2023年3月に発売した『TRANSIT59号』では、ベンガル語話者が多く暮らす東インド・バングラデシュを特集しました。東インドとバングラデシュの人びとが育んできた、独自の芸術や工芸、食文化など、ベンガルの魅力をたくさん詰め込んだ一冊となりました。
さらにベンガル地方のこと知るべく、編集部は駐日バングラデシュ大使館を訪問して、シャハブッディン・アーメド大使に、日本とバングラデシュのつながりや、バングラデシュの現在、過去、未来のお話を伺いました。
Photo & Text:TRANSIT
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日本人でバングラデシュを訪れたことのある人はまだ少ないかもしれませんが、実は両国は結びつきが深い国ですよね。まずはバングラデシュがどんな国かを教えてください。
シャハブッディン・アーメド大使(以下、アーメド大使)
バングラデシュの国土面積は北海道の2倍程度で約1億7000万人が暮らす国で、世界一の人口過密国としても知られています。
バングラデシュを知るには、まず国の成り立ちから話しましょう。1947年にインドがイギリスから独立を果たします。そのときにヒンドゥー教徒が多い地域はインド、ムスリムが多い地域は西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バングラデシュ)に分かれました。インドを挟んで、パキスタンという一つの国ができたんです。
アーメド大使
しかし、東西パキスタンでは、距離が離れているうえに、文化や経済、政治的差別といった問題が生じていきました。ベンガル語を公用語とする東パキスタンは、人口も多く、経済力もありましたが、政治的主導権が西パキスタンにあったため、東パキスタンに暮らす人びとは不満を感じていたのです。
1952年にはパキスタン政府が西パキスタンの公用語ウルドゥー語を東西パキスタンの公用語にしようとしたことがきっかけで、東パキスタンでは西パキスタンから分離しようと独立運動がはじまります。バングラデシュの国父であるボンゴボンドゥ・シェイク・ムジブル・ラーマン大統領を中心とした闘争は長きにわたりつづきました。西パキスタンから独立を果たし、バングラデシュが誕生したのは1971年3月のことです。
アーメド大使
24年に及ぶ闘争と9カ月に及ぶ戦争は、多数の民間人を含む約300万人もの命が犠牲になりました。バングラデシュの国旗に描かれている赤い丸は、この独立戦争で国のために血を流した人びとを示すものでもあります。
バングラデシュという国名は、ベンガル語で「Bangla(ベンガル語)」「Desh(国)」という意味ですが、まさに母語(ベンガル語)を話す権利を守るために血を流さなければならなかった国でもあるのです。
アーメド大使
独立後は戦争の傷痕も残るなかで出発しました。1975年にはクーデーターによってボンゴボンドゥ・シェイク・ムジブル・ラーマン大統領が暗殺され、その後つづいた軍人の大統領による政治も1990年に終わってしまいます。
その後、1991年にボンゴボンドゥ・シェイク・ムジブル・ラーマン大統領の長女であるシェイク・ハシナ氏が首相に就任したことをきっかけに、彼女の優れたリーダーシップと勤勉な国民によって、バングラデシュは徐々に繁栄した国へと変化していきました。
TRANSIT
バングラデシュと日本は、2022年に国交50周年を迎えましたね。両国のつながりについて教えてください。
アーメド大使
バングラデシュと日本の外交関係は、バングラデシュ独立直後にはじまります。1971年3月の独立後、1972年2月10日にOECD加盟国のなかでいち早く日本はバングラデシュを主権国家として承認しました。そこから日本とバングラデシュの間で正式な外交関係がはじまりました。
アーメド大使
1972年3月3日には駐日バングラデシュ大使館が東京に置かれて、1972年7月1日に日本はダッカに駐バングラデシュ日本大使館を開設しました。
両国の国旗のデザインは似ていますよね。国父ボンゴボンドゥ・シェイク・ムジブル・ラーマンは、第二次世界大戦後に社会経済発展を遂げた日本を熱烈に称賛していたこともありますが、バングラデシュ国民も同様に、日本に計り知れない好意と尊敬の念を抱いているんですよ。
アーメド大使
2014年のシェイク・ハシナ首相の訪日では、安倍晋三元首相とともに日本とバングラデシュの「包括的パートナーシップ」を宣言し、両国間の協力と理解は深まっていきます。またシェイク・ハシナ首相は、2023年4月に岸田文雄首相との首脳会談を行い、両国関係は「戦略的パートナーシップ」に格上げされ、友好関係はさらに力強さを増しています。
日本はバングラデシュにとって、唯一最大の二国間開発パートナーです。独立以来、日本は資金援助、技術援助を通して、バングラデシュを支援しています。これまでのコミットメント総額は、301億2000万米ドル、日本の支出額は約201億4000万米ドルに及びます。
アーメド大使
日本はバングラデシュの主要な輸出先の一つです。バングラデシュから日本への輸出全体の約7割を衣類が占めています。輸出の大半は、既製衣料品、皮革製品、魚介類などの製品で、逆に日本からバングラデシュへの輸出は、自動車・部品、鉄鋼製品、化学製品、機械類です。
バングラデシュでは、自由な貿易、投資環境を提供していて、日本企業のバングラデシュへの投資は増えています。またバングラデシュ国内に100の経済特区が開発されていて、日本専用の経済特区もあります。そこには、農業食品、軽工業、自動車組み立て、製薬、衣料品、化学などの産業の投資ができる場が整っているんですよ。
TRANSIT
政治でも経済でも、さまざまに交流があるのですね。大使のお部屋に飾られている書は、アーメド大使が書かれたんでしょうか?
アーメド大使
バングラデシュと日本の外交関係は、バングラデシュ独立直後にはじまります。1971年3月の独立後、1972年2月10日にOECD加盟国のなかでいち早く日本はバングラデシュを主権国家として承認しました。そこから日本とバングラデシュの間で正式な外交関係がはじまりました。
アーメド大使
これは2022年に外務大臣政務官主催で行われた南西アジア諸国交流イベントの際に書いたものです。各国の大使が集まった会だったのですが、日本はもちろんのこと南西アジアのすべての国と永続的な友情を築きたいという思いを込めて、私は「友情」と書きました。
バングラデシュは戦争をへて独立を果たした歴史があるので、あらゆる国と争わずに友好的でいようと心がけているんですよ。
アーメド大使からお話を聞いたあと、バングラデシュ大使館で政務を担当しているシェイク・フォリド公使にも話を聞くことができました。バングラデシュ大使館には、政務、経済、商務、労働、報道部があり、すべての部門を統括しているのが大使の役割。また、首席公使の他、各部に担当外交官がいて、日本側とのやり取りや大使の職務をサポートしています。
政務担当のシェイク公使には、バングラデシュの現状と未来について、話を伺いました。
TRANSIT
バングラデシュのこれからについても教えてください。
シェイク・フォリド公使(以下、フォリド公使)
中国に次ぐ世界で2番目のアパレル大国であることや、IT王国インドとかつて同じ国であったことから、ITの分野にも注目が集まっています。
また世界から注目されている点として、ジェンダーギャップが少ない社会であることが挙げられます。現首相が女性であることをはじめ、女性国会議員比率が世界と比べても高く、政治だけでなく経済面でも女性の活躍が目覚ましい国です。
TRANSIT
たしかにバングラデシュには、若いパワーを感じたり、国の在り方について考えされられる部分があります。NGO団体は、金融、教育、通信、エネルギーといった国のインフラ機能を担っていますよね。一部の団体は企業化して雇用も生んで、社会に大きなインパクトを与えていますね。
フォリド公使
利益だけでなく社会問題の解決のための団体が機能して、国内外に活動の場を広げているのは、バングラデシュならではかもしれません。
フォリド公使
バングラデシュは、2026年には後発発展途上国から発展途上国へ、2041年には高所得国、知識集約型先進国への加入を目指して、一歩ずつ着実に進んでいるところです。GDPは過去15年間、毎年6%以上の成長をつづけています。
バングラデシュはまだ若い国でありながら、アジアの中でもっとも注目すべき国の一つなんです。ぜひその目覚ましい経済成長、緑豊かな自然美、カラフルで活気に満ちた人びとのパワーを体感しに、バングラデシュに来てください!
駐日バングラデシュ大使館
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*2023年7月時点の情報です