連載:NIPPONの国立公園

自然が彫った岩石の、山陰海岸へ。

National Parks of Japan.

連載:NIPPONの国立公園

山陰海岸国立公園(前編)
列島の歴史を刻む海辺

TRAVEL & THINK EARTH

2024.10.10

6 min read

日本海に面した山陰の海岸部には、海食崖や砂丘など、変化に富んだ地形が広がる。何万年もの昔に生まれた岩石が波や風によって姿を変えながら残してきた、日本列島の形成以前からの、大地と海の活動の痕跡を辿った。山陰海岸国立公園への旅を前編「列島の歴史を刻む海辺」、後編「入江で営まれる暮らし」に分けてお届けします。

Photo : Yusuke Abe (YARD)

Text:Kanami Fukuda (TRANSIT) Supported by THE NORTH FACE

兵庫県の竹野海岸沿いにある淀の洞門。海岸から歩いていくことができ、穴の向こう側の水平線が沿岸道路からも見える。

10万年前から積もる砂丘へ。

飛行機の窓から下を覗くと尾根が連なる山地が見える。まだ内陸、そう思ったのも束の間、飛行機は高度を下げ、尾根に近づいていく。山肌に直接波が打ち寄せるのが見えるとすぐに、海沿いに位置する鳥取空港に着陸した。

やって来たのは山陰海岸国立公園。日本海に沿って東西に75㎞にわたって指定された、21番目の国立公園だ。山地が直に海と接し、湾が入り組んだリアス海岸、それとは対照的な直線の砂浜、日本海の荒波と季節風によって形成された奇岩など、何万年もかけて形作られた多様な地形が見られ、その地学的な価値の高さから、全世界の枠組みである「ジオパーク」にも認定されている。人類の誕生より遥か前から歴史を刻む大地に触れたくてやってきたのだった。

砂丘列の1つ、馬の背は標高47mほどの高さがある。観光客が砂に足をとられながらその尾根へと上がり、急斜面の向こうに海が迫る稀有な風景を楽しんでいる。

まずは西に位置する鳥取砂丘へと向かった。砂の丘が海岸線に緩やかに並行して、大きな起伏を作っている。よく間違えられることだが、鳥取砂丘は砂漠ではない。砂漠は乾燥によって生じるが、鳥取砂丘は降雨があれば雪も積もる。中国山地の岩石が風化作用によって削られ砂となり、鳥取砂丘のすぐ西を流れる千代(せんだい)川を経て日本海へと運ばれる。沿岸流と波によって陸に打ち上げられた砂が、北西から吹く強い風によって内陸へ届き、これが何万年も繰り返されて、東西に16㎞、南北2.4㎞の広範囲にわたる砂丘に成長したのだ。

火山灰が降った痕跡によって、鳥取砂丘は氷河期である約10万年以上前から存在していたことがわかっている。人類が文明をもつ前から存在するこの砂丘は、昔から周辺に暮らす人びとを風砂被害で悩ませていたようだ。それでも、江戸時代には砂の特性を生かしてらっきょうの栽培を始めて特産品に育て上げたり、第二次世界大戦以降に防砂対策を行なって近くの農地や集落を守るなど、人びとは不毛でしかなかった土地を知恵と工夫で克服してきた。

一方で植林した防砂林の働きによって砂丘を植物が覆いはじめ、また千代川の護岸工事によって砂の量が減ってしまうなど、砂丘本来の景観を損なう弊害も起きている。自然のあるべき姿を保つことと、我々人間の暮らしを向上させることの共存の難しさを思い知らされる。

4~5月にアサガオ状の花をつけるハマヒルガオ。地下茎が砂中に伸びて砂の高まりに密生する。砂が飛び地下茎が露出すると枯れるが、すぐに茎を伸ばして新たな場所で成長する。

奇岩と砂浜のコントラスト。

砂丘から東へ進むと、鳥取県から兵庫県にかけて広がる浦富海岸、さらに東にある香住海岸一帯にリアス海岸がつづく。ダイナミックな地形を海側から見たいと、兵庫県新温泉町三尾集落の漁師による海上タクシーをお願いした。この日は空こそ晴れているものの、海は時化ていた。船長の前田保さんは出港を躊躇しつつ、「行けるところまで」と舟を出してくれた。

前田さんは小舟を軽快に走らせ、揺れをものともせず立ち上がっては、次々と希少な地形や岩石を紹介してくれる。「この石は何に見えますか、そう亀です。こちらは獅子……」。昔から人びとは時として不気味な巨大な岩石を、馴染みある生き物や空想動物の姿に見立て呼んできたようだ。

小天橋は最終氷河期が終わった1万年前に海面が上昇してできた砂州に、沿岸流によって運ばれた砂がさらに堆積してできた。穏やかな湾内ではカキの養殖が行われる。

集落の入江の両側にそそり立つ崖は、長年の風化と海食によって、荒々しく岩石をむき出しにしている。目に留まったのは、沖に向かって削られ表裏をあらわにした崖だ。一枚岩に見えるのに、色の違いが明確にある。
日本列島が大陸の一部だった頃から存在する茶色い岩石に、大陸から分裂して列島が東へ移動を始めてから隆起した黒い地層が覆うようにしてできた奇景だという。船酔いを承知で荒波のなか乗せてもらった理由のひとつに海食洞門があった。
海食洞門とは崖や離れ岩が波の侵食を受けることによってできる洞窟を、波がさらに穿ち貫いたもののこと。何万年とかけて自然が作った空間に身を置いてみたかったのだが、前田さんはいくつかの洞門の前へ近づいてみるものの、あまりの波の高さに「中に入ったら揉まれて転覆しますね」と舟を引き上げた。

埋め合わせをするように、集落の起源について語ってくれた。集落のかつての呼び名である「御火浦(みほのうら)」は日本書紀に記されている神功皇后が朝鮮出兵に臨む途中、霧で舟が進まず遭難の危機に面した際に、村人が焚いた火を頼りに入江に入り難を逃れたことに由来するという。皇后自らがお礼として「御火浦」という名を授けたそうだ。

小天橋は最終氷河期が終わった1万年前に海面が上昇してできた砂州に、沿岸流によって運ばれた砂がさらに堆積してできた。穏やかな湾内ではカキの養殖が行われる。

また平家の落ち武者伝説も残されている。彼らが壇ノ浦から対馬に逃れる船旅の途中で、北西の風に吹かれ断崖にある御崎地区に辿り着いた。西隣にあるこの集落を見つけると刀を携えて征服し、追っ手からの守りの拠点として居を構えたという。三方を尾根で囲まれ、入江の先に鎮座する岩が自然の防波堤として機能するこの集落と、時に荒れ狂う日本海の有様をよく捉えた伝説だ。

「明日は集落の沖合いにある巨岩、三尾大島に祀られる厳島神社の祭礼なんです。ただ、この日に限って毎年こうして海が荒れる。私は平家の怒りがまだ収まってないんだと信じています」

本記事はTRANSIT52号より再編集してお届けしました。

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日本の国立公園

北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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Kei Taniguchi

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