特集:月刊TRANSIT

Count Down to INDIA
みんなのインド旅計画

2025.01.15

30 min read

毎月一つの主題で旅をする、月刊TRANSIT。

今月のテーマは「みんなのインド旅計画」です。
宗教も言語も人種も風土も多様。混沌としていてローカルルールも色濃く残るインド。お腹を壊したり、騙されたり(編集部員たちも経験済み)……彼の地を旅するのは、一筋縄ではいかない部分も多いかもしれない。

それでも一生に一度は行きたい、はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! みんなの知恵を集めれば、きっと実り多い旅ができるはず。ということで、彼の地を旅してきた人たちの声をもとに「みんなのインド旅計画」をしたためました。

皆さん、शुभ यात्रा (よい旅を)!

Photo : Isao Nishiyama

行ってみたいな
インドの東西南北10都市

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

行ってみたいな
インドの東西南北10都市

TRAVEL&LEARN&EAT

2025.02.07

10 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

日本の国土面積の約 8.7 倍を誇るインド。初めてでも何度目かのインドだったとしても、どこに行こうか楽しい悩みが尽きない国だ。インド旅を計画中の人に向けて、まずは訪れたい東西南北のインド10都市を眺めるところからはじめてみよう。

Text:TRANSIT

北インド/North India

その1/デリー(Delhi)〜混沌に包まれるインドの玄関口

© SONICWAVE

13世紀に中央アジアから南下してきたイスラーム勢力がインド亜大陸へ侵攻すると、デリーはイスラーム王朝の首都として徐々に発展していった。やがてイスラーム勢力の集大成であるムガル帝国が成立し、第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代には国の中枢となって、現在のオールドデリー周辺にラール・キラーやチャンドニー・チョウク、ジャーマー・マスジドなどができる。1911年には英領インドの首都がカルカッタから再びデリーへ移り、コンノート・プレイスを中心とした放射状の街並みに、官庁街やイギリス人居住区を配したニューデリーが誕生した。現在は外資系チェーンも多く集まるコンノート・プレイスと、屋台や商店がびっしり並んだチャンドニー・チョウクのコントラストは鮮烈。インドの混沌を体感するなら、まずはオールドデリーへ直行したい。ただし空港やニューデリー駅を出た瞬間に押し寄せる客引きや詐欺にはご注意を。インドの玄関口からすでに旅行者は試されている。
 
 
所在地|デリー連邦直轄領
公用語| ヒンディー語
主な玄関口|飛行機:インディラ・ガンディー国際空港/鉄道:ニューデリー駅
アクセス|成田から飛行機で約10時間/バンコクから飛行機で約4時間30分
 
 

デリーで行きたい場所

  • ラール・キラー/Lal Qila

    1639年から9年の歳月をかけて築か れた赤砂岩の城。第5代皇帝のシャー・ ジャハーンによって建設され、Red Fort(赤い砦)とも呼ばれる壮麗な姿はムガル帝国の象徴的な存在となった。精緻なレリーフや鮮やかな壁画が施された謁見の間や、大理石で造られたモスクまで、その佇まいは「地上の楽園」の名にふさわしい。

    ©SONICWAVE

  • ジャーマー・マスジド/Jama Masjid

    シャー・ジャハーンの勅令により、 1656年までに6年の歳月をかけて建立されたモスク。建設には 5000人の職人が動員され、大理 石と赤砂岩を組み合わせたファサードやシンメトリーに配置されたミナレット(尖塔)など、重厚さと優美さを兼ね備えた佇まいは建築としても見応え十分。広大な中庭は約2万5000人を収容できる。

    ©SONICWAVE

  • クトゥブ・ミナール/Qutub Minar

    1192年、現在のアフガニスタンを治めたゴール朝のクトゥブ・ウッディーン・アイバクが北インドを制圧した記念に建立したミナレット。5層からなる高さ72.5mの巨大な塔はイスラームの勢力誇示の意味合いが強く、これがイスラームのインド支配の幕開けとなった。そばのモスクは破壊したヒンドゥー寺院の石材を再利用している。

    ©SONICWAVE

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その2/バラナシ(Varanasi)〜もっとも「死」に近い場所

© Isao Nishiyama

母なる大河ガンジスを臨むインド最大の聖地。5世紀にはバラナシの中枢となるヴィシュワナート寺院が建立され、シヴァ信仰の中心地としてその地位を不動のものとする。しかし、12世紀末にイスラームが台頭するとヒンドゥー教寺院は破壊され、代わりにモスクが建立されていった。現在の街並みはムガル帝国の弱体化とともにヒンドゥー教のマラーター王国が勢力を増し、ヴィシュワナート寺院が再建された18世紀に造られたもの。再び栄華を取り戻したバラナシは、インド中のヒンドゥー教徒や世界中の旅人にとってもあこがれの聖地となった。この地で死を迎え遺灰がガンジス河に流されれば解脱できるという信仰から、バラナシには死期を悟ったヒンドゥー教徒がインド全土からやってくる。そしてここで荼毘に付され、母なる大河へ還ることはヒンドゥー教徒にとって無上の喜び。死がもっとも身近にありながら悲壮感とは縁遠いこの街は、これまでの死生観を根こそぎひっくり返してくれる。
 
 

所在地|ウッタル・プラデーシュ州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ラール・バハードゥル・シャーストリー空港/鉄道:バラナシ・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道で約12~17時間
 
 

バラナシで行きたい場所

  • マニカルニカー・ガート/Manikarnika Ghat

    ガンジス河に面した火葬場であり、もっともバラナシを象徴する場所。現在も伝統的なヒンドゥー教の火葬儀式が行われている。18世紀、イギリス東インド会社が火葬場の郊外移転を計画するが、住民の猛反対を前にあえなく頓挫。「火葬場が街のために存在するのではない。街が火葬場のために存在するのだ」という言葉が残されている。

    ©︎Isao Nishiyama

  • ダシャーシュワメード・ガート/Dashashwamedh Ghat

    80以上あるガート(沐浴場)のほぼ中央に位置し、常に巡礼者や観光客で賑わうガート。しつこい客引きをすり抜けた先には、罪や穢れを清めるため人びとが沐浴するバラナシらしい景色が広がる。毎晩日没後から行われるプージャー(祈り)の儀式は必見。河に花を浮かべ、祈りを捧げる姿に古代から受け継がれる人びとの信仰を想う。

    ©︎Isao Nishiyama

  • ケーダール・ガート/Kedar Ghat

    ガートの名は、ヒマラヤ四大聖地のなかでもっとも標高の高 い場所に位置するケーダールナート寺院を勧請してこの地に建てられた同名の寺院に由来。御神体は山型のピンダと呼ばれるもので、インド最北部ゆかりの寺院ながら南インドとの結びつきが強い。ゆえに南部からの巡礼者も多く、何日もかけてこの聖地へやってくる人びとの信心深さに心打たれる。

    ©︎Yusuke Abe(YARD)

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その3/チャンディーガル(Chandigarh)〜2人の建築家によるモダン都市

© Yusuke Abe(YARD)

ハリヤーナー州とパンジャーブ州の2つの州の共通州都。1947年のインド・パキスタン分離によってパンジャーブの州都ラホールがパキスタンに編入された際、チャンディーガル市の建設が決定。伝統にとらわれない近代的な都市にすることを目指し、新生インド政府が指名したのがモダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェだった。街は57のセクターに分けられ、セクター1のキャピトル・コンプレックスは2016年に世界遺産に登録された。しかしこの都市計画は、もう一人の建築家ピエール・ジャンヌレを抜きにしては語れない。コルビュジェが依頼を引き受ける条件としたのが、従兄弟であるジャンヌレを現場監督として起用すること。彼はコルビュジェが去った後もチャンディーガルに残り、計画遂行のために指揮をとった。現在インド政府が文化財として保護しているジャンヌレの椅子もこの時生まれたもの。無機質なモダニズムデザインの建物には、木の温もり溢れるジャンヌレの家具がよく似合う。
 
 
所在地|チャンディーガル連邦直轄領、パンジャーブ州、ハリヤーナー州
公用語|パンジャーブ語ほか
主な玄関口|飛行機:チャンディーガル空港/鉄道:チャンディーガル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道(特急)で約3時間30分/ムンバイから飛行機で約2時間30分
 
 

チャンディーガルで行きたい場所

  • 州議会議事堂/Vidhan Sabha

    コンクリートの迫力ある造形が印象的。エ ントランスはヒマラヤに向けて開かれ、大きな曲線を描いた屋根が覆い被さる。人びとを暑さから守るその断面は頭を垂れる牛の角を想起させ、インドの風土を愛したコルビュジェらしさが感じられる。高等裁判所 や行政庁舎とともにツーリストインフォメーションから出るツアーで見学が可能。

    ©︎Yusuke Abe(YARD)

  • 行政庁舎/Secretariat

    州都に必要な省庁を一つにまとめたキャピトル・コンプレックス最大の建築。粗いコンクリートで造られ、コルビュジェ の象徴である「ブリーズ・ソレイユ」のファサードが異彩を放つ。日々3000人が働く長さ254m、高さ42mのオフィスビ ルは、まるで一枚の巨大な壁のよう。屋上からはコルビュジェ の計画都市が見渡せる。

    ©︎Yusuke Abe(YARD)

  • ピエール・ジャンヌレ博物館/Pierre Jeanneret Museum

    スクナー湖畔にあるジャンヌレのかつての邸宅を博物館に改装。赤褐色のレンガなど、この地域特有の材料で造られた建物は厳しい気候にも適応している。インドの風土を大切にしたジャンヌレから、持続可能なライフスタイルのヒントが得られるかも。

03

西インド/West India

その4/ジャイプル(Jaipur)〜マハラジャの風格漂うピンクシティ

© Eriko Kaji

タール砂漠を擁するラージャスターン州の州都・ジャイプル。「ラージプートの土地」を意味するラージャスターは、その名の通りこの地一帯を支配したラージプートの人びとの故郷だ。その一族であるカチワーハ家が11世紀にアンベール王国を興し、現在のアンベール(アーメール)城の地に首都を置く。1727年には人口増加や水不足などを理由に、11㎞離れた現在の旧市街の地へ首都を移転。今もマハラジャの暮らすシティ・パレスを中心に、7つの門をもつ城壁で周囲をぐるりと囲み、その内側に碁盤の目状の区画を配した北インド初の計画都市、ジャイプルが誕生した。ピンクシティの由来であるローズピンクの街並みは、イギリス統治時代の1876年にジャイプルを訪問したイギリス王子を歓迎するため、街全体をピンクに塗ったのが始まりとされる。絢爛豪華な建造物が立ち並び、四方に色彩が溢れる街は王都の名にふさわしく、隅々まで見どころが尽きない。手工芸の街でもあり、初めてのインド旅にも断然おすすめ。
 
 
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイプル国際空港/鉄道:ジャイプル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道で約4時間30分~5時間/ムンバイから飛行機で約2時間
 
 

ジャイプルで行きたい場所

  • ハワー・マハル/Hawa Mahal

    シティ・パレスの東側に立つジャイプルのランドマーク。蜂の巣のような格子をはめた出窓が連なる建築は、宮中の女性たちが顔を見られることなく街を見下ろせるようにと造られた。一見重厚そうな建物は看板建築のような薄さで、風を意味する「ハワー」の名の通りの風通しのよさ。最上階からは旧市街が一望できる。

    ©︎SONICWAVE

  • ジャンタル・マンタル/Jantar Mantar

    天文学に造詣のあったサワーイー・ジャイ・シン2世が手がけた天文台。ペルシアやヨーロッパの書物などを参照して築いた5つの天文台のうちの一つで、ジャイプルのものがもっとも巨大で保存状態がよく、20ある観測儀のうちいくつかは今も現役で使用されている。20秒単位で時間を計測できる日時計などもあり、その精度には舌を巻く。

    ©︎SONICWAVE

  • サンガネール村/Sanganer

    ジャイプル市街地から16㎞ほど南にあるブロックプリントの一大産地。17世紀からサラスヴァティ川の周辺に職人たちが集まり、マハラジャや寺院向けのテキスタイルがこの地で生産されてきた。村に残るいくつかの工房では、職人が真っ白な布に木版で一つひとつ柄を手押ししていく光景が見られる。通りに面した工房では職人が木版を彫る場面も。

    ©︎Yuya Shiokawa

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その5/ジョードプル(Jodhpur)〜城塞に抱かれるブルーシティ

© Yuya Shiokawa

タール砂漠の入り口にあたる、ラージャスターン州第二の都市。1475年にラージプートの一族であるラートール家の王がこの地をマールワール王国の首都に定め、壮大なメヘラーンガル城塞を築いたのがこの街の歴史の始まり。ジャイプルの「ピンクシティ」に対して「ブルーシティ」と呼ばれ、旧市街には外壁が青く塗られた家々が立ち並ぶ。なぜブルーなのかは諸説あり、バラモン階級の家を判別しやすいように青く塗ったとか、蚊を寄せつけない効果があるからなどといわれるが、いずれも判然としないところがインドらしい。拠点にしたいのはイギリス王子の訪問を記念して建てられたクロック・タワーと、その周辺に広がるサルダール・バザール。ここからメヘラーンガル城塞まで迷路のような旧市街が広がり、ヘリテージホテルや邸宅を改装したホテルなど雰囲気のよい宿も多い。ジョードプル駅前の客引きはデリーの駅や空港にも引けを取らない強引さなので、目的地まではUberの利用が賢明。
 
 
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジョードプル空港/鉄道:ジョードプル駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道(急行)で約10~13時間/ムンバイから飛行機で約1時間50分/ジャイプルから鉄道で約5~6時間
 
 

ジョードプルで行きたい場所

  • メヘラーンガル城塞/Mehrangarh Fort

    ジョードプルの街を見下ろす、インド随一の荘厳な砦。最大で高さ36mにも達するという城壁と、その内側に広がる壮麗な宮殿の数々に終始圧倒される。砦は現在もマハラジャの所有で、16~19世紀に建てられた各宮殿の一部は博物館として公開されている。ブルーシティの街並みと、広大なタール砂漠を望む展望台からの眺めも圧巻。

    ©︎Yuya Shiokawa

  • ジャスワント・タラー/Jaswant Thada

    1899年、マハラジャのジャスワント・シン2世を偲んで息子のサルダール・シンが築いた霊廟。大理石を用いた白亜の建築は、王家の墓らしく全体的に優美な印象を与えている。周囲には一族の墓もあり、敷地内はジョードプルの喧騒が噓のように穏やか。手入れされた庭も美しく、高台から見るメヘラーンガル城塞の姿も見事。

    ©︎Yuya Shiokawa

  • トゥールジーの階段井戸/Toorji's Step Well

    旧市街の真ん中に突然現れる階段井戸。ラージャスターン やグジャラート地方に多く見られる階段井戸のなかでも、これだけ街中にあるものは珍しい。18世紀半ばに当時のマハラジャ、アバイ・シンの妃が建設したもので、相当な深さながら防護栅などの設置は皆無。井戸へダイブする現地の人も見られるが、上から眺めるのが無難かも。

     

    ©︎Navaneeth Kishor

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その6/ジャイサルメール(Jaisalmer)〜金色に輝く砂漠の至宝

© Yuya Shiokawa

ジャイプルやジョードプルと同様、ラージプートの一族が建設した砂漠の中のオアシス都市。12世紀、旧都ラウドルヴァーへのイスラームの侵略や水源不足を理由に、ラーワル・ジャイサル・シン王がこの地に都を移転した。古くから東西貿易の中継地として賑わいを見せ、高級シルクや香辛料をラクダで運ぶキャラバンから税を徴収することで街は大いに繁栄。莫大な富を得た商人や貴族たちがこぞって建てた大邸宅が現在も多く残っている。ピンクシティ、ブルーシティに並びゴールデンシティと称される所以は、この地方で採掘される黄砂岩による建築群。城壁から宮殿、邸宅や民家にまで用いられ、街全体が独特の黄色味を帯びている。今も城壁内に人びとが暮らす街のシンボル、ジャイサルメール城で往時の面影を感じたら、ほぼ100%観光客が体験するキャメル・サファリへいざ。ラクダ乗り体験のみのプランや、砂漠の真ん中で眠るプランもあるので宿泊先に問い合わせてみて。
 
 
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイサルメール空港/鉄道:ジャイサルメール駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分/ジョードプルから鉄道(急行)で約5~6時間30分
 
 

ジャイサルメールで行きたい場所

  • ジャイサルメール城/Jaisalmer Fort

    圧巻の城壁を誇る砂漠のシンボル。城内には現在も数千の人びとが暮らし、かつての王家の居城を博物館として公開するフォート・パレスや、見事な彫刻が施されたジャイナ教寺院など豪華な建築が並ぶかと思えば、民家の軒先では洗濯物がはためき子どもたちがはしゃぐ光景が見られる。展望台から望むゴールデンシティの眺めは爽快。

    ©︎Yuya Shiokawa

  • クーリー村/Khuri

    市街地から50㎞ほど南にある砂漠の村。村内には女性たちの手によって外壁に赤、白、黄色など幾何学的な模様が施された民家が立ち並び、道端では鮮やかなサリーをまとった女性たちが、頭に壺をのせて行き交う光景が見られる。色に乏しい砂漠の真ん中で、民家の壁と村の女性たちの衣装の華やかさは際立っている。

    ©︎Eriko Kaji

  • サム砂丘/Sam Sand Dune

    パキスタンとの国境から約50㎞のところにある、外国人が行ける範囲では最大の砂漠。多くのキャメル・サファリはここで行われ、 周囲にはリゾートホテルやグランピング施設も多く見られる。砂丘は街中から車で1 時間ほどの場所にあるので、訪れる場合は宿泊するホテルや地元の観光業者が主催するツアーに申し込もう。

    ©︎Yuya Shiokawa

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南インド/South India

© Kentaro Hasegawa

その7/チェンナイ(Chennai)〜誇り高き南インドへの入り口

小さな漁村にすぎなかった街が、世界史の表舞台に登場するのは17世紀のこと。イギリス東インド会社が、綿花栽培地帯に近いこの地に要塞を築き上げると、貿易の拠点として重宝され、のちにインド4大都市に数えられるほどの発展をみせる。チェンナイを中心とするタミル・ナードゥ州は、南インド固有のドラヴィダ文化の宝庫。北インドとは違ってイスラームの影響を受けず、インダス文明以来の伝統がより純粋に残っている。ローカルの人びともその誇りを受け継ぎ、デリーの中央集権に抵抗の姿勢を見せてきた。英語名「マドラス」から「チェンナイ」に改称。現在は古きよき伝統と都会的なカルチャーが息づく文化都市として観光客を惹きつける。古代の寺院建築に古典舞踊、インド最大規模の古典音楽フェス。映画館やミュージアムも充実しているため、長期滞在者も飽きさせない。そしてこの街にはマリーナ・ビーチがある。喧騒に疲れたら海へ出かけて、ベンガル湾の潮風を感じよう。
 
 
所在地|タミル・ナードゥ州
公用語|タミル語ほか
主な玄関口|飛行機:チェンナイ国際空港/鉄道:チェンナイ・セントラル駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/ムンバイから飛行機で約2時間/コチから鉄道(急行など)で約12~19時間
 
 

チェンナイで行きたい場所

  • マリーナ・ビーチ/Marina Beach

    世界でも有数の長さ(約6㎞)を誇るビーチへベンガル湾の潮風を感じに散歩するのもいい。オレンジイエローの砂浜が果てしなくつづき、砂漠に来たかのような景観が広がる。早朝に散歩すれば、東の水平線から昇る圧巻の朝日を見ることができる。日中は落ち着いた雰囲気だが、日が暮れると屋台が並び、ストリートフードの香りが漂う活気あるスポットに変貌する。

    ©︎Kentaro Hagiwara

  • タラ・ブックス/TARA BOOKS

    今やインドのみならず、世界中にファンをもつインディペンデントな出版社タラ・ブックス。インドの大衆芸術家や先住民とともにつくった独自の絵本を世に送り出している。その本づくりは、紙を手て漉すきするところから印刷、製本まですべて手作業によるもの。本づくりに携わる職人のサポートも充実し、逆風吹き荒れる出版業界で健全なものづくりを行う、希望の灯のような存在だ。ティルヴァーンミュールのオフィス1階は書店になっており、芸術家を招いたイベントなども開催。ものづくりに携わるすべての人に訪れてほしい。

    ©︎Kentaro Hagiwara

  • ラーヤルス・メス/Rayar's Mess

    イギリス植民地時代に定着した英単語の一つ「Tiffin(ティファン)」。もともとは「Tea」と「Muffin」を組み合わせた古典英語で、現在では広く南インドの「軽食」を指す。クレープのようなドーサ、蒸しパンのイドリ、ドーナツの形状をしたワダがその代表格。チェンナイでそれらのティファンを楽しむなら、〈ラーヤルス・メス〉は外せない。食通によるとチェンナイでもっともうまいティファンを出すメス(食堂)だそうで、住宅街の極めて目立たない立地はいかにも通好み。土日の混雑は凄まじく、わざわざ数十㎞先からバイクを飛ばして来るインド人もいるほど。チェンナイを訪れたなら極上ティファンを味わいたい。

    ©︎Masaki Kobayashi

03

その8/コチ(Kochi)〜モダンカルチャー息づく港町

© cristapper

エメラルドブルーの海と水郷地帯に囲まれた、風光明媚な水の都。天然の入り江があり、古代から海運の要塞として栄えてきた。14世紀には香辛料を求める商人が世界中から訪れ、「アラビア海の女王」と呼ばれるほどの繁栄をみせる。16世紀、ポルトガルによって初の欧州初のインド植民地となるが、その拠点がゴアに移ると、オランダとイギリスが代わって支配した。香辛料貿易を担ったユダヤ人の街、ポルトガルのカトリック教会、オランダの宮殿など、各国の面影が混在し、街並みの多様性がその歴史を物語る。コチのあるケーララ州はアーユルヴェーダ発祥の地ともいわれておりリトリートやヨーガの修行のために滞在する外国人も多い。2012年より、南アジア最大級の芸術祭「コチ・ムジーリス・ビエンナーレ」が開催されるなど、アートの拠点としても注目を集める。また、豊富な海産物も魅力。名物のフィッシュカレーは、香辛料の刺激とココナッツの甘味、魚の旨みが一体化した、まさにコチを象徴する一皿だ。
 
 
所在地|ケーララ州
公用語|マラヤーラム語ほか
主な玄関口|飛行機:コーチン国際空港/鉄道:エルナークラム・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/チェンナイから鉄道(急行)で約11~13時間
 
 

コチで行きたい場所

  • マッタンチェリー宮殿/Mattancherry Palace

    コチがたどった激動の歴史と、文化遺産が詰まった観光名所。1555年、ポルトガル人が現地の王のために建造したものだが、のちの征服者であるオランダ人の総督が使っていたことから「ダッチパレス」の別名をもつ。その後再び王に返されたため、ヒンドゥー教神話の壁画や調度品が残る。歴史期的にも美術的にも見どころ十分。

    ©︎Ingo Mehling

  • 司教の館(インド・ポルトガル美術館)/Bishop's House(Indio-Porutoguese Museum)

    1506年にポルトガル総督の住居として建てられた司教館。正面の大きなゴシックアーチが特徴で、現在はコチの司教の住まいとして受け継がれる。館内は入場不可だが、隣接するインド・ポルトガル美術館は必見。1階はコチ教区の各教会から収集された美術品などが並ぶ展示室、地下はポルトガル時代の砦の遺構となっている。

    ©︎Ingo Mehling

  • パラデシ・シナゴーグ/Paradesi Synagogue

    1568年に建立された、インド最古のシナゴーグ。かつて香辛料貿易を担ったユダヤ人たちが暮らしていたマッタンチェリー地区に位置する。イスラエル建国とともに大半のユダヤ人が去り、現在は数世帯しかいないため、礼拝を見られるかどうかはタイミング次第だ。中国製の陶器のタイル床と、ベルギーガラスのシャンデリアは必見。

    ©︎thaths

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東インド/East India

その9/コルカタ(Kolkata)〜インドの混沌を追いかけて

© Isao Nishiyama

隣国バングラデシュとともに「ベンガル」と呼ばれる地域で、1690年にイギリス東インド会社がアジア貿易の拠点を置くまで、コルカタは3つの漁村があるにすぎない牧歌的な土地だった。コルカタ(Kolkata)とは、そのうちの1つであるカーリーカタ村にちなんでつけられたもの。統治時代には英語名のカルカッタ(Calcutta)と呼ばれ、2001年、ベンガル語のコルカタに改称された。街中にはヴィクトリア・メモリアルやハウラー駅、セント・ポール大聖堂など、当時の栄華を思わせる豪奢な建築群が残っている。また、統治時代以前にこの地へ進出していたイスラームの雰囲気も色濃く、さまざまな信仰のかたちに触れられるのもおもしろい。ベンガル料理の本場でもあり、米と魚を主体にした郷土料理は馴染みやすい人も多いはず。派手な観光地はないが、ありとあらゆる物体が通りを行き交う光景は、1日中見ていても飽きない。かつて多くのバックパッカーを魅了した、消えゆくインドの姿がここにある。
 
 
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語
主な玄関口|飛行機:ネータージー・スバース・チャンドラ・ ボース国際空港/鉄道:ハウラー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/バラナシから鉄道(急行など)で約11時間30分~18時間
 
 

コルカタで行きたい場所

  • ムスリム街/Muslim Town

    コルカタのランドマークの一つ、ナコーダ・マスジドを中心に広がるムスリム地区。ムガル帝国時代のベンガル太守(ムガル・ナワーブ)の影響が色濃く残っている。周囲にはムスリムの集まる店も多く、コルカタ・ビリヤニやヨーグルトの酸味が効いたマトン・レザラなど、北インドとはひと味違うベンガル・ムグライ料理が味わえる。

  • チャイナタウン(ティレッタ・バザール)/China Town

    インドで最初に中国系移民が定着したのがコルカタ。とくに日中戦争から第二次世界大戦にかけての日本軍侵攻時に、多くの中国人がインドに流入した。当初は中国人向けに営んでいた飲食店も、統治下のイギリス人やインド人富裕層向けに発展。当時からつづく老舗も軒を連ねる。毎日開催される朝市はインド人観光客にも人気。

    ©︎Masaki Kobayashi

  • サダル・ストリート/Sudder Street

    日本をはじめ、世界中の旅人が目指してきたバックパッカーの聖地。コルカタ随一の安宿街であり、 北にはニュー・マーケット、南にはインド博物館と避けて通れないスポットが集結している。バックパッカー御用達の〈パラゴン〉をはじめ、安宿も健在。 関西弁を話す名物ガイド、サトシ(インド人)の店もあるのでぜひ立ち寄りたい。

    ©︎e2dan

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その10/ダージリン(Darjeeling)〜紅茶香るヒマラヤの町

青空に聳え立つカンチェンジュンガ山を仰ぐ世界有数の茶葉の産地。チベット語で「雷の土地」を意味するこの街は、長い間覇権争いに巻き込まれてきた。シッキム王国の支配下にあったが、18世紀後半にネパールからグルカ人が侵攻。19世紀初頭まで一帯を併合するが、インド進出の機を窺うイギリスはシッキム側につく。1814年にグルカ人は敗北しシッキム王は復権したものの、その後再びグルカ人との戦争が勃発。療養所設立を目論んだイギリスはシッキム王と交渉し、ダージリンはイギリスのものとなった。当時は原生林が広がり、1839年時点で100人足らずだった人口は1849年におよそ1万人まで増加。イギリス東インド会社は欧風のコテージを次々と建設し、お茶、コーヒーの実験栽培を導入。なかでも、斜面で茶を栽培する計画は大成功し、ダージリンを世界有数の茶葉の産地に仕立て上げた。チベット文化圏でもあり、五色の祈願旗タルチョがはためく縦長の街にイギリス時代の面影はないに等しい。
 
 
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語、ネパール語
主な玄関口|飛行機:バグドグラ国際空港/鉄道:ニュー・ジャルパーイーグリー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/コルカタから飛行機で約1時間、鉄道(特急)と乗合ジープで約15時間
 
 

ダージリンで行きたい場所

  • マカイバリ・ティー・エステート/Makaibari Tea Estates

    標高2,100mの斜面に位置する100年以上もの歴史を誇る茶園。紅茶として初めてのオーガニック認定を1993年に取得した。茶園と工場が隣接し、お茶作りの工程をガイドが解説してくれる。また、地域の伝統的な暮らしに触れられるホームステイプログラムも実施。お茶だけでなく、地域の文化そのものについて知ることができる。

  • ダージリン・ジョイ・ライド/Darjeeling Joy ride

    世界遺産にも登録されているダージリン・ ヒマラヤ鉄道、通称「トイ・トレイン」の一路線。ダージリン~グーム間の急勾配を約2 時間で往復する。1889年から1927 年の間に製造された歴史ある蒸気機関車に乗車できる貴重な機会。街中を走るため、人 びとの生活やヒマラヤの山岳風景を楽しむことができる。事前予約がベター。

  • イガ・チョリン・ゴンパ/Yiga Choeling Fompa

    ダージリン最古といわれるゲルク派の僧院。1850年にモンゴル僧のシェラップ・ギャツォにより建てられた。1959年の中国によるチベット弾圧の際には、多くの高位の僧侶が避難したという。本堂中央に坐す高さ5mの弥勒菩薩像は圧巻の一言。参拝は時計回りに進むことを忘れずに。許可証を購入すれば内部撮影も可能。

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出発前に知りたい
インド旅の準備を総まとめ!

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

出発前に知りたい
インド旅の準備を総まとめ!

TRAVEL

2025.02.07

5 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

旅行先として少々ハードルが高いインドだからこそ、情報収集と準備は入念に行いたい。ベストシーズンや入国に必要なVISAの申請方法、必需品など、まずは旅の基本情報をまるっと集めました。

インド旅のベストシーズン

一般的には乾季である10〜3月頃が旅のベストシーズン。4~6月はもっとも気温が上がり、近年は最高気温が40度を超える日もあるため、暑さ対策は万全に。6~9月は南西からのモンスーンの影響を受けて雨季に入る。土砂降りの日も多いので、旅にはあまり向かない。とくに西部のムンバイでは想像を絶する激しい雨に降られることもあるので注意が必要。ただ、ヒマラヤ山間部ではその時期に晴天が多くなるので、バドリーナート寺院をはじめヒマラヤ四大聖地巡りをするにはおすすめ。

インド四大聖地の一つバドリーナート。豪雪地帯のため巡礼は5〜6月と9〜10月のみ。

航空券の手配

インドは日本の国土の約8.7倍と広大なので、行き先によって発着する空港や路線がまったく異なる。初めてのインド旅行に人気のアグラ、バラナシ、ジャイプルを目指すなら、デリーinが便利。南インドでミールスを食べ歩くなら、バンガロールからチェンナイへ。歴史も最新カルチャーも楽しみたいならムンバイへ。昔ながらのインドの情緒を感じたいならコルカタへ。それぞれの目的によってinする空港を決めてから航空券を探してみよう。
 
2025年1月現在、日本からインドへ直行便で行けるのは、デリー、バンガロール、ムンバイの3カ所。東京(羽田・成田)からデリーのインディラ・ガンディー国際空港(DEL)、バンガロールのケンペゴウダ国際空港(BLR)へは直行便で約8〜10時間、ムンバイのチャトラパティ・シヴァージー国際空港(BOM)へは約9〜11時間だ。南インドのチェンナイと東インドのコルカタへは日本からの直行便がないため、バンコク経由の便やインド国内線を選択しよう。
 
東京-デリー間の直行便はJAL、ANA、Air Indiaの3航空会社が主流。相場は往復10〜15万円ほど。アジア各都市での乗り継ぎを挟むAir AsiaやVietjet Airなどの格安航空券を利用すれば、往復5〜8万円ほどに収まる場合も。ただし乗り継ぎに半日〜1日近くを要したり、逆に乗り継ぎ時間が短く遅延補償未対応だったり、荷物の許容量が少なく追加で数万円支払うことになったりとさまざまな条件付き。いっそ経由地での観光も視野に入れ、乗り継ぎ時間がなるべく長い便を選んでみるのもあり。

Air Indiaのマスコットキャラクター。名前は「マハラジャ」。

宿の手配

ホテルの公式サイトから予約するのが確実。Booking.com、Expedia、Agodaなどの予約サイトでももちろん手配可能だが、公式サイトの方がお得な場合も多い。また、ホテルと予約サイトの連携がうまくいっておらず、トラブルがあった場合も「予約サイト側に聞いてくれ」などと現地で突き放されることもあるので利用の際は注意して。

公式サイトからの予約がお得なジャイプルの人気ホテル〈ARYA NIWAS〉。ブロックプリントで統一された設えが素敵。

VISAの取得方法

日本人がインドに入国する場合、短期間で観光目的であってもVISAが必要。VISAの申請方法は、事前に手続きするオンライン申請、駐日インド大使館か在大阪インド総領事館への申請、インド到着時のビザ・オン・アライバルでの申請があるが、すぐにできるオンラインのe-TOURIST VISAがもっともおすすめ。出発の4日前まで申請が可能で、有効期間は30日、1年、5年から選択でき、申請料はいずれも25USD+手数料1USD。有効期間内は何度でも入出国ができ、有効期間1年もしくは5年の場合の1回の滞在は連続して179日まで可能。(つまり1年 or 5年がおすすめ!)入出国もデリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、ジャイプルほか主要31空港から可能。
 
【e-TOURIST VISA申請の流れ】
①下記サイトよりe-VISA申請する
インド政府 e-VISA申請サイト|https://indianvisaonline.gov.in/evisa/tvoa.html

 
>>申請に必要なもの
・有効期間1年1カ月以上のパスポート(有効期間30日を申請の場合は7カ月以上)
・1MB以下の顔写真のJPEGデータ(350×350px以上の正方形、背景白、帽子、メガネ不可。スマホ撮影のものでOK)
・パスポートの顔写真掲載ページのPDF
・VISA or MASTERカードまたはPayPalアカウント
 
②72時間以内にメールで届く審査結果をチェック
審査結果が「Application Status : Granted」となっていればOK

 
③2つの書類をプリントアウト
・1つめの書類
申請したサイトのトップ画面の右下にある「Check your Visa Status」をクリック

申請で最後に取得したIDとパスポート番号を入力

「Check Status」をクリックし、「Application Status : Granted」となっていることを確認して「Print Status」から印刷

・2つめの書類
申請したサイトのトップ画面の右下にある「Print e-Visa Application」をクリック

必要事項を記入し、「Reprint」をクリックして印刷

両替時の注意点

インドルピー(Rs、INR)は原則インド国外への持ち出しが禁止されているため、両替は入国後に行う必要がある。デリーなど大きい空港なら両替所はあるものの、レートが悪く少額だと両替できないこともある。また深夜便での到着だと両替所が閉まっていることも多いので注意。多くのホテルやゲストハウスでも対応してくれるため、空港では必要最低限の両替に留める、もしくはUberなどクレジットカードなどで支払いのできる配車アプリで街中まで行き、ホテルや街中の両替所で両替するのがおすすめ。
 
また、街中や空港にあるATMなら手持ちのクレジットカードでキャッシングが可能。利用の際は明細書の受け取りを忘れずに。自動で出てこない場合は画面をスマートフォンで撮影しておくと安心。ATM内に紙幣の在庫がなく、指定した金額以下の紙幣しか出てこなかったが銀行引き落としは指定した金額のままされていた、といったケースもまれにあるので、帰国後は不要な引き落としがされていないかカード利用明細でチェックして。
 
レストランやホテル、ショッピングモールなどはクレジットカード決済できるところも多いが、手数料が割高になることも。また、二重で引き落とされていたり、スキミングされ不正利用に繋がったりといったトラブルも報告されている。街中の食堂や屋台、マーケットなどは基本的に現金が主流なので多めに用意しておくと安心。

街中や駅構内にみられるATM。銀行大手SBIのATMはインド各地にあり。

インドルピーのもっとも高額な紙幣は500ルピー札、ミニマムは10ルピー札。1〜20ルピーの小銭もあるが現在は紙幣が主流。

持ち物チェックリスト

年2回ほどインドへ通う編集部員が、いつもインドへ持っていくマストアイテムをピックアップ。

✅️変換プラグ
インドでは、B3タイプ、BFタイプ、Bタイプ、Cタイプのプラグタイプが使用されている(日本はAタイプ)。インド国内でプラグタイプは統一されておらず建物によってプラグの種類が異なるので、4種に対応できる変換プラグが必要。電圧はインドが220〜240V、日本が100Vなので、日本の電化製品を使用する場合は対応電圧の確認を。
 
✅️SIMカード or e-SIM
日本で手配しておくと安心。アジア各国対応SIMなら乗り継ぎ地での入れ替えも必要なく、そのまま使えるので便利。スマホがe-SIM対応の機種であれば、e-SIM契約が簡単だがSIMカードより割高な場合も。通信速度はどちらも同等。
 
✅️厚手の上着と薄手の上着
インドの寝台列車は予想以上に冷房が効いていて寒いことがある。寝るときは備え付けの毛布(座席クラス3A以上)に加え、厚手の上着があると安心。逆に日差しが強いときには薄手のパーカーやシャツなど日よけになるものがあると便利。
 
✅️薄手のストール
冷房対策や日差し対策のほか、スモッグや土埃から喉を守るためのマスクがわりにも。
 
✅️風邪薬
気をつけていても毎回寝台列車では喉をやられがち。日本で常用している風邪薬は必須。
 
✅️胃薬
いまのところ使用したことはないが、常に携帯している。
 
✅️カップ麺
どん兵衛などダシの効いたものが旅の終盤に沁みる。
 
✅️インスタント味噌汁とレトルトおかゆ
体調を崩してなくとも食べたくなるので2〜3食分は毎回持っていく。
 
✅️ウェットティッシュ
手食をするので必須。また、トイレでは使用後にシャワーで洗い流す習慣があるため使用前の便座が水浸しのことも多く、ティッシュペーパーと併用して使うことも多数。
 
✅️流せるティッシュ
インドでは、使用後にトイレットペーパーを使わずにシャワーで汚れを落とす形式のトイレが多い。街中の公共トイレや食堂のトイレではトイレットペーパーのないところも多いので、流せるティッシュやトイレットペーパーは常に携帯しておくのがいい。地域や価格帯によってはトイレットペーパーすらないホテルも珍しくない。
 
✅️虫対策グッズ
虫除けは体に直接塗布するタイプと、部屋の四隅にスプレーするタイプがあると安心。ムヒなど虫刺され時の塗り薬も必須。現地の薬局でもムヒに似た塗り薬があるが、即効性は前者に軍配。

慣れない手配はデリーのシゲタトラベルへ

デリーの旅行者の多くが滞在の拠点とする安宿街、パハールガンジにある〈シゲタトラベル〉。日本語堪能でインド各地にネットワークをもつ旅行手配のプロ、ラジェンダさんが常駐し、電車や飛行機のチケット手配はもちろん、提携先の格安でのホテル手配や両替も非常にレートよく対応してくれる。
 
Indian Railwayの公式サイトでは外国人のカード決済ができないこともしばしば。駅の窓口で購入する方法もあるが、記入項目が多く常に混雑しているため初心者ならラジェンダさんに頼むのが安心。確実に手配してくれることを思えば、手配手数料500〜800ルピーも決して高くない。
 
また、手配だけでなく遅延情報の提供や道中のトラブルなどの相談にものってくれる面倒見のよさで毎度頭が上がらない。デリーにラジェンダさんがいれば安心。もちろん編集部も何度もお世話になっています。
  
シゲタトラベル
4775 Main Bazar,Tooti Chowk,near6,Paharganj,New Delhi,Delhi
Hotel Hari Piorko内

ラジェンダさん(中央)とスタッフ。迅速かつ確実な旅行手配と面倒見のよさはデリー随一。

本当にあったインド旅の
トラブル&珍事体験談

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

本当にあったインド旅の
トラブル&珍事体験談

TRAVEL&LEARN

2025.02.07

7 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

お腹を壊したり、高熱で寝込んだり、列車が3時間遅れたり……。もはやパッケージツアーのようになっている(?)インド旅のトラブルや珍事。毎日あり得ないことが起こるといわれるインドでは、旅する場所や人によって遭遇する体験もさまざま。今回はTRANSIT読者からのお便りをもとにお届け。これを読んでインド旅の心の準備をしてみて。

Text:TRANSIT Illustration:Atsuya Yamazaki

命が一番

10年以上前、デリーからジャイプルへローカルバスで向かっていたときの話。出発直後、ドライバーが道を間違えたり、爆笑したりとなんだか嫌な予感。しばらくしてウトウトしていると、隣りの席の男性がバスの通路を飛び出してぶつかってきたのです。混乱したのも束の間、次の瞬間、私は逆さまになり頭をアスファルトに引きずられていました。そう、バスが横転していたのです。私は救急車で運ばれ、運よく頭を数針縫う程度で済みましたが、バスで帰れといわれ泣く泣く再びバスに……。その後、包帯ぐるぐる巻きの頭でインドを旅しました。/蘭ハチコより

  • 編集部
    コメント

    いきなり強烈すぎるエピソードをいただきました! インドだけでなく世界中どこでも交通事故のリスクはあるものですが、まずは命が無事でよかったです。包帯ぐるぐる巻きも、インドならターバンに見えなくもない……?「中長距離の移動は列車、もしくはツーリストバスがあればそちらを選んだほうがよいかもしれません」(蘭ハチコ)とのアドバイスも添えていただきました。

帰国後もつづく洗礼

6年前、バラナシで病気になりました。夕方から急激に体調が悪くなり、そのままうなされるように夜を迎えました。それが1週間つづき、あえなく帰国。日本の病院に行った結果、日本にいるとまずかかることのない「ジアルジア症」にかかったことが判明しました(主な症状は、下痢、腹痛、吐き気、腹部の膨張感など)。体調不良は2カ月つづき、インドの洗礼を受けたのでした……。/ミヤタヨウスケより

  • 編集部
    コメント

    インドで体調を崩すことはもはや必ずついてくるオプションのようなものですが、帰国後2カ月はさすがに長いですね(涙)。「インドの病気には日本の薬よりインドの薬のほうが効くそうです。体調不良になったらまず現地の病院へ」とのコメントもいただきました。

思いがけずヒッチハイク旅

南インドのカヌールからバンガロールに向かう夜行バスに乗車していたときのこと。故障により電波がない山奥で強制的に降ろされ、代替のバスにも定員オーバーで乗れず絶望していたところ、青年2人に声をかけられヒッチハイクの誘いを受けた!
 
その後、無事に車が捕まり、バンガロールまでの運転を条件に乗せてもらい、翌朝何とか目的地まで着きました。インドの道路はスピード超過防止のため、バンプが一定の間隔で設置されており、車体がよく跳ねるなか、懸命に運転してくれた青年たちに大感謝です。到着した朝、青年が分けてくれたspriteをみんなで飲んだ思い出は、きっと今後も忘れません/JTより

  • 編集部
    コメント

    逆境が最高の思い出に変わる素敵なエピソードですね!さらっと書かれていますが、夜行バスが止まって代替のバスに乗れない時点でかなりのトラブルかと思われます。JTさんからのインド旅のアドバイスとしては「毎日ビオフェルミンを飲めば何とかなります!」だそうです。

インドトラブルのフルコース

デリーからバラナシに移動する寝台列車内と、バラナシからデリーに帰る飛行機内で、1週間で二度財布を盗まれた。ガンジス河で泳いだ3日後に体調が悪化し、帰国後の免許合宿では40℃の高熱と止まらない下痢に苦しむ羽目になった。ガンジス河には予定に余裕があるときを除いて入らないほうがいい。/Ryuより

  • 編集部
    コメント

    まさにインドを象徴するようなトラブルの嵐……。冷静なアドバイスもありがとうございます。インドを訪れた人は「ハマってしまった」と「二度と行かない」の二手に分かれるといいますが、その後、Ryuさんが再びインドを訪れる日はあったのか、気になるところです。

到着直後の不幸な報せ

国内線で地方空港に着いた瞬間、空港スタッフが近づいてきて、友人のロスバゲが告げられました。とりあえず現地マーケットに行きパンツをゲット!/あずきより

  • 編集部
    コメント

    トラブルにも動じることなく、次に何をすべきか瞬時に判断できていてさすがです! ただ、なぜ空港スタッフは到着直後にロストバゲージしたことがわかったのか、その後、無事に荷物が戻ってきたのかも気になります。本当に失いたくないもの、すぐに使うものは手荷物が安心かもしれないですね!

老女に席を譲ってみたら

珍事というか……チェンナイのバスでおばあちゃんに席を譲ったらうれしそうで、おばあちゃんが降りてもいっぱい手を振ってくれた。インド在住の友人曰く、その老女はカーストの低い人で、席を譲ってもらうことが普段はないんだろうって。土ぼこりの舞う車窓に小さくなっていったおばあちゃんの姿を思い出します。こんなこと書く機会をくださってありがとうございます。/ごんじょわより

  • 編集部
    コメント

    こちらこそ素敵なエピソードをありがとうございます……! とにかくインドでは、人より1ミリでも前に行こうという力がすごすぎて、順番を律儀に守っていたらチケットの一枚も買えないですもんね。きっと日本人の株も上がっていると思います!

生きてるだけでいい

その1
帰国日にニューデリーのマーケットで財布とパスポートとiPodが入ったポーチを盗まれた。空港行きのバスの車内でようやくそのことに気づき戸惑っていると、はやく警察と大使館へ行きなさいとバスに乗車していたインドの方たちが、リキシャに乗るためのお金を恵んでくれた(号泣)。その後、警察で聴取をして、情けないやら不安やらでめそめそしながら在インド日本大使館へ行くと、インドで行方不明になった日本人の顔写真入りのチラシが壁一面に貼られていた。涙が止まった。

 

その2
ニューデリーの通りで信号待ちをしていたら、少年(10歳くらい)にピンポンダッシュならぬ胸タッチダッシュされた。走り去る少年が振り向きざまにニカッと笑った姿が忘れられない。/KIKI Sarasvatiより

  • 編集部
    コメント

    インドを旅していると、生きているだけで万々歳、みたいな気持ちになることがありますよね。

インドの愉快な動物たち

その1
マナリに滞在していた日の夜、思い立って隣り村・バシストの温泉へ行こうと歩き始めたら、道端から犬が2匹出現。先導をきってバシスト村の入り口まで1時間ほどの道案内をしてくれた。その旅では交尾中に抜けなくなった犬に2回出合った。

 

その2
バラナシで泊まっていたホテルの窓を開けっぱなしにしていたら猿が乱入してきて常備薬を盗まれた。/あさねより

  • 編集部
    コメント

    環境が変わると、同じ犬や猿といった動物たちでも行動倫理が変わるのでしょうか。ちなみに上記エピソードとは関係ありませんが、「インド人はスケベです。下心のある人が多いので、女の人は気をつけてほしいです。男性と一緒にいても痴漢してきます」(あさね)という興味深いアドバイスもいただきました。

巧みなスパイス使い

マンゴーやグァバのアイスやジュースを買ったけれど、中に唐辛子やクミンなどが入っていることが普通にある。/ももこより

  • 編集部
    コメント

    スパイス使いにおいては世界的に名の知られたインド人ですが、それは果たしておいしいのでしょうか。口にした人のみぞ知る、ということですね。「人口が14億もいるので、悪い人に会う確率も(とくにツーリストエリアでは)上がるけれど、いい人に会う確率もあるはずなので、偏見をもたずに旅してほしい!」(ももこ)とのこと。

困難を乗り越えて

10年近く前、当時付き合っていた彼とチャンディーガルへ行った帰り道。ニューデリー行きの列車に乗り込むもAC付きの席が取れず、一番安い車両で数時間乗車していた。そのとき隣の席になったインド人と仲よくなり、途中停車した駅で彼とインド人が煙草を吸いに列車を降りた。その後、何分たっても2人は帰って来ず、「拉致されたのでは?」と私はひとりパニックに。私の様子を見た周りの乗客も焦り出し、携帯を貸してくれたりほかの車両を探しに行ってくれたりした。
 
20分ぐらいしたらまた別の駅に止まり、2人が青ざめた顔で戻ってきた。話を聞いたところ、喫煙中に列車が動き出し焦って飛び乗った車両が貨物車両で通り抜けできなかったようだ。今までで一番生きた心地のしなかった忘れられない思い出。のちにこの出来事がきっかけで彼と結婚しました。/miより

  • 編集部
    コメント

    本当にあった怖い話かと思いきや、悶絶するほどうらやましいエピソードでした! たしかにインドはときに乗り越える困難が多いので、人生の伴侶を見極めるにはよい国かもしれません。

リキシャの限界

タージマハルの近くの宿に行くために、大荷物のバックパッカー2人でリキシャに乗ったら、下り道でブレーキが効かなくなって壁に追突した。/マスより

  • 編集部
    コメント

    シンプルな投稿ながらインパクト大なエピソード! 坂の下にあるホテルに向かうときは、大荷物でもなるべく徒歩移動しようと思います。

     

よくある手法

バラナシの火葬場へ行ったときのこと。うん千年途絶えていない聖なる火のそばをタダでガイドするというインド人。「日本はインドにたくさん援助をしてくれているから大好きなんだ」と親日の様子で気を許しました。連れて行かれた近くの洞穴には、司祭のような別のインド人が。火をおこすのに必要な薪代をドネーションしろとうるさい。「タダって言ったじゃん」と最初のインド人に伝えるも「ぼくはタダだけど彼には払わないと」と。罵声を浴びせられながら払わずに別れました。/磯 良斉より

  • 編集部
    コメント

    マニカルニカーガートでしょうか。私もまったく同じ状況に陥り、走ってバラナシの細い路地を縦横無尽に逃げました。金額も4000ルピーと、かなりの金額を提示されました。あと、ガート近くで勝手に眉間にティルカを塗って金銭を要求するサドゥ(風の人?)にもご注意です。

     

予想を裏切るパッケージツアー

14年前、連休が月に1回あるかないかというシフト制の販売業で社会人3年目だった私が、この3年で2回目の5連休をゲット。思い立ってインドへ弾丸で行きました。海外は2回目で、初めての1人旅、初めてのインド。バックパッカーに憧れていた私は、それならやっぱりインドだろ!と勝手に思い込んでいまいました。しかし、慣れない海外で休みも5日間しかない。バックパッカー!と意気込んだ割に怖気づいた私は、結果的にパッケージツアーを申し込むことにしました。
 
インドの空港に到着すると、迎えに来られていたのは私1人。ツアー内容には「乗り合いバスで移動します」と書かれていたので、ほかのツアー参加者とともにバス移動と思っていたけれど⋯⋯。到着は夜だったので、その日はそのままホテルへ直行。移動はバスではなく、普通の乗用車。ドライバーさんとガイドさんは1人ずついたものの、自家用車感が否めませんでした。きっと違う便で来ている人もいるだろう。明日からはバス移動かーと思って眠りにつきました。
 
翌朝迎えに来たガイドさんが車へと私を誘います。昨日と同じ自家用車でした。蓋を開けてみたら、この乗用車にガイドさんとドライバーさんと私の3人旅。格安なパックツアーだったはずなのに、なんとも豪勢なインド旅に。インドに到着した時点で民族衣装のプレゼントがあったり、チャイ休憩のたびにガイドさんがすべてお茶代を奢ってくれたり、どこに行ってもずっと写真撮影をせがまれて(日本人が珍しかったのか)、ハリウッドスター気分に! 激安ツアーだったのに素晴らしいサービスで衝撃でした。なんか思ってたインド旅行と違う!笑笑、そんなインド旅行でした。/みどりより

  • 編集部
    コメント

    自家用車と聞いた時点で事件の匂いがするなどと思ってしまった自分はかなりすれているのかもしれません。こんなにも羨ましいインド旅があるでしょうか? なんか思ってたインドエピソードと違う! 同じような経験(パッケージツアーと思って現地に着いたらプライベートツアーだった)をスリランカでしたことがあると話していた編集部員もいました。

鉄道は永遠の課題

インドの鉄道において、目的の列車だけがまったく乗り場案内が表示されなかったことがありました。発車予定時刻になったため、駅員さんに聞いてみるも解決せず……。結局1時間後に掲示板が更新され、列車がやってきたのはさらに30分後でした。トータル1時間半の遅延だった。/ブトウムより

  • 編集部
    コメント

    あれ、本当になんなんでしょうね……。何分前に表示されるのかも定かではないし、いつも乗るまで本当に気が気じゃないです。ちなみに私は1月の北インドで4回電車に乗りましたが、平均9時間遅れで宿代が一泊分不要になったこともありました。そして下記の通り、超詳細な注意事項までお寄せいただいたのでぜひご参考にしてください!

     

     

    【インドの鉄道について】
    ・乗り場を間違えないよう、列車番号とプラットフォーム番号をよく照らし合わせる。また、乗りたい車両が進行方向に対して何番目なのかを、看板などで確認する。列車は平均20車両あるため、方向を誤るとプラットフォームをかなり歩く羽目になる。
    ・インドの鉄道アプリ「ixigo」は遅延状況を確認するのには有効だけど、プラットフォーム番号(乗り場情報)が異なる場合がある。必ず駅の掲示板を見ておく。
    ・ixigoやIRCTC(インド国鉄公式サイト)でオンライン予約する際、クレジットカードの決済でエラーが出る場合がある。その際は諦めて駅の窓口で買う。窓口は混雑していて声が聞こえにくい場合があるので、列車番号 / 出発駅 / 行き先 / 日程 / 希望する座席をメモして渡すと、やりとりがスムーズになる。
    ・駅窓口前に旅行者を騙すインド人グループがいることも。券を購入する列に並んでいると、親切心を装って、どの町に行きたいのか尋ねてきて、「今日はその町に列車で行けない」「そのチケットは完売した」「車で行く方法がある」などと旅行会社に強引に誘導しようとする場合も。疑わしいと思ったらついていかないこと。駅員に訪ねるようにしよう。

最後に、編集部員が遭遇したトラブルを!

ジャイプルで現金が足りなくなり、ハワー・マハル(風の宮殿)近くの大きな交差点の傍にあったATMでキャッシングをすることに。500ルピーをおろそうと金額を入力するも、なぜか200ルピーしか出てきません。なんでもインドのATMでは現金の在庫が足りず、希望金額より少ない額しか出てこないことがよくあるそう。明細も出てこなかったので、それ以上操作はせずあきらめました。
 
そして帰国後数カ月がたった頃、カードの利用明細を見て驚愕。なんとジャイプルのATMの提携先の銀行から9万9000円もの引き落としが。エポスカードに問い合わせたところ、インドではUSDやEUR同様日本円を小数点第2位まで換算するミスがよくあるのだそう。つまり、本来500ルピー (990円相当)の引き落としが、100倍請求の50,000ルピー(9万9000円相当)なってしまっているというのです。それも結果的に200ルピーしか出てこなかったのでそもそも水増し請求ではありますが……。
 
さらに、エポスカードからVISAを通じて申し立てできるのが120日以内であり、気づいたのが124日目だったため申し立てすらできず。ATMの大元であるムンバイの銀行へ連絡するも、顧客ではない外国人観光客用の問い合わせ窓口はなく、電話をするもAIが同じことを繰り返すばかり。これは今後一生分のインドへのお布施だと思い、泣く泣く9万9000円を献上することにしました。

さまざまなエピソードを取り上げましたが、インドは決して修羅の国ではありません。台湾や韓国、タイやベトナムなど、ほかのアジアの国に比べれば少々試練が多いような気もしますが、その分、人を成長させてくれる国でもあると思います。
 
準備と予備知識、現地での心づもりがあるだけで防げるトラブルも多いはず。ぜひ先入観にとらわれず、予測不能な未知のインド旅を存分に楽しんでみてください!

かわいいおかしい
インドスーベニール10

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

かわいいおかしい
インドスーベニール10

TRAVEL

2025.02.07

3 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

インドに行く理由は人それぞれ。インドのかわいく、美しく、不思議なお土産ものも、彼の地を訪れる吸引力のひとつに違いない。ブロックプリントの布、紙細工、アーユルヴェーダのコスメまで……インドを旅した編集部員たちが持ち帰った品々をここに。

Text:TRANSIT

右上・左上・左下・右中/ジャイプルのショップやバープーバザールで購入したブロックプリント。ピンクのパンツは現地で購入した布を日本で仕立てたもの。 右下/NGOが運営するコルカタの〈Sasha Shop〉にて購入したベッドカバー。肌触りが半端なくよい。

Souvenir1/インド各地の布

右上・左上・左下・右中/ジャイプルのショップやバープーバザールで購入したブロックプリント。ピンクのパンツは現地で購入した布を日本で仕立てたもの。 右下/NGOが運営するコルカタの〈Sasha Shop〉にて購入したベッドカバー。肌触りが半端なくよい。

ガンジス川でクルーズして、ボートの上でチャイを振る舞われ、そのまま回収……となるところを、「これください!」と持ち帰ったチャイカップ。

Souvenir2/素焼きのチャイカップ

ガンジス川でクルーズして、ボートの上でチャイを振る舞われ、そのまま回収……となるところを、「これください!」と持ち帰ったチャイカップ。

ガンジス河の聖水を入れるための壺「ガンガージャリ」と思われるが蓋が開かない。ガンジス河の水はバラナシ巡礼のお土産に喜ばれる。

Souvenir3/ガンガージャリ

ガンジス河の聖水を入れるための壺「ガンガージャリ」と思われるが蓋が開かない。ガンジス河の水はバラナシ巡礼のお土産に喜ばれる。

アーユルヴェーダコスメのなかでもやや高級ラインの人気ブランド〈Kama Ayurveda(カーマ・アーユルヴェーダ)〉。部屋に飾りたくなるほどかわいいパッケージの中身はフェイスクレンジング、美容液、クリームの3点セット。ほか、ヘッドオイルやオーガニックココナッツオイル、石鹸も非常に香りがよくて人気。

Souvenir4/カーマ・アーユルヴェーダのコスメ

アーユルヴェーダコスメのなかでもやや高級ラインの人気ブランド〈Kama Ayurveda(カーマ・アーユルヴェーダ)〉。部屋に飾りたくなるほどかわいいパッケージの中身はフェイスクレンジング、美容液、クリームの3点セット。ほか、ヘッドオイルやオーガニックココナッツオイル、石鹸も非常に香りがよくて人気。

ジャイプルのバザールで手に入れたお香。封を切っていなくても部屋中に香りが充満するほど強烈だが、パッケージのデザインや配色、手触りも含めて気に入っている。

Souvenir5/お香

ジャイプルのバザールで手に入れたお香。封を切っていなくても部屋中に香りが充満するほど強烈だが、パッケージのデザインや配色、手触りも含めて気に入っている。

インド版あいうえお表と、ローラープリントによって刷られたシヴァ神のラベル。さまざまな紙ものを扱うデリーの〈ALL Arts〉にて購入。

Souvenir6/インドの紙もの

インド版あいうえお表と、ローラープリントによって刷られたシヴァ神のラベル。さまざまな紙ものを扱うデリーの〈ALL Arts〉にて購入。

大正〜昭和初期に日本で大量に生産され、インドへ輸出されたマジョリカタイル。インドでは19世紀末から20世紀初頭に石版画による神様絵が流行し、そのモチーフがタイルにも転用された。もちろん現在は製造されていない貴重なタイル。

Souvenir7/和製マジョリカタイル

大正〜昭和初期に日本で大量に生産され、インドへ輸出されたマジョリカタイル。インドでは19世紀末から20世紀初頭に石版画による神様絵が流行し、そのモチーフがタイルにも転用された。もちろん現在は製造されていない貴重なタイル。

インド各地の手工芸品が一堂に会するデリーの〈Dilli Haat INA(ディッリー・ハート)〉にて購入。さまざまな造形があったが、シヴァ、ハヌマーン、ベンガルトラをピックアップした。ろうけつのような手触りと独特の色味がお気に入り。

Souvenir8/影絵芝居の人形

インド各地の手工芸品が一堂に会するデリーの〈Dilli Haat INA(ディッリー・ハート)〉にて購入。さまざまな造形があったが、シヴァ、ハヌマーン、ベンガルトラをピックアップした。ろうけつのような手触りと独特の色味がお気に入り。

〈Dilli Haat INA〉にて半ば押し売りされたリキシャ。ミニ四駆のようにちゃんと走るようになっており、意外と、いやかなり気に入っている。

Souvenir9/リキシャのおもちゃ

〈Dilli Haat INA〉にて半ば押し売りされたリキシャ。ミニ四駆のようにちゃんと走るようになっており、意外と、いやかなり気に入っている。

インドで絶大な人気を誇るガネーシャと、シヴァ神が持つ三叉槍(トリシューラ)。これ自体がシヴァ神を意味する。同じく神様とされる牛の真鍮像はビカネールのアンティークショップで購入。

Souvenir10/神様

インドで絶大な人気を誇るガネーシャと、シヴァ神が持つ三叉槍(トリシューラ)。これ自体がシヴァ神を意味する。同じく神様とされる牛の真鍮像はビカネールのアンティークショップで購入。

#気になる人の気になる旅
by 清水みさと
「すべてが愛しいジャイプル」初めてのインド旅

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

#気になる人の気になる旅
by 清水みさと
「すべてが愛しいジャイプル」初めてのインド旅

People: 清水みさと

TRAVEL

2025.02.07

4 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

今回お話を聞いたのは、大のサウナ好きとしても知られるタレント・俳優の清水みさとさん。日本はもちろん、サウナのためなら世界中どこへでも飛び出していく清水さんが、なぜインドに向かったのか? 『TRANSIT Travel Guide INDIA』(2024年10月発売)を入手したとの情報を得て、今回のインタビューが実現しました。

Photo : Kei Fujiwara

Text:TRANSIT

サウナと無縁の国へ。

基本的にはサウナや温泉を探して旅をするんですけど、インドはそれに関係なくずっと行ってみたかった国の一つだったんですよ。なかでもピンクシティと呼ばれているジャイプルは街並みもかわいくて、手仕事も盛んな街ということは知っていたので、手始めに行くならジャイプルかなと漠然と思っていました。
 
そんなときに、雑誌の撮影で初めてお会いしたヘアメイクさんと旅の話になって。「次はどこに行きたいの?」と聞かれたとき、「インドのジャイプルに行ってみたい」と言ったら「待って、私も」と言われてすぐに意気投合したんです。その方も、昨年スリランカを旅していて「次に行くならインドだ」と思っていたみたいで。現地集合・現地解散ならお互いに楽だし、「初めましてだけど、行く?」という流れになりました(笑)。そしてお互いのタイミングが重なる2024年の9月末に初めてインドへ向かいました。

呼ばれてる?呼ばれてない?

ただ、私は前後も仕事の日程が詰まっていたのでインドでの滞在は4日間のみ。友人には「そんな短い期間でインド行く人いる?」と言われて(笑)。それに、目安とされている日数を過ぎてもインドのe-VISAがおりなくて、前日まで行くかどうか結構悩みました。やっぱり4日間のためだけに行くのはもったいないかな、とか。でも、もうチケットも取っているし、やっぱりヘアメイクさんとも現地集合したかったので、もう賭けにでようと思って。デリーからジャイプルまでのトランジットは1時間半しかなかったけれど、デリーの空港でArrival VISAを取ることにしました。
 
いよいよインド行き当日。運悪く日本からデリー行きの飛行機も遅れていたので、デリーに着いた瞬間、超全速力で走って。そうしたら奇跡的にArrival VISAのカウンターに誰も並んでいなかったんです。長いときは3時間くらいかかると聞いていたので覚悟はしていましたが、無事VISAをゲットしてジャイプル行きの飛行機に乗れました。

ただ、これで終わりではなかった。空港から40分くらいかけて、夜10時にやっとホテルに着いたと思ったら、そこでパスポートがないことに気づいて……。パスポートをなくしたのなんて、人生で初めてでした。もう踏んだり蹴ったりで、「私、もしかしてインドに呼ばれてないのかも?」と思えてきて。
 
ただ、冷静に考えたら、ジャイプルに着いてからパスポートを出した記憶があるのは空港の両替所だけだったんです。ひとまず、空港から送ってくれたタクシーの運転手さんに名刺をもらっていたので、連絡したら運転手さんが戻ってきてくれて。また40分かけて空港に戻りました。それで、不安になりながら両替所に並ぶインド人の行列をかき分けて窓口へ行ったら、両替所の人が私の顔を見た瞬間「あっ!」という表情をしていて。「ごめん、渡し忘れていた」というノリでパスポートを返されました(笑)。私が思わず「ああ、よかった」とその場で安堵していたら、周りのインド人たちも拍手しながら「よかったね」「イエーイ」と言ってくれて(笑)。「あ、インド好きかもしれない」と思いました。みんな明るくて優しくて、あれ?聞いていたインドと違うなって。それが始まりで、人がいいなというのがインドの第一印象でしたね。

新手のスキンシップ?

それに私、すごくインドでモテたんですよ。一緒に写真撮ろうと声をかけられることは日本人ならよくあると思うんですけど、私の場合、老若男女にほっぺをつねられるんです(笑)
 
豪華な宮殿の「シティパレス」に行ったときも、インド人観光客のお母さんたちに写真撮ってって言われて。ただ写真を撮るだけかと思ったら、次から次へと私のほっぺをお母さんたちが触るんです。もう、最後はつねりあげられる感じ。ブロックプリントブランドの〈アノーキー(ANOKHI)〉が運営するアノーキーミュージアムでワークショップに参加したときも、木版プリントを体験させてくれたおじいちゃんになぜか最後ほっぺをつねられたんです。みんな赤ちゃんに接するような感じでした(笑)

知らない人の家庭にもお邪魔しました。外から素敵なおうちだなって眺めていたら、家の人が気づいておいでおいでって手招きしてくれて。そこの家族がとても素敵だったんですが、1人若い男の子がいて。そのお母さんが、うちの息子と結婚してくれって(笑)。いろんな国を1人で旅してきましたけど、ほっぺを触られたのも、求婚されたのもインドが初めてです。

「初めてのインド」におすすめの街。

ジャイプルを初めてのインド旅に選んだのは正解だと思いました。街もかわいくて、会う人会う人いい人で。偶然出会ったオートリキシャの運転手さんもとてもよくしてくれました。老舗のラッシーのお店や、地元の人しか知らないようなローカルな食堂、観光地ではない階段井戸、ブロックプリントのお店などもたくさん回ってくれてすっごく楽しかった。ホテルも素敵だったし、初めてのインドにジャイプルは本当におすすめです。
 
ただ、運転手さんにアノーキーの本店に行きたいと伝えたのに、着いたところがなんだかすごく古めかしかった(笑)。インドを代表するブロックプリントブランドの本店が、こんなに寂れているはずがない……と思って入ったら、商品はとてもかわいいんですよ。で、パジャマとかポーチとかたくさん買って、袋見たら「アナーキー」って書いてあって(笑)。「これ、アナーキーじゃん!」って言って、急いでアノーキー本店へ行ってもらいました。

自分とは真逆の「普通」。

ハワーマハル前の交差点って、ものすごい交通量じゃないですか。でも、みんな平然と車の間をすり抜けて渡っていく。私は怖くて、前にいた知らないおじさんの服をつかんで一緒に渡っていました(笑)。
 
リキシャの運転手さんに聞いたんですけど、インドでは道を渡るときに絶対走ってはダメなんだそうです。走って渡ったら逆に事故に遭う。歩く速度をわかっているから、みんなうまく避けることができるんだと言っていました。すごいバランス感覚ですよね。
 
車間距離とかもほとんどないし、常にギリギリを攻めている。こちらからは生きるか死ぬかの瀬戸際に見えても、インドの人たちはその状態が普通というか。自分のなかの「普通」がすべてひっぺがされていく感覚がすごく心地よかったですね。
 
楽しかったり刺激的だったりしても、それで満足してしまって「もう一度行きたい」とはならない国もあります。でも、インドは見事にハマってしまった。ちょうど帰国後に『TRANSIT Travel Guide INDIA』が発売されたんですが、ジャイプルのページを見て答え合わせをしたり、次のインド旅の計画を立てたりしています。次はバラナシへ一人で行く予定です。

【Misato’s Recommendation】

  • Eat/Shree Suraj Restaurant

    ジャイプル観光のハイライト、アンベール城へ向かう道の途中にある地元民に人気の食堂。

    伝統的なラージャスターンターリーも味わえる。

  • See/Panna Meena ka Kund

    アンベール城近くにある小さな階段井戸。

    ジャイプル市街地から車で1時間ほどかかるChand Baoriに規模は劣るが、観光客も少なくのんびり過ごせる。

  • Experience/Anokhi Museum

    ブロックプリントの一大ブランド〈アノーキー〉が展開するミュージアム。

    職人による実演や参加型ワークショップ、歴史や技法にまつわる展示なども。

  • Shopping/Anokhi

    インド各地に支店をもつ〈アノーキー〉の本店。

    豊富なラインアップのほか、サンドイッチやタイカレー、パスタなどの多国籍料理が味わえるカフェも人気。

  • Stay/Umaid Bhawan-A Royal Heritage Style Boutique Hotel

    ジャイプルを代表するヘリテージホテルの一つ。

    マハラジャのハヴェーリー(邸宅)を改装した伝統的建築と贅を尽くした調度品の数々にも圧倒される。

05

Profile

俳優/タレント

清水みさと(しみず・みさと)

日本や世界中のサウナをめぐるサウナ狂としても知られ、ラジオ「清水みさとの、サウナいこ?」(AuDee/JFN全国21局ネット)のパーソナリティーを務めるほか、るるぶ「あちこちサウナ旅」、サウナイキタイ「わたしはごきげん」、リンネル「食いしんぼう寄り道サウナ」、オレンジページ「本日もトトノイマシタ!」など多数の連載を担当する。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー』など舞台でも活躍中。

日本や世界中のサウナをめぐるサウナ狂としても知られ、ラジオ「清水みさとの、サウナいこ?」(AuDee/JFN全国21局ネット)のパーソナリティーを務めるほか、るるぶ「あちこちサウナ旅」、サウナイキタイ「わたしはごきげん」、リンネル「食いしんぼう寄り道サウナ」、オレンジページ「本日もトトノイマシタ!」など多数の連載を担当する。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー』など舞台でも活躍中。

#気になる人の気になる旅 by 堀井美香
「バラナシの夜に考えた」
家族でインド旅

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

#気になる人の気になる旅 by 堀井美香
「バラナシの夜に考えた」
家族でインド旅

People: 堀井美香

TRAVEL

2025.02.07

5 min read

気になるあの人の、気になる旅について訊いていこうという連載企画。 今回、話を伺ったのはフリーアナウンサーの堀井美香さん。50歳を機にTBSを退社した後も、人気ポッドキャスト番組『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』『WEDNESDAY HOLIDAY(ウェンズデイ・ホリデイ)』などのMCを務め、ナレーションや朗読会、本の執筆など、ますます精力的に活動している。

「海外の旅はちょっと苦手で......」と公言してきた堀井さんが、突然のインド旅へ。いったいなぜ? なにをしていたの? ということで、初めてのインド旅のお話を伺ってきました!

Photo : Kaoru Miyachi

Text:Maki Tsuga(TRANSIT)

気がついたらインドに行くことになっていた。

  • T

    毎週楽しく堀井美香さんのポッドキャストを拝聴しております。ポッドキャストのMC、ナレーション、朗読に執筆と、ますます精力的に活躍の場を広げている堀井さんですが、2023年5月にSNSで「インドにいます。」と突然の投稿が。驚くと同時に、堀井美香さんとインドという組み合わせが新鮮で、ぜひお話を聞きたいと思ってご連絡しました。TRANSITも2023年3月に『東インド・バングラデシュ特集』を発売したばかりなんです。

堀井美香さんがXで突然のインド旅をつぶやく。

  • 堀井

    正直なところ、海外の旅に慣れている人間ではないので、私の旅の話を旅雑誌のTRANSITさんにしてよいのか、読者の方を怒らせるんじゃないかと恐縮なのですが(苦笑)。

  • T

    いろんな視点で旅の話をお聞きしたいので、ぜひ堀井さんが見たインドをお聞かせください! そもそもなぜインドに行くことになったのでしょう?

ポッドキャスト『OVER THE SUN Ep.138 帰ってまいりました。インドから、、、』では、堀井美香さんの笑撃のインド旅のエピソードを聞くことができます。

  • 堀井

    もともと夫と「旅行しようね」という話をしていたんです。2022年の春にTBSを退社してから1年経つのですが、その間、なかなか休むことができなかったので、この春はどこかに行こうと思っていました。

     

    そんなときに夫と息子、男同士で急に「インドに行きたいね」と盛り上がっていて、気がついたら私もインドに行くことになっていました。夫、娘、息子、私の4人家族なんですが、今回娘は参加できず、家族3人でのインド旅でした。本当のことをいえば、私は東南アジアのビーチリゾートでのんびりしたかったんですけどね(遠い目)。

© MIKA HORII

  • T

    そんな経緯があったのですね。よく家族旅行をされるんですか?

  • 堀井

    子どもが小さい頃は家族で海外旅行することもありましたけど、娘も息子も大きくなってからは各自で出かけることが多くなって、さらにコロナもあったので、今回は久しぶりの家族旅行でした。

     

    夫も、娘も、息子も、私以外の家族は旅慣れていて、家族の誰も私を旅に誘わないんです(笑)。娘はもう社会人ですが、高校生の頃から「ボランティアでカンボジアに行きたい」と一人で旅に出かけていくようなタイプでした。夫は仕事上、建築が好きなので、建物目当てに一人旅をしたり友人と出かけていったりじゃんじゃん旅をする人なんです。

旅の前は、現地情報を遮断?

  • T

    インド旅はどうやって計画されたんですか?

  • 堀井

    行きたいところや宿泊場所、移動手段は夫が決めていました。私自身はインドの現地情報にあまり触れないようにしていました。

  • T

    ……どういうことでしょう?

  • 堀井

    「インドってどんな国なのかな」と思ってアンテナを張っていると、騙されるとか、スリが多いとか、衛生面のことだとか、注意喚起の情報を見聞きすることが多くて……。「まずい、知れば知るほど、行きたくなくなってしまう」と思って、途中からインド情報をみないようにしていたんです。気軽に海外へ行ける人が、ほんとうに羨ましいです!

インドの衝撃

  • T

    実際にインドに行ってみて、どんな印象を受けましたか?

  • 堀井

    インドは本当にエネルギッシュな国でしたね。街を歩いている人が晴れやかにみえました。女性が色とりどりのサリーを纏っていて、お化粧をしていて、すごく煌びやかで。若い男の人たちもみなさん髪型に気を遣っていて、横は刈り上げて、髪を上にあげて、ソフトクリームみたいなヘアスタイルにしてお洒落していました。自分をよくみせたいというポジティブな空気に溢れているというか。

© MIKA HORII

  • 堀井

    とくにその空気を感じたのが、タージ・マハルがあるアグラ。街にいるのはインドの方ばかりだったんですが、みなさん地方から国内旅行で来ているのか、全身着飾っていて、記念撮影していて、心から旅を楽しんでいるのが伝わってくる。

     

    その様子を見ていて、自分が子どもの頃に秋田から東京観光に行ったときのことを思い出しました。あのときは親が私たち子どもにきれいな服を着せてくれて、親自身もスーツを着てお洒落してお出かけしたなと。旅ってハレの日なんだなと改めて感じました。

© MIKA HORII

  • T

    たしかにタージ・マハルは華やかさをもった観光地ですよね。亡くなったお妃さまのたった一人のために、当時の王様が真っ白な総大理石のお墓を建ててしまうなんて。それこそインドの富も栄光もエネルギーも感じられる場所ですよね。

  • 堀井

    ほんとうに。いまインドの人口が14億人いるといわれていますけれど、みなさんのバイタリティも溢れていて敵わないなと思ってしまいますよね。

インドで堀井さんが購入した大理石の象嵌のお皿。「家の玄関に飾っているのですが、夫と『なんかこういうの飾ると一気に実家感がでるね〜。老夫婦が旅先のものを飾るって、こういうことなんだね』と笑い合ってます」と堀井さん。

バラナシの夜に考えた。

  • T

    アグラ以外にはどこに行かれたんですか?

  • 堀井

    デリーから入って、アグラ、バラナシに行って、北インドを1週間かけて巡っていました。 デリーは車だらけ、人だらけで、建設中の建物が多くて、そこを牛が通っていって。車のクラクションが鳴りっぱなしで、工事現場の音もしていて、ものと音にあふれていましたね。

     

    バラナシはデリーとは街の空気が違って、建物も道の様子も、時代が昔に戻ったような場所でした。街にいる人たちの雰囲気も違って、デリーとはまた違う熱気がありますね。

現地での移動は列車やオートリキシャで。予測不能な列車の時刻に戸惑う堀井さん。途中まで8時間(!)遅れていたけれど、どこでどう巻いたのか、目的地には1時間遅れで到着したという。

© MIKA HORII

  • 堀井

    とくに記憶に残っているのがバラナシの夜。夜中にプージャという礼拝があって、ガンジス川沿いに何人もの僧侶が並んで、信仰心のある人たちが川に押し寄せて祈りを捧げていて、とにかくものすごい喧騒でした。

     

    その光景も目に焼きついているんですよね。川がたゆたっているところにたくさんの火が煌々と燃えていて。水があって、火があって、ここで人が邪心を燃やして、水に流して、現世と来世はこんなふうにつながっていくのかなという感覚がありました。

© MIKA HORII

  • T

    バラナシは、生きているときは、ガンジス川で沐浴をすると罪を洗い流してくれると信じられているし、死ぬときは、川に遺灰や遺体を流してほしいと切望されるような聖地で、生も死も一度にある場所ですよね。沐浴はされましたか?

  • 堀井

    沐浴はしなかったですが、朝、ボートに乗りました。川にはいろんなものが流れていると聞いていたので、水面は見ないようにしていたんです(薄目になる)。

  • 堀井

    それで、川岸に着くと夫が「ちょっと火葬場まで行ってくる」と言うんです。私は「嫌ですからね、火葬場には行かないです」と言っていたんですが、神聖な場所だからカメラは置いてくねと夫から言われて、いろんな荷物を持たされて岸で待っていたんです。そしたら高価なものを身につけているから、いろんな物乞いの人たちがぶわぁーっと集まってきて……。結局、夫の後について火葬場に行くことになったんです。

     

    もう衝撃でしたね。近づいていくと、人や供物やお香やいろんな匂いがするんですけど、「これは人が焼かれた匂いだ」とわかるものがあるんですよね。独特な、これまでに嗅いだことのない匂い。日本の火葬場だと、火葬炉の扉をガチャンと締めて骨と灰になるまで高温で燃やすから匂いはしないじゃないですか。それがバラナシでは焼き場で一日中遺体が焼かれているんですよね。川のへりで大きい煙や小さい煙が立ち上っていて、その煙を呆然と眺めていたら、自分のすぐ脇をオレンジ色の布に巻かれたおじいさんが担架で運ばれていって、「寝てるのかな」と思ったら、川岸で身体に水をかけられて清められているのを見て、「あぁ、死んでるのか」と気がついて。よく考えたら、人が亡くなっているのを見たのは祖父のとき以来だな、と思ったり……。

© MIKA HORII

  • T

    いろんなものごとが同時多発的に起きているというか。

  • 堀井

    もう映画のような現実が目の前で繰り広げられていて、それをその場で処理しきれないんです。ホテルに帰ってからふと火葬場の匂いを思い出して、ちょっと肩が重くなりましたね。

  • T

    ほかにも記憶に残っていることはありますか?

  • 堀井

    物乞いの方に囲まれたときに、どう対応してよいかわからないというのはありますね。

  • T

    旅をしていると、どうしてもそういう場面に出くわしますよね。人対人として接したくても、トラブルの予感がしたら他者を避けなければいけないこともあります。

  • 堀井

    これまで、自分なりにそうした世界の問題にも向き合いたいと思って……私、アフリカの子どもを育ててきたんですよ。

     

    里親制度で、その子たちが18歳になるまで、毎月、送金をしていたんです。名前や顔もわかっていて、毎年、誕生日になると写真や手紙が送られてきました。 微々たることかもしれないけど、自分から遠い世界の問題も解決したい、少なくともそういう気持ちをもっている人間だと思ってきたんです。

  • 堀井

    だからインドの街を歩いていて、最初に物乞いの子どもたちが近寄ってきたときに「いくらかお金を渡したら、1週間くらい食事に困らないんじゃないか」と思っていたんですが、一緒に旅をしていた人たちに「立ち止まっちゃだめ」「あげちゃだめ」と言われて。「それってどうなの?」と旅の最初の頃は思っていたんです。

     

    でも物乞いの人に腕を掴まれたり、お金を渡さないとわかると叩かれたりすることもあって……。旅の最後のほうは、身を守るために、目を合わせないように必死で街を歩いていました。「あぁ、最後は人間、自己防衛してしまうんだな」と悲しくなりました。

  • T

    堀井さんは仕事柄、ふだん人の声に耳を傾けていらっしゃるから、そんなふうに対応しようとすると、くらってしまいますよね。

  • 堀井

    そうですね。夜、ホテルに戻ってきてから「自分はこの社会に対してなにかできないのか」と考えこんでしまいました。自分の財産を投げうってやるまでの覚悟はないし。あぁ私って中途半端だなと。いまでも何が正解なんだろうと考えてしまいますね。

© MIKA HORII

東京の街を歩いても、旅のなかにいるよう。

  • T

    ふだんの旅についてお話を聞かせてください。旅が苦手だと伺いましたが、どうしてなのでしょうか?

  • 堀井

    旅は好きですよ。ただ海外の旅に苦手意識があるんです。英語が話せなかったり、飛行機が怖いからなんですけどね。

     

    国内旅行はこれまで仕事でもプライベートでもいろんなところに行ってきたし、これからも行きたいですね。といっても、これまでは出張でいろんなところへ行っても、すぐ東京にトンボ返りしていました。でも、いまは子どもも大きくなったので、地方に出張へ行くときは2、3日余裕をもって、途中下車の旅もしたいなと思えるようになってきました。

  • T

    今日は編集部がある中目黒まで堀井さんにお越しいただいたんですが、撮影をしながら、緑道を歩いていても、民家に咲いた紫陽花を見ても「中目黒ってこんな街なんですね、ふふふ」と楽しそうに笑っていたのが印象的でした。著書『一旦、退社。』のなかでも、東京に住んでいて東京で働いているのに、いつも東京を旅しているみたいな気分だと書かれていましたね。

  • 堀井

    そうなんですよね。地元の秋田から出てきて、もう東京暮らしのほうが長いのですが、いまでも東京をふわふわとずっと観光しているような気分です。地方から出てきた方だったら共感する部分もあるんじゃないでしょうか。

     

    仕事の現場でも「東京でスタジオ見学しながら司会をする仕事がありますけど、やりますか?」とか「ジェーン・スーとトークする仕事があるけど、やりますか?」と旅行のオプションを体験しているような感覚があります(笑)。そうやって自分を俯瞰してみるクセがあるのかもしれないですね。

  • T

    これからも、海外も、国内も、東京でも……堀井さんの旅のお話を聞かせてください。またインドにもぜひ。

  • 堀井

    そうですね、インド……。もう少し旅慣れた頃に、ぜひ再訪したいですね(笑)。

Profile

フリーアナウンサー

堀井美香(ほりい・みか)

秋田出身。元TBSアナウンサーで現在はフリーアナウンサーとして活躍。ポッドキャスト番組『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』、『WEDNESDAY HOLIDAY(ウェンズデイ・ホリデイ)』を配信中。著書に『聴きポジのススメ 会話のプロが教える聴く技術』(徳間出版)、『一旦、退社。〜50歳からの独立日記』(大和書房)など。

秋田出身。元TBSアナウンサーで現在はフリーアナウンサーとして活躍。ポッドキャスト番組『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』、『WEDNESDAY HOLIDAY(ウェンズデイ・ホリデイ)』を配信中。著書に『聴きポジのススメ 会話のプロが教える聴く技術』(徳間出版)、『一旦、退社。〜50歳からの独立日記』(大和書房)など。

#気になる人の気になる旅 by 在本彌生
手仕事も建築も。
文化香るグジャラートをめぐる旅

月刊TRANSIT/みんなのインド旅計画

#気になる人の気になる旅 by 在本彌生
手仕事も建築も。
文化香るグジャラートをめぐる旅

People: 在本彌生

TRAVEL

2025.02.07

10 min read

インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。

ガンジス河にタージマハル、仏教聖地にスパイス料理。インドの魅力はそれだけではありません。
繊細で芸術的な手仕事や、世界的な建築家が残した建物など、美しくてクールなものもたくさんあるのです。
インド歴30 年超、各地の手仕事をめぐる旅をつづけるフォトグラファーの在本彌生さんに、インドとの出会いからおすすめの都市、今年の旅計画を語っていただきました。

Photo : Yayoi Arimoto

Text:TRANSIT

暮らしと地続きにあるインドとの出会い。

私が初めてインドを訪れたのは、前職で航空会社の乗務員として勤めていた1992年春。社会人1〜3年目はとくにインドが経由地になっていたので、少なくとも月に1〜2 度は行っていました。1996年からはインド赴任となった従兄弟のデリーの家に泊まれるようになり、観光地ではないようなインドの都市も訪ねるようにもなりました。当時はチベット仏教に惹かれていたので、ラダック地方やダラムサラなども訪ねましたね。
 
そうしたなかで、インドの見方が変わったのが、従兄弟にくっついて訪れた〈Barefoot college〉との出会いでした。ラージャスターンのティロニア村にある、創設者バンカー・ロイの思想が詰め込まれたこちらのコミュニティは、女性や農村部の人たちの地位向上を目指した、教育機関であり自立支援施設。大国インドの未知なる可能性や魅力に引きこまれていったのです。
 
また、デリーに半年間居をかまえているイタリア人の同僚や先輩たちがいたことも大きかったですね。インテリアやカーテンなど、インド各地の美しい手仕事に触れたのも、センスのいい友人宅でのこと。当時、まだ写真は撮り始めていなかったのですが、ブロックプリントや、カシミールのショールに出会ったことで、いつかそれらが生まれる場所を訪ねたいという憧れを抱きました。
 
2024年冬には、念願かなって初めてカシミール地域を訪ねました。以前は紛争の影響でなかなか立ち入ることができず、80年代までに彼の地を訪れた人たちの話を聞いては憧れていました。横尾忠則さんの著書『インドへ』でもミステリアスなナギン湖での時間が描かれていたので、益々夢は膨らんで……。実際に訪れてみると、豊かな文化の残る場所で、有意義な時間を過ごすことができました。カシミールへはこの先何度か通って、いつか本にまとめたいと思っています。
 
インドというと、ヒンドゥーの文化や制度がかたちづくる神秘であったり、巧みなスパイス使いの料理などといろいろな魅力がありますが、私の場合は、入り口が旅ではなくて生活に寄り添うことに直面して、そんなことにおおいに関心があったので、インドの手仕事に魅了されていったように思います。

洗練されたインドの美を、アーメダバードで体験。

このような理由から、毎年のようにインドを訪ね、各地で素晴らしい手仕事や文化を体験してきましたが「1週間の旅」を想定して、おすすめのルートを紹介したいと思います。
 
まず訪れたいのは、インド西部グジャラート州の中心都市、アーメダバード。グジャラート州は綿花の生産が盛んだったことから、イギリス統治時代に繊維産業の中心地として栄えた都市で、いくつもの紡績業を営む工場がありました。そんなアーメダバードの私のイチオシは、紡績業で財を成した家族が設立した〈CALICO MUSEUM〉という私設の美術館。綿布の通称だった「キャリコ」の名を冠しているように、布や手工芸の素晴らしい品が展示されています。
 
布や織物、デザインに興味をもっている方には、〈NID(ナショナル・インスティテュート・オブ・デザイン)〉という国立デザイン研究所もいいでしょう。インドでもっとも権威あるデザイン学校で、伝統的な手仕事布を用い、洗練されたデザインで注目を集めるブランド〈Maku textiles〉のデザイナーSantanu Dasも卒業生の一人です。以前拝見した〈ISSEY MIYAKE〉の展示では、インドと日本のクラフツマンシップに目を向けたブランド「HaaT」に関連して、NID にフィーチャーしていたことも印象に残っています。

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ル・コルビュジエが設計した市立の美術館〈サンスカル・ケンドラ美術館〉。1957年竣工。

また、建築の街としても知られているアーメダバードには、近代建築の巨匠、ル・コルビュジエの設計した建物がいくつか残っています。
 
公開されている建物としては、当時のアーメダバード市長の依頼でつくられた〈サンスカル・ケンドラ美術館〉があります。近代建築の様式を取り入れ、東京の国立西洋美術館とも共通する“成長する美術館”のコンセプトのもと設計された美術館です。

 

〈繊維業会館〉も気軽に訪れることができます(事前申請が必要)。こちらは1950年代、紡績業の最盛期に繊維工場のオーナーたちが設立した協会本部が置かれた場所。日除け効果のあるグリッド状のコンクリート、ブリーズ・ソレイユが採用されているなど、その土地の風土にあった機能的な設計をすることで知られるコルビュジエならではの高いデザイン性に触れられますよ。
 
コルビュジエ建築でいうと、ほかには個人宅で非公開のため訪れたことはないのですが、〈CALICO MUSEUM〉を所有するアシャ・サラバイさんの邸宅〈サラバイ邸〉もあるようです。フランスのサヴォア邸と並んで彼の傑作住宅のひとつに数える方もいて、見学できる機会があればぜひ伺いたいと思っています。
 
また、20世紀を代表するアメリカ人建築家ルイス・カーンの設計による〈インド経営大学アーメダバード校〉、コルビュジエに師事して後にプリツカー賞を受賞したバルクリシュナ・ドーシの事務所〈Sangath〉があるなど、建築に興味がある人にとって興味の尽きない街だと思います。

アーメダバードの歴史的な建築物を利用したヘリテージホテル、〈The House of MG-A〉。

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ホテル主催のナイトツアーに参加して、旧市街を散策するのも楽しい。

アーメダバードの宿泊でおすすめしたいのは、旧市街にある〈The House of MG〉というヘリテージホテル。繊維産業で成功した家族の邸宅を改装したホテルなのですが、20世紀初頭の歴史的な内装が表現されていて素敵です。
 
また、旧市街にはかつての紡績業に従事した人たちの歴史的な商館がいくつも残されているのですが、それらをこちらのホテルが主催するナイトツアーで見学することもできます。現地に3日間ほど滞在したら街の雰囲気も建築も十分に楽しめると思います。

手仕事の宝庫、ブージ(カッチ地方)へ足を延ばして。

アーメダバードで都市文化を体験したら、インドでもっとも西にあるカッチ地域へ。目指すのはカッチの中心都市ブージ。鉄道で7〜9時間、飛行機ではムンバイやアーメダバードから1時間ほどの移動の旅になります。フライト本数は多くないので、のんびりと列車の旅がおすすめです。
 
パキスタンとの国境近くに位置し、砂漠地帯でもあるカッチ。アーメダバードと同じグジャラート州ですが、その地に降り立った瞬間から随分と趣が異なることに気づくでしょう。ここは、ラバーリーに代表されるさまざまな民族が行き交う場所で、手工芸の里とも呼ばれるほど手仕事が盛んな地域。アーメダバードの美術館や土産物店で目にした民芸・工芸品が、実際につくられている様子を目にすることができます。

職人さんたちの工房がある地域はブージの中心街からは少し離れていますが、街を歩けば、そこかしこに手工芸品を売る店があり、色とりどりの手工芸品に出合うことができます。アーメダバードの〈CALICO MUSEUM〉で展示されているような品は、かつてのマハラジャが愛用していたような貴重で立派なものですが、ブージで今つくられているのは現地の人たちの暮らしから生まれたもの。手に入れられる価格帯のものもあるので、ウインドウショッピングも楽しいです。
 
カッチ地方の伝統的な手刺繍を活性化させるため、1969年に設立された非営利団体が運営している〈Shryujan〉では、展示だけでなく、作業をしている職人さんたちの様子を見学することができます。実際に商品を手にとって購入もできるのがうれしいですね。

ブロックプリントのための木版を手彫りする。

以前、テキスタイルの職人として注目を集めるブジョディ氏の自宅兼工房を訪ねたことがあります。ブージの織り手の家系に生まれた彼は今、織りだけではなくて染めにも挑戦するなど勉強熱心で、志の高さに感銘を受けました。伝統的なものづくりを次世代へつないでいくために、職人さんたちのあり方も進化していることを実感します。
 
ブージの街を散策するだけでも胸が躍りますが、旅なれた人はブージを拠点に小さな村々を訪ねてみてはいかがでしょうか。ラバーリやアヒルなど、それぞれの民族衣装のスタイルや色使いが異なるのでとても興味深いですよ。

Profile

写真家

在本彌生(ありもと・やよい)

東京生まれ。大学卒業後、外資系航空会社で乗務員として勤務していたときに、めで写真を撮り始める。2006年よりフリーランスフォトグラファーとして的に動を始。雑誌広告会で写真作品映像している。写真MAGICAL TRANSIT DAYSアートートパブリッシャーズ)わたしのたち青幻、また村岡俊也る人学館)『中国手仕事青幻舎では写真を当。

東京生まれ。大学卒業後、外資系航空会社で乗務員として勤務していたときに、めで写真を撮り始める。2006年よりフリーランスフォトグラファーとして的に動を始。雑誌広告会で写真作品映像している。写真MAGICAL TRANSIT DAYSアートートパブリッシャーズ)わたしのたち青幻、また村岡俊也る人学館)『中国手仕事青幻舎では写真を当。

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Yayoi Arimoto

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