北は北海道から、南は沖縄まで、ひとくちに日本といっても、食べ物、お祭、習慣、自然が織りなす景色まで個性はさまざま。その土地ならではの愉しみ方は、その土地の人に訊くのが一番!ということで、連載「47都道府県ローカルのすゝめ」はじまりました。
中部の岐阜県からは、江戸時代からつづく五街道のひとつ、“中山道”の旅の話。街道好き、歴史好きにはきっと旅の参考になるはず。
教えてくれたのは、岐阜県観光国際部の川崎裕史さん!
Text:Hiroshi Kawasaki Special Thanks:岐阜県観光国際部
Index
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中山道は江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸と京都を結ぶ重要幹線として機能してきました。
岐阜県内には、美濃中山道に所在する16の宿場に加え、2005年2月の越県合併により、長野県から岐阜県中津川市へ編入した馬籠(まごめ)宿を合わせて、17の宿場があります。中山道は、日本橋から京都三条大橋まで69宿(約532km)ですので、4分の1程度が岐阜県南部を通っているということになります。
そして、この岐阜県17宿のなかでも当時の景観や情緒を色濃く残しているのが、馬籠宿(中津川市)から伏見宿(御嵩町)が所在する東美濃地域で、年間を通じて多くの訪日旅行客や散策好きな方々が訪れています。
今回は、この東美濃地域における中山道沿線の歴史や見所、グルメも含めた魅力をみていきましょう。
※東美濃地域…多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市、可児市、御嵩町
まずは基本情報から。岐阜県17宿における最東端の宿場は旅行客の間でもよく知られている「馬籠宿」です。ここから西へ向かって、落合宿、中津川宿、大井宿、大湫(おおくて)宿、細久手(ほそくて)宿、御嶽(みたけ)宿、伏見宿へと続いていきます。この間、距離にして約55km、標高差は馬籠宿の約600mから伏見宿の約100mです。
文字通りお宿として栄えたこれらの宿場には、今では数える程度とはなったものの、利用客が絶えない情緒ある宿泊施設が残っています。
また、東美濃地域の中山道は、リニア中央新幹線の建設予定ルートともほぼ並行しており、400年もの時を越えて新旧の大動脈が横断することは壮大なスケールを感じます。
ではここで、現代の中山道を歩いても昔の中山道の歴史がみえてくる、4つのポイントをみていきましょう。
その一、「馬籠宿」!
まずは馬籠宿。急坂沿いに広がる宿場で、明治・大正の大火により江戸時代の建物の多くは残念ながら焼失しましたが、建物や石畳など宿場の面影を再現しており、これらの町並みや標高2,191mの恵那山を望む景観が大変に美しいのです。
また、馬籠宿は明治・大正・昭和にわたって活躍した文豪・島崎藤村の生誕地として名高く、本陣跡に建てられた藤村記念館には、約7500点もの資料が収蔵・展示されているほか、隠居所は日本遺産に指定されています。
「木曽路はすべて山の中である。」という有名な書き出しで始まる小説『夜明け前』では、江戸時代末から明治にかけての馬籠宿や中津川宿の様子が描かれており、馬籠宿では小説の世界が眼前に広がっていて、国内をはじめ世界中から観光客が訪れています。
その二、「落合の石畳」!
馬籠宿から西へ2kmほど歩くと、全長約840mの石畳が続きます。中山道美濃路の始まりです。大部分は近年補修された箇所ですが、3カ所の計約70mは往時のまま現存しています。
木々の間から差し込む柔らかい光を感じながら、静寂が包む苔むした石畳を歩くのは何とも清々しく、無になって歩くことが出来るお薦めスポットです。
その三、「大湫宿」!
落ち着いた趣のある格子戸の家屋が軒を連ね、国登録有形文化財である旧森川訓行家住宅は、現在は「丸森」という愛称で中山道の観光案内所として来訪者を温かく迎え入れています。
また、樹齢670年を誇った神明神社の大杉は、令和2年の豪雨で倒木してしまいましたが、住民の熱意により文化財として蘇り、引き続き地域のシンボルとなっています。
大湫宿から西へ1kmほど歩くと、約730mに渡る石畳が有名な琵琶峠に入ります。「木曽海道六拾九次」や「木曽路名所図会」にも描かれた中山道の名所で、道中、馬頭(ばとう)観音や八瀬沢(やせざわ)一里塚も当時のまま残っており、昔ながらの中山道を体感できます。
琵琶峠の東西両上り口には、きれいに舗装された道路が通じているため交通アクセスが良く、案内看板やトイレ(冬期閉鎖)も整備されており、峠の高低差はあれど約30分の快適な散策をサポートしてくれます。
その四、「中山道広重美術館」!
そして最後に中山道広重美術館です。JR恵那駅から徒歩数分で、大井宿にもほど近い場所にあります。2001年に開館し、江戸から大津宿まで中山道を宿場ごとにたどる浮世絵版画「木曽海道六拾九次之内」を中心に収蔵されています。同作は、歌川広重(1797~1858年)の名作「東海道五拾三次之内」の成功を受けて企画されたとか。
中山道沿線の現在の風景を思い浮かべながら、一枚一枚展示作品を辿っていけば、吸い込まれるような不思議な没入感に浸れます。ちなみに私のお気に入りの作品は「中津川」(雨)と「大井」です。風景画でありながら、いずれも雨や雪景色を描いているところ、なのに暗より明が強く感じられる不思議な作品です。「木曽海道六拾九次之内」は、毎年秋に公開されています。
同館2階では、どなたでも浮世絵の「摺り」の工程を気軽に疑似体験できる「重ね摺り体験コーナー」もあるんですよ。
●東美濃自慢の郷土食「五平餅」を食べ比べる
中山道沿線には、歩く楽しみもありますが、食べる楽しみもあります。中山道を散策する際、ぜひ食べていただきたいのが五平餅です。
五平餅は、つぶしたお米に串を指し、形を整えタレをつけて焼いた郷土食です。五平餅を提供しているお店は、東美濃地域を中心に、岐阜県や長野県、愛知県内に広がっており、東美濃地域内だけでもおよそ120店舗で販売されています。
五平餅の特徴といえば、田舎味噌やたまり醤油が焼けた香ばしい香りです。わらじ型や団子型、団子型でも少し平べったいなど形や大きさもさまざまで、味噌や醤油の違いだけでなく、クルミやゴマ、落花生などの隠し味や調味料を加えたタレの違い、さらには米の種類、硬さ、焼き加減など、お店によってこだわりや個性があるのも興味深いです。竹串や木のへらの違いもあって、食べ比べが楽しいです。
そもそも五平餅は、木こりたちが木材の伐採で出た木の切れ端にご飯を握りつけて焚き火で焼き、味噌を付けて食べたのが始まりとされています。やがて、山仕事の安全などを祈り神様に捧げられるようになり、新米がとれた採れた収穫祝いや、祭事の場でも捧げられ広まっていきました。今でも、地元の方が大勢で集まる場には必ず山のように五平餅が並ぶと言いますから、まさに地域で愛されてきた郷土食です。
●東美濃といえば「栗きんとん」も外せない
東美濃地域の秋の味覚の代表格である栗きんとんについてもご紹介しておきたいと思います。栗きんとんは、東美濃地域の最東に位置する中津川市が発祥の地ともいわれ、地元をはじめ国産の栗を蒸して砂糖と炊き上げ、茶巾で絞ったシンプルな和菓子です。上品な甘さと蒸した栗の風味、ホクホク感がお茶に良く合う、まさにこの地域の秋を象徴する逸品です。
お店によっては3月頃まで購入できるようですが、例年9月初旬から12月頃まで多くの和菓子店や土産処で販売されており、とくに有名和菓子店の栗きんとんを1つずつ詰め合わせた食べ比べセットは人気が高いです。バラ売りされていることも多く、少しずつ買うこともできます。品格がありながらもいつも買ってしまう親しみやすい和菓子です。
江戸時代からの歴史ある街道として今もその姿を残している「中山道」。ヒト・モノ・文化が行き交った400年余の歴史に思いを馳せながら、沿線の風景とグルメを心ゆくまでのんびり楽しんでいただきたいと思います。
【東美濃地域へのアクセス】
◆公共交通機関
・東京駅-JR多治見駅 約2時間30分(以降、可児駅、土岐駅、瑞浪駅、恵那駅、中津川駅へ続く)
(東海道新幹線 名古屋駅経由 中央本線にて ※可児駅へは多治見駅から太多線に乗換え)
・東京駅-名鉄御嵩駅 約3時間20分
(東海道新幹線 名古屋駅下車/名鉄名古屋駅から名鉄犬山線、広見線を乗継ぎ約1時間20分)
・新大阪駅-JR多治見駅 約1時間40分(以降、可児駅、土岐駅、瑞浪駅、恵那駅、中津川駅へ続く)
(東海道新幹線 名古屋駅経由 中央本線にて ※可児駅へは多治見駅から太多線に乗換え)
・新大阪駅-名鉄御嵩駅 約2時間20分
(東海道新幹線 名古屋駅下車/名鉄名古屋駅から名鉄犬山線、広見線を乗継ぎ約1時間20分)
◆自動車
・東京(調布IC)-中津川IC 約3時間30分(以降、恵那IC、瑞浪IC、土岐IC、多治見ICへ続く)
(中央自動車道にて)
・東京(調布IC)-可児御嵩IC 約4時間
(中央自動車道、東海環状自動車道にて)
・大阪(吹田IC)-多治見IC 約2時間10分(以降、土岐IC、瑞浪IC、恵那IC、中津川IC)
(名神高速道路、東名高速道路、中央自動車道にて)
・大阪(吹田IC)-可児御嵩IC 約2時間20分
(名神高速道路、東名高速道路、中央自動車道、東海環状自動車道にて)
【観光・体験・グルメ情報】
東美濃観光ガイドhttps://higashiminokanko.com/
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