2025.08.15

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毎月一つの主題で旅をする、月刊TRANSIT。
今月のテーマは、「80年目の平和への旅」。
第二次世界大戦に降伏した80年前の夏から今日まで、日本は一歩ずつ平和への道を歩んできた。
そして終戦直後から現在までの「戦後」、さまざまな場所で、さまざまな物語が紡がれてきた。
人びとは、自らが置かれた場所でどのように「平和」を模索してきたのか。
広島、長崎、沖縄、東京、パールハーバー、アウシュビッツ……。それぞれの場所で紡がれる、戦争の記憶と平和への道を辿る旅。

戦争はなぜ起こる?
第二次世界大戦前夜からイスラエルのガザ侵攻まで
近現代の戦争史をおさらい

月刊TRANSIT/80年目の平和への旅

戦争はなぜ起こる?
第二次世界大戦前夜からイスラエルのガザ侵攻まで
近現代の戦争史をおさらい

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2025.08.15

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1945年8月15日のの第二次世界大戦の敗戦以来、日本は一度も戦争に参入することなく、新たな平和を築き上げてきた。しかし、憲法改正やさまざまな国際情勢のなかで、日本が80年間築いてきた「平和」もにわかに揺らぎつつある。なぜ戦争は起き、今も各地でつづくのか。歴史を繰り返さないために、先の戦争と現代の戦争を見つめなおす。

Text : TRANSIT

1868年に起きた明治維新。それは日本の近代史の幕開けを告げる大きな転換点だった。その近代史は1945年8月の第二次世界大戦の敗戦を境に、大きく方向を変えて現代史へと移行。2025年はそれからちょうど80年目にあたり、この期間を私たちはしばしば「戦後」と呼んできた。
 
視点を変えてみると、1868年から1945年の77年に及ぶ近代史のうち、戦争をしていなかったのは最初の26年だけだった。残る50年は、日清戦争から太平洋戦争終結まで、ほぼ途切れなく戦争をつづけた時代だといえる。
 
戦争に明け暮れた50年と、平和を追い求めた80年。日本の現代史は近代史の期間を超えようとしている。

1945年9月2日、重光葵外相が日本政府を代表し、東京湾にやってきた戦艦ミズーリ号の甲板上で降伏文書に署名する様子。

© The U.S. federal government

戦後80年、日本は戦火を交えることなく平和への道を歩んできた。戦争を直接知る世代は少なくなり、多くの人にとってそれは教科書や映像の中のできごととなりつつある。

 
なぜ、日本は戦争を始めたのか。そしてそれはどのように終わり、何が残ったのか。まずは日本が当事者となった、私たちにとってもっとも身近な先の戦争について整理したい。

沖縄県糸満市にある沖縄県平和祈念資料館。沖縄は、第二次世界大戦末期、日本の都道府県としては唯一の大規模な地上戦が行われた場所である。

© Syohei Arai

Why did we the war?

なぜ日本は戦争へと向かったのか?

明治維新は、日本が欧米列強の植民地化を避け、生き残るために行った国家改造だった。1871年の廃藩置県によって中央集権化が進み、近代的な軍隊や徴兵制、全国統一の教育制度が整備される。これにより「藩」に属していた人びとは初めて「日本国民」という枠組みに統合され、国家と個人が直接結びつく社会が誕生。この統合は「国のために尽くす」という意識を制度的に植え付ける道でもあった。
 
その中心に据えられたのが国家神道と天皇制である。神道は宗教ではなく国民統合の制度とされ、天皇は「現人神(あらひとがみ)」として国の中心に置かれた。学校教育や儀式では神話と歴史が結びつけられ、天皇への忠誠が国民の当然の務めとして教え込まれる。「日本人とは何か」という問いに、国家が明確な答えを与える構造がここに成立した。
 
大日本帝国は、神話を基盤とし、また神話に活力を与えられた国家だった。明治維新は「神武天皇の時代に戻れ」をスローガンに掲げ、大東亜戦争(太平洋戦争)でも「八紘一宇(はっこういちう)」という神武天皇の言葉とされる標語が喧伝された。国体、神国、皇室典範、万世一系、男系男子、君が代、軍歌など、その言葉の多くは神話と深く関係している。

明治維新期、国家神道の象徴として重宝された神武天皇と八咫烏を描いた月岡芳年による錦絵(1880)。

近代国家としての自信は、日清・日露戦争の勝利によってさらに強まっていく。とくに日露戦争における勝利は、欧米列強に対抗し得る力を示すと同時に、アジアの隣国に対して優越感を抱かせる契機ともなった。やがて、アジアの連帯や独立を掲げたアジア主義の理想は次第に変質し、解放の旗印は支配の論理へと姿を変えていく。
 
20世紀初頭、国際社会は世界恐慌や資源不足に直面し、多くの国で社会不安が広がった。日本でも経済危機や政治腐敗への失望感が高まり、軍部の影響力が増大する。1931年に満州事変が勃発し、軍事的には短期間で満州全域を制圧する「成功」を収めたが、国際連盟からの非難を受け、1933年に連盟を脱退。これにより、軍部の独走と政治介入は一層加速し、やがて日中戦争、太平洋戦争へと、「国益」の名のもとで、戦線は際限なく拡大していった。
 
振り返れば、2度にわたる大戦の背景には、近代国家の形成、国民統合の物語、国際的な競争と孤立、そして資源や領土をめぐる争いが複雑に絡み合っていたことがわかる。着実に、そして不可避であるかのように、日本は戦争への道を歩んでいったのである。

1929年、株価暴落直後のニューヨーク証券取引所前に集まる人びと。世界恐慌の幕開けとなったこのできごとは、ドイツ・日本・イタリアで全体主義や軍国主義の台頭を促し、国際協調を崩壊させた結果、第二次世界大戦への道を加速させた。

© US-gov

国連体制の難しさ

第ニ次世界大戦後、国際社会は国連体制のもとで武力行使を原則禁止し、例外として自衛権の行使を認めた。自衛権には、自国が攻撃された場合に行使する個別的自衛権と、他国への攻撃を自国への攻撃とみなす集団的自衛権がある。日本は長く後者を認めてこなかったが、日米安保の非対称性を是正するため、2010年代に安保法制を整備し、限定的に行使を可能とした。
 
近年では、「平和」を単に戦争のない状態とするのではなく、人権や尊厳、生命を守り、構造的暴力から人びとを解放するという積極的平和の理念が広がっている。虐殺や迫害が起きたとき、国家が自国民を守れない場合には、国際社会全体が保護責任を負うという考え方だ。

 
一方、現実には、国連の集団安全保障体制は理念としては正しくとも、遠方の紛争に他国が軍事的に関与する意欲は低く、常任理事国間での合意形成も容易ではない。

1945年2月、ヤルタ会談で国際連合の設立構想を協議する連合国首脳たち。左からチャーチル(英国)、ルーズベルト(米国)、スターリン(ソ連)。この会談は、戦後の国際秩序の枠組みを決定づけた歴史的瞬間となった。

それは現在進行形で行われているロシアウクライナ戦争や、イスラエルのガザ侵攻などを見ても明らかだ。
 
そもそも戦争はなぜ起こるのか。現代の戦争から読み解いてみる。

What is war?

戦争はなぜ起きる?時代を越えても変わらない、争いの4つの動機

戦争の原因は、時代や地域によって異なるようにみえる。しかし、その根底にある動機は驚くほど変わらない。民族、資源、宗教、領土。この4つは古代から現代まで、武力衝突の火種でありつづけてきた。

【民族】

民族の違いは、ときに国境を越えて人びとを結びつける一方で、深い分断を生むことがある。言語や文化、歴史の相違は「我々」と「彼ら」を区別し、排外的な感情を生み出す。戦争前夜にはしばしば、特定の民族や集団を危険視するプロパガンダが広まり、それが武力行使の口実となった。

主にミャンマー西部に暮らすイスラム系少数民族ロヒンギャの人びとは、長年にわたり市民権を認められず、移動や就労、婚姻など基本的権利を制限されてきた。2017年以降、軍による大規模な弾圧と暴力により、数十万人が隣国バングラデシュなどへ避難を余儀なくされている。

© Foreign and Commonwealth Office

【資源】

水、土地、鉱物、石油──近代以降はとくにエネルギー資源の確保が戦争の大義として語られることが多い。資源は国家の発展を支える一方、他国を従属させる手段ともなり、その奪い合いが衝突を生む。

南スーダンでは、豊富な石油資源をめぐる利権争いが、民族間の対立や政治的権力闘争と複雑に絡み合い、武力衝突の長期化を招いた。2013年から2018年にかけてつづいた内戦の爪痕は、今なお人びとの生活を深く蝕んでいる。

© Jill Craig (VOA)

【宗教】

宗教は人びとの価値観や世界観を形成する強力な基盤である。異なる信仰心が対立すれば、争いは容易に妥協点を失ってしまう。聖地や儀式、戒律が武力の標的となるとき、戦争は単なる利害対立を超えて「正義」の名を帯び、より激しい衝突へと変貌する。

© Hrant Nakashian

Jaber Jehad Badwan

ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地が集中するエルサレムやヨルダン川西岸、ガザ地区をめぐる対立は、20世紀半ばのイスラエル建国と、それに伴うパレスチナ人の大量追放(ナクバ、写真上)を契機に激化した。領土問題に加え、宗教的象徴や民族的アイデンティティが深く絡み合い、紛争は長期化している。Nature誌によれば、2023年10月から2025年1月までのガザ紛争におけるパレスチナ人死者数は、推定約84,000人に達するとされる。写真下は、2025年1月に撮影されたガザ地区における強制移住の様子。

【領土】

国家の主権と直結し、わずかな国境線の変化が外交関係を一変させる。島や山脈、河川などの地形は地政学的な要衝として、昔も今も争奪の対象でありつづけている。

ロシアによるクリミア併合(2014)と、現在もつづくウクライナ侵攻(2022–)。黒海の制海権や軍事拠点をめぐる争いは、ロシアとウクライナの対立を越え、欧米諸国を巻き込む国際紛争へと発展している。

© Still Miracle Photography (London)

これらの要因は単独で作用することは少なく、互いに複雑に絡み合って戦争の背景をかたちづくる。かつての日中戦争や日露戦争は、領土や資源、民族観をめぐる衝突が複雑に絡み合った典型例だった。そして現代の戦争もまた、この4つの軸から逃れることはできない。

21世紀の戦場から見えるもの

21世紀における戦争は、武器や戦場だけでなく、その構造と見え方が大きく変化している。ウクライナ侵攻、ガザでつづく武力衝突と民族浄化、ミャンマーの内戦。それぞれ背景や当事者は異なるが、現代の戦争には共通する特徴がある。
 
第一に、戦場がリアルタイムで可視化されるようになったことだ。SNSを通じて、市民や兵士が撮影した映像が瞬時に世界中へ広がる。かつては政府や軍の発表が唯一の情報源だったが、今や無数の視点が同時に存在し、戦争の現実が瞬間的に拡散される。その結果、国際世論の形成スピードは加速し、外交や支援の方針にも影響を与える。
 
第二に、戦争の形態そのものが多様化している。無人機(ドローン)やAIを使った攻撃、インターネットを通じたサイバー戦、経済制裁や情報操作といった非軍事的な手段が組み合わされる。戦場はもはや国境線にとどまらず、サイバー空間や金融市場にも広がっている。
 
第三に、民間人の被害がかつてなく増大している点が挙げられる。都市への砲撃やインフラの破壊は、戦闘員と非戦闘員の境界をあいまいにし、生活基盤を直撃する。避難や移住を余儀なくされる人びとは、戦闘が終わっても長く困難な生活を強いられている。

2022年12月14日、ロシアによるドローン攻撃で撃墜された自爆型ドローンの破片により損傷を受けた、キーウ市シェフチェンキウシキー地区の建物。

© State Emergency Service of Ukraine

さらに、現代の戦争では「敵」や「味方」の線引きも複雑化している。国家と国家の戦争だけでなく、国家と非国家組織、複数の武装勢力が入り乱れる構図は珍しくない。そのため和平交渉も難航しやすく、停戦しても再燃の可能性が高い。
 
こうした変化は、戦争をより長期化させ、終わりを見えにくくしている。ウクライナやガザでは、国際社会が仲裁に乗り出しても、根底にある領土・民族・宗教・安全保障の問題が解決されない限り、安定は訪れにくい。ミャンマーでは、軍と市民勢力の対立が内戦化し、国内の分断を深めている。
 
現代の戦争を理解するためには、武力衝突そのものだけでなく、その周囲にある情報戦、経済戦、国際政治の動きを同時に追う必要がある。そして、私たちの生活もまた、エネルギー価格や食料供給、難民受け入れなどを通じて、この戦争の影響下にあることを忘れてはならない。
 
過去の戦争が示した「民族・資源・宗教・領土」という動機は今も変わらない。しかし、その表れ方は新しい技術や国際秩序の変化によって形を変え、私たちの目の前で進行している。

2024年4月、ミャワディ包囲戦を逃れタイへ避難するミャンマーの人びと。カレン民族同盟らと国軍との戦闘が激化し、1日で数千人が越境した。

© VOA

世界中の人びとを巻き込んだ第二次世界大戦の戦後から80年。戦争を生身で体験した世代が去りつつある今、必ずしも前の世代の教訓がそのまま受け継がれるとは限らない。
 
戦後80年の歩みをどのように捉え、これからの時代をどう紡ぐのか。その答えは、唯一の戦争被爆国に生まれ、現代の戦争を間近に見る私たちも見出せるのかもしれない。
 
 
【参考文献】
⚫︎『なぜ日本人は間違えたのか─真説・昭和100年と戦後80年─』 保阪正康(新潮社)
⚫︎『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』 辻田真佐憲(講談社)
⚫︎『「米日・米韓両同盟」と「極東1905年体制」―サンフランシスコ講和・日米安保70年目の視点―』千々和 泰明
⚫︎『戦争と平和 ―国際法、国際政治、歴史の視点から―』大沼保昭

今、戦争を考える場所へ 海外編 
アウシュヴィッツ、テロのトポグラフィー...etc.

月刊TRANSIT/80年目の平和への旅

今、戦争を考える場所へ 海外編
アウシュヴィッツ、テロのトポグラフィー...etc.

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2025.08.15

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1945 年8 月15 日、日本が第二次世界大戦の終戦を迎えてから80 年。世界を巻き込んだ大戦を終えても、戦争は過去のものとはならず、侵略、紛争、武器の保有と生産をはじめ、今も各地で争いが起こっている。第二次世界大戦のゆかりの場所を訪ね、今、改めて戦争について考える。海外編では、ヨーロッパ、アジアなどを中心に、第二次世界大戦を感じる10の場所を解説していく。

text:AYAHA YAGUCHI

1.アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館/Auschwitz-Birkenau State Museum
@ポーランド・オシフィエンチム

ホロコーストの記憶を継ぐ負の世界遺産
 
ナチ・ドイツが1940年にポーランドに設立した最大規模の強制収容所跡地を博物館にしている。第二次世界大戦中、110万人以上の人がここで命を奪われ、その9割がユダヤ人、ほかにポーランド人、ロマ、同性愛者なども殺害された。
 
この博物館は“負の世界遺産”として1979年にユネスコ世界遺産に登録され、二度と同じ過ちを繰り返さないための教育の場として、毎年200万人以上が各国から訪れている。広大な敷地内には2つの収容所があり、収容者の写真や私物、ガス室、焼却炉などが残され、当時の実相を物語る。見学の所要時間は4時間ほど。人類史上でもっとも暗い記憶がまざまざと残るこの博物館で平和の尊さを学びたい。

07

Information

アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館 Auschwitz-Birkenau State Museum

住所|Więźniów Oświęcimia 55, 32-600 Oświęcim, Poland

入場条件|
入場料……ガイド付きツアーは有料。無料の時間枠もある。
営業時間……1月・11月7:30〜15:00(2月〜16:00、3月・10月〜17:00、4月・5月・9月18:00、6月・7月・8月〜19:00、12月〜14:00)
休館日……1月1日、12月25日、イースターサンデー
*事前にオンラインで入場パスの取得が必要

01

2.テロのトポグラフィー/Topography of Terror
@ドイツ・ベルリン

ゲシュタポ本部跡で知るナチ恐怖政治の実態
 
ベルリン中心部でナチ・ドイツの恐怖政治の実態を展示する野外博物館。1933年から1945年にかけて、この場所にはゲシュタポ(秘密警察)、SS(親衛隊)、国家保安本部などの本部が集中し、まさにナチによる恐怖政治の拠点が置かれていた。現在は、発掘されたゲシュタポの地下牢跡と、ナチ時代の記録を展示するドキュメントセンターとして無料公開されている。
 
また、敷地の横には数百mに渡るベルリンの壁も現存。東西統一の際にハンマーで激しく叩かれた跡なども残されている。ナチ・ドイツと冷戦という二つの恐怖“terror”を、肌で感じられる場所だ。

09

Information

テロのトポグラフィー
Topography of Terror

住所|Niederkirchnerstraße 8, 10963 Berlin, Germany
入場条件|
入場料……無料
営業時間…… 毎日10:00〜20:00
休館日……12月24日、12月31日〜1月1日

01

3.ノルマンディー上陸作戦の遺跡群/D-Day Landing Sites in Normandy
@フランス・ノルマンディー地方

史上最大規模の上陸作戦の舞台を歩く
 
約200万人の連合軍により実行された史上最大規模の上陸作戦の舞台、それがフランス・ノルマンディーだ。1944年6月6日(D-Day)、連合軍はドーバー海峡を渡って、ノルマンディー海岸に上陸。その後はパリに進撃し、西ヨーロッパ解放の転機を掴んだ。

激戦となったオマハビーチ、ユタビーチなど5 つの上陸海岸には、当時を物語る記念碑や博物館が点在。「カーン記念博物館」や「バイユー・ノルマンディー戦い博物館」では、作戦の全貌などが詳しく学べる。ほか、ドイツ軍砲台ロング・シュル・メールやマルベリー港の遺跡なども現存し、戦争を今に伝える重要な遺跡群が数多く見られる。

09

Information

ノルマンディー上陸作戦の遺跡群
D-Day Landing Sites in Normandy

住所|Various locations in Normandy, France
入場条件|
海岸……24時間開放・無料
博物館 施設により異なる(カーン記念博物館などは有料)

01

4.パールハーバー歴史地区/Pearl Harbor Historic Sites
@アメリカ・ハワイ

ハワイで太平洋戦争の終始を目撃する
 
日本軍による真珠湾攻撃の現場で、太平洋戦争の発端となった場所。現在も米軍基地として機能しつつ、複数の記念館や博物館が立ち並ぶ歴史スポットとなっている。
 
1941年12月8日(現地時間では7日)の攻撃で沈んだ戦艦アリゾナの真上には「アリゾナ記念館」が建てられ、米軍の重要な鎮魂の場になっている。一方、「戦艦ミズーリ記念館」では、1945年9月2日に日本が降伏文書に調印したミズーリの甲板を見学できるなど、太平洋戦争の始まりと終わりを同時に体感できる。
 
「潜水艦ボーフィン号」では、潜水艦内や日本の特攻潜水艇「回天」などが、「太平洋航空博物館」では歴代の戦闘機や修復されたゼロ戦などが展示されている。日本が関与した歴史現場として、平和学習の意義は大きい。

05

Information

パールハーバー歴史地区
Pearl Harbor Historic Sites

住所|1 Arizona Memorial Place, Honolulu, HI 96818, USA
入場条件|
入場料……歴史地区への立ち入りは無料(一部施設は有料)
ビジターセンターは7:00~17:00(年中無休、12/25、1/1 除く)

01

5.ブラッドベリー科学博物館/Bradbury Science Museum
@アメリカ・ニューメキシコ州ロスアラモス

アメリカからみた原子爆弾
 
人類史上、もっとも重要かつ論議を呼んだ科学プロジェクトといわれる「マンハッタン計画」。科学技術という切り口から、原子爆弾開発の歴史を学べる貴重な施設がここ。核兵器開発の拠点となったロスアラモス研究所内に設置された「ブラッドベリー科学博物館」だ。
 
核分裂の原理から実際の爆弾製造の過程までを詳しく展示。広島に落とされた「Little Boy」、長崎の「Fat Man」の実物大模型のほか、「Gadget」(トリニティ実験装置)やオッペンハイマーをはじめとする科学者たちの証言、当時の機密文書なども公開。また、核の平和利用や核軍縮についても詳しく学べる。アメリカで原爆を考えさせる場所として、1951年から核実験を行っていたネバダ核実験場や人類初の核実験を行ったトリニティ実験場にも近いネバダ州ラスベガスの国立核実験博物館や、マンハッタン計画でプルトニウムの生産拠点となって今も放射能汚染のあるワシントン州ハンフォードサイトといった街などがある

07

Information

ブラッドベリー科学博物館
Bradbury Science Museum

住所|1350 Central Ave, Los Alamos, NM 87544, USA
入場条件|
入場料……無料
営業時間……火曜~土曜10:00~17:00、日曜13:00~17:00
休館日……月曜、感謝祭、クリスマス、元旦

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6.国立第二次世界大戦博物館/The National WWII Museum
@アメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズ

年間100万人が訪れる米の戦争博物館
 
ヨーロッパ戦線から太平洋戦線まで、アメリカの視点から詳細に伝える世界有数の博物館。館内には、戦闘機や戦車、潜水艦などの実物展示に加え、4Dシアターなどの没入型体験施設も完備。戦争の記録映像はもちろん、激戦を生き抜いた兵士たちの体験談を聞くこともできる。
 
また、ノルマンディーのD-Day上陸作戦のジオラマや太平洋戦争の島々での激戦に関する圧巻の展示が並び、あらゆる人びとに戦争の規模と複雑さを訴える構成となっている。
 
今日では年間100万人以上が訪れる施設となり、TripAdvisorでは世界2位の博物館に選ばれた実績も。アメリカにおいて、もっとも重要な戦争博物館のひとつだ。

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Information

国立第二次世界大戦博物館
The National WWII Museum

住所|945 Magazine St, New Orleans, LA 70130, USA[{{type}} Annotation]
入場条件|
入場料 大人……36ドル
営業時間……9:00~17:00
休み|マルディグラの日、感謝祭、クリスマス
*事前予約を推奨

01

7.九一八歴史博物館/918 History Museum
@中国・瀋陽

中国の視点から満州事変の軌跡をたどる
 
1931年9月18日に起きた南満州鉄道爆破(破柳条湖事件)の現場に建つ博物館。この事件から日本の関東軍が中国軍に攻撃をしかけ、日本が満州を占領下に置くこととなる(満州事変)。これが、その後15年間にわたる日中戦争のきっかけとなり、日本の第二次世界大戦の参戦にもつながっていく。
 
館内では、中国側の視点から満州事変が詳細に展示されている。2024年9月にリニューアルオープンし、事件の経緯や関東軍の動向、中国民衆の抵抗史を、立体模型や等身大人形なども加わった。
 
日本人にとっては重い歴史と向き合う場だが、展示には日本語訳もついていて理解しやすい。異なる史観に触れることで歴史認識の複雑さを実感できる貴重な場であり、多角的な視点で過去を検証することこそ、未来に向けた歩みの第一歩となりそうだ。

09

Information

九一八歴史博物館
918 History Museum (September 18th History Museum)

住所|遼寧省瀋陽市大東区望花南街46号46 Wanghua South Street, Dadong District, Shenyang, Liaoning Province, China
入場条件|
入場料……無料(身分証明書の持参が必要)
営業時間……9:00~17:00(季節によって異なる)
休館日……月曜
*事前予約推

01

8.ペリリュー島戦跡群/Peleliu Battlefield Sites
@パラオ

日米2万人が散った激戦地へ
 
1944年9月から11月にかけて太平洋戦争屈指の激戦地となった島。日本軍、米軍それぞれが約1万人の死傷者を出したといわれ、戦車や砲台の残骸、洞窟陣地、トーチカ、兵士たちのヘルメットなど、多くの戦跡が残されている。
 
日米両軍の慰霊碑が建立され、戦没者への哀悼の念をこめて、現在も多くの人びとが訪れる。2024年には「第二次世界大戦記念博物館」もオープンし、戦闘の詳細や兵士たちの証言を学べるように。
 
現在はパラオ政府が戦跡保存を進め、戦争の実相を後世に伝える貴重な場に。美しい珊瑚礁に潜む戦争の痕跡が、平和の尊さを強く訴えかけてくる。

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Information

ペリリュー島戦跡群
Peleliu Battlefield Sites

住所|Peleliu Island, Republic of Palau
入場条件|
入場料……ペリリュー島観光税25ドル
営業時間……日中随時見学可能ツアー参加推奨

01

9.テニアン島・ノースフィールド基地跡/Tinian North Field Airbase Ruins
@アメリカ・北マリアナ諸島

エノラ・ゲイと原爆が飛び立った場所
 
北マリアナ諸島の一部として美しい自然に囲まれているが、人類史上でもっとも重大な軍事作戦の舞台となった島。1945年8月には、島内のノースフィールド基地で原子爆弾「リトルボーイ」と「ファットマン」が組み立てられ、B-29爆撃機のエノラ・ゲイとボックスカーが、広島と長崎に向けて飛び立った。
 
現在も当時使われた4本の滑走路と原爆ピット(組み立て場所)が現存し、核時代の始まりを物語る。近くには「原爆の碑」が建立され、犠牲者への慰霊と平和への祈りが込められている。途方もなく重い現実から平和の尊さを学ぼうと、世界中からの訪問者が絶えない。

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Information

テニアン島・ノースフィールド基地跡
Tinian North Field Airbase Ruins

住所|Tinian Island, Commonwealth of the Northern Mariana Islands
入場条件|
入場料……無料
営業時間……見学可能(米軍の演習時は封鎖される)
*ツアー参加推奨

01

10.ヤド・ヴァシェム/Yad Vashem
@イスラエル・エルサレム

ホロコースト600万人の犠牲者を悼む記念館
 
ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺で犠牲になった約600万人のユダヤ人を追悼するイスラエルの国立記念館。館内には歴史博物館や美術館などがあり、「名前の広間」には約270万枚にわたるホロコーストの証言と犠牲者一人ひとりの名前、運命が記録されている。
 
また、自ら命の危険を冒して迫害からユダヤ人を守った人びとは「諸国民の中の正義の人」として顕彰され、日本の外交官・杉原千畝氏も含まれている。
 
こうした展示を見終えたとき、彼らの勇気が遠い昔の美談ではないことに気づく。今この瞬間にも、世界各地で続く差別、偏見、暴力を前にして、私たちは同じ選択を迫られている。

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Information

ヤド・ヴァシェム@イスラエル
Yad Vashem

住所|Har Hazikaron, Jerusalem 9103401 Israel Har Hazikaron, Jerusalem
9103401 Israel
入場条件|
入場料……無料(事前予約必須・10歳未満入場禁止)
営業時間……月曜、木曜9:00〜19:30(火曜、水曜、日曜〜16:00/金曜・祝日前日〜13:00)
休館日……土曜、ユダヤ教の祝日、休日

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「真珠湾航空博物館」で考える
これからのRemember Pearl Harbor

月刊TRANSIT/80年目の平和への旅

「真珠湾航空博物館」で考える
これからのRemember Pearl Harbor

People: Pearl Harbor Aviation Museum

TRAVEL&LEARN&WATCH

2025.08.15

10 min read

1941年12月7日(日本時間では12月8日)、日本海軍がハワイ・真珠湾にあるアメリカ艦隊を奇襲攻撃。わずか2時間の攻撃で、民間人含む2400人以上の命が奪われた。この攻撃を受けて、アメリカは日本に宣戦布告を行い、第二次世界大戦に本格的に参戦。戦争のグローバル化が進むきっかけとなった。
長らく、日米の「対立」を象徴する出来事として語られてきた真珠湾攻撃。しかし、ハワイにある「Pearl Harbor Aviation Museum(真珠湾航空博物館)」は、この歴史を「平和」の出発点として見つめ直し、未来へつなげようとしている。今回は、同館の職員の方々に、その想いと取り組みについて聞いた。

text:Takumi Okazaki cooperation:Pearl Harbor Aviation Museum

アメリカ人にとって「真珠湾攻撃」とは

──あらためて、アメリカの方々にとって「真珠湾攻撃」とはどのような意味をもつ出来事でしょうか?

真珠湾攻撃は、「リメンバー・パールハーバー」という言葉とともに、アメリカ国民を団結させる強力なスローガンとなりました。終戦後も長きにわたって、「アメリカが第二次世界大戦に参戦した正当な理由」として語り継がれてきた側面があります。
 
それから84年が経った今でも、その犠牲者は厳かに追悼されています。一方で、歴史をより深く、内省的に見つめ直す動きも広がってきました。日本の民間人や兵士の視点にも目を向けながら、さまざまな角度から理解しようとする姿勢が根づきはじめています。

03

1941年12月7日午前8時過ぎ、10機の日本海軍の艦上攻撃機が戦艦アリゾナを攻撃。4発の爆弾が投下され、そのうちの一発が弾薬庫と火薬庫に引火して大爆発を起こし、沈没した。

真珠湾航空博物館は、ハワイのオアフ島の実際に真珠湾攻撃の被害を受けた場所に位置している。近くには「アリゾナ記念館」「戦艦ミズーリ記念館」「パールハーバー・ビジターセンター」「太平洋艦隊潜水艦博物館」などが点在している。

──博物館の展示を通して、どのようなことを伝えたいですか?

私たちが伝えたいメッセージは明確です。真珠湾の歴史を、「対立」の象徴ではなく、「平和」について考えるきっかけとして受け取ってほしい。そんな願いを込めて、展示を企画しています。
館内には、真珠湾攻撃や太平洋戦争で使われた50機以上の航空機のほか、戦艦アリゾナの実物の一部や、日本軍の零戦も不時着直後の状態で展示されています。
さらに、退役軍人や民間人、歴史家など多様な立場の声を収集・展示し、来館者に「考えるきっかけ」を提供しています。どのような経緯で攻撃に至り、その日何が起きたのか、そしてそれが世界をどう変えたのか。単なる日付や数字ではなく、人びとの決断や犠牲、体験を通して伝え、歴史に命を吹き込むことを目指しています。
歴史は「ヒーローと悪役」だけで語れるものではありません。そこには、時代を生きた無数の人間の物語があります。私たちは、国籍を問わず、戦争に影響を受けたすべての命に敬意を払っています。

真珠湾攻撃で破壊された戦艦アリゾナの破片の一部。この12月7日の日本軍の攻撃により、戦艦3隻を含むアメリカ海軍の艦船8隻が撃沈され、さらに戦艦6隻を含む多数の艦船が損傷し、航空機100機近くが失われ、2,400人以上のアメリカ軍人と民間人が命を落とした。

戦艦アリゾナを沈めた日本海軍の「中島 九七式3号(Nakajima B5N2 [KATE]」の機体も展示されている。

展示室で生まれる心の交流

──アメリカ人と日本人の来館者は、展示に対してどのような反応を示しますか?

アメリカ、日本どちらの来館者も、深い敬意をもって訪れてくださいます。ただ、アメリカの方々は先祖への誇りや感謝の気持ちを抱いていることが多く、日本の方々はより静かに、内省的な想いで展示と向き合う姿が印象的です。
 
とりわけ感動的なのは、異なる背景をもつ人びとが同じ空間で出会い、互いに敬意をもって時間を共有する瞬間です。たとえば、日本の元兵士が静かに花を手向けたり、アメリカの退役軍人が日本からの来館者に「来てくれてありがとう」と声をかけたり。こうした場面は、歴史がただの過去ではなく、今を生きる私たちの姿勢によって息づいていることを教えてくれます。

──日本からの来館者とのあいだで、感情的なつながりが生まれたエピソードはありますか?

今でも忘れられない出会いがあります。ある日本人ご夫婦が、戦時中にパイロットだったお祖父さまを亡くされた直後に来館されました。おふたりは静かに、ゆっくりと展示を見て回り、最後に「全体の物語を伝えてくれてありがとう」とスタッフに声をかけてくださいました。
 
お祖父さまは生前、戦争についてほとんど語らなかったそうです。でも、ここで展示をご覧になって、「祖父が抱えていた苦しみに、少しだけ近づけた気がする」と話してくださいました。責任や正しさを問うのではなく、ただ人間として過去に向き合い、心を通わせるそんな出会いでした。

──修学旅行の学生が訪れることも多いそうですが、若い世代は展示に対してどのような反応を示しますか?

学生たちは、展示されているものがすべて「本物」であることに驚きます。なかでも強く印象に刻まれるのは、当時使用されていた格納庫「ハンガー79」の内部です。1941年12月7日に撃ち込まれた銃弾の痕が、今もガラスに残っている。歴史が決して遠いものではなく、「すぐそばにある」ことを静かに語りかけてきます。
 
とくに若い世代に向けて設計された『パールハーバーから平和へ』というプログラムに、私たちは誇りをもっています。この体験型プログラムでは、第二次世界大戦に関わった一人ひとりの意思決定を追体験し、個人の選択が未来にどのような影響を与えるのかを実感できます。単に「何が起きたか」を伝えるだけでなく、「なぜそれが起きたのか」「これから自分たちは何をすべきか」と問いかけることを重視しています。

真珠湾攻撃の際に、窓ガラスに打ち込まれた弾丸の痕。

平和は日々積み重ねていくもの

──今、世界情勢がまた緊張しているなかで、この博物館から私たちが学べることは何でしょうか?

大きな教訓の一つは、一人ひとりの人間がもつ攻撃性が、いかに急速に破滅的な戦争へと発展してしまうかということです。しかし同時に、どんな時代であっても、思いやりや勇気、知恵をもって行動した人たちがいた事実も忘れてはいけません。
 
過去は変えられませんが、そこから学ぶことはできます。対話を重んじるリーダーを選ぶこともできるし、子どもたちに国境を越えた視野を育む教育を届けることもできます。平和は一日でつくられるものではありません。だからこそ、毎日少しずつ積み重ねていく姿勢が大切なのだと思います。

日本からの修学旅行生の見学も受け入れている。

──日本からの来館者に向けてメッセージをいただけますか?

この博物館は、誰かを責めるための場所ではありません。記憶をたどり、振り返り、和解を目指す場所です。日本からいらっしゃる皆さんには、心から歓迎されていると感じていただきたいし、戦争で傷ついたすべての命への私たちの敬意が伝わればうれしく思います。
 
そして何より、皆さんがここを訪れてくださること自体が、歴史や海を越え、世代をつなぐ架け橋となっているということを感じていただけたらと思います。皆さんはこの物語の大切な一部であり、その存在に、私たちは心から感謝しています。

Information

【Pearl Harbor Aviation Museum(真珠湾航空博物館)】

住所|319 Lexington Blvd, Honolulu, HI 96818 アメリカ合衆国

料金|一般チケット

●オンラインチケット
$27.99/大人
$15.99/子ども(4~12歳)

●現地窓口で購入する場合
$29.99/大人
$17.99/子ども(4~12歳)
$20.99/カマアイナ&ミリタリーの大人
$10.99/カマアイナ&ミリタリーの子ども(4~12歳)

*3歳以下の子どもは無料です。
*当館を含む、パールハーバー史跡群の中にある4つの博物館・記念館に入場できる、お得なパスポート「パールハーバーパスポート」もあります

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Yayoi Arimoto

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