連載:NIPPONの国立公園
National Parks of Japan.
こんな森があったのか─。樹齢1000年を超えるであろう巨木が立ち並ぶ原生林の堂々とした佇まいにみとれ、息を呑んだ。旅の最終日、ようやく内宮の参拝を終えた私たちは、その午後、内宮の別宮である瀧原宮を訪れていた。ここは実は伊勢志摩国立公園内ではない。しかし、神宮林のことを知りたいというと、ひょんなことから知り合った松阪在住の横濱金平さんが、瀧原宮へと連れてきてくれたのだ。
「ここ瀧原宮には私たちが300年後に目指す森の姿がある」と横濱さんは語る。縁あって払い下げられた神宮林の木を扱うこともあるという横濱さんは、デザイナーであり、日本、ひいては世界の森林の現状を憂いて、デザインの力で木の魅力を伝える、知る人ぞ知る”森の先生”のような存在だ。原生林と植林の森はどう違うのか、伊勢志摩周辺の海や空気が清々しく感じられるのは、神宮林と関係があるのだろうか。
疑問に思っていたことを矢継ぎ早に尋ねると「原生林を保つこと、生態系を守ることが、水と空気の清らかさにつながっていることはたしかです」。そう語ったうえで、古い木と若い木が一緒に生えているという理由で、植林の森ではなく、原生林のほうがいいという。なぜなら、成長の終わった木はもはや光合成をせず二酸化炭素を吸収したりはしないが、若い木を育てるためには、根をしっかり張った老木が必要なのだと。
「樹齢300年には300年のやさしさがあるんです。同じ年代でかたまるよりも、いろんな年代が一緒のほうがいい。人間も同じです」 私は神島でのエピソードを思い出していた。島の学校では郷土学習があり、子どもたちは歴史を学び、お年寄りに話を聞いたり、海苔の佃煮作りをするのだという。”子どもみくじ”もその一環だった。
神島特有の習慣って何かありますか? 宿の女将さんにそう尋ねると、首をかしげながらも、「冬になると、子どもたちが山の上のほうに住むお年寄りの家に灯油を届けにいくこと、ですかね……!?」と教えてくれた。そのときには、立派だなぁというくらいの感情だったが、そこには、年配者から年少者へ受け継がれる知恵と、年少者が年配者を労る心を育てる交流があった。コミュニティを健やかに持続させていくための大切な習慣だ。
ここには、伊勢神宮があるからこそ保たれてきた森があり、海の恵みによって育まれた人びとの営みがある。自然も暮らしも、無限に存在するわけではないと、知る人たちがいる。伊勢志摩の旅は、人の生活や自然のサイクルを持続させるために必要なこと、そして、水や空気の美しさを未来に伝えていけるかどうかは、これからの私たちの行い次第であることを教えてくれた。
伊勢志摩国立公園の一部となっている志摩半島から尾鷲市にかけての熊野灘沿岸は、いくつもの半島や島が連なる日本有数のリアス海岸。このあたりの土地はかつて海の中にあったが、侵食されて平坦な海食台地となり隆起。そして、陸地となった場所が時間をかけて沈降し、川や谷だったところまで海水が入り込んだことで、複雑に入り組んだ海岸線が形成された。
外洋の波の影響を受けにくいリアス海岸の湾内は風も波も穏やか。よって、天然の良港として漁業基地がつくられたり、養殖も盛んに。よく似た地形にフィヨルドがあるが、もともと谷だった場所に海水が入り込んでつくられたリアス海岸とは異なり、フィヨルドは氷河によって削られた谷に海水が入り込んでつくられた地形で、日本にフィヨルドはない。
本記事はTRANSIT50号より再編集してお届けしました。
日本の国立公園
北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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環境省・日本の国立公園