連載:NIPPONの国立公園
National Parks of Japan.
連載:NIPPONの国立公園
TRAVEL & THINK EARTH
2024.10.03
6 min read
本州から1000km離れた、太平洋に浮かぶ小笠原諸島。その隔絶された島に、海を越えて少し ずつ生命が上陸。数千万年の時間をかけて生み出された独自の生態系の今を見つめた。そんな小笠原国立公園を巡った旅を、前編「孤島に根づく生命の息吹」、後編「破壊と再生の森」に分けてお届けします。
Photo : Hidetoshi Fukuoka
Text: KanamiI Fukuoka (TRANSIT) Supported by THE NORTH FACE
迫る台風の影響で、しとしとと雨が降りしきる日、山を案内してくれるガイドの川口逹平さんとともに、陸地の森を巡った。南島もそうだが、小笠原諸島には足を踏み入れるために公認ガイドの同行が必要なエリアが多くある。厳密に人の立ち入りを管理することで固有 種を中心とした希少な生態系の崩壊を拡大させないためだ。
川口さんとともに入ったのは、内陸部にあるアカガシラカラスバトのサンクチュアリ。アカガシラカラスバトは採餌や営巣、子育てを主に地上で行う固有亜種であり、絶滅の危機に瀕している。直接的な要因は、第二次世界大戦時の島民の強制疎開にあるという。
島外へ連れて行けなかった飼いネコたちが野生化し、地面付近で暮ら すアカガシラカラスバトを襲うようになったのだ。1968年の小笠原諸島日本返還後の調査では、数十羽しかいない幻の鳥といわれたという。
サンクチュアリに入ると、根が外にむき出しになっているタコノキや、シダ植物であるマルハチ などが茂り、『ジュラシックパーク』で描かれる 原始の森のようだ。ふと気になって、人に放たれたネコやヤギのほかに、哺乳類がいるのか尋ねてみた。「人間が小笠原の地に入る約200年前まで、哺乳類は飛ぶことができたコウモリしか存在しな かったんですよ」と川口さん。
小笠原の生態系ピラミッドの頂点に君臨する動物は、本来オガサワラノスリという固有亜種のタカの仲間の鳥だという。そのため小笠原の鳥たちの多くが天敵のいない地面の近くで生きるようになったのだ。
固有種は外来種に対して脆弱だ。生命の原理に則って、生態系の中に存在できる場所や地位(ニッ チ)を争い合うと、多くの場合、外来種が固有種を駆逐してしまう。その理由は、固有種は小笠原 の土地の特性に合わせて進化してきたことにある。
森の中央部にある高台に上がり、父島の全容を眺めながら、川口さんは説明をつづけてくれた。「島ではこのように土地が限られています。エサなどのリソースに限りがあるから、子孫を増やしすぎることもリスクのひとつ。
命を奪う天敵も少なかったので、小笠原の固有種の多くが、一度に産む卵や子どもの数を減らしていったんです」小笠原の土地に合わせた進化の知恵が仇となり、人間によってもちこまれた外来種が現れると 多くの生き物が急激に数を減らしていったのだ。
人類の入植以来200年足らずで、絶滅した生き物は相当数いると考えられている。今では島のいたるところに、ネズミやネコを捕獲するトラップが仕掛けられている。ネコの捕獲は成果を上げ、アカガシラカラスバトの個体数は 数百羽程度に復活しているそうだ。
森に囲まれた高台の近くで、淡い黄色の花をつけた可愛らしい植物を目にした。
テリハハマボウ という固有種で、海岸沿いで見られる広域種のオ オハマボウから進化の枝分かれをした種だ。開花 後 1 日で花を落としてしまう。地面に落ちわずか に赤みを帯びた花弁を拾い上げた川口さんが、「植 物の固有種の多くが内陸部に分布しているんです」 と説明してくれた。
この島に生命が存在するよう になるには、当然どこかの大陸か島から海を越え てやってくるしかない。そのため海岸が森への玄 関口となり、種が生息域を内陸へと進める過程で 独自の進化を進めていくからだ。
川口さんはつづ ける。「小笠原の固有種の花々は、淡い色をして いることが多いんです。競争相手となる植物が少 なく、受粉をしてくれる昆虫に対して過度な主張 をする必要がなかったから。観光客の方が目に止めて写真を撮る鮮やかな花は、だいたい外来種な んですよね」と笑う。
そんな話を聞きながら森を進むと、大きなガ ジュマルがいくつも絡み合った、天然のジャング ルジムのような空間に辿り着いた。その光景に圧 倒される。
だがガジュマルも外来種だ。別名、絞 め殺しの木と呼ばれるガジュマルは、成長が早く あっという間に周囲の土地を覆い尽くすことから、 防風林や戦時中に空からの偵察機に対するカモフ ラージュ用に持ち込まれたのだという。そのため、 ガジュマルが生える場所には戦跡があることが多 く、ここにもガスマスクなどが多数残されていた。
小笠原の自然と戦争は、切っても切り離せない 関係だ。ガジュマルやネコの野生化など、外来種 を野放しにする原因にもなった一方で、住民が強 制疎開の憂き目にあい、戦後20年ほど人の営み がなかったことで、森が回復し世界遺産の認定に つながったことは否めない。そして観光や調査の ために必要な森に張り巡らされた散策路も、その 多くが戦時中に兵士たちが残した道だという。
帰路につく前日、境浦海岸を散歩していると、揃いのTシャツを着たレンジャー 2人に遭遇した。 小笠原歴13年目のベテランレンジャーと今年着 任したばかりの新人だ。仕事の手を止めて保全と 調査に向き合う日々の地道な活動について話して くれた。
彼らの表情には使命感と小笠原の自然を 心から愛おしく感じている様子が現れていた。
小笠原は、日本の離島のなかで、ほぼ唯一人口 が増えている島だ。多くの人が小笠原の自然に魅 せられて移り住んでいる。自然を守るために制定 された、かつては黙認されていた植物の採取の禁 止や、立ち入れる場所の制限、空港の不在なども島民たちは受け入れて暮らしているようだ。
自然 を守っていくために生活の場の節々に配慮が散り ばめられている。たとえば、小笠原の道路に立つ 街灯のほとんどが薄暗いオレンジ色。ウミガメが 卵からかえって海に歩き出す際に、月と間違えて 方向感覚を失わないようにするためだ。
レンジャーやガイドはもちろん、そのほかさま ざまなかかわり方で、小笠原の自然に魅せられ島 民となった人たちが、絶妙なバランスで保たれて いる自然の保護にコミットしているのだと感じた。 人の営みによって荒らされた生態系だが、それを 復活させるのもまた人間なのだ。
帰りの「おがさわら丸」に乗り込もうとしたとき、コーヒー店で出会った青年が、私たちの見送りに 駆けつけ、草と花で作った首輪のレイを首にかけ てくれた。ハワイの文化を取り込んだもので、ど うかまた島に戻ってこれるように、という意味が 込められているそうだ。
船に乗り込んだ人が、私 たちと同じようにこの島で出会った人との別れを それぞれ惜しんでいる。鳴り響いた汽笛を合図に、 離れていく島に向かってレイを海へ投げた。
島が見えなくなっても、大波に揺られながら夕 日が大海と空をオレンジ色に染めるのをしばらく 眺めつづけた。隔絶されているがゆえに、あるべ き姿をなんとか保つ自然と、自然を守りながら暮 らす人びとにまた再会できることを願った。
本記事はTRANSIT54号より再編集してお届けしました。
日本の国立公園
北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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環境省・日本の国立公園