にも断然おすすめ。
 
 
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイプル国際空港/鉄道:ジャイプル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道で約4時間30分~5時間/ムンバイから飛行機で約2時間
 
 

ジャイプルで行きたい場所

  • ハワー・マハル/Hawa Mahal

    シティ・パレスの東側に立つジャイプルのランドマーク。蜂の巣のような格子をはめた出窓が連なる建築は、宮中の女性たちが顔を見られることなく街を見下ろせるようにと造られた。一見重厚そうな建物は看板建築のような薄さで、風を意味する「ハワー」の名の通りの風通しのよさ。最上階からは旧市街が一望できる。

    ©︎SONICWAVE

  • ジャンタル・マンタル/Jantar Mantar

    天文学に造詣のあったサワーイー・ジャイ・シン2世が手がけた天文台。ペルシアやヨーロッパの書物などを参照して築いた5つの天文台のうちの一つで、ジャイプルのものがもっとも巨大で保存状態がよく、20ある観測儀のうちいくつかは今も現役で使用されている。20秒単位で時間を計測できる日時計などもあり、その精度には舌を巻く。

    ©︎SONICWAVE

  • サンガネール村/Sanganer

    ジャイプル市街地から16㎞ほど南にあるブロックプリントの一大産地。17世紀からサラスヴァティ川の周辺に職人たちが集まり、マハラジャや寺院向けのテキスタイルがこの地で生産されてきた。村に残るいくつかの工房では、職人が真っ白な布に木版で一つひとつ柄を手押ししていく光景が見られる。通りに面した工房では職人が木版を彫る場面も。

    ©︎Yuya Shiokawa

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その5/ジョードプル(Jodhpur)〜城塞に抱かれるブルーシティ

© Yuya Shiokawa

タール砂漠の入り口にあたる、ラージャスターン州第二の都市。1475年にラージプートの一族であるラートール家の王がこの地をマールワール王国の首都に定め、壮大なメヘラーンガル城塞を築いたのがこの街の歴史の始まり。ジャイプルの「ピンクシティ」に対して「ブルーシティ」と呼ばれ、旧市街には外壁が青く塗られた家々が立ち並ぶ。なぜブルーなのかは諸説あり、バラモン階級の家を判別しやすいように青く塗ったとか、蚊を寄せつけない効果があるからなどといわれるが、いずれも判然としないところがインドらしい。拠点にしたいのはイギリス王子の訪問を記念して建てられたクロック・タワーと、その周辺に広がるサルダール・バザール。ここからメヘラーンガル城塞まで迷路のような旧市街が広がり、ヘリテージホテルや邸宅を改装したホテルなど雰囲気のよい宿も多い。ジョードプル駅前の客引きはデリーの駅や空港にも引けを取らない強引さなので、目的地まではUberの利用が賢明。
 
 
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジョードプル空港/鉄道:ジョードプル駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道(急行)で約10~13時間/ムンバイから飛行機で約1時間50分/ジャイプルから鉄道で約5~6時間
 
 

ジョードプルで行きたい場所

  • メヘラーンガル城塞/Mehrangarh Fort

    ジョードプルの街を見下ろす、インド随一の荘厳な砦。最大で高さ36mにも達するという城壁と、その内側に広がる壮麗な宮殿の数々に終始圧倒される。砦は現在もマハラジャの所有で、16~19世紀に建てられた各宮殿の一部は博物館として公開されている。ブルーシティの街並みと、広大なタール砂漠を望む展望台からの眺めも圧巻。

    ©︎Yuya Shiokawa

  • ジャスワント・タラー/Jaswant Thada

    1899年、マハラジャのジャスワント・シン2世を偲んで息子のサルダール・シンが築いた霊廟。大理石を用いた白亜の建築は、王家の墓らしく全体的に優美な印象を与えている。周囲には一族の墓もあり、敷地内はジョードプルの喧騒が噓のように穏やか。手入れされた庭も美しく、高台から見るメヘラーンガル城塞の姿も見事。

    ©︎Yuya Shiokawa

  • トゥールジーの階段井戸/Toorji's Step Well

    旧市街の真ん中に突然現れる階段井戸。ラージャスターン やグジャラート地方に多く見られる階段井戸のなかでも、これだけ街中にあるものは珍しい。18世紀半ばに当時のマハラジャ、アバイ・シンの妃が建設したもので、相当な深さながら防護栅などの設置は皆無。井戸へダイブする現地の人も見られるが、上から眺めるのが無難かも。

     

    ©︎Navaneeth Kishor

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その6/ジャイサルメール(Jaisalmer)〜金色に輝く砂漠の至宝

© Yuya Shiokawa

ジャイプルやジョードプルと同様、ラージプートの一族が建設した砂漠の中のオアシス都市。12世紀、旧都ラウドルヴァーへのイスラームの侵略や水源不足を理由に、ラーワル・ジャイサル・シン王がこの地に都を移転した。古くから東西貿易の中継地として賑わいを見せ、高級シルクや香辛料をラクダで運ぶキャラバンから税を徴収することで街は大いに繁栄。莫大な富を得た商人や貴族たちがこぞって建てた大邸宅が現在も多く残っている。ピンクシティ、ブルーシティに並びゴールデンシティと称される所以は、この地方で採掘される黄砂岩による建築群。城壁から宮殿、邸宅や民家にまで用いられ、街全体が独特の黄色味を帯びている。今も城壁内に人びとが暮らす街のシンボル、ジャイサルメール城で往時の面影を感じたら、ほぼ100%観光客が体験するキャメル・サファリへいざ。ラクダ乗り体験のみのプランや、砂漠の真ん中で眠るプランもあるので宿泊先に問い合わせてみて。
 
 
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイサルメール空港/鉄道:ジャイサルメール駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分/ジョードプルから鉄道(急行)で約5~6時間30分
 
 

ジャイサルメールで行きたい場所

  • ジャイサルメール城/Jaisalmer Fort

    圧巻の城壁を誇る砂漠のシンボル。城内には現在も数千の人びとが暮らし、かつての王家の居城を博物館として公開するフォート・パレスや、見事な彫刻が施されたジャイナ教寺院など豪華な建築が並ぶかと思えば、民家の軒先では洗濯物がはためき子どもたちがはしゃぐ光景が見られる。展望台から望むゴールデンシティの眺めは爽快。

    ©︎Yuya Shiokawa

  • クーリー村/Khuri

    市街地から50㎞ほど南にある砂漠の村。村内には女性たちの手によって外壁に赤、白、黄色など幾何学的な模様が施された民家が立ち並び、道端では鮮やかなサリーをまとった女性たちが、頭に壺をのせて行き交う光景が見られる。色に乏しい砂漠の真ん中で、民家の壁と村の女性たちの衣装の華やかさは際立っている。

    ©︎Eriko Kaji

  • サム砂丘/Sam Sand Dune

    パキスタンとの国境から約50㎞のところにある、外国人が行ける範囲では最大の砂漠。多くのキャメル・サファリはここで行われ、 周囲にはリゾートホテルやグランピング施設も多く見られる。砂丘は街中から車で1 時間ほどの場所にあるので、訪れる場合は宿泊するホテルや地元の観光業者が主催するツアーに申し込もう。

    ©︎Yuya Shiokawa

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南インド/South India

© Kentaro Hasegawa

その7/チェンナイ(Chennai)〜誇り高き南インドへの入り口

小さな漁村にすぎなかった街が、世界史の表舞台に登場するのは17世紀のこと。イギリス東インド会社が、綿花栽培地帯に近いこの地に要塞を築き上げると、貿易の拠点として重宝され、のちにインド4大都市に数えられるほどの発展をみせる。チェンナイを中心とするタミル・ナードゥ州は、南インド固有のドラヴィダ文化の宝庫。北インドとは違ってイスラームの影響を受けず、インダス文明以来の伝統がより純粋に残っている。ローカルの人びともその誇りを受け継ぎ、デリーの中央集権に抵抗の姿勢を見せてきた。英語名「マドラス」から「チェンナイ」に改称。現在は古きよき伝統と都会的なカルチャーが息づく文化都市として観光客を惹きつける。古代の寺院建築に古典舞踊、インド最大規模の古典音楽フェス。映画館やミュージアムも充実しているため、長期滞在者も飽きさせない。そしてこの街にはマリーナ・ビーチがある。喧騒に疲れたら海へ出かけて、ベンガル湾の潮風を感じよう。
 
 
所在地|タミル・ナードゥ州
公用語|タミル語ほか
主な玄関口|飛行機:チェンナイ国際空港/鉄道:チェンナイ・セントラル駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/ムンバイから飛行機で約2時間/コチから鉄道(急行など)で約12~19時間
 
 

チェンナイで行きたい場所

  • マリーナ・ビーチ/Marina Beach

    世界でも有数の長さ(約6㎞)を誇るビーチへベンガル湾の潮風を感じに散歩するのもいい。オレンジイエローの砂浜が果てしなくつづき、砂漠に来たかのような景観が広がる。早朝に散歩すれば、東の水平線から昇る圧巻の朝日を見ることができる。日中は落ち着いた雰囲気だが、日が暮れると屋台が並び、ストリートフードの香りが漂う活気あるスポットに変貌する。

    ©︎Kentaro Hagiwara

  • タラ・ブックス/TARA BOOKS

    今やインドのみならず、世界中にファンをもつインディペンデントな出版社タラ・ブックス。インドの大衆芸術家や先住民とともにつくった独自の絵本を世に送り出している。その本づくりは、紙を手て漉すきするところから印刷、製本まですべて手作業によるもの。本づくりに携わる職人のサポートも充実し、逆風吹き荒れる出版業界で健全なものづくりを行う、希望の灯のような存在だ。ティルヴァーンミュールのオフィス1階は書店になっており、芸術家を招いたイベントなども開催。ものづくりに携わるすべての人に訪れてほしい。

    ©︎Kentaro Hagiwara

  • ラーヤルス・メス/Rayar's Mess

    イギリス植民地時代に定着した英単語の一つ「Tiffin(ティファン)」。もともとは「Tea」と「Muffin」を組み合わせた古典英語で、現在では広く南インドの「軽食」を指す。クレープのようなドーサ、蒸しパンのイドリ、ドーナツの形状をしたワダがその代表格。チェンナイでそれらのティファンを楽しむなら、〈ラーヤルス・メス〉は外せない。食通によるとチェンナイでもっともうまいティファンを出すメス(食堂)だそうで、住宅街の極めて目立たない立地はいかにも通好み。土日の混雑は凄まじく、わざわざ数十㎞先からバイクを飛ばして来るインド人もいるほど。チェンナイを訪れたなら極上ティファンを味わいたい。

    ©︎Masaki Kobayashi

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その8/コチ(Kochi)〜モダンカルチャー息づく港町

© cristapper

エメラルドブルーの海と水郷地帯に囲まれた、風光明媚な水の都。天然の入り江があり、古代から海運の要塞として栄えてきた。14世紀には香辛料を求める商人が世界中から訪れ、「アラビア海の女王」と呼ばれるほどの繁栄をみせる。16世紀、ポルトガルによって初の欧州初のインド植民地となるが、その拠点がゴアに移ると、オランダとイギリスが代わって支配した。香辛料貿易を担ったユダヤ人の街、ポルトガルのカトリック教会、オランダの宮殿など、各国の面影が混在し、街並みの多様性がその歴史を物語る。コチのあるケーララ州はアーユルヴェーダ発祥の地ともいわれておりリトリートやヨーガの修行のために滞在する外国人も多い。2012年より、南アジア最大級の芸術祭「コチ・ムジーリス・ビエンナーレ」が開催されるなど、アートの拠点としても注目を集める。また、豊富な海産物も魅力。名物のフィッシュカレーは、香辛料の刺激とココナッツの甘味、魚の旨みが一体化した、まさにコチを象徴する一皿だ。
 
 
所在地|ケーララ州
公用語|マラヤーラム語ほか
主な玄関口|飛行機:コーチン国際空港/鉄道:エルナークラム・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/チェンナイから鉄道(急行)で約11~13時間
 
 

コチで行きたい場所

  • マッタンチェリー宮殿/Mattancherry Palace

    コチがたどった激動の歴史と、文化遺産が詰まった観光名所。1555年、ポルトガル人が現地の王のために建造したものだが、のちの征服者であるオランダ人の総督が使っていたことから「ダッチパレス」の別名をもつ。その後再び王に返されたため、ヒンドゥー教神話の壁画や調度品が残る。歴史期的にも美術的にも見どころ十分。

    ©︎Ingo Mehling

  • 司教の館(インド・ポルトガル美術館)/Bishop's House(Indio-Porutoguese Museum)

    1506年にポルトガル総督の住居として建てられた司教館。正面の大きなゴシックアーチが特徴で、現在はコチの司教の住まいとして受け継がれる。館内は入場不可だが、隣接するインド・ポルトガル美術館は必見。1階はコチ教区の各教会から収集された美術品などが並ぶ展示室、地下はポルトガル時代の砦の遺構となっている。

    ©︎Ingo Mehling

  • パラデシ・シナゴーグ/Paradesi Synagogue

    1568年に建立された、インド最古のシナゴーグ。かつて香辛料貿易を担ったユダヤ人たちが暮らしていたマッタンチェリー地区に位置する。イスラエル建国とともに大半のユダヤ人が去り、現在は数世帯しかいないため、礼拝を見られるかどうかはタイミング次第だ。中国製の陶器のタイル床と、ベルギーガラスのシャンデリアは必見。

    ©︎thaths

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東インド/East India

その9/コルカタ(Kolkata)〜インドの混沌を追いかけて

© Isao Nishiyama

隣国バングラデシュとともに「ベンガル」と呼ばれる地域で、1690年にイギリス東インド会社がアジア貿易の拠点を置くまで、コルカタは3つの漁村があるにすぎない牧歌的な土地だった。コルカタ(Kolkata)とは、そのうちの1つであるカーリーカタ村にちなんでつけられたもの。統治時代には英語名のカルカッタ(Calcutta)と呼ばれ、2001年、ベンガル語のコルカタに改称された。街中にはヴィクトリア・メモリアルやハウラー駅、セント・ポール大聖堂など、当時の栄華を思わせる豪奢な建築群が残っている。また、統治時代以前にこの地へ進出していたイスラームの雰囲気も色濃く、さまざまな信仰のかたちに触れられるのもおもしろい。ベンガル料理の本場でもあり、米と魚を主体にした郷土料理は馴染みやすい人も多いはず。派手な観光地はないが、ありとあらゆる物体が通りを行き交う光景は、1日中見ていても飽きない。かつて多くのバックパッカーを魅了した、消えゆくインドの姿がここにある。
 
 
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語
主な玄関口|飛行機:ネータージー・スバース・チャンドラ・ ボース国際空港/鉄道:ハウラー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/バラナシから鉄道(急行など)で約11時間30分~18時間
 
 

コルカタで行きたい場所

  • ムスリム街/Muslim Town

    コルカタのランドマークの一つ、ナコーダ・マスジドを中心に広がるムスリム地区。ムガル帝国時代のベンガル太守(ムガル・ナワーブ)の影響が色濃く残っている。周囲にはムスリムの集まる店も多く、コルカタ・ビリヤニやヨーグルトの酸味が効いたマトン・レザラなど、北インドとはひと味違うベンガル・ムグライ料理が味わえる。

  • チャイナタウン(ティレッタ・バザール)/China Town

    インドで最初に中国系移民が定着したのがコルカタ。とくに日中戦争から第二次世界大戦にかけての日本軍侵攻時に、多くの中国人がインドに流入した。当初は中国人向けに営んでいた飲食店も、統治下のイギリス人やインド人富裕層向けに発展。当時からつづく老舗も軒を連ねる。毎日開催される朝市はインド人観光客にも人気。

    ©︎Masaki Kobayashi

  • サダル・ストリート/Sudder Street

    日本をはじめ、世界中の旅人が目指してきたバックパッカーの聖地。コルカタ随一の安宿街であり、 北にはニュー・マーケット、南にはインド博物館と避けて通れないスポットが集結している。バックパッカー御用達の〈パラゴン〉をはじめ、安宿も健在。 関西弁を話す名物ガイド、サトシ(インド人)の店もあるのでぜひ立ち寄りたい。

    ©︎e2dan

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その10/ダージリン(Darjeeling)〜紅茶香るヒマラヤの町

青空に聳え立つカンチェンジュンガ山を仰ぐ世界有数の茶葉の産地。チベット語で「雷の土地」を意味するこの街は、長い間覇権争いに巻き込まれてきた。シッキム王国の支配下にあったが、18世紀後半にネパールからグルカ人が侵攻。19世紀初頭まで一帯を併合するが、インド進出の機を窺うイギリスはシッキム側につく。1814年にグルカ人は敗北しシッキム王は復権したものの、その後再びグルカ人との戦争が勃発。療養所設立を目論んだイギリスはシッキム王と交渉し、ダージリンはイギリスのものとなった。当時は原生林が広がり、1839年時点で100人足らずだった人口は1849年におよそ1万人まで増加。イギリス東インド会社は欧風のコテージを次々と建設し、お茶、コーヒーの実験栽培を導入。なかでも、斜面で茶を栽培する計画は大成功し、ダージリンを世界有数の茶葉の産地に仕立て上げた。チベット文化圏でもあり、五色の祈願旗タルチョがはためく縦長の街にイギリス時代の面影はないに等しい。
 
 
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語、ネパール語
主な玄関口|飛行機:バグドグラ国際空港/鉄道:ニュー・ジャルパーイーグリー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/コルカタから飛行機で約1時間、鉄道(特急)と乗合ジープで約15時間
 
 

ダージリンで行きたい場所

  • マカイバリ・ティー・エステート/Makaibari Tea Estates

    標高2,100mの斜面に位置する100年以上もの歴史を誇る茶園。紅茶として初めてのオーガニック認定を1993年に取得した。茶園と工場が隣接し、お茶作りの工程をガイドが解説してくれる。また、地域の伝統的な暮らしに触れられるホームステイプログラムも実施。お茶だけでなく、地域の文化そのものについて知ることができる。

  • ダージリン・ジョイ・ライド/Darjeeling Joy ride

    世界遺産にも登録されているダージリン・ ヒマラヤ鉄道、通称「トイ・トレイン」の一路線。ダージリン~グーム間の急勾配を約2 時間で往復する。1889年から1927 年の間に製造された歴史ある蒸気機関車に乗車できる貴重な機会。街中を走るため、人 びとの生活やヒマラヤの山岳風景を楽しむことができる。事前予約がベター。

  • イガ・チョリン・ゴンパ/Yiga Choeling Fompa

    ダージリン最古といわれるゲルク派の僧院。1850年にモンゴル僧のシェラップ・ギャツォにより建てられた。1959年の中国によるチベット弾圧の際には、多くの高位の僧侶が避難したという。本堂中央に坐す高さ5mの弥勒菩薩像は圧巻の一言。参拝は時計回りに進むことを忘れずに。許可証を購入すれば内部撮影も可能。

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出発前に知りたい
インド旅の準備を総まとめ!

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

出発前に知りたい
インド旅の準備を総まとめ!

TRAVEL

2025.01.15

5 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

旅行先として少々ハードルが高いインドだからこそ、情報収集と準備は入念に行いたい。ベストシーズンや入国に必要なVISAの申請方法、必需品など、まずは旅の基本情報をまるっと集めました。

インド旅のベストシーズン

一般的には乾季である10〜3月頃が旅のベストシーズン。4~6月はもっとも気温が上がり、近年は最高気温が40度を超える日もあるため、暑さ対策は万全に。6~9月は南西からのモンスーンの影響を受けて雨季に入る。土砂降りの日も多いので、旅にはあまり向かない。とくに西部のムンバイでは想像を絶する激しい雨に降られることもあるので注意が必要。ただ、ヒマラヤ山間部ではその時期に晴天が多くなるので、ケーダールナート寺院をはじめヒマラヤ四大聖地巡りをするにはおすすめ。

航空券の手配

インドは日本の国土の約8.7倍と広大なので、行き先によって発着する空港や路線がまったく異なる。初めてのインド旅行に人気のアグラ、バラナシ、ジャイプルを目指すなら、デリーinが便利。南インドでミールスを食べ歩くなら、バンガロールからチェンナイへ。歴史も最新カルチャーも楽しみたいならムンバイへ。昔ながらのインドの情緒を感じたいならコルカタへ。それぞれの目的によってinする空港を決めてから航空券を探してみよう。
 
2025年1月現在、日本からインドへ直行便で行けるのは、デリー、バンガロール、ムンバイの3カ所。東京(羽田・成田)からデリーのインディラ・ガンディー国際空港(DEL)、バンガロールのケンペゴウダ国際空港(BLR)へは直行便で約8〜10時間、ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー国際空港(BOM)へは約9〜11時間だ。南インドのチェンナイと東インドのコルカタへは日本からの直行便がないため、バンコク経由の便やインド国内線を選択しよう。
 
東京-デリー間の直行便はJAL、ANA、Air Indiaの3航空会社が主流。相場は往復10〜15万円ほど。アジア各都市での乗り継ぎを挟むAir AsiaやVietjet Airなどの格安航空券を利用すれば、往復5〜8万円ほどに収まる場合も。ただし乗り継ぎに半日〜1日近くを要したり、逆に乗り継ぎ時間が短く遅延補償未対応だったり、荷物の許容量が少なく追加で数万円支払うことになったりとさまざまな条件付き。いっそ経由地での観光も視野に入れ、乗り継ぎ時間がなるべく長い便を選んでみるのもあり。

Air Indiaのマスコットキャラクター。名前は「マハラジャ」。

宿の手配

ホテルの公式サイトから予約するのが確実。Booking.com、Expedia、Agodaなどの予約サイトでももちろん手配可能だが、公式サイトの方がお得な場合も多い。また、ホテルと予約サイトの連携がうまくいっておらず、トラブルがあった場合も「予約サイト側に聞いてくれ」などと現地で突き放されることもあるので利用の際は注意して。

20世紀の邸宅を改装したホテル〈The House of MG Ahmedabad〉。安宿から星付きホテルまで予算に合わせて選んでみて。

VISAの取得方法

日本人がインドに入国する場合、短期間で観光目的であってもVISAが必要。VISAの申請方法は、事前に手続きするオンライン申請、駐日インド大使館か在大阪インド総領事館への申請、インド到着時のビザ・オン・アライバルでの申請があるが、すぐにできるオンラインのe-TOURIST VISAがもっともおすすめ。出発の4日前まで申請が可能で、有効期間は30日、1年、5年から選択でき、申請料はいずれも25USD+手数料1USD。有効期間内は何度でも入出国ができ、有効期間1年もしくは5年の場合の1回の滞在は連続して179日まで可能。(つまり1年 or 5年がおすすめ!)入出国もデリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、ジャイプルほか主要31空港から可能。
 
【e-TOURIST VISA申請の流れ】
①下記サイトよりe-VISA申請する
インド政府 e-VISA申請サイト|https://indianvisaonline.gov.in/evisa/tvoa.html

 
>>申請に必要なもの
・有効期間1年1カ月以上のパスポート(有効期間30日を申請の場合は7カ月以上)
・1MB以下の顔写真のJPEGデータ(350×350px以上の正方形、背景白、帽子、メガネ不可。スマホ撮影のものでOK)
・パスポートの顔写真掲載ページのPDF
・VISA or MASTERカードまたはPayPalアカウント
 
②72時間以内にメールで届く審査結果をチェック
審査結果が「Application Status : Granted」となっていればOK

 
③2つの書類をプリントアウト
・1つめの書類
申請したサイトのトップ画面の右下にある「Check your Visa Status」をクリック

申請で最後に取得したIDとパスポート番号を入力

「Check Status」をクリックし、「Application Status : Granted」となっていることを確認して「Print Status」から印刷

・2つめの書類
申請したサイトのトップ画面の右下にある「Print e-Visa Application」をクリック

必要事項を記入し、「Reprint」をクリックして印刷

両替時の注意点

インドルピー(Rs、INR)は日本国内の銀行や空港などでも両替可能だが、レートが悪いのでインド入国後の両替推奨。デリーなど大きい空港なら両替所はあるものの、こちらもレートが悪く少額だと両替できないこともある。また深夜便での到着だと両替所が閉まっていることも多いので注意。多くのホテルやゲストハウスでも対応してくれるため、空港では必要最低限の両替に留める、もしくはUberなどクレジットカードなどで支払いのできる配車アプリで街中まで行き、ホテルや街中の両替所で両替するのがおすすめ。
 
また、街中や空港にあるATMなら手持ちのクレジットカードでキャッシングが可能。利用の際は明細書の受け取りを忘れずに。自動で出てこない場合は画面をスマートフォンで撮影しておくと安心。ATM内に紙幣の在庫がなく、指定した金額以下の紙幣しか出てこなかったが銀行引き落としは指定した金額のままされていた、といったケースもまれにあるので、帰国後は不要な引き落としがされていないかカード利用明細でチェックして。
 
レストランやホテル、ショッピングモールなどはクレジットカード決済できるところも多いが、手数料が割高になることも。また、二重で引き落とされていたり、スキミングされ不正利用に繋がったりといったトラブルも報告されている。街中の食堂や屋台、マーケットなどは基本的に現金が主流なので多めに用意しておくと安心。

持ち物チェックリスト

年2回ほどインドへ通う編集部員が、いつもインドへ持っていくマストアイテムをピックアップ。

✅️変換プラグ
インドでは、B3タイプ、BFタイプ、Bタイプ、Cタイプのプラグタイプが使用されている(日本はAタイプ)。インド国内でプラグタイプは統一されておらず建物によってプラグの種類が異なるので、4種に対応できる変換プラグが必要。電圧はインドが220〜240V、日本が100Vなので、日本の電化製品を使用する場合は対応電圧の確認を。
 
✅️SIMカード or e-SIM
日本で手配しておくと安心。アジア各国対応SIMなら乗り継ぎ地での入れ替えも必要なく、そのまま使えるので便利。ケータイがe-SIM対応の機種であれば、e-SIM契約が簡単。
 
✅️厚手の上着と薄手の上着
インドの寝台列車は予想以上に冷房が効いていて寒いことがある。寝るときは備え付けの毛布(座席クラス3A以上)に加え、厚手の上着があると安心。逆に日差しが強いときには薄手のパーカーやシャツなど日よけになるものがあると便利。
 
✅️薄手のストール
冷房対策や日差し対策のほか、スモッグや土埃から喉を守るためのマスクがわりにも。
 
✅️風邪薬
気をつけていても毎回寝台列車では喉をやられがち。日本で常用している風邪薬は必須。
 
✅️胃薬
いまのところ使用したことはないが、常に携帯している。
 
✅️カップ麺
どん兵衛などダシの効いたものが旅の終盤に沁みる。
 
✅️インスタント味噌汁とレトルトおかゆ
体調を崩してなくとも食べたくなるので2〜3食分は毎回持っていく。
 
✅️ウェットティッシュ
手食をするので必須。また、トイレでは使用後にシャワーで洗い流す習慣があるため使用前の便座が水浸しのことも多く、ティッシュペーパーと併用して使うことも多数。
 
✅️流せるティッシュ
インドでは、使用後にトイレットペーパーを使わずにシャワーで汚れを落とす形式のトイレが多い。街中の公共トイレや食堂のトイレではトイレットペーパーのないところも多いので、流せるティッシュやトイレットペーパーは常に携帯しておくのがいい。地域や価格帯によってはトイレットペーパーすらないホテルも珍しくない。
 
✅️虫対策グッズ
虫除けは体に直接塗布するタイプと、部屋の四隅にスプレーするタイプがあると安心。ムヒなど虫刺され時の塗り薬も必須。現地の薬局でもムヒに似た塗り薬があるが、即効性は前者に軍配。

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Yayoi Arimoto

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