3月7日は青函連絡船が運行を開始した日!
1908年(明治41年)3月7日、青森と函館を結ぶ青函連絡船が運行を開始。本州と北海道をつなぐ重要な交通手段として、多くの人びとや貨物を運びつづけました。
2代目羊蹄丸。
© spaceaero2
青函連絡船は、約113kmの航路を約4時間で結び、鉄道と連携することで北海道と本州をスムーズに行き来できる手段となりました。1925年(大正14年)には、日本で初めて鉄道車両を船に積んで輸送する「鉄道車両航送」を開始。物流の効率が飛躍的に向上し、戦前から戦後にかけて、日本の経済と人の流れを支える基幹ルートとして機能していました。
1945年7月14日、青森港沖で爆撃を受ける翔鳳丸。
© US NAVY
しかし、その歴史は決して平坦なものではありませんでした。
太平洋戦争末期には空襲の標的となり、多くの船が失われてしまいます。1954年(昭和29年)には、台風により青函連絡船の「洞爺丸」を含む5隻が沈没し、1000人以上の犠牲者を出す未曾有の海難事故が発生。この惨劇を受け、安全対策が強化されましたが、過酷な自然環境と向き合いながらの運航はその後もつづきました。
青函航路初のディーゼル船である「初代檜山丸」(1955年就航)。
© Nishioka
高度経済成長期に入ると、青函連絡船の役割はますます重要となり、1972年(昭和47年)には1日最大30往復という最盛期を迎えます。しかし、長距離フェリーの台頭、航空運賃の低下、高速道路網の発展により、利用者は減少。さらに、国鉄の労働争議なども影響し、運航便数の削減を余儀なくされました。
そして1988年(昭和63年)、青函トンネルの開通により、青函連絡船はその役割を終え、80年にわたり本州と北海道を結びつづけた航路は、歴史の幕を閉じました。
函館駅での航送貨車入換作業の様子(1987年)。
© spaceaero2
現在、青函トンネルは北海道と本州をつなぐ重要な交通インフラとして人びとの生活を支えています。
2016年には北海道新幹線が開業し、今では東京から函館まで最速4時間で移動できるように。貨物輸送の面でもトンネルは重要な役割を果たし、連日多くの列車が行き交っています。
本州と北海道を結ぶ使命を果たしつづける青函ルート。北海道を訪れる際は、その歴史とロマンを感じながら、ぜひ陸路を選択してみてはいかがでしょうか。
Yayoi Arimoto
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Yusuke Kabuki
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