硫黄島に米軍が侵攻した日

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硫黄島に米軍が侵攻した日

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2025.02.19

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2月19日は、硫黄島に米軍が侵攻した日。
 
日本最南端の火山列島の一部である硫黄島は、1945年初めまで日本軍の統治下にありましたが、第二次世界大戦時、アメリカとの激しい戦闘の舞台となりました。

© US Navy

第二次世界大戦中、硫黄島は戦略的に極めて重要な島でした。この島を占領すれば、米軍にとって日本本土爆撃の拠点となるため、日本軍は本土上陸を阻止する最後の防衛線として、死守を図ったのです。

 
1945年2月19日から21日にかけて、米海兵隊の2個師団が硫黄島に上陸。同月後半には3個師団がつづきますが、日本軍守備隊は島内に点在する洞窟に効果的に陣取り、数週間に及ぶ米軍からの攻撃を受けながらも粘り強く抵抗しつづけます。

地形を巧みに利用して構築された日本軍トーチカ(防御陣地)。このような陣地が島中に無数に構築された。

© Archives Branch, USMC History Division

島の占領をめぐる戦いは、米国が正式に占領を宣言するまで、ほぼ1か月にわたってつづきました。なかでも、もっとも困難な戦いのひとつとして知られるのが摺鉢山の戦いです。
 
摺鉢山は、硫黄島の南西端に位置する標高168mの火山。決して高い山ではありませんが、その山頂からは島全体を見渡すことができるため、絶好の観測地点となっていました。

吹き出る蒸気でコーヒーを温めるアメリカ海兵隊員。

© USMC Archives from Quantico, USA

米軍は上陸作戦に先立ち、大量の砲弾を摺鉢山に向けて撃ち込みました。その苛烈さは衝撃で山の形が変わるほどだったといわれますが、日本軍はこの山を要塞化しており、コンクリート製のトーチカにこもった守備隊は依然として健在でした。
 
3日間に及ぶ準備砲撃の後、米軍は上陸し摺鉢山を目指しますが、日本軍の激しい抵抗を受け、想定外の損害を被ります。結局、山頂を占領するまでには4日間を要し、激戦の末にようやく制圧されたのです。

戦闘開始から5日後の2月23日、摺鉢山の頂上に星条旗を掲げる6人の米海兵隊員。このうち3人は、戦いの勝利を見ずに命を落とした。

© Joe Rosenthal

硫黄島の戦いでは、日本側でおよそ2万1900人、アメリカ側でおよそ6800人が戦死しました。
 
米軍は圧倒的な兵力と火力で勝利を収めましたが、日本軍の地下要塞戦術と徹底抗戦により、想定を超える甚大な被害を受けました。この戦いは太平洋戦争における激戦の象徴となり、戦後も多くの映画や書籍で語り継がれています。
 
この島で繰り広げられた壮絶な戦闘と、そこで命を落とした多くの人びとの歴史は、決して忘れてはなりません。戦争の記憶を風化させず、平和の尊さを次世代へと伝えていくことが、今を生きる私たちに課せられた使命ではないでしょうか。

2012年、日米合同慰霊祭に出席するローレンス・スノーデン、ヘンリー・スタックポール3世両退役中将。

© U.S. military

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Yayoi Arimoto

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