2月20日は風景写真家、アンセル・アダムスの誕生日!
カリフォルニア州ヨセミテ渓谷のモノクロ写真で知られる彼は、生涯を通じて自然の美しさと環境保護の重要性を訴えつづけました。
© J. Malcolm Greany
1902年、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコに生まれたアダムスは、幼い頃家族と共に初めて訪れたヨセミテ国立公園の圧倒的な自然に魅了され、写真を始めます。
17歳の時に、自然保護団体シエラクラブに入会。若い頃は熱心な登山家として、毎年恒例の高山登山に参加し、シエラネバダ山脈を登りつづけました。
その後、環境保護の重要性を訴えるようになった彼は、作品を通じて、人の手が加わる前のアメリカの国立公園の姿を記録していきます。彼の劇的な風景写真はシエラクラブの活動を支え、国内における環境問題への関心を高めるきっかけとなりました。
カリフォルニア州ヨセミテ国立公園のハーフドームの顔(1927年)。
1932年、アダムスはエドワード・ウェストンやイモージン・カニンガムらとともに「グループf/64」を結成し、ストレートな写真表現(ストレート・フォトグラフィ)を追求していきます。
「グループf/64」は、カメラの最小絞りを使って被写界深度(ピントが合っているように見える範囲)を強調。彼らは自然、風景、そして日常のオブジェクトを、極めてシャープで詳細な画像として捉えることにより、写真の現実性と芸術性のバランスを探求します。
アダムスは写真をファイン・アートと見なす道を切り開き、写真というメディアの力を押し広げていったのです。
夕暮れに染まるマクドナルド湖、グレイシャー国立公園(1942年)。
タオス・プエブロの教会(1942年)。
第二次世界大戦が起こると、アダムスは政府のために記録写真の撮影に取り組みます。
しかし、真珠湾攻撃後の日系人抑留にショックを受けた彼は、シエラネバダ山脈のふもとにあるマンザナー強制収容所を訪問。
その後、『Photographs of the loyal Japanese-Americans at Manzanar Relocation Center, Inyo County, California(カリフォルニア州インヨー郡マンザナー強制収容所の忠誠心ある日系アメリカ人)』というフォトエッセイをニューヨーク近代美術館で発表しました。
ウィリアムソン山を背景に農作業を行うマンザナー強制収容所の収容者(1943年)。
強制収容所内で体操を行う日系アメリカ人の少女(1943年)。
アダムスの作品は、自然の壮大さと美しさを捉えたものであり、環境保護運動にも大きな影響を与えました。彼の写真はアメリカの国立公園の保護活動を支援し、1980年には、その功績が称えられ、ジミー・カーター大統領より大統領自由勲章を授与されました。
アメリカ写真界の巨匠、アンセル・アダムス。その作品は時代を超え、自然の美しさと人間の関係性について私たちに深く問いかけつづけています。