北は北海道から、南は沖縄まで、ひとくちに日本といっても、食べ物、お祭、習慣、自然が織りなす景色まで個性はさまざま。その土地ならではの愉しみ方は、その土地の人に訊くのが一番!ということで、連載「47都道府県ローカルのすゝめ」はじまりました。
瀬戸内国際芸術祭や丹下健三に代表されるモダニズム建築をはじめ、イサム・ノグチや猪熊弦一郎などアートが深く地域に根づいている香川県。その源流はいったいいつからあるのだろう? そんな疑問に、香川県庁瀬戸内国際芸術祭推進課の今瀧哲之さんが答えてくれました!
Text:Tetsuyuki Imataki Special Thanks:香川県
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香川県は日本で一番面積が小さい県(約30年程前に大阪府に抜かれました)で、人口は約90万人の県です。北は瀬戸内海の島々に、ため池の讃岐平野、南には標高1000mを越える讃岐山脈まで、東西は約100km、南北は約50kmとコンパクトにまとまっています。
特徴的な風景は、飯野山(讃岐富士)に代表されるおむすび型と屋島に代表される台形の山の形状です。おむすび山と聞くと、「まんが日本昔ばなし」にでてくるようなかたちを思い浮かべるかもしれませんが、実は「まんが日本昔ばなし」の作画を担当していたのが、香川県出身の池原昭治(いけはらしょうじ)さん。故郷の風景がモチーフになっていたともいわれています。
香川といえば、最初に「さぬきうどん」を思い浮かぶ方も多いと思いますが、うどん店は県内に約500店舗あり、人口当たりの店舗数、うどんへの支出金額ともに日本一です。また、小豆島を中心に国内最大の生産量を誇るオリーブや木桶づくりの醤油、最高級の砂糖「和三盆」などもお薦めの食材です。
香川県は瀬戸内海に面していることから、古代より全国各地との交流が盛んで、旅の目的地ともなってきました。
江戸時代に全国的に隆盛となった四国八十八カ所の「お遍路さん」や、一生に一度は「こんぴら参り」といわれた金刀比羅宮、弘法大師空海生誕の善通寺などの歴史的な寺社仏閣も多く、近年では、直島や瀬戸内国際芸術祭の代表されるアート、日本のウユニ塩湖としてブレイクした父母ヶ浜(ちちぶがはま)、ニューヨークタイムスやフィガロで日本を代表する桜の名所として紹介された紫雲出山(しうでやま)など、瀬戸内を旅するなら、香川は外せない場所となっています。
最後に、香川の旅のキーワードは「巡る」です。「うどん」、「島」、「アート」、「お遍路」どれも巡る楽しみをあたえてくれます。訪れるたびに新しい発見のある香川の旅をご提案します。
あなたの知らない香川県「アート県かがわ」の美の源流ともいえる特別名勝・栗林公園についてお話ししたいと思います。
アートの聖地・直島や世界的にも知られているアートフェスティバル・瀬戸内国際芸術祭をはじめ、いまやアートは瀬戸内・香川を旅する人にとって不可欠の要素ではないでしょうか。
香川のアートの歩みからみると、2010年に第1回「瀬戸内国際芸術祭」が開催されたことが大きな契機になっているといえます。その原動力となった安藤忠雄や草間彌生に代表されるベネッセアートサイト直島のアート活動は、1980年代後半にまで遡ることができます。
1950年代後半~1970年代前半には、丹下健三、猪熊弦一郎、イサム・ノグチ、流政之、ジョージ・ナカシマらによるアートのビックバンが香川を席巻し、このムーブメントが現在の香川のアートの基礎となり、直島、瀬戸芸にもつながっていきます。
こうした香川のアートカルチャーはどこからきたのか。
古代をたどれば、香川出身の弘法大師空海、讃岐国司を務めた菅原道真、讃岐に流された崇徳上皇、上皇を偲び尋ねた西行法師など都との文化交流の歴史は古くからありますが、直接的に遡れるのは〈栗林公園〉にほかならないと考えます。
現代の暮らしにつながる日本文化は、室町時代(中世)に始まり、江戸時代(近世)に完成したものが多いといわれていますが、日本庭園と茶道はその代表例といえ、江戸初期から前期に約100年をかけて築庭された栗林公園もまさに、日本庭園とそれと不可分の茶道文化が息づく日本文化の総合空間で、この庭園の存在がなれば、香川県庁舎もイサム・ノグチ庭園美術館もなかったのではないかと考えています。
それでは、ここから私が日本一素晴らしいと本気で思っている栗林公園の見どころをご紹介してきます。
まず、最初にお伝えしたいことは、庭園の広大さです。日本三名園と呼ばれる兼六園、偕楽園、後楽園は10~12haで、桂離宮は7haほどです。そして栗林公園の面積はなんと約75ha(東京ドーム16個。平庭部分は16.2ha)あり、全国の文化財庭園で最大です。
栗林公園は背後の紫雲山(標高約200m)も含めて庭園に指定されていて、一見、借景に思えるところが庭園そのものになっています。6つの池と13の築山が配され広大な庭園は、全体を一度に眺めることはできず、壮大な絵巻を辿るように展開してく景色の変化の様は、「一歩一景」といわれています。
次は、松の美しさです、園内平庭部分には、1400本ほどの松が配されており、うち1000本がお手入れ松として管理されており、庭師の高い技術がそこに生かされています。実は、庭園の庭師(2024年現在16名)は、外部への委託ではなく香川県庁や関係団体の職員として採用されていて、その技術の継承を確かなものにしています。
また、箱松と呼ばれる栗林公園にしかない松の造形や、3本の日英君主(大正天皇、昭和天皇、エドワード8世)のお手植え松や、将軍徳川家斉より拝領の松など、それぞれに物語ある松が数多くあります。
松の評価は「一振り、二肌、三姿」ともいわれますが、栗林公園の松は、上ではなく横や下に深く伸びた枝ぶり、深い幹の肌合い、全体の調和の三点が松の見どころとなっています。
ちなみに、香川県は松盆栽の生産日本一(全国シェア80%)でもあるんですよ。
そして、もっともおすすめしたいのが、庭園最高峰の建築〈掬月亭(きくげつてい)〉です。約300年以上前の江戸時代前期に建てられた数寄屋造りの建物で、大茶屋(おおちゃや)と呼ばれ、歴代藩主がこよなく愛した建物です。
こけら葺きの屋根は高さを抑え、室内は低く障子を多用し明るく開放感を、シンプルに抑えた装飾の組み合わせは、モダニズム建築や現代建築との共通性も多く、次代を越えるデザインセンスを感じさせます。
なかでも「掬月の間」と呼ばれる藩主の最上位の部屋は、池にせり出すかたちとなっていて、海に漕ぎ出す船のように見えます。「水を掬(すく)えば月が手にある」という意味が掬月亭の名前の由来で、唐代の漢詩から引用したものです。
障子を開けると、そこには正面、左右の3面、約300度の視界が広がり、まさに息を呑む空間が広がります。これから紅葉の季節、楓が亭の景色を紅に染める最高の舞台となります。
掬月亭には美を追求したギミックがあちこちに配されています。
亭の一番外の柱は加工しない丸柱で、一つ中に入った柱は角を取った柱、もう一つ中に入った柱は角柱と、日本の美意識を表す真・行・草の三段階のグラデーション表現となっています。もじり障子と呼ばれる麻糸をレース状に編んだ布を菱井桁の格子に組み合わせて、半透明の床の間越し丹庭を眺められるようなっています。
そして富士山を模して造られた最大の築山・飛来峰(ひらいほう)。頂上の石組みは、富岡鉄斎(てっさい)の富士山図を彷彿させます。庭内一の眺望を誇り、掬月亭を遠くの眼下にもっとも趣向をこらした南湖一体を一望できます。
これら庭園や建物は、茶道文化との縁が深く、千利休を受け継ぐ利休三家の一つ武者小路千家(むしゃこうじせんけ)が高松藩の茶道指南を務めたことも大きく関わっています。高松藩は石高12万石ですが、初代藩主・松平頼重は水戸光圀の実兄で、素養の高さや文化への情熱は、その後も歴代の高松藩主に受け継がれることになります。
庭内には、江戸最初期の意匠を遺すといわれている〈旧日暮亭〉も現存しており、掬月亭とあわせてご覧いただけます。
ここまで江戸時代の栗林公園の足跡を追ってきましたが、香川のアートの源流を知るために、現代につづく栗林公園の周縁に触れたいと思います。
明治の空気を現代にも伝えているのが、栗林公園内にある〈商工奨励館〉です。明治32年(1899年)に香川県の博物館として竣工。木造二階建ての建物で、設計は戦前を代表する木造建築家・伊藤平左衛門です。伊藤は、「人間国宝のなかの人間国宝」ともいわれる帝室技芸員として、東本願寺御影堂を始め数々の重要文化財を手掛けています。左右対称の平等院鳳凰堂スタイルの建物は、現在はカフェや伝統工芸品の実演会場のほか香川県の迎賓館として使用されています。
本館2階部分には、香川のアートを彩る一人、世界的家具デザイナーのジョージ・ナカシマのギャラリーとなっていて、中央にはナカシマの代表作にしてファン垂涎の傑作、「ミングレンⅣテーブル」と「コノイドチェア」が展示されています。
ここからは、戦後の昭和期の歩みについて話していきましょう。
ここで取り上げたいのが、栗林公園内にある〈讃岐民芸館〉です。昭和40~45年にかけて整備された建物で、設計は香川県職員にして香川を代表する建築家・山本忠司です。山本は、丹下健三設計の香川県庁舎に担当者として携わって以来、当時の香川知事のアートブレーンの一人となった人物です。
瀬戸内海歴史民俗資料館で日本建築学会賞を受賞、イサム・ノグチ庭園美術館の整備にも尽力、直島の家プロジェクト第一号〈角屋〉(宮島達男の作品を展示)の改修も手掛けています。
讃岐民芸館の建物とともに整備された坪庭は、中根金作によるものです。中根は「昭和の小堀遠州」と呼ばれ、足立美術館の日本庭園が代表作です。讃岐民芸館坪庭は大変小さな庭ですが、中根の腕が存分に発揮されており、栗林公園内で私がもっとも好きな場所の一つです。
また、讃岐民芸館の初代館長を務めた和田邦坊は、県外の方にはまだ知られていない香川を代表するアーティストにしてマルチクリエーターです。版画家の棟方志功にも影響をあたえ、香川の老舗お土産のパッケージはほぼ和田のデザインです。香川の戦後アートを語るうえで欠かせない人物ですが、詳しくはまたの機会にご紹介したいと思います。
ここまで400年に渡る栗林公園の歩みと私の公園への思いを綴ってきましたが、いかがでしたでしょうか? 栗林公園は私にとって思い入れの詰まった場所ですが、その素晴らしさは私以外にも周囲が認めるところです。国の特別名勝に指定されていたり、ミシュラングリーンガイドでは三ツ星を獲得、日本文化研究者のドナルド・キーンからも日本で一番美しい庭園と評価されています。
栗林公園のように、時代時代の最先端のアートやカルチャーが、数々のクリエイターによってアープデートされながら今も進化をつづけているのが香川県らしい美なのかもしれません。
ちょうどこれから、栗林公園がもっとも美しい紅葉のシーズンです。2024年は11月22日(金)~12月1日(日)にかけて、秋のライトアップと夜間開園が行なわれます。紅葉に囲まれた南湖を遊覧する和船からの眺めは、息を呑む美しさです。
騙されたと思って、アート県かがわの美の源流を、ぜひ一度訪れてみてください。