マルコムXが暗殺された日

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マルコムXが暗殺された日

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2025.02.20

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2月21日はマルコムXが暗殺された日。
 

マルコムX(本名:マルコム・リトル)が生まれた1920年代のアメリカは、「狂騒の20年代」と呼ばれるほど経済的に繁栄した時代でした。

自動車やラジオが普及し、都市は活気に満ちていました。しかしその一方で、人種差別や社会的不平等が根強く、多くの人びとが苦しんでいました。
 

南部では「ジム・クロウ法」による人種隔離がつづき、黒人は教育や労働の機会を制限されていました。また、白人至上主義団体KKKが勢力を拡大し、黒人への暴力やリンチが横行。マルコムの父親も黒人の自立を訴えたためKKKからの迫害を受け、一家は転々と移動を余儀なくされました。
 

一方、ニューヨークでは「ハーレム・ルネサンス」が起こり、ジャズや黒人文学が隆盛を極めます。この文化的な動きは、黒人のアイデンティティ確立を促し、公民権運動の精神的な基盤となっていきました。

ハーレム・ルネサンス期、NY・ハーレムを歩くアフリカ系アメリカ人女性たち(1925年)。


マルコムも、怒涛の時代を駆け抜けた若者の一人でした。
 

貧困が深刻化し、犯罪に手を染めるようになった彼は、1946年、強盗の罪で逮捕され、懲役10年の判決を受けます。服役中に「ネイション・オブ・イスラム(NOI)」という黒人イスラム教団体の思想に触れ、改宗。指導者イライジャ・ムハンマドの教えに従い、「リトル」という奴隷制度に由来する姓を捨て、アフリカ系の先祖代々の名字が不明であることの象徴として「X」と名乗るようになっていきました。

1952年に出所すると、マルコムはNOIの指導者として急速に頭角を現し、黒人の自立と白人社会からの分離を訴えはじめます。彼の演説はカリスマ性に満ち、多くの黒人に影響を与えました。しかし、その過激な主張は「暴力を肯定する」と批判され、公民権運動のリーダーであるキング牧師とは対照的な立場を取っていました。
 

その後、NOIの指導者が十代の少女に子を産ませていたことが判明し、団体と決別。スンニ派に改宗した彼は、人種を超えた団結の可能性を見出し、「白人すべてが敵ではない」と考えるようになっていきます。
 

しかし、彼はたびたび暗殺の脅迫を受けるようになり、1965年2月21日、ニューヨーク・ハーレムにあるオーデュボン・ボールルームで演説中に銃撃され、39歳の若さでこの世を去りました。

キング牧師と対面するマルコムX(1964年3月26日)

マルコムは多くの人物に影響を与えてきました。なかでももっとも知られているのが、モハメド・アリです。
 

アリは、マルコムと出会う数年前からイスラム教徒でしたが、彼の思想に強く影響を受け、その後NOIに入信します。
 

当時、アリはすでに世界チャンピオンの座にいましたが、NOIから授かったムスリム名「モハメド・アリ」へと改名。さらに、マルコムの影響を受けてベトナム戦争の徴兵令を拒否し、世界タイトル剥奪および試合停止処分という厳しい制裁を受けながらも、彼は自身の信念を貫いたのです。

幼いころから差別に苦しみ、活動家として戦いつづけたマルコムが、短すぎる生涯を通して辿り着いたのは「優劣など存在しない、真に平等な社会の実現」でした。

 

マルコムの生涯はアメリカ史の重要な転換点であり、その思想は時代を超えて世界中の人びとの心に勇気と希望を与えつづけることでしょう。

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Yayoi Arimoto

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