連載:星のやとめぐる日本
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連載:星のやとめぐる日本
TRAVEL & EAT & THINK EARTH
2025.03.19
10 min read
日本には数多くの観光地が存在する。そういった場所は、ともすれば紋切り型にめぐりがちだ。「星のや」というフィルターを通して、観光地の知られざる一面を探る。
今回訪れたのは観光客で賑わう嵐山の奥に佇む〈星のや京都〉。かつて平安貴族たちが見た光を追って。
Photo : Omori Katsumi
Text:Takashi Sakurai
日常と非日常の境はどこにあるか、ということは、ひとりの旅好きとしてよく意識する事柄ではある。以前から思っていたが「星のや」を訪れたときの世界の切り替わり方は、異国を訪れたときのそれに近い。わかりやすくボーダーを越える。
〈星のや京都〉の場合、切り替える装置として機能するのが船だ。観光地としての嵐山の賑わいを背に、送迎船はゆっくりと渓谷の奥へと向かっていく。しばらく進むと人の気配は消え、自然の音がじんわりと周囲を包み込んでいき、古の嵐山が姿を現してくる。
すべての「星のや」にいえることだが、時を忘れるということに重きを置いている気がしている。時間、という意味でもそうだが、なんといっても時代をも超える仕掛けが見事なのだ。
朝食は客室で「嵐峡の朝鍋」をいただく。障子越しの柔らかな光に包まれ、窓の外には靄がかった渓。畳ソファから眺めると、1枚の絵画さながらだ。
後嵯峨上皇が奈良・吉野からもち込んだ山桜。〈星のや京都〉では3/25~4/9の間、特等席で花見を楽しめる「奥嵐山の花見滞在」を開催。
今回、ボーダーの先にあるのは平安時代だ。嵐山は平安貴族たちが別邸を構えた場所。平安時代後期の歴史物語である大鏡には、ここで舟遊びや歌詠みに興じた貴族たちの描写もある。
渓谷に寄り添うようにひっそりと佇む建物たちが見えてくる。川沿いの貴族の私邸という趣だ。一から建てるのではなく、100年以上前に建てられた旅館を再利用しているという。さきほどの喧噪から川を下ることわずか15分でこの世界だ。地図を見てみると、この付近には橋がない。行きにくい、ということのメリットに考えがおよぶ。物理的な行きにくさが隔絶感を生む。平安貴族たちが人の想念渦巻く宮廷を抜け出し、しばしば嵐山を訪れていた理由も、静かな場所に身を置きリセットしたかったからだろう。
送迎に使われるのは船。嵐山の中心地から定期便が出ている。アクティビティとして屋形船での舟遊びも。
職人の手による庭路地。石と光が織りなす美。
季節と雅が同居した夕食。「真味自在」というテーマで、食材本来の味を引き出すと同時に、無駄を出さないのもテーマ。
船着き場から上がって、まず目に入ってくるのが「水の庭」だ。滝を配して動きを作ると同時に、手前には見事な枝振りの紅葉。“飛泉障り(ひせんさわり)” という技法で、あえて滝を紅葉の後ろに置くことで、庭園に美しいレイヤーを作り出している。レイヤーという意味では「空中茶室」と呼ばれるテラス席も素晴らしい。もはや手が届きそうな距離に山桜があり、目線を遠くに飛ばせば対岸の山々の桜。これを借景と呼んだ過去の日本人の奥ゆかしさと、視点の豊かさに感心させられる。
庭路地を歩き、奥へと歩を進めると心地よいランダムさを感じる。かたわらで水を撒くなど、庭の面倒をみている方に聞いてみると、客室の延段の意匠が、部屋ごとにすべて違うからではないか、という。日本全国から集められたさまざまな石材を職人がひとつひとつ丁寧に敷き詰めたものなのだ。幾何学的なシンメトリーが幅を利かせている今の世の中にあって、とてもいい揺らぎだ。さらに進むと「奥の庭」。いぶし瓦と白砂を砂紋に見立てたいわゆる枯山水。おもしろいのが、この枯山水は立ち入ることができること。自分自身が風景の一部になる仕掛けなのだ。
敷地の奥から眺める庭路地と枯山水の「奥の庭」。植栽も見事で桜や紅葉だけでなく、椿、紫陽花、サザンカなど1年通じて花々を楽しめる。
客室でまず出迎えてくれるのは香りだ。平安貴族の間でも重宝されていた香原料。鼻の次は目を楽しませてくれる。正座をしたときと同じ目線になれる畳ソファに腰かけると、窓枠に切り取られた美しい渓がまるで一枚の絵のように迫ってくる。なるほど、日本家屋は正座で過ごすことを前提に造られているわけだから、このポジションがもっとも美しいのだ。窓から差し込む光が、桜の枝の影を部屋に落とす。きっと平安貴族も見た光だ。
仕事机など無粋なものがあるわけもない。まもなく読了する本を開いてみるが、すぐに閉じる。物語の世界に籠るにはもったいない。窓の外をしばらく眺めた後、室内の細部を観察していく。内装は、かつての旅館を活かした作りになっている。竹のササラと灰汁を用いる“洗い” という技法で、柱や天井板など古い部分は丁寧に磨かれ、新品には出せない渋みがある。新旧が混ざり合う按配が見事で、建材ごとの陰影も目に美しい。
対岸にある小倉山から見た夕景の〈星のや京都〉。間接照明の灯りが、まるで灯籠やロウソクのような雰囲気で、平安時代にタイムスリップした感覚に。
夕食前に対岸の小倉山へ。小倉百人一首の撰者である藤原定家が別荘を構えた地だ。平安貴族たちが紅葉狩りに訪れていた場所でもある。展望台からは〈星のや京都〉とそれを守るかのように繁る森が見下ろせる。桜が芽吹きを迎えるころ、徐々に森が桃色になっていく季節が好きだという知人の言葉を思い出す。夕闇が訪れ、柔らかい光のなかにポッと浮かび上がる〈星のや京都〉の様子に古の別荘地が重なる。
夕食は「星のや京都ダイニング」でいただく会席料理。漢字が並んだお品書きに、ところどころカタカナが混ざる。「真味自在」というテーマで、日本伝統の食材や技法は用いつつ、柔軟に海外のものも取り入れている。なにより感心したのは季節の取り入れ方。見た目、味わいともに、春がぎっしり詰まっていてストーリー性もある。食材を使った短歌のようだ。かつての平安貴族たちが食したならば素敵な歌が詠まれたに違いない。
聞香は、香木の香りに心を傾け“聞く” という優雅な遊び。貴重な香木や本格的な道具立てで体験できる。
翌日はアクティビティとして用意されている聞香(もんこう)と貝合わせを楽しむ。聞香とは香木を焚くのではなく温めることでかすかに漂う香りを、心を静めながら己の中に取り込むもの。平安貴族は香りをとても大切にしていて、いわゆる自分ブレンドを作り、それを纏うことでセンスを表現したという。なんという繊細な美か。貝合わせは、伏せられたハマグリを並べ、どれがぴたりと合うか当てていくいわゆる神経衰弱のようなゲーム。もともとは、平安貴族たちがそれぞれ美しいと思うハマグリを持ち寄って、それを題材に歌を詠んだのが発祥だという。相手が自然物だから、おそらく優劣などつけるつもりはなかっただろう。まさに“もののあわれ”。このセンスは現代人が失ってしまった部分かもしれない。白黒つけないグラデーションの世界であり、現代では無駄と省かれてしまいかねないその感性たるや。
貝合わせでは内側に源氏物語の絵が描かれたハマグリが使われ、平安の古典への知識も深まる。
朝鍋の具材は、新タマネギ、春キャベツ、菜の花、タケノコなど春の野菜たち。
ランダムさを生み出す延段の工法、レイヤーを上手に使った紅葉と滝の庭、固定観念にとらわれずさまざまな国の調理法を取り入れた会席料理、手摺りされた京唐紙の絶妙な陰影、さまざまな香木を組み合わせた香り。現代風に効率優先で考えていたら辿り着けない平安の美が〈星のや京都〉には残されている。AIにはできない仕事ばかりだ、と考えて気づく。すべてはアナログの妙なのだ。アナログの語源となったギリシャ語と合わせて「平安アナロジア」という言葉がふと浮かんだ。
寝室の壁には客室ごとに異なる京唐紙が使用されている。100年以上前の版木を用いて刷られた京唐紙は、窓からの光によって多様な表情を見せ、繊細な陰影を室内に添えている。
星のや京都
〈星のや〉は“その瞬間の特等席へ。” をコンセプトに各施設が 独創的なテーマで、圧倒的非日常を提供するブランド。現在国内に6施設、海外に2施設を展開。2009年に嵐山に開業した〈星のや京都〉のコンセプトは「水辺の私邸で時を忘れる」。
かつて平安貴族たちが四季を愛でながら滞在した嵐山、 渡月橋のたもとから船に乗り大堰川を遡ると、峡谷に沿うように建つ宿が現れる。京都に息づく日本の伝統的な技法を 用い、斬新な発想で仕立てられた風雅な空間で、食事やアク ティビティを通じて千年の都が育んできた洗練された文化に浸ることができる。
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