陽気で明るい面とともに、メキシコのイメージの一角を成す麻薬やカルテル。あまりに複雑化しすぎたメキシコの麻薬・マフィア事情のいま、そしてこれからを、メキシコ社会に精通し、慶應義塾大学などで非常勤講師を務める山本昭代氏とともに紐解いていこう。
TRANSIT
2019年、ヘナロ・ガルシア・ルナという男が麻薬輸出ほう助などの疑いで逮捕され、2023年に有罪判決を受けた。
実は彼、元公安相。しかも、かつて麻薬組織の壊滅をめざすと宣言し、大規模な掃討作戦を指揮した張本人だったのだ。にもかかわらず、当時最大の麻薬密輸組織シナロア・カルテルから賄賂を受け取り、組織のメンバーの保護や麻薬輸送の支援を行っていたことが明らかになった。
日本に住む私たちからすると、ドラマや映画の筋書きのように聞こえるが、メキシコでは特段驚かれないニュースだ。政治家、警察、公務員……あらゆる組織がカルテルと通じ、協力し合っているのだと山本昭代氏は語る。
「マリファナにコカイン、最近だとフェンタニルという麻薬まで、メキシコのカルテルはさまざまな麻薬をアメリカをはじめ各国に売りさばいています。その過程に欠かせないのが、政治家や公務員らの協力。メキシコ国内やコロンビアで生産された麻薬は、陸路、海路、空路、地下トンネルなどあらゆる方法で密輸されますが、その過程で警察や軍の検問を通過しなければなりません。
そのためにカルテルは彼らに賄賂を支払う必要があるのですが、逆にいうと、賄賂を払えば密輸は黙認されるということ。麻薬は違法なので、彼らも表向きは取り締まりや武力作戦を行っていますが、実際は賄賂が横行し、麻薬密輸に協力する公的権力者があとを絶ちません」
先のヘナロ・ガルシア・ルナの裁判でも、空港で買収や密輸が行われていたことが証言された。
「一見セキュリティが厳しそうに思える空港ですが、管制官や警察官はすでに買収済み。週に何度か南米から積荷が届いていたそうです」
だが人びとがカルテルに協力する(せざるを得ない)理由は、お金だけではない。むしろ多くの場合が、武力による恐怖支配だという。
「人びとに武器をつきつけ、従わないと本人や家族を殺すと脅すんです。ただ、人を恐怖に陥れるカルテルのメンバーも、もとは貧しい下町の子どもだったりする。道端やパーティー会場にいた青少年をいきなり拉致し、恐怖で支配して構成員に仕立てていくんです。若者がガードマンの職を得るために育成コース付きの求人に応募したら、実際は殺し屋の養成キャンプに入れられた、なんてケースもあります」
一度足を踏み入れてしまったが最後、もう元の世界には戻れない。自分が生き延びるために、家族が殺されないために、道を踏み外さざるを得ない人びとがいるのだ。
そんな状態が15年以上つづいているメキシコだが、この状況が改善する道筋はあるのだろうか?「正直なところ、10~20年で解決する話ではない」と山本氏はいう。
とはいえ、期待を込めて今後のことを少し考えてみよう。
「まず考えられるのは、”ナルコ・サミット”、つまり麻薬カルテル同士の協議です。ここでカルテル同士が停戦協定を結べば、いったんは暴力や抗争は落ち着く可能性があります。とはいえ、現在最大の勢力を誇るハリスコ新世代カルテルや政府に強いパイプをもっていたシナロア・カルテルは内部抗争をつねに抱え、ほかの組織も細分化して地域ごとに覇権争いを繰り返している状況。あまり期待はできません」
もうひとつは、アメリカの麻薬依存者を減らすことだという。「アメリカでの麻薬需要が低下すれば、カルテルは経済的に大打撃を受けますからね。具体的には、麻薬の使用や栽培を一定レベルまで許可し、これまで掃討に使っていた予算を依存症の克服に回す方針にすること。ドイツや北欧もこの方法を採用しています」
実際、アメリカでは少しずつ麻薬規制の緩和を求める動きも出てきている。「極論ではありますが、アメリカがメキシコよりも安い麻薬購入ルートを他国に見出せば、メキシコの治安は改善される可能性はあります。でも、それでは火種がほかの場所に移っただけ。結局のところ、麻薬依存者がいる限り密売人は麻薬を売りつづけるんです。理想論かもしれませんが、根本的な解決をめざすならば、アメリカないしは世界全体の依存者を減らしていくべきだと思います」
マフィア同士の調停、麻薬依存者を減らすこと……考えられる平和への道筋はないとはいえないが、結局何より深刻な問題は、当局と犯罪組織の癒着。そして残念ながら、この癒着をなくすことが実際のところ一番難しいことなのだ。
いずれにせよ、 一刻も早くメキシコに平穏が戻ることを、我々は祈るしかないのだろうか。
山本昭代(やまもと・あきよ)
●1984年に京都大学文学部卒業後、出版社勤務などを経てメキシコへ留学。現在は慶應義塾大学などの非常勤講師を務める。著書に、『メキシコ・ワステカ先住民農村のジェンダーと社会変化―フェミニスト人類学の視座』(明石書店)など。
●1984年に京都大学文学部卒業後、出版社勤務などを経てメキシコへ留学。現在は慶應義塾大学などの非常勤講師を務める。著書に、『メキシコ・ワステカ先住民農村のジェンダーと社会変化―フェミニスト人類学の視座』(明石書店)など。
TRANSIT本誌でも、メキシコの麻薬とカルテルについて掘り下げてご紹介。
そのほか、マヤやアステカといった数多の古代文明の秘密、タコスやメスカルなどの魅惑の食文化、独自の死生観や信仰心が込められたフィエスタなど、メキシカンカルチャーを大特集。