ネルソン・マンデラが釈放された日!

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ネルソン・マンデラが釈放された日!

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2025.02.11

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2月11日は、ネルソン・マンデラが釈放された日。

© Library of the London School of Economics and Political Science

1918年、南アフリカのテムブの王族の家に生まれたネルソン・マンデラ。大学で法律を学び、人種差別政策アパルトヘイトに対抗するため、アフリカ民族会議に参加しました。

当初は平和的な抗議運動をつづけましたが、政府の弾圧が激化し、武装闘争へと転向。1962年に逮捕され、1964年のリボニア裁判では死刑をかろうじて逃れたものの、終身刑を宣告されます。

マンデラが収容されていた刑務所。

© sarahjadeonline

ロヴェン島刑務所での過酷な獄中生活は27年に及びましたが、その間もマンデラは黒人層から広く支持され、彼の投獄は国際社会のアパルトヘイト批判を加速させる出来事となっていきました。

1980年代に入り、南アフリカの政治情勢が悪化すると、マンデラは政権との交渉に臨みます。1989年12月、デクラーク大統領と会談した後、1990年2月11日、南アフリカ政府は彼を釈放。その後まもなく、マンデラはアフリカ民族会議の党首に就任し、南アフリカの平和的な民主化移行を実現していきました。

© Library of the London School of Economics and Political Science

初の黒人大統領に就任後、体制移行の過程での憎悪の暴発を抑え、黒人と白人が共存する理想を実現したマンデラ。しかし、彼にはもう一つの大きな目標がありました。

「すべての人びとに、よりよい生活を(Better Life for All)」というスローガンのもとに掲げられた、復興開発計画(RDP)。貧困層への富の再分配を目的とした経済政策であり、当時の世界銀行の雇用創出政策とも一致する計画でした。しかし、冷戦終結直後の新興国にとっては、なお過激すぎる政策と見なされ、マンデラの引退後この計画は棚上げされてしまいます。

その代わりに推し進められたのは、「格差是正」の名のもとに、特定の黒人エリート層を富ませる政策でした。その結果、白人と黒人のエリートが富を独占し、貧困層、とりわけ黒人貧困層は置き去りにされる社会が生まれたのです。

© South African Tourism

マンデラが果たせなかった最後の課題。彼が生まれ育ったトランスカイの平和な村のような社会を築くことが、彼のもっとも大きな夢だったのかもしれません。

毎年8月下旬から9月上旬にかけて、北ケープ州ナマクアランドではワイルドフラワーが一斉に咲き誇る。

© Winfried Bruenken

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Yayoi Arimoto

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