連載:NIPPONの国立公園
National Parks of Japan.
連載:NIPPONの国立公園
TRAVEL & THINK EARTH
2024.11.14
5 min read
原始の自然環境が多く残る知床半島には多種多様な生物が棲み、 海から森、空へと命をつなぐ豊かな生態系がある。 流氷が辿りつく、日本唯一の土地がもたらす恵みを追った。 知床の旅を前編「羅臼岳を登って」、後編「ヒグマとの遭遇」に分けてお届けします。
Photo : Gentaro Ishizuka
Text:Nobuko Sugawara Supported by THE NORTH FACE Special thanks: Satoshi Tsukahara
知床半島といっても、根室海峡側の羅臼町とオホーツク海峡に面した斜里町の東西では、自治体も気候も地形も異なる。ウトロ側(斜里町)には知床五湖があり、滝などを巡る観光船ツアーで賑わう。羅臼側は漁業が盛んで、海の幸を楽しめる民宿やホエールウォッチングなど。海水温も羅臼のほうが低い。ヒグマの出没率が高いのは羅臼の海岸線だというが、歩道もなくアクセスしづらい。
ウトロの遊覧船ツアーに参加し、ルシャ湾で定置網にかかったマスを捕食しているヒグマの姿は見たものの、もう少し知床の人とヒグマの関係性に触れてみたいと思っていたところ、あるご縁で羅臼の漁師さんの番屋にお世話になる機会を得た。ヒグマの出没率が高いエリアにその番屋はあるという。朝6時半、相泊港から漁船に便乗させてもらい、東へ約20分。マス釣りの人びとで賑わうモイルス湾に到着した。
ウトロ・羅臼いずれの海岸でも見られる「番屋」は、漁のための宿泊や倉庫などに使用される小屋のことだ。5月の連休明けから漁解禁の9月頭まで、番屋で漁師たちの共同生活が行われる。約10名が寝泊まりできるほど立派な2階建ての番屋の主である田中賢志さんは、100年以上定置網漁を行うマルト田中水産の次期社長だ。20代の頃は東京の飲食店で働いていたが、その店で出される羅臼産のサケやマスに触れるにつれ、家業を継ぐことへの誇りをもつようになったのだという。
漁解禁を目前に準備も落ち着いてきた8月下旬。田中さんと若手二名がモイルス湾の番屋に滞在する日に、一晩お邪魔させてもらえることになった(野営のつもりで向かったが、さすがに止められた)。サケとイカ漁をメインに行うマルト田中水産は、羅臼でもとくに深い水深30mの漁業場で定置網を張っている。漁が始まると、深夜に相泊港から定置網の場所まで漁に出て、早朝、港に戻ってその日水揚げされた魚を売りさばく。
1年分を売り上げる11月までの3カ月は、漁師としてもっとも刺激的で楽しい時期だという。大漁に恵まれた年は、上場企業で働く人の年収ほどのボーナスを漁師たち全員に出すこともあったというが、近年、温暖化の影響や近隣諸国の乱獲などが原因で、漁獲量が減っていることは否定できないそうだ。
「あ、あそこ!」
湾に降り立ち数時間後、番屋の裏山の崖に一匹の子グマが顔を出した。距離としては20mくらいだろうか。しばらく息を潜めて姿を追っていたが、見えなくなったと思ったらするりと崖の下に降り立っている。ゆったり歩く生き物だと思っていたのでその軽やかさに驚く。子グマはそれ以上近づいてくることもなく、また裏山に戻っていった。
それからさらに数時間後、釣り人がみな帰った海岸線沿いに、今度は大きいヒグマが現れた。親グマだろうか。こちらも悠然と動いているようで、想像以上にスピーディだ。子グマが獲れなかった食べ物を探しにきたのかもしれない。そのクマは15分ほど海岸線をパトロールしたあと、また山の中へ消えていった。
16時頃から夕食の支度が始まる。若手漁師二人(38歳の太田さんと、25歳の國井さん)がジンギスカンバーベキューでもてなしてくれることに。匂いがヒグマを挑発しないだろうかとヒヤヒヤするが、みんな平然としている。彼らは笑いながら「クマを怖いと思ったことなんてないですよ」と言った。
「ここには秩序があります。動物も人間も、お互い知らんぷりしているのが一番なんですよ」川がすぐそばにあるので、マスやサケを獲るためにヒグマが降りてくることはあるが、人がいたら寄ってこない。ヒグマは、魚のなかで一番美味しい頭と内臓しか食べないのだという。そしてその残りをキツネや鳥が運び、森の中で食べる。ジンギスカンを囲みながら、「自分たちもいい魚が釣れたら、自分たちで食べますよ」と漁師たちは笑う。「酪農の人たちはきっと、一番いい肉を市場に回すでしょう。でも漁師はその日その日が勝負だから、いいものを自分たちでいただいている」
1日1日が、厳しい自然との戦いだ。天気を読み、その場その場で判断をしてゆく。海の食物連鎖が、山の食物連鎖へと繫がる。人間は漁で海の恵みをいただいているからこそ侵してはいけない領域がある。国立公園内で生まれ、その場所が世界自然遺産に選ばれただけと羅臼育ちの人たちは言う。彼らなりの共生、自然保護があるのだと知った。
動植物の保全や、生息域である森林や海、川の管理計画をチェックする組織、人の利用と自然の保全の両立を目指す「知床国立公園利用適正化検討会議」、「知床エコツーリズム推進協議会」といった、保護管理体制も世界遺産に登録された背景にある。野生動物とうまく共生し、知床の自然を守ることは行政と住民の協力なくしてはありえない。
森を読み、海を読み、うまく動物とつき合う人たちがこの半島には生きている。秋になれば、海を数年回遊した、知床育ちのサケが戻ってくる。川を遡上したサケがヒグマなどのエサとなり、陸の生態系の礎となる。そしてまた冬がやってきて、流氷を運んでくるのだ。
豊かな生態系が息づく知床半島の特性は、オホーツク海の流氷が接岸する北半球最南端の場所であるということ。流氷には「アイスアルジー」という植物プランクトンが閉じ込められており、春に流氷が溶け始めると大増殖する。アイスアルジーをエサにする動物プランクトンが発生し、これを食べる魚をまた食べるのがアザラシやトド、海鳥、そしてシャチである。サケやマス、オショロコマなどの淡水魚類もまた動物プランクトンを食べ、ヒグマや猛禽類の食物資源となる。
エゾシカやエゾリスなどの草食動物は草木や果実などを食料とし、動物や鳥が死ぬと、その死骸はバクテリアなどで分解され、また豊かな土壌を作る。海の食物連鎖と森の食物連鎖のバランスが優れているのが知床の特徴なのだ。
本記事はTRANSIT49号より再編集してお届けしました。
日本の国立公園
北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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環境省・日本の国立公園