2025.05.15
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毎月1つの主題で旅をする、月刊TRANSIT。
今月のテーマは「辺境・秘境でキャンプしよう」。
たとえそれが8,000m級の雪山でも、房総半島の奥地でも、
日常から脱皮できたらそこはもう立派な極地だ。
エベレストで、アイスランドで、千葉のとある野営地で。
今回は、国も自然環境も異なる極地でキャンプに臨んだ
4つの体験記をピックアップ。
外はとってもいい季節。
少しでもキャンプに魅せられたなら、
PCとスマホをキャンプギアに持ち替えて、五感を開く旅に出よう。
「キャンプ」といったら、まずアウトドアシーンを思い浮かべるかもしれないけれど、軍隊や難民や野球チームが集まっている場所もキャンプと呼ばれている。いったいキャンプってなんなんだ? 語源、歴史まで駆け足で解説!
Text:TRANSIT
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日本語で「キャンプ」と聞いて思い浮かべる図といったら、自然の中でテントを張って、火を起こして、ご飯をつくって、寝泊まりする、アウトドアのアレではないだろうか。けれど、欧米圏では所謂キャンプだけではない語感が含まれている。
簡単に、「camp」を使った英単語の事例をみてみよう。
refugee camp/(戦争や災害などの)難民キャンプ
concentration camp/強制収容所
prisoner-of-war camp/捕虜収容所
boot camp/軍、エクササイズ、学習などの特訓プログラムやその施設
camp meeting/野外で行われる宗教的・伝統的な集会
the conservative camp/保守派の陣営
などなど、いろんな意味で使われている。
「camp(キャンプ)」という言葉は、もともとフランス語の単語。英語でも同じつづりだ。英和辞典で調べると、名詞では「野営」「テント生活」「軍隊生活」「団体・陣営」「収容所」、動詞では「キャンプをする」「野営をする」といった意味がある。ちなみに形容詞として「大げさな」「派手な」「わざとらしい」といった意味もあるけれど、こうした意味が加わったのは、フランス語の「se camper(=堂々と立つ、ポーズをとる)」からの派生といわれている。
さらに「camp」という単語の歴史を遡ってみると、ラテン語の「campus(カンプス)」にたどりつく。平野や広場や野原のような「平らな場所」「開けた場所」といった意味があって、古代ローマでは「兵士が集まる場所」「野営地」「戦場」を指していた。たとえば「campus」に由来する「campaign(キャンペーン)」にも、「軍事作戦」といった意味がある。
ここまでみてきたように、欧米圏の「camp」には、軍事要素が多分に含まれている。ちなみにギアの観点からみても、軍用品からキャンプ・アウトドア用品になったものも多い。たとえば、リュックサック、コンパス、アルコールランプ、ドームテント、折りたたみナイフ、フリーズドライ食品……なども、もともと軍用品だったものを大衆化して使いやすくしたもの。キャンプもミリタリーも、目的は野外活動。道具には携帯性、合理性が求められ、軽量、多機能、簡易、頑丈であることが大事。
ミリタリーとキャンプは近い存在、なのかもしれない。
人はいつからキャンプをするようになったのだろう?
「野営」「テント生活」という点から考えると、それこそ人類はひとところに住居を建てて定住する暮らしよりも、まず先に野外に寝泊まりしていたのだから、キャンプは原初の生活様式だといってもいいかもしれない。古代から現代までの歴史をみていこう。
© MisterStock
約200万年前〜1万年前までは、洞窟や岩陰といった自然の地形を利用して、雨風や寒さや猛獣の脅威をしのいで、野営をしていたといわれている。
また世界各地に“人類最古の家”とされるものがあるけれど、そのひとつの形態に「テント」がある。たとえば約1.5万年前のウクライナでは、マンモスの骨や皮でつくった円形のテントのような小屋に暮らしていたとされている。同時期の中央アジアやシベリアでも、動物の骨と皮を使ったテントで暮らしていたとされていて、現在でもモンゴルなどで移動生活をしている人たちは、ゲル、ユルト、ユイなどと呼ばれる機能的なドーム型テントに暮らしている。また北アメリカの先住民のなかには、約1万年前から現在でもバッファローの皮や木を使った移動式住居ティピに暮らしている人もいる。
© Sunti
古代人からしたら、「家をもてる時代になぜキャンプするの?」と思うかもしれない。それでも人は自然回帰したくなるもの。軍事、狩猟、移動のための野営は、古代から現代でも欠かせないけれど、19世紀後半のイギリスやアメリカで、キャンプブームがやってくる。
とくに大きな流れをつくったのが、教育×キャンプの出会い。
アメリカで「キャンプの父」と呼ばれているのが、フレデリック・W・ガン。もともと教師だったフレデリックは、1851年に青少年たちを自然に連れ出して、健康、自立、集団生活を重視した「サマーキャンプ」を実施する。イギリスにも「キャンプの父」がいる。トマス・ハニングスと呼ばれる人物で、1908年に世界初のキャンプ指南書『The Camper’s Handbook』を出版。近代的なキャンプの方法を広めた。同時期に、イギリスの軍人だったロバート・ベーデン=パウエル卿が子ども向けに野営地の作り方、料理、救急法を教える野外活動をしたり、そのテクニックをまとめた『Scouting for Boys』という本を出版して、世界中にボーイスカウト運動が広まる。1895年のドイツでは、野外教育をするワンダーフォーゲル(渡り鳥)運動もスタートした。
ほかにも、1872年にアメリカで世界初の国立公園「イエローストーン国立公園」が誕生したことをきっかけに、国立公園をつくって自然を保護しつつ人も自然を活用しようとする「ナショナルパーク運動」がアウトドアブームを後押し。カナダ、イギリス、日本を含め世界各地に国立公園ができていき、キャンプ、ハイキング、登山人口がぐっと増えた。
© A. Emson
学校の林間学校で飯盒炊飯したり、キャンプファイヤーをしたり、誰しもキャンプは通過儀礼のごとく一度は通る道になりつつある。そんな普及化したキャンプの先にあるのが、多様なキャンプの在り方。
オートキャンプ場に行けば、車をキャンプサイトに横づけし、キャンプ道具を下ろして身軽にキャンプを楽しめる。さらにキャンピングカーがあれば、ベッド、キッチン機能もついて、どこでも寝泊まりできる。
キャンプ施設の充実度でいったら、グラマラス+キャンピングな「グランピング」へ行けば、自分でテントを張らずに、ベッド、冷蔵庫、トイレ、シャワー、Wi-Fi、電源、さらには料理人まで付いてくるテントに泊まることだってできる(もはやホテル!)。
それにキャンプというと、友人や家族で何人かで行くようなイメージもあるけれど、ひとりで気軽にキャンプを楽しむソロキャンも増えてきている。狩猟、登山といった野営シーンを考えたら、そんな個人キャンプも本来のキャンプの姿でもあるかもしれない。
自然のなかで生き抜くため、ときには戦いのため、心身ともに健康に生きるため、自然に癒やされるため……人はキャンプしてきた。これからどれだけ時代がめぐってキャンプのスタイルが変わったとしても、キャンプは永遠、なのかもしれない!
エベレスト、マナスル、アマ・ダブラムなどのヒマラヤ山系をはじめ、世界の山々に赴いて、自然や動植物やそこに暮らす人びとを撮影している写真家の上田優紀さん。エベレストのキャンプの話や愛用している道具について話を訊いた。
Text:TRANSIT
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T
世界の極地・僻地を旅している上田さんですが、場所によっては宿がなく自分でテントを張ってキャンプをする機会も多いと思います。TRANSITではパタゴニア、バングラデシュ、ジョージアなど、世界各地の旅の紀行文も書いていただいていますが、パタゴニアやジョージアへの旅では山でキャンプをしていましたよね?
上田
そうですね。コーカサス特集では、「ジョージアの原点を探して」というテーマで、古都ムツヘタで街の取材をしつつ、コーカサス山脈があるスヴァネティ地方に行ったのでそのときはテントを持っていって山に2泊しました。世界の山特集に掲載されているパタゴニアの旅では、1週間ほどトレッキングをしていました。キャンプしているときに野生のピューマも見ましたよ。
T
最近ではヒマラヤの奥地へ、ユキヒョウを探しにいったとか!
上田
動物が好きなんですよね。極地に行くと、思いがけず野生動物に出会えるのがいい。ヒマラヤの旅では、ユキヒョウだけじゃなくてオオカミにも会いました。水中もよく撮影していて、今年の秋にはシロナガスクジラを撮影しに東ティモールのほうに行こうかなと考えているところです。
T
そんな海も山も撮影している上田さんですが、今日はエベレストのキャンプについてお話を聞かせてください!
登頂を目指す人は、まずはみなさんベースキャンプに泊まると思うのですが、いったいどんな場所なのでしょう?
上田
そうですね。エベレストやマナスルのような8,000m級の登山の場合、一気に頂上まで登ることはできないので、だいたい標高5,000mくらいのところにベースキャンプがあるんです。そこで自分のテントを張って滞在しながら高所順応します。
標高8,849m、世界一の標高を誇るエベレスト。標高5,364mにベースキャンプがある。登山者、シェルパ、キッチンや医療スタッフなど含め、多いときで1000人近く滞在することもある。
© Yuki Ueda
標高8,163mのマナスル。世界で8番目の高さ。8,000m超の山は世界に14座ある。マナスルのベースキャンプは4,700m付近にある。
© Yuki Ueda
T
ベースキャンプに高所順応……。そのフレーズはよく聞きますが、実際にはどんなことをしているんですか?
上田
たとえばネパール側からエベレスト登頂を目指す場合、ネパール入りしてから登頂、下山まで1カ月半から2カ月くらい日数がかかります。でも、5,300m付近のベースキャンプから8,849mの頂上に登るまでは、実は5日間ほどしかかからないんです。それ以外のほとんどの時間をベースキャンプで高所順応をして過ごすんです。
高所順応でどんなことをするかといったら、ベースキャンプのテントの中でじっとしているわけじゃなくて、標高5,300mからさらに6,000mまで登って、テントを張って食料をデポして、自分用のキャンプ1(C1)をつくってベースキャンプまで降りる。また別の日には6,500mまで登って、キャンプ2(C2)のテントを張ってそこに3日ほど泊まって体を慣らして、また降りる。これを繰り返して、アタック用のキャンプをC1〜4まで自分でつくります。
そうやって準備で体を慣らしながら、天気が良くて風の弱い日がつづくのをベースキャンプで待って、そのときが来たら一気に5日間で頂上を目指すんです。無事に登頂できたら、自分のテントを回収しながら2、3日ほどでベースキャンプまで下山します。
標高6,050m付近のエベレストのキャンプ1(C1)。ルートもテントを張る場所も決まりはないが、ベースキャンプ以降は雪崩やクレバス(氷河などの割れ目)の危険度が増すので、だいたいどの登山チームも同じところに拠点をつくる。
© Yuki Ueda
標高6,400m付近のエベレストのキャンプ2(C2)。
© Yuki Ueda
T
ベースキャンプとC1〜4で、荷物も変わるんでしょうか?
上田
大きく変わりますね。
ベースキャンプまではヤクに乗せて荷物を運べるので、100Lぐらいのバッグに荷物を詰めていきます。でもベースキャンプより先は、人が荷揚げするから運べる量も限られます。僕は10人規模の大きなチームでなく、自分とシェルパの2人チームで荷物を分けながら登山しているので、とにかくアタック用の荷物は1gでも軽くしたい。
標高7,200m付近のエベレストのキャンプ3(C3)。
© Yuki Ueda
アタック用のキャンプの荷物。
T
C1〜4にはどんなものを持っていくんですか?
上田
必要なものを、必要な分だけ、という感じです。
まずは食料。テント内で食べるものは、フリーズドライのご飯やお味噌汁の素。行動食として食べるのは、僕は虎屋の羊羹やナッツを持っていきます。羊羹は8,000mでも同じ食感、同じ味、おいしいので元気もでます(笑)。チョコレートバーだと凍ってしまうんですよね。うまく噛み切れなくて口の中で溶かすにも自分の熱量を使うので、カロリーがもったいない。食品はできるだけ紙やアルミのパッケージを全部取って、基本、ジップロックに詰めていきます。少しでも荷物を減らしたいし、包装を開けるのも体力を使うから。
食料とナルゲンボトル。アタック用のC1〜4のキャンプに持っていくものは、基本、ベースキャンプでも使用。水は山の雪や氷を溶かして利用する。
上田
水分補給はナルゲンボトルで。熱いお湯を入れると湯たんぽやホッカイロ代わりになるんです。それに山の上ではこまめに水分をとることが大事。血液濃度が高くなると高山病になってしまうので、たくさん飲んで、たくさん出すんです。1日5Lの水分をとるんですが、味のない水を飲むのも大変なので、梅昆布茶で味をつけて飲んだりしますね。
このボトルはピーボトルにも使えるんです。テントの中でボトルにおしっこをして、朝出発するときに外に捨てるようにしてます。C2あたりの高所になってくると、一つひとつの動作がとにかく大変なんです。どれくらい大変かといったら、僕は標高8,000mでブーツを履くのに20分ぐらいかかる。
それに薬まわりで欠かせないのが、日焼け止め。命にかかわるんですよね。標高が上がるほど紫外線が強くて、塗らないと皮膚が火傷みたいに爛れてしまう。あとは正露丸。うんちをするエネルギーがもったいないので、正露丸を飲んであえて1週間ほど便秘にします。
山でも使っているCanonのR5。
上田
あとはカメラの機材。僕が登山で持っていくのは、最近だとCanonのR5や、マークⅡ。2021年にエベレストに登ったときは、R5と前の型のマークⅠでした。予備含めて全部でボディを3台持っていきますね。以前はフルサイズの一眼で高所登山もしていたんですが、今は1gでも軽くしたくてミラーレスの一眼を使っています。それに15-35mm、24-70mm、70-200mmのレンズを3本。あとはカメラのバッテリー。寒いところはバッテリーを消費しやすいので、登頂アタックから下山までの約1週間で、15個くらい持っていく。三脚を使うのはC3まで。アタック中も少しずつ荷物を調整します。使い切ったバッテリーや必要のない装備は途中のキャンプに置いていきます。
T
寒さで電子機器に不具合が出たりしないですか?
上田
ずっとCanonを使っているんですが、今のところ一度も高山での故障はないですね。登山中も撮影するときだけリュックからカメラを出すとか、バッテリーはウエアの内ポケットに入れておいて体温で温めるとか、そういう注意はしています。
あとは事前に動作チェックもします。エベレストの登山シーズンは春と秋なんですが、そのときの頂上の気温がだいたい−30、40度。同じような装備、同じような環境でも撮影できるかを、日本で試しています。1、2月、八ヶ岳連峰の赤岳の山頂は−30度近くになるので、エベレストで使うカメラ装備を防水ケースに入れて雪の中に一晩カメラを埋めて、翌日取り出してちゃんと撮影できることを確認してから持っていってます。
それと「写ルンです」も持っていきます。もしもデジタル一眼が動作不良になった場合、フィルムカメラで撮ろうと思って、お守り代わりみたいに連れていきますね。
標高7,950m付近のエベレストのキャンプ4(C4)。
© Yuki Ueda
上田
あとリュックに詰めていくのが、ノートの切れ端とペン。登っているときのことを記録しておきたくて日記を書いています。これは僕にとってはすごく大事で、写真と一緒。
T
靴を履くのに20分かかる状況でも、山で日記をつけるんですね。
上田
ただのメモなんですけどね。メモがあると何日目になにがあったか、どんな天気だったかを思い出せる。酸素の残量が気になるとか、死んだ人を跨いだときに「数分後は彼らと同じかもしれない」って思ったことを書いていたり。「心が折れそう」「頑張る」……って書いてますね、改めて他人に読まれると恥ずかしいですが(笑)。
上田
この紙にしても、表紙は不要なので、必要な分だけ破って持っていきます。正直言えば、表紙の数gなんて微差。やりきっているってことが重要というか……。おもしろいものでメンタルとフィジカルって結構つながっていて、「あれやっとけばよかった」「こんなこともできたんじゃないか」って思っていると足が重くなるんですよね。だからやれることは全部やったっていうメンタルのほうが登頂には適してる。
あとは7,000、8,000m級の山に行くときはエクスペディションスーツを着ていきます。すごく機能的に作られていて、無駄なものがほとんどない。お尻にチャックがあって着たままトイレできる。ナルゲンボトル用の内ポケットがあって、ここにお湯の状態で入れておくとあったかいし、水分補給もしやすい。あと6,000m付近だと、日差しがある日は意外と暑いんです。そんなときは上だけ脱げるようにサスペンダーがついていたり。
〈THE NORTH FACE〉のエクスペディションスーツとリュック。
〈THE NORTH FACE〉の容量55Lのリュックサック。
上田
あとはこの55Lのリュック。今話していた荷物と酸素ボンベを詰めて登ります。15年以上使っているけど、全然破れないし補正もせずに使えていますね。 ハードな山登りだけじゃなくて、ロングトレイルを歩いたりするときもこれ。一緒にいろんなところを旅してます。
T
アタック用のC1〜4のキャンプでは、荷物を必要最低限にすることが大事だったと思いますが、ベースキャンプはどうですか?
上田
僕の場合、ベースキャンプにはできるだけ生活感のあるものを持っていきたくなりますね。いってしまえば、ベースキャンプはただ氷河の上にテントを張っているだけの環境。そこで1カ月半、ストレスなく快適に過ごすことが、山に向かうときのよいメンタルにつながる。ストイックにすると精神的に壊れてしまうんですよね。
エベレストのベースキャンプ。
© Yuki Ueda
上田
今はエベレストのベースキャンプでも、お金をかければおいしいご飯が食べられたり、シャワー付きのテントに泊まれます。ただ僕はそこにお金をかけられないので、自分ができる範囲で文化的なものを持ち込んでいます。エベレストは入山料だけでも170万円、ほかにシェルパを雇ったり酸素ボンベを用意したり、登頂するには最低でも800万円近くかかるんですよ。
T
同じベースキャンプでもテントが違うといろんな滞在方法があるんですね……!環境も資金も限られているなかで、どんなものを持っていくんですか?
上田さんがベースキャンプに持っていくもの。
上田
文庫本を6冊くらい持っていきますね。星野道夫さん、村上春樹さん、太宰治、夏目漱石とか……。人間世界から離れたところにいると、人間臭いものを読みたくなります(笑)。僕は本でも映画でもいいと思ったものは何回でも見てしまうほうなので、持っていくのはたいてい同じ本。それに新しい本をタブレットに数冊DLしておきます。
それとルームフレグランス。テントの中でいい匂いがするだけでものすごく癒やされるんです。絆創膏、テーピング、登山用保湿クリーム、それに十徳ナイフなども。しっかりした病院はないので、自分で体調管理しています。
欠かせないものでいうと、ソーラーパネル。もう17年以上使ってます。パネルに付属したUSBに差し込めば、カメラのバッテリーもケータイも充電できます。天気が悪いとなかなか充電できないですが、晴れていれば1、2時間で100%充電できますよ。これは高所登山だけじゃなくて、ロングトレイルなんかでも持っていきますね。
T
ベースキャンプは電波は入るんですか?
上田
WiFiはあるけど、どうにかメールの送受信や画像をアップロードできるかできないかくらい電波は微弱。そういう意味でも、物理的にも心理的にも地上世界から離れた場所だなと思います。
上田
エベレストの場合、標高別にいくつか境界線があるんですよね。
ネパール側のベースキャンプに行くまでに、まず首都カトマンズから北東部の町ルクラに飛ぶ。そこからエベレスト街道沿いをトレッキングする。標高3,440mにナムチェ・バザールという町があって、シェルパの人たちが多く暮らしていて店や宿もある。”町”と呼べる集落があるのはここまでですね。
そこから5、6日間歩くと、標高5,400mのベースキャンプに着きます。標高2,500m以上から高山病の症状がでる人もいるし、走るとすぐ息切れするような環境ですが、それでも登山者にとっては安全地帯に感じるような場所。ベースキャンプ以降は、雪崩やクレバス(氷河などの垂直な割れ目)の危険が高まるし、高山病の症状もひどくなるので、命の危険を感じながら進みます。
C2のテントを張るエリアは標高6,400m付近で、これが人間の身体が高さに適応しようとする限界ラインといわれています。テントでは、ご飯を食べて、水を飲んで、横になる。僕の場合は撮影もしますが、正直、高山病の症状で頭が痛くて眠るのも難しいような状態。ただただ生命を維持するための活動をするという感じですね。みんなここでテントに3日ほど寝泊まりして身体を慣らします。
標高8,000m以上はデスゾーンと呼ばれていて、できるだけ滞在時間を減らすことが生存確率を上げることにつながってきます。なので8,848mのエベレストの頂上に到達しても、その場にいるのは5〜10分程度。僕は写真を撮るために20分くらいいましたが、午後は天気が崩れやすいので、サミットプッシュ後は速やかに標高7,900m付近のC4まで下山してそこで一泊するというのが一般的な行程ですね。
エベレストの頂上から。
© Yuki Ueda
上田
そういう意味で、高所順応でC1〜4まで行って帰ってきたとき、登頂後に下山したとき、ベースキャンプまで来ると、「生きて帰ってきた」という感じがします。
C1〜4のキャンプも、雪崩やクレバスの危険があったり、高山病で眠れなかったりもするけど、それでもテントで風がしのげるだけで、本当に休息になるんですよね。
T
エベレスト登山では、「キャンプ=準備の時間」なんですね。それに「キャンプ=生命を維持しようとする場所」でもある。キャンプは、生身の人間が大自然の凄まじさのなかに足を踏み入れたときに、どうにか生きようとする術なのかもしれませんね。
写真家
上田優紀(うえだ・ゆうき)
1988年、和歌山生まれ。京都外国語大学を卒業後、世界一周の旅にでて、帰国後に写真をはじめる。山から海まで、世界の極地・僻地を旅する。2021年にはエベレストを登頂。著書に『エベレストの空』、写真集『空と大地の間、夢と現の境界線 -Everest- 』、『Ama Dablam』。
1988年、和歌山生まれ。京都外国語大学を卒業後、世界一周の旅にでて、帰国後に写真をはじめる。山から海まで、世界の極地・僻地を旅する。2021年にはエベレストを登頂。著書に『エベレストの空』、写真集『空と大地の間、夢と現の境界線 -Everest- 』、『Ama Dablam』。
便利なもので溢れる世の中において生まれる、人間関係や社会のわだかまりなどの弊害やストレス。自分のやるべきこと、やりたいことが決まっていれば関係ないという強メンタルな意見もあるが、そんな人たちはごく一部しかいないと思う。ネット社会の現代では情報が飽和して善悪の判断が錯綜し自分にとっての幸せを見失いがち。そんなフラストレーションを一時だけでも離脱&解消すべく、私たちは2泊3日、スマートフォンやパソコン、ライフラインから離れた野営キャンプの計画を立てた。本当に大切な物事は何かを整理することで、人生を豊かにするためのヒントを探す旅だ。何と大層なと思うだろうが、ようは悩める30手前の男2人が「キャンプしようぜ」と言い出しただけの話である。
それでは「こじらせ男子の野営体験記 Day1」をどうぞ。
Photo : Kawai
Text:Atsuya Yamazaki
4月3日(木)雨
キャンプ地|千葉県富津市志駒
移動距離|64km
移動時間|5:30〜11:00
東京都大田区4:20am起床。重たい目をこすりながらカーテンに手を差し伸べる。「どうか雨が降っていませんように……」なんて淡い期待は窓を開けずして打ち砕かれた。
今日は2泊3日の野営キャンプ初日。向かう先は都心から車で約60分の場所に位置する千葉県の野営地。好立地にも関わらず、この場所には100年前の江戸時代に掘られたトンネルが存在するなど秘境感が漂うエリアとのこと。そんな神秘的空間でキャンプができる喜びに胸を踊らせながらパッキングを進める。到着予定時間は11:00。なんでそんなに早起きなの?と思っていることだろう。確かにあと4時間は寝られた。ましてや、狭いテントのなか、硬い地面の上で夜を明かすわけだから寝溜めするのがアンパイだろう。しかしその理由は簡潔だ。今回のキャンプが野営スタイルの本質に基づくものだからである。
野営とは本来キャンプ(Camp)の和訳にあたる言葉で、一般的には管理されたキャンプ場以外で行うワイルドなキャンプスタイルを指す。設備が整っていない場所でキャンプを行うアクティビティは危険や不便さも含めて、アウトドアの醍醐味を味わうことができる。つまりは、困ったときに管理人や周囲のキャンパーが助けてくれることはないということである。自分自身で安全性や快適性を確保しなければならない。身体への負担を軽減するために背負う道具を軽くすることはマストな条件となるだろう。もちろん車で行けばどんなに重たい荷物も持ち運びが可能になる。雨が降っても濡れずに済む。寒かったらエアコンをつけて暖をとることだってできる。ただしそれでは野営スタイルの本質から逸れているのではないだろうか?UL(ウルトラライト)ギアを纏いながら車で行くなんて邪道だと感じ、私たちはあえて睡眠時間を削ってまで己に負荷をかけることで日常生活では味わえないスリルや達成感、そしてドM心をくすぐられる旅に出た。
5:30。傘をささなくてもぎりぎりストレスにならないぐらいの雨のなか出発。「俺にしては上出来だな」。今回、一緒に旅をしてくれる写真家の川井景介が言う。雨男として自負がある彼は、GORE-TEXを身に纏い、雨対策にはもちろん抜かりがない。そして、目的地まで片道約4時間の道のりを電車1時間、バス1時間半、徒歩2時間で向かう私たちは、もちろんUL装備にも抜かりがない。ちなみに新幹線を使って片道約4時間の旅行に出かけるとしたら、東京から広島県まで行くことができる。この旅の目的地はお隣の千葉県。タイパが求められる現代に思いっきり逆行してやるつもりだ。
9:00。目的地の最寄りバス停に到着。ここからは徒歩で約1時間半の道のりを進む。川井の首に掛けられた中判カメラが心配になるぐらい雨が強くなってきた。田園風景がつづく道中、度々鉄格子のようなゲージを目にする。中には黄色い粉が山盛りにされている。地元のあぜ道にも似たような柵があったのを思い出した。確かあれはイノシシを捕獲する罠だった気がする。イノシシは助走なしで1.2mジャンプできるということを聞いたことがある。それでいうとあの柵は助走なしで飛び超えられそうな高さだった。
歩くこと1時間、休憩スポットに到着。ここに立ち寄った理由は単に休憩だけが目的ではない。県道182号沿いの志駒地区にあるこの場所は水室山の中腹にある稲子沢不動を水源とした湧き水、志駒不動様の霊水が引かれているのだ。ザックから給水用ボトルを取り出して早速水を汲む。浄水器は持参しているが今日から3日間おいしい水を飲めるのはここが最後だろう。貴重な水源に感謝をしながら目一杯の水を拝受した。
11:00過ぎ、ついに目的地に到着。雨も少しおさまったことで森が歓迎しているような気がして気持ちが高揚する。そして、思っていたよりも広大かつ人の手が入っていない野営地でさらに胸が高鳴る。
荷物を仮置きして、まずは拠点探し。生活におけるベース地、つまりは住まいを見つける訳だから、あらゆる観点からその場所が安全かつ快適かを慎重に見極める必要がある。傾斜はないか、水捌けはよいか、川が近すぎないか……秘密基地を作ることに夢中だった幼少期のように、私たちは雨が降っていることを忘れてくまなく探索した。この場所はもともと林道だったこともあり、入り口からは軽自動車1台分ぐらいの幅の道が走っていて、約20分歩くと崖崩れで行き止まりになっているポイントに辿り着く。通りには錆びれたガードレールに地層剥き出しのトンネル、無造作に倒れた大木など冒険心がくすぐられる風景が広がっていた。そしてついに拠点が決まった。
川に囲まれた小島のようなロケーションが素晴らしい。ただ、川は近すぎるし、地形は中心に向かって傾いていて水溜りになりやすいし、その付近はもちろん水捌けも悪い。慎重に見極めることができなかった私たちは、約1時間隅々まで目を配り探した結果、やはり外観だけで張り場を決めた。また雲行きが怪しくなってきた。早いうちにテントの設営に取り掛かる必要がある。傾斜や地面の凹凸を避けることを意識しながらベストポジションを決める。それにしても川井のテントは男前だ。シェルター型のテントは室内に床面がない開放的かつ汎用性があるスタイルが特徴で、設営、撤収のしやすさが魅力。フロアがない分、地面からの影響をカバーするためにグランドシートを敷くのがレギュラーとなっている。地面のコンディションが悪い今日はシート1枚だけでは心もとない気もするが、川井は慣れた手つきでテントを張りフロアにタイベック性のシートを広げてなんてことない表情で腰を下ろした。
天気が落ち着いてきたので焚き火の準備の前に昼食をとることにした。野営旅の1食目は台湾まぜ飯。日清のカレーメシと同じ類のインスタント食品。湯煎なので簡単にできてすぐに食べられるから最高。オートキャンプ場などのチェックインは大体お腹が空き始める11:00前後だから、ついてすぐ食べられるように初日の昼食はこの手のものでご飯を済ませることが多い。
食べ終えたら早速焚き火の準備に取り掛かる。拠点を探している最中に拾った焚き木と管理人から頂戴した薪を使ってまずは着火剤となるフェザースティックを作る。フェザースティックとはナイフで木の棒を薄く削り羽毛(フェザー)のようにしたもので、ブッシュクラフトのひとつ。一般的には柔らかくて火がつきやすい針葉樹を使うことがおすすめされている。分かっていたけれど水分を含んだ木はやっぱり火がつきにくい。早々にプラン変更。ソロ用の焚き火台を使って小さな火を起こし、その熱で焚き木を乾かす戦略を立てる。頃合を見て大きな薪に火を移せば火群の完成だ。作戦成功。あとは雨が止んでくれることだけを願ってしばし1/fゆらぎに身を委ねることにした。
焚き火には「明かりを灯す」「暖をとる」「調理をする」の3つの要素がある。住まいに明かりを灯し、夜間の活動範囲を広げてくれたり、身体を保温し衣類を乾かして体温の低下を防いでくれたり、食物や水を加熱調理し、温かい食事を確保してくれたり。このように焚き火は衣食住と密接に関係していることに改めて気づかされた。そして賃貸における日常生活のライフラインでは、未払いがつづくとまずはじめにガスが止まることを思い出した。なんて酷なルールだろう。もし有事が起きたときは真っ先に火を確保したい。それと恋バナで話が盛り上がってしまいグータンヌーボのような世界観が生まれていたことは割愛させてほしい。30前の男2人でなんだか恥ずかしいがこれもすべて焚き火のせいだと思う。
あっという間に日が落ちて辺りは暗くなりはじめていた。そろそろ夕飯の支度をしよう。川井の今夜の献立はガパオライスとトムヤムクンスープとラフロイグウィスキー。なんてお洒落で優雅なメニューなんだ……米と野菜しか持って来ていない自分を少し惨めに感じ、ザックから取り出すのを躊躇ってしまった。スパイスのいい香りが漂ってくる。なんだか悔しくなって900mlのクッカーに米をパンパンに炊いて、ストロングスタイルで気持ちを割り切る。スキットルから注がれるウィスキーはべっ甲色に輝いている。残りわずかだった志駒不動様の霊水は底をついていた。あっけなく白旗を上げてスープをひと口もらうことにした。大自然のなかで食べているおかげなのか川井の料理が上手なのか、これまで食べたトムヤムクンスープの中でトップ3に入るくらいおいしかった。
パチンパチンと火が弾ける。21:00、朝も早かったし普段の倍以上歩いているから疲れが溜まっていたせいなのか、はたまた無言が心地よいと感じる焚き火特有のノスタルジックタイムなのか、悩める30手前の男たちの間に無言の時間が流れる。空中に立ちのぼる煙に誘われてふと空を見上げると幾つかの星が見えた。明日の天気予報は確か晴れだった気がするが、雨男川井がいるからいま晴れていても明日の朝の雲行きは怪しいことだろう。そのまま静かな時間は続き、とうとう言葉を発することはなかったが「どうか雨が降りませんように」と川井に強く念じて次の朝を迎える準備を整えた。
写真家
川井景介
1996年12月11日(28歳)。バンド「オレンジスパイニクラブ」のベース、コーラスを担当。また、個人名義の「川井景介」ではMV監督やスチールを手がける。
1996年12月11日(28歳)。バンド「オレンジスパイニクラブ」のベース、コーラスを担当。また、個人名義の「川井景介」ではMV監督やスチールを手がける。
デザイナー
山崎敦也
1996年9月7日(28歳)。デザイナー。クリエイティブスタジオ「PAUSEE(パウジー)」のメンバー。
1996年9月7日(28歳)。デザイナー。クリエイティブスタジオ「PAUSEE(パウジー)」のメンバー。
便利なもので溢れる世の中において生まれる人間関係や社会のわだかまりなどの弊害やストレス。自分のやるべきこと、やりたいことが決まっていれば関係ないという強メンタルな意見もあるが、そんな人たちはごく一部しかいないと思う。ネット社会の現代では情報が飽和して善悪の判断が錯綜し自分にとっての幸せを見失いがち。そんなフラストレーションを一時だけでも離脱&解消すべく、私たちは2泊3日、スマートフォンやパソコン、ライフラインから離れた野営キャンプの計画を立てた。本当に大切な物事は何かを整理することで、人生を豊かにするためのヒントを探す旅だ。何と大層なと思うだろうが、ようは悩める30手前の男2人が「キャンプしようぜ」と言い出しただけの話である。
それでは「こじらせ男子の野営体験記 Day2」をどうぞ。
Photo : Kawai
Text:Atsuya Yamazaki
4月4日(金)晴
キャンプ地|千葉県富津市志駒
7:00、結露でテントの内側についた水滴が顔に垂れてきていることに気づき起床。重たい身体を起こすことなく幕の隙間から天気を確認。快晴。ついでに川井が起きていることも把握。やっと運が巡ってきたと晴れ晴れしい気分になっていたのも束の間、テント室内床面にうっすら水が張っていることを認識。地形が傾斜だったため、水の通り道になっていたことが原因だろう。シュラフはカバーをしていたから問題ないがマットはそこそこ水が染みていた。個人的には幸先の悪い2日目の幕開けとなった。重たい身体を起こして何事もなかったかのようにおはようの挨拶を交わす。テント内にはコーヒーの香りが漂い、川井は今日も優雅に佇む。
朝食は川井が作ってくれた。ハムとチーズをフランスパンで挟んだシンプルで間違えようがないサンドウィッチ。いざ実食。やっぱりおいしい。けど、フランスパンが思っていた3倍柔らかい。どうして……?そういえば、昨日の野営地に向かう道すがら、川井のザック外側のメッシュポケットで雨晒しになっていたことを思い出した。ずっと気になってはいたが旅人風で見栄えがいいからツッコまなかったことも思い出した。川井だって隙があるとホッとしながらコーヒーに口をつける。朝一番の濃いめブラックコーヒーは間違いなくおいしかった。
今日は拠点を変えてみることにした。移転場所は、第2候補だった渓谷が美しいエリアにした。早速移動の準備に取り掛かる。まずは、室内からシュラフと水が染みたエアーマットを取り出す。湿気を取るために天日干しをする必要がありそうだ。そして、びしょ濡れのテントは寿命なのか予想以上に濡れていたのでこちらも陽光に晒す。乾く間に本日のベース地の下見をすることにした。昨日の拠点探索中から気になっていた場所だが、改めて確認するとそこには格別の世界が広がっていた。木漏れ日が水面にゆらゆらと反射していて、真緑の藻に雨露がキラキラと輝いている光景は、ジブリの物語に紛れ込んだような錯覚にみまわれるほど美しかった。そういえば、事前リサーチによるとこの野営地では6月から7月にかけて蛍が見られるという情報もある。高千穂峡のようなこの場所で、蛍の灯りが見られるとしたらさぞかしきれいだろう。次は7月だね、なんて川井と約束をしようとしたが2人とも虫が苦手なので実現しないだろうと思い口には出さなかった。そろそろテントも乾いてきたことだろう。戻ってパッキングに取り掛かる。
それにしても今日は一転して暑いうえに湿度も高い。つまりヒルが現れる可能性があるということ。新しい宿は地面に落ち葉が広がっているからその下は要注意。一度きれいにはらってからテント設営の準備を進める。ヒルは一般的に日陰で湿った場所に生息するといわれているが、彼らを甘くみてはいけない。人が呼吸するときに出す二酸化炭素を感知して接近してくることがわかっている。それに加えて体温などの熱にも反応する。約1.5m〜2mの距離から感知できるため、葉っぱや石の陰だけでなく木枝から人を目がけて飛んでくる恐れもある。なんて厄介な生き物なのだろう。しかし、問題はない。我々はヒル対策を充分整えている。肌に塗るタイプとスプレータイプのヒル除けに加えて、Thermacell(サーマセル)も導入。ブヨ用の虫シールドだが、その他の害虫にも効果があり、広範囲で空間を守ってくれる。(有効範囲はブヨには直径1~2m、ユスリカには直径4~5m)。虫除けとは思えないスタイリッシュなデザインと重さ僅か150gという軽量で持ち運びのしやすさが特徴。ブタンガスカートリッジの最大持続時間は12時間に対して虫除けマットは1枚あたり最大4時間となっているため、連続して使うにはマットの交換をする必要があるが、火も煙もなく無臭なので、テント内で使用することもできるシロモノだ。
テントの設営が完了したので散歩がてら焚き木探しに出た。シラカバのような見た目をした樹が生い茂る林地を発見。枝と幹の色が同じだからこれはきっとダケカンバ。確かシラカバは幹が白くて枝が黒い。ダケカンバの樹皮はボロボロ剥がれやすく薄くて乾燥しているため、古くから着火材として使われていることをキャンプYouTuberから教えてもらった記憶がある。ただ、シーズンじゃないのか表皮が見つからない(後ほど調べてみると5月下旬から6月下旬の時期が剥がれやすいとのこと)。暗くなる前にさっさと次を当たる。20分ぐらい探したがあまりいい木がない。というか、前日の雨でいい木(乾いた木)があるはずがない。結局、拠点付近にあった木々で賄うことにした。
焚き火をする前に昼食をとる。昼食といっても朝ご飯がブランチ気味でお腹が空いていなかったので、川井のトマトパスタを少しおすそ分けしてもらうことにした。食後のドリンクにチャイも用意してくれた。唐辛子が入っていて少し辛かったから丁度よかったし、それを加味して注いでくれたのだろう。スマートな川井に慣れてきた自分が不甲斐ない。そんな話はさておき、川井のザック(Zimmer Built Pika Pack)は最大容量が35L。デイハイクからミニマムなテント泊用だが、カメラ2台とキャンプ道具諸々に丸2日間分の食材を詰め込むというパッキング能力にも驚かされた。
ようやく焚き火の準備に移る。川井が火を熾している間に枝でトング、ボトル缶で焚き火台を作ることにした。作るといってもそんな大層なことはしない。トングは少し水分を含んだ枝を折って切断部分をダクトテープで留めるだけ。あとは掴みやすくするために先端を削る。食材を取る場合は先を軽く炙ってあげると殺菌ができる。きれいに加工することができるならお箸にだってなる。至ってシンプルだが意外とこれが役に立つ。焚き火台も簡単。まずは缶の側面を切って燃料投下口を作る。そして、今回はトレック900(SnowPeak)を乗せるために上部もカット。完成。意外とこれは役に立たなかったがこの手間が楽しいという落とし所をつける。
焚き火も勢いを増し、あっという間に日も暮れてきたので夕飯の支度をする。今日も変わらず野菜炒めと昨晩の川井のお洒落な献立に対抗して炊きすぎた白米を食す。支度といっても野菜炒めも作りすぎていたので腐らせないように川で冷やしていたジップロックを救出して温めるぐらいの工程しかない。一方で川井の本日の晩飯はスパイスカレー。そして、カレーのお供には無印良品のナン。そこまで凝った料理ではないが無印というセレクトやスパイスというワードが都会的な雰囲気を生み出し、やっぱり自分のご飯が野暮ったい気がしてしまう。今日は対抗する余地がないので早々に白旗を挙げる。無印良品といえばレトルトのルーに注目がいきがちだが、ナンもおすすめと川井。材料は水と油があれば、あとは生地をこねてフライパンで焼くだけで完成。洗い物も少ないのでキャンプはもちろん、家で作るカレーの相方としても優秀。また、無印良品にはカレーのセットドリンク、ラッシーの手作りキットもあるとのことなのでカレー作りには無印良品がうってつけなのかもしれない。ちなみに、野菜炒めは途中具が足りなくなって白米に香味ペーストをかけて食べてみたが予想を遥かに上回る絶品だった。表面を少し焼いて味噌おにぎりのようにして食べるのも良さそうなのでみんなも試してみてほしい。
今日で2泊3日の野営キャンプも最後の夜になる。今回の旅はそこまで過酷な環境ではないため難儀な場面はなかったが、スマートフォンやパソコン、ライフラインから離れた生活ではさまざまな神経が研ぎ澄まされることで新しい発見や発想が生まれた。薪拾いから火おこし、自炊までこなすことで新たなスキルを身につけることができたし、風の音や川のせせらぎを聴いているだけで穏やかな気持ちにもなれた。なんて、いいように総括しているが、お酒を交わすなかで30手前男のちっぽけな悩みが一時的に解消されただけだ。でも、それでいい。恥ずかしいが初日より言葉数が数倍増えるぐらい2人の絆が深まったのだから。
写真家
川井景介
1996年12月11日(28歳)。バンド「オレンジスパイニクラブ」のベース、コーラスを担当。また、個人名義の「川井景介」ではMV監督やスチールを手がける。
1996年12月11日(28歳)。バンド「オレンジスパイニクラブ」のベース、コーラスを担当。また、個人名義の「川井景介」ではMV監督やスチールを手がける。
デザイナー
山崎敦也
1996年9月7日(28歳)。デザイナー。クリエイティブスタジオ「PAUSEE(パウジー)」のメンバー。
1996年9月7日(28歳)。デザイナー。クリエイティブスタジオ「PAUSEE(パウジー)」のメンバー。
2025年で創業50周年を迎えた〈モンベル〉の創業者であり代表の辰野勇さん。 世界各地の山を登り川を下ってきた、登山家やカヌーイストとしても知られる辰野さんに、 キャンプの思い出、自然の中で過ごすことの醍醐味をきいた。
Photo : Yuko Shimada
Text:TRANSIT
Index
5 min read
T
辰野勇さんは、高校時代に山への情熱を高めていったとのことですが、初めての登山やキャンプの思い出を教えてください。
辰野
私は大阪の堺市出身なのですが、小学生の頃は登山ブームで、奈良との境にある金剛山へ行く学校登山というものがありました。でも私は体が弱かったので参加できなかった。それがとても悔しかったことを覚えています。中学生になりようやく体力がついてきて、友人たちと山登りに出かけられるようになりましたね。
野外で寝泊まりをした原体験も、中学生の頃のことです。友だちを誘って近くの裏山で一晩を明かしました。もちろんちゃんとしたキャンプの道具はありません。食料を持って、布切れのようなものを木にひっかけてテント代わりにして。そういう時代でした。
T
1975年、28歳で登山用品の開発・製造販売を目指し、フランス語の「Mont belle/美しい山」をもとに〈モンベル〉を創業されました。初めてのヒット商品となったのが、新素材の化学繊維を用いた寝袋だったそうですね。ウエアではなく最初に寝袋に注力をしたことが興味深いです。また、創業初期の1979年に開発された「ムーンライトテント」は、細部のブラッシュアップを重ねつつも、2025年の現在まで基本的な設計は変わってないそうですね。
辰野
高校生のときに教科書で読んだアイガー北壁初登頂記の『白い蜘蛛』に感銘を受け、いつかアイガー北壁を登りたいと考えるようになりました。高校2年生の夏には、単独で日本の北アルプス縦走に挑戦するなど、どっぷりと山の世界に足を踏み入れました。21歳のときには、当時としては最短時間・最年少でアイガー北壁を登頂しています。
そうしたなかで、ウエアや野営の道具に「速乾性」が備わっている必要があるということは、身をもって体験していました。とくに山で一夜を過ごすわけですから、濡れてもあったかい、ということが重要なファクターなのです。
さらに、「軽量でコンパクトである」ことも欠かせません。新素材の化学繊維を用いることで、従来よりも軽量でコンパクトかつ速乾性の高い寝袋を完成させることができました。
〈モンベル〉のものづくりは、自分たちがほしいものを作る、というのが原点にあるのです。
写真提供:mont-bell
T
アイガー北壁登頂などの偉業を達成された後、1975年にカヤックを始められ、川の魅力にハマっていったそうですね。「新しい自分の居場所を見つけた気がした」という表現をされていたのが印象的です(『私の履歴書』より)。以降、世界各地の川でさまざまな冒険もされてきましたね。
とくに印象に残っている川の冒険のエピソードがあれば教えてください。
辰野
北米のユーコンや中米コスタリカの熱帯雨林を流れる川、チベットのヤルツァンポ川の源流など、世界中の川をカヌーやカヤックで下ってきました。
いずれの冒険も刺激的でしたが、とくに印象深いのは、北米グランドキャニオンを流れるコロラド川を3週間かけて下ったときのこと。期間が長いものですから、新月から満月まで、満天の星空を見上げることができました。24時間、自然の中にいるからこそ楽しめることですね。
T
キャンプの醍醐味はどんなところにあるのでしょうか?
辰野
全長85kmの黒部川を源流部から河口まで、1987年から4年をかけてカヌーで下ったことがあります。黒部川は世界でも稀にみる急峻な川で、このときはテントを持たず、タープ(防水のシート)のみでした。
近年は、冷蔵庫やコタツなんかを持ち込んでキャンプをする人も増えているようで、それらを否定するわけではありませんが、私にとっては、キャンプというのは目的ではなく、手段なのです。
アイガー北壁での登攀の際には、断崖絶壁でビバーク(テントを用いずに野外で一夜を過ごすこと)をする必要がありましたし、日本のアルプスでも冬季に−20度のなか、西穂高岳の頂きに立つために屏風岩に吊り下がってツェルト(簡易的なテント)で寝たこともあります。
野営をしなければ見られない景色があるから、キャンプをしているのです。
写真提供:mont-bell
T
どうしても必要ではないけれど、あるとより充実した楽しいキャンプやアウトドア体験になる、という辰野さんならではのこだわりの道具があれば教えてください。
辰野
「アウトドア」というのは、日本語でいうところの野遊びです。私は長年、茶の湯に親しんでいるのですが、茶の湯には、屋外で茶をたてる野点(のだて)という文化があります。
茶道には「みたて」という美意識があって、野っ原に赤い絨毯を敷いて、滝や山を掛け軸にみたて、海外の山で茶をたてることもあります。茶の湯は日本人の和の心を表すもの。人びとをもてなす気持ちと、自分自身が楽しみたいという思いで、〈モンベル〉でも、茶せん、茶杓、茶碗などがセットになった野点用の製品を作っています。今年は能登半島・輪島漆器を用いた器も開発しました。
もうひとつは、笛です。野遊びの一環で、山でも川下りにも持参して演奏しています。自分で作った笛もあるんですよ。
写真提供:mont-bell
T
辰野さんにとって、野営をしたり、自然の中で過ごすことで得られるもっとも大切なことは、いったいなんだと思いますか?
辰野
自然の中においては、動物も植物もヒトもみな平等だということです。自分自身の力で、自然の変化に対応していく必要があります。だからこそ、自然の中に身を置くことで、人間本来の感性に気づけるということではないでしょうか。
T
最後にひとつ質問です。20万年前にアフリカに誕生した人類は、よりよい場所を求めて移動をつづけ、世界各地に広がり、現在の場所に定住するようになりました。辰野さんが、居住地を探しながら移動をしている時代の人類だったなら、どの地域に暮らしたいですか?
辰野
難しい質問ですね(笑)。今いる場所が心地いいと思っています。“居場所”ということでいえば、山の中が自分の居場所。
私は人生とは、自分の景色と居場所探しの旅だと思っています。そして、その旅は、どこへ行くかはさほど重要ではありません。何を見たいかという好奇心、そして、誰と行くかも大切なのではないでしょうか。
辰野 勇
1947年、大阪・堺生まれ。登山家、冒険家、カヌーイスト。1975年、登山用品展メーカーとして株式会社モンベルを設立。現在モンベルグループ代表を務め、野外教育や自然環境保全、被災地支援、地方創生などの分野でも精力的な活動をつづけている。
1947年、大阪・堺生まれ。登山家、冒険家、カヌーイスト。1975年、登山用品展メーカーとして株式会社モンベルを設立。現在モンベルグループ代表を務め、野外教育や自然環境保全、被災地支援、地方創生などの分野でも精力的な活動をつづけている。
隙さえあれば世界のサウナへ飛び出していくサウナ狂・清水みさとさん。TRANSIT.jpでも世界のサウナ連載をもつ清水さんが、今回は温泉大国アイスランドでサウナ……ではなくキャンプしました。現地から届いた旬のキャンプ体験記をお届け。
Photo : Kei Fujiwara
Text : Misato Shimizu
飛行機の窓からのぞくアイスランドは、ひたすら茶色い大地がつづき、なんだか生まれたての地球みたいだった。
© MISATO SHIMIZU
首都のレイキャビクに近づくにつれて分厚い雲が増えつづけ、窓から見えていた茶色が消えた。雲行きは怪しいけれど、わたしはうれしくて胸の鼓動が止まらない。
だって、何を隠そうアイスランドは温泉大国。わたしが行かないでどうするんだって強気な姿勢で、ずっと行きたかった念願の国。
仕事仲間でもあるフォトグラファーの藤原慶さんが、プライベートでアイスランドに写真を撮りに行く計画を立てていると、TRANSIT編集部でタイミングよく聞きつけたわたしは「行っちゃおうかな」と気安く便乗。仕事でもあり、休暇でもある境目が曖昧な旅をすることになった。
そうです。今、わたしはアイスランドにいます。
© MISATO SHIMIZU
18時、ケプラヴィーク国際空港着。どんよりとした天気のアイスランドに出迎えられたわたしたちは、レンタカーで車を借りて、レイキャビク市内のホテルへ向かった。
ごつごつとした岩肌が大地を埋め尽くす車窓に、まったく人の気配を感じない。曇り空も相まって殺風景に磨きがかかって、異国というより、間違えて異星に来てしまったみたいだった。みどり以外のネイチャーって、ものものしくてちょっと怖い。アイスランドは「自然」というより「ネイチャー」が似合う。なんでだろう、色と空気と壮大さ?そもそも違いもあまりわかっていないけど、なんだかわたしは「ネイチャー」と呼びたい。
© MISATO SHIMIZU
風呂を巡るアイスランド一周の計画を立てているわたしたちは、これから9日間滞在する。アイスランドと仲良くなれますようにと祈りながら眺めた車窓の景色は、やっぱり殺風景で、なんだか眠くなってきた。
© MISATO SHIMIZU
今回のロードトリップは、わたしも車を運転したかったので、去年オランダに行ったときに取得した国際免許を持ってきた。海外での運転はオランダ以来2度目になるけれど、アイスランドのネイチャーが想像以上のスケールで、こんな場所で運転ができるか、ちょっとだけ不安になった。
© MISATO SHIMIZU
着いて早々、夜中3時に着信があって目が覚めた。9時間の時差があるため日本はお昼の12時。申し訳ないけど、アイスランドなのですみませんという気持ちで潔く無視を決め込んだ。しかしながら圧倒的な白夜。すでに空が明るくなっていた。
わたしたちが宿泊したホテルの目の前に、アイスランドで一番高い74mの建造物、ハットルグリムス教会がそびえたっていた。わたしの部屋は教会側の最上階で、天窓がついており、窓枠いっぱいに教会が映りこんでいる。見守られているようなのに、服を着替えようとすると、妙に見られているような感覚にもなってちょっとおかしかった。画角がどアップすぎるのだ。
© MISATO SHIMIZU
それにしても今思い返すと、なんてラッキーな部屋だったんだろう。幸先のいい旅の始まりだった。
アイスランドには、大自然の中にポツンと一軒家みたいな感じで、ポツンと野風呂がいくつもある。
それらの風呂に浸かりたいのはもちろんのこと、アイスランドの圧倒的なネイチャーにどっぷり浸ってみたかった。だからロードトリップを選んだし、せっかくならと、あまり馴染みのないキャンプを大自然の中でやってみたかったので、初日にキャンプ道具をレンタルした。
© KEI FUJIWARA
アイスランドを反時計回りにロードトリップして、5日目。北のほうへ辿りついた。
たまたま見つけた野風呂のような自然の中にポツンと佇む温泉があって、地元のおじいさんがひとりで細々と管理していた。一応受付はあるけれど、ビジネス感がまったくない。誰かに気兼ねすることもなく、まるで自然そのものの一部になったみたいだった。
© KEI FUJIWARA
気温任せの追い焚き機能が存在しない野風呂は、本日38℃。硫黄の香りが漂う温泉が身体を包み込む。毎日4〜6時間は車に乗っているので、一気に身体の力が抜けていくのがわかった。やっぱり風呂はすごい。
© KEI FUJIWARA
アイスランドには、言葉にできないスケールと、ちょっと怖くなるような静けさがあった。その中に身を置いていると、自分の存在が一気に小さくなって、でもだからこそ確かにもなるちょっと不思議な感覚もあったりする。
© KEI FUJIWARA
© KEI FUJIWARA
目の前には特大の岩山があり、見上げればどこまでも空があり、風呂に浸かりながら、壮大なネイチャーに心が満たされていくのがわかった。
© KEI FUJIWARA
翌日、さらに北へ移動し隣に野風呂のあるキャンプ場を見つけた。
© MISATO SHIMIZU
まずは温泉にゆったり浸かり、湯冷めする前にキャンプ場へ移動してテントを張る。
テントを立てて、風に煽られながらイスを出し、バーナーでお湯を沸かす。別の温泉施設で売っていたカップヌードルを取り出した。謎のフォー。(持参した日清のカップヌードルは、旅の2日目に食べてしまった。早い。)
湯を注ぎ、3分待つ。さっきまで出ていた太陽に特大の雲が覆い被さった。風もちょっと冷たくて、せっかく温まった身体からどんどん熱が消えていく。お湯の熱まで逃げてしまわないか心配になった。
お箸がないというとんでもないミスを犯したことに気がついて、完成間近なこともあり、慌てて木を拾って箸を見繕ってみた。
© KEI FUJIWARA
人生で一番長い3分間を過ごし、ようやく出来上がったカップ麺のふたをめくった瞬間、湯気とともに漂ってきた香りだけでもう絶品だった。
ひとくちすすって、これが本当においしくて、「ミシュランじゃん!」と本気で思った。
旅先で食べるカップラーメンは何度も経験があるけれど、こんなに沁みたことはない。温泉の余韻と、キャンプの達成感と、アイスランドの空気ぜんぶが、スープに溶け込んでいるみたいだった。
この広すぎるアイスランドのネイチャーど真ん中に、キャンプをすることでほんの少しでも自分の居場所を作れたことがうれしかった。それにしても、湯上がりにキャンプをしながらカップ麺をすすってる自分がなんだかシュールで最高に愛おしい。
テント泊もしてみたかったけれど、気温5度、体感-2度。温泉が近くにあるとはいえ、ろくに装備もしていないキャンプ初心者のわたしにとって、5月のアイスランドで野宿なんて無理だった。だからまた夏に、リベンジしに来たい。
それでも、毎日、予想もつかない天候に翻弄されながらも、温泉のおかげで少しずつ馴染んでいく実感がある。つまり仲良くなれている?
生まれたての地球みたいなアイスランドの壮大なネイチャーに触れ、わたしの心の中に小さくて確かなスペースができた気がした。
© KEI FUJIWARA
*アイスランドではキャンプ場以外でテントを張ることや野宿をすることは禁止されています。指定場所を確認の上、ルールとマナーを守ってお楽しみください。
「辺境・秘境でキャンプしよう」を読んでくれたみなさんに、バックパック、シャツ、アウトドアナイフや山フードなど、キャンプに欠かせないスペシャルプレゼントをご用意しました。 アンケートに答えてご応募ください!(応募締め切りは2025年6月30日)
〈THE NORTH FACE〉で定番人気のHot Shot生誕30周年を祝して、デビュー当時のモデルをほぼ再現したリバイバルアイテム。水筒を入れられる大きなフロントコンパートメント、ブランケットやジャケットなどを運べるよう配置されたストラップなどが特徴。内部には30周年モデル限定のプリントも。クラシックなデザインが今の気分にぴったり。
自然の中で心地よく過ごすためにぴったりな〈MILLET〉の軽量長袖シャツ。虫を寄せつけにくい防虫機能に加え、清涼感と速乾性、UVカット機能を備えている。虫が嫌がる接触忌避剤ペルメトリンを後加工した素材「インセクトバリヤー®」を採用。肌にも安心です。男性は「FERN」、女性は「GINGER SPICE」カラーのシャツを各1名様に。
●商品名|
インセクト バリヤー チェックシャツ ロングスリーブ(メンズMサイズ)
インセクト バリヤー チェックシャツ ロングスリーブ(ウィメンズMサイズ)
●価格|各¥15,400
●問合せ先|ミレー・マウンテン・グループ・ジャパン/050-3198-9161
創業50周年を迎えた〈mont-bell〉からは、記念商品を2つ。1つ目は、背負う、提げるの2通りの使い方ができ、ギア類の運搬に適したバッグ。1984年の発売当初の姿を再現した復刻モデルで、開口部はジッパーで大きく開き、小物用のポケットを備えています。2つ目は、極寒の環境でも優れた保温効果を発揮する、登山用に開発された軽量コンパクトなサーモボトル。50周年のモンタベアロゴが愛らしい。
●商品名|50th ギアコンテナ
●価格|¥5,100
●価格|¥4,900
スウェーデン中部のモーラ地方で生まれた〈モーラナイフ〉は、130年の歴史を誇る本格的なアウトドアナイフブランド。定番人気の「コンパニオン」はその名の通りさまざまな場面で頼れる相棒となるナイフで、薪割りから料理までこなす万能型。自然界からインスピレーションを受けたというカラーも格好いい。
山を愛するフーディーたちのために商品開発された、〈マウンテン グルメ ラボ〉の本格的な山飯。初代セットには、「鶏と舞茸のシェリー煮込み」「タケノコと柑橘のグリーンカレー」「ラムと豆のトマトシチュー(ブルグル入り)」、新作には、「山椒七味香る豚汁雑炊」「烏賊塩辛のクリームペンネ」「トマトと炸醤の合体麻婆飯(厚揚げ入り)」がセットに。シェフの味を山でも楽しめる!
足裏にある3つのアーチをサポートするテーピング構造をもった〈Goldwin〉のソックス。着地時に脚にかかる衝撃を吸収するだけでなく、足裏アーチがバネの役割を果たして推進力をもたらす。また、ソックス内側のつま先とかかと部分は、クッション性の高いパイル構造に。環境への負荷に配慮してリサイクル素材を使用している点も特徴です。サイズ2を2名、3を1名、4を2名の計5名様に。色はお任せください。
以下の「読者アンケート」に答えてご応募ください。応募締め切り2025年6月30日(月)まで。プレゼントの当選発表は、発送をもって代えさせていただきます。写真と実際の商品は、カラーなど異なる場合がございますので、ご了承ください。