インドを旅するのは、一筋縄ではいかないこともある。それでも一生に一度は行きたい、 はまったら何度だって行きたい、ほかに代わりのきかない唯一無二のインドを旅したい! そんなインド熱に浮かされた人たちにおくる、月刊TRANSIT「みんなのインド旅計画」。
日本の国土面積の約 8.7 倍を誇るインド。初めてでも何度目かのインドだったとしても、どこに行こうか楽しい悩みが尽きない国だ。インド旅を計画中の人に向けて、まずは訪れたい東西南北のインド10都市を眺めるところからはじめてみよう。
Text:TRANSIT
Index
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1/デリー(Delhi)〜混沌に包まれるインドの玄関口
2/バラナシ(Varanasi)〜もっとも「死」に近い場所
3/チャンディーガル(Chandigarh)〜2人の建築家によるモダン都市
4/ジャイプル(Jaipur)〜マハラジャの風格漂うピンクシティ
5/ジョードプル(Jodhpur)〜城塞に抱かれるブルーシティ
6/ジャイサルメール(Jaisalmer)〜金色に輝く砂漠の至宝
7/チェンナイ(Chennai)〜誇り高き南インドへの入り口
8/コチ(Kochi)〜モダンカルチャー息づく港町
9/コルカタ(Kolkata)〜インドの混沌を追いかけて
10/ダージリン(Darjeeling)〜紅茶香るヒマラヤの町
北インド/North India
13世紀に中央アジアから南下してきたイスラーム勢力がインド亜大陸へ侵攻すると、デリーはイスラーム王朝の首都として徐々に発展していった。やがてイスラーム勢力の集大成であるムガル帝国が成立し、第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代には国の中枢となって、現在のオールドデリー周辺にラール・キラーやチャンドニー・チョウク、ジャーマー・マスジドなどができる。1911年には英領インドの首都がカルカッタから再びデリーへ移り、コンノート・プレイスを中心とした放射状の街並みに、官庁街やイギリス人居住区を配したニューデリーが誕生した。現在は外資系チェーンも多く集まるコンノート・プレイスと、屋台や商店がびっしり並んだチャンドニー・チョウクのコントラストは鮮烈。インドの混沌を体感するなら、まずはオールドデリーへ直行したい。ただし空港やニューデリー駅を出た瞬間に押し寄せる客引きや詐欺にはご注意を。インドの玄関口からすでに旅行者は試されている。
所在地|デリー連邦直轄領
公用語| ヒンディー語
主な玄関口|飛行機:インディラ・ガンディー国際空港/鉄道:ニューデリー駅
アクセス|成田から飛行機で約10時間/バンコクから飛行機で約4時間30分
母なる大河ガンジスを臨むインド最大の聖地。5世紀にはバラナシの中枢となるヴィシュワナート寺院が建立され、シヴァ信仰の中心地としてその地位を不動のものとする。しかし、12世紀末にイスラームが台頭するとヒンドゥー教寺院は破壊され、代わりにモスクが建立されていった。現在の街並みはムガル帝国の弱体化とともにヒンドゥー教のマラーター王国が勢力を増し、ヴィシュワナート寺院が再建された18世紀に造られたもの。再び栄華を取り戻したバラナシは、インド中のヒンドゥー教徒や世界中の旅人にとってもあこがれの聖地となった。この地で死を迎え遺灰がガンジス河に流されれば解脱できるという信仰から、バラナシには死期を悟ったヒンドゥー教徒がインド全土からやってくる。そしてここで荼毘に付され、母なる大河へ還ることはヒンドゥー教徒にとって無上の喜び。死がもっとも身近にありながら悲壮感とは縁遠いこの街は、これまでの死生観を根こそぎひっくり返してくれる。
所在地|ウッタル・プラデーシュ州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ラール・バハードゥル・シャーストリー空港/鉄道:バラナシ・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道で約12~17時間
ハリヤーナー州とパンジャーブ州の2つの州の共通州都。1947年のインド・パキスタン分離によってパンジャーブの州都ラホールがパキスタンに編入された際、チャンディーガル市の建設が決定。伝統にとらわれない近代的な都市にすることを目指し、新生インド政府が指名したのがモダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェだった。街は57のセクターに分けられ、セクター1のキャピトル・コンプレックスは2016年に世界遺産に登録された。しかしこの都市計画は、もう一人の建築家ピエール・ジャンヌレを抜きにしては語れない。コルビュジェが依頼を引き受ける条件としたのが、従兄弟であるジャンヌレを現場監督として起用すること。彼はコルビュジェが去った後もチャンディーガルに残り、計画遂行のために指揮をとった。現在インド政府が文化財として保護しているジャンヌレの椅子もこの時生まれたもの。無機質なモダニズムデザインの建物には、木の温もり溢れるジャンヌレの家具がよく似合う。
所在地|チャンディーガル連邦直轄領、パンジャーブ州、ハリヤーナー州
公用語|パンジャーブ語ほか
主な玄関口|飛行機:チャンディーガル空港/鉄道:チャンディーガル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道(特急)で約3時間30分/ムンバイから飛行機で約2時間30分
西インド/West India
タール砂漠を擁するラージャスターン州の州都・ジャイプル。「ラージプートの土地」を意味するラージャスターは、その名の通りこの地一帯を支配したラージプートの人びとの故郷だ。その一族であるカチワーハ家が11世紀にアンベール王国を興し、現在のアンベール(アーメール)城の地に首都を置く。1727年には人口増加や水不足などを理由に、11㎞離れた現在の旧市街の地へ首都を移転。今もマハラジャの暮らすシティ・パレスを中心に、7つの門をもつ城壁で周囲をぐるりと囲み、その内側に碁盤の目状の区画を配した北インド初の計画都市、ジャイプルが誕生した。ピンクシティの由来であるローズピンクの街並みは、イギリス統治時代の1876年にジャイプルを訪問したイギリス王子を歓迎するため、街全体をピンクに塗ったのが始まりとされる。絢爛豪華な建造物が立ち並び、四方に色彩が溢れる街は王都の名にふさわしく、隅々まで見どころが尽きない。手工芸の街でもあり、初めてのインド旅にも断然おすすめ。
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイプル国際空港/鉄道:ジャイプル・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間、鉄道で約4時間30分~5時間/ムンバイから飛行機で約2時間
タール砂漠の入り口にあたる、ラージャスターン州第二の都市。1475年にラージプートの一族であるラートール家の王がこの地をマールワール王国の首都に定め、壮大なメヘラーンガル城塞を築いたのがこの街の歴史の始まり。ジャイプルの「ピンクシティ」に対して「ブルーシティ」と呼ばれ、旧市街には外壁が青く塗られた家々が立ち並ぶ。なぜブルーなのかは諸説あり、バラモン階級の家を判別しやすいように青く塗ったとか、蚊を寄せつけない効果があるからなどといわれるが、いずれも判然としないところがインドらしい。拠点にしたいのはイギリス王子の訪問を記念して建てられたクロック・タワーと、その周辺に広がるサルダール・バザール。ここからメヘラーンガル城塞まで迷路のような旧市街が広がり、ヘリテージホテルや邸宅を改装したホテルなど雰囲気のよい宿も多い。ジョードプル駅前の客引きはデリーの駅や空港にも引けを取らない強引さなので、目的地まではUberの利用が賢明。
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジョードプル空港/鉄道:ジョードプル駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分、鉄道(急行)で約10~13時間/ムンバイから飛行機で約1時間50分/ジャイプルから鉄道で約5~6時間
ジャイプルやジョードプルと同様、ラージプートの一族が建設した砂漠の中のオアシス都市。12世紀、旧都ラウドルヴァーへのイスラームの侵略や水源不足を理由に、ラーワル・ジャイサル・シン王がこの地に都を移転した。古くから東西貿易の中継地として賑わいを見せ、高級シルクや香辛料をラクダで運ぶキャラバンから税を徴収することで街は大いに繁栄。莫大な富を得た商人や貴族たちがこぞって建てた大邸宅が現在も多く残っている。ピンクシティ、ブルーシティに並びゴールデンシティと称される所以は、この地方で採掘される黄砂岩による建築群。城壁から宮殿、邸宅や民家にまで用いられ、街全体が独特の黄色味を帯びている。今も城壁内に人びとが暮らす街のシンボル、ジャイサルメール城で往時の面影を感じたら、ほぼ100%観光客が体験するキャメル・サファリへいざ。ラクダ乗り体験のみのプランや、砂漠の真ん中で眠るプランもあるので宿泊先に問い合わせてみて。
所在地|ラージャスターン州
公用語|ヒンディー語ほか
主な玄関口|飛行機:ジャイサルメール空港/鉄道:ジャイサルメール駅
アクセス|デリーから飛行機で約1時間30分/ジョードプルから鉄道(急行)で約5~6時間30分
南インド/South India
小さな漁村にすぎなかった街が、世界史の表舞台に登場するのは17世紀のこと。イギリス東インド会社が、綿花栽培地帯に近いこの地に要塞を築き上げると、貿易の拠点として重宝され、のちにインド4大都市に数えられるほどの発展をみせる。チェンナイを中心とするタミル・ナードゥ州は、南インド固有のドラヴィダ文化の宝庫。北インドとは違ってイスラームの影響を受けず、インダス文明以来の伝統がより純粋に残っている。ローカルの人びともその誇りを受け継ぎ、デリーの中央集権に抵抗の姿勢を見せてきた。英語名「マドラス」から「チェンナイ」に改称。現在は古きよき伝統と都会的なカルチャーが息づく文化都市として観光客を惹きつける。古代の寺院建築に古典舞踊、インド最大規模の古典音楽フェス。映画館やミュージアムも充実しているため、長期滞在者も飽きさせない。そしてこの街にはマリーナ・ビーチがある。喧騒に疲れたら海へ出かけて、ベンガル湾の潮風を感じよう。
所在地|タミル・ナードゥ州
公用語|タミル語ほか
主な玄関口|飛行機:チェンナイ国際空港/鉄道:チェンナイ・セントラル駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/ムンバイから飛行機で約2時間/コチから鉄道(急行など)で約12~19時間
エメラルドブルーの海と水郷地帯に囲まれた、風光明媚な水の都。天然の入り江があり、古代から海運の要塞として栄えてきた。14世紀には香辛料を求める商人が世界中から訪れ、「アラビア海の女王」と呼ばれるほどの繁栄をみせる。16世紀、ポルトガルによって初の欧州初のインド植民地となるが、その拠点がゴアに移ると、オランダとイギリスが代わって支配した。香辛料貿易を担ったユダヤ人の街、ポルトガルのカトリック教会、オランダの宮殿など、各国の面影が混在し、街並みの多様性がその歴史を物語る。コチのあるケーララ州はアーユルヴェーダ発祥の地ともいわれておりリトリートやヨーガの修行のために滞在する外国人も多い。2012年より、南アジア最大級の芸術祭「コチ・ムジーリス・ビエンナーレ」が開催されるなど、アートの拠点としても注目を集める。また、豊富な海産物も魅力。名物のフィッシュカレーは、香辛料の刺激とココナッツの甘味、魚の旨みが一体化した、まさにコチを象徴する一皿だ。
所在地|ケーララ州
公用語|マラヤーラム語ほか
主な玄関口|飛行機:コーチン国際空港/鉄道:エルナークラム・ジャンクション駅
アクセス|デリーから飛行機で約3時間/チェンナイから鉄道(急行)で約11~13時間
東インド/East India
隣国バングラデシュとともに「ベンガル」と呼ばれる地域で、1690年にイギリス東インド会社がアジア貿易の拠点を置くまで、コルカタは3つの漁村があるにすぎない牧歌的な土地だった。コルカタ(Kolkata)とは、そのうちの1つであるカーリーカタ村にちなんでつけられたもの。統治時代には英語名のカルカッタ(Calcutta)と呼ばれ、2001年、ベンガル語のコルカタに改称された。街中にはヴィクトリア・メモリアルやハウラー駅、セント・ポール大聖堂など、当時の栄華を思わせる豪奢な建築群が残っている。また、統治時代以前にこの地へ進出していたイスラームの雰囲気も色濃く、さまざまな信仰のかたちに触れられるのもおもしろい。ベンガル料理の本場でもあり、米と魚を主体にした郷土料理は馴染みやすい人も多いはず。派手な観光地はないが、ありとあらゆる物体が通りを行き交う光景は、1日中見ていても飽きない。かつて多くのバックパッカーを魅了した、消えゆくインドの姿がここにある。
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語
主な玄関口|飛行機:ネータージー・スバース・チャンドラ・ ボース国際空港/鉄道:ハウラー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/バラナシから鉄道(急行など)で約11時間30分~18時間
青空に聳え立つカンチェンジュンガ山を仰ぐ世界有数の茶葉の産地。チベット語で「雷の土地」を意味するこの街は、長い間覇権争いに巻き込まれてきた。シッキム王国の支配下にあったが、18世紀後半にネパールからグルカ人が侵攻。19世紀初頭まで一帯を併合するが、インド進出の機を窺うイギリスはシッキム側につく。1814年にグルカ人は敗北しシッキム王は復権したものの、その後再びグルカ人との戦争が勃発。療養所設立を目論んだイギリスはシッキム王と交渉し、ダージリンはイギリスのものとなった。当時は原生林が広がり、1839年時点で100人足らずだった人口は1849年におよそ1万人まで増加。イギリス東インド会社は欧風のコテージを次々と建設し、お茶、コーヒーの実験栽培を導入。なかでも、斜面で茶を栽培する計画は大成功し、ダージリンを世界有数の茶葉の産地に仕立て上げた。チベット文化圏でもあり、五色の祈願旗タルチョがはためく縦長の街にイギリス時代の面影はないに等しい。
所在地|西ベンガル州
公用語|ベンガル語、ネパール語
主な玄関口|飛行機:バグドグラ国際空港/鉄道:ニュー・ジャルパーイーグリー駅
アクセス|デリーから飛行機で約2時間/コルカタから飛行機で約1時間、鉄道(特急)と乗合ジープで約15時間