※この記事はTRANSIT27号「美しきロシアとバルトの国々」から再編集したものです。
illustration=MAO NISHIDA
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ソ連崩壊後のロシアを大統領として引っ張ってきたのが、エリツィンとプーチンである。また、ペレストロイカでそれを支えたゴルバチョフも、現代ロシアの成立において避けては通れない存在だ。
もう一人の大統領としてメドベージェフがいるが、彼の政権は首相に就いたプーチンの影が大きく、さらにプーチンは再び大統領となった。その点では、2000年以降のロシアは一貫してプーチンの影響下にあったといっていい。
このロシアの大統領たちに共通するのは、強力なリーダーシップ。混乱の収束と再出発が課題だった国には、それがなによりも指導者に求められる要素だったのだろう。
2000年代、ロシアはエネルギー輸出を背景に成長の時代を過ごした。だが、2014年のクリミア半島への軍事侵攻、そして2022年2月24日にはじまったウクライナ侵攻など、外交面ではたびたび強硬な姿勢をとりつづけている。
今回の軍事侵攻の背景の一つには、NATOの東方拡大があるとされている。1949年、東西冷戦の危機感が強まったタイミングで西側諸国によって結ばれたNATO(North Atlantic Treaty Organizationの略。加盟国の領土及び国民を防衛するための軍事条約)は、当時はアイスランド・アメリカ・イギリス・イタリア・オランダ・カナダ・デンマーク・ノルウェー・フランス・ベルギー・ポルトガル・ルクセンブルクの12カ国が加盟していたが、現在は30カ国まで拡大して、チェコ、ハンガリー、ポーランド、エストニア、ラトビア、リトアニアといった旧東側諸国も加盟していて、2008年にはウクライナやジョージアの将来的な加盟が認められた。冷戦後、ソ連崩壊後も、見えない東西の線引きがつづいているのだ。
ゴルバチョフもエリツィンも、最後は息も絶え絶えのような状態で政権のバトンを渡した。プーチンはどのようなかたちでロシアの時代を築こうとしているのだろうか。
1991年にソビエト連邦が解体した今も、世界一の国土面積を誇る巨大なロシア。キエフからはじまったロシアの指導者たちの変遷は、ユーラシア大陸の広大な大地を束ね、機会があれば拡大を図ってきたツァーリたちの挑戦のようにもみえる。