世界を旅する冒険者の言葉から、歴史に名を残す著名人の旅にまつわる名言まで。
旅ってどんなもの? 彼らがみた世界とは? 旅する人たちの言葉から旅を知ろう。
今回は、イギリス生まれのイザベラ・バードを紹介する。
illustration:YOSHIMI HATORI / text:TRANSIT
時は19世紀半ばから末にかけて。当然、飛行機はなく、海外を容易に訪れることのできなかった時代。彼女は、”外国人”が足を踏み入れたことのない世界の辺境を歩き、旅行作家としての名声を得た。
しかし、僻地を旅したからといって、 したためられたすべての旅行記がベストセラーになるとは限らない。自然な語り口による彼女の筆致は、ローカルとの密なコミュニケーションや忌憚ない独特の描写により、多くの読者を冒険の世界へと誘ったのだ。
そうきくと、どんなにか男まさりの、 勇ましい女性なのだろうと想像するが、 実はそうでもない。恋に破れ失意のうちに旅立ったこともあれば、旅先で恋をしたこともある。
幼少の頃より病弱だった彼女の”武器”は、か弱い女性であることだった。ただ、男子を授からなかった父に、”息子”として自立心を身につけるよう育てられたバードには、もって生まれた鋭い感性と、聡明かつ父の薫陶による洞察力が備わっていた。彼女はなるべくして旅行作家になったのだ。
では、なぜ彼女は旅をしたのだろう。その秘密は当時のイギリス社会にある。伝統的な階級制度に縛られ、限られた役割しか与えられない女性であっても、海外では男性同様に自由な冒険ができた。そして「女にもできることは女にも権利を与えよ」と主張しつづけたバードは、旅の成功をもって本当の自由という翼を手に入れたのだ。
その生涯は、彼女の名前にふさわしい。
「(日本人は)不思議と美しさやかわいらしさを見極める目と、それを愛する心をもってきたように思われる」
また、イザベラ・バードは明治期の日本を訪れたことでも知られている。東北地方や北海道、関西などを旅して、旅行記『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』を執筆した。
イザベラ・バード
1831年イギリス生まれ。生涯の大半を旅に費やし、ロッキー山脈、チベット、ペルシア、ハワイ諸島、マレーシア半島、朝鮮、日本などの奥地を訪ねた。1904年没。主な著書に『日本奥地紀行』『ロッキー山脈跛行』など。
1831年イギリス生まれ。生涯の大半を旅に費やし、ロッキー山脈、チベット、ペルシア、ハワイ諸島、マレーシア半島、朝鮮、日本などの奥地を訪ねた。1904年没。主な著書に『日本奥地紀行』『ロッキー山脈跛行』など。