インド亜大陸の北西に位置するカシミール地方。時折、インドとパキスタンの間で領土争いが起こる場所でもあるけれど、実際のカシミールはどんな場所なのだろう?
地名に由来するカシミヤの織物を紡ぐ〈Pashmkaar〉創業者に訊いた、ふだんのカシミールと美しい織物のこと。
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© Sandi Lesmana
インド、パキスタン、中国の国境に広がる、山岳地域カシミール。その名前を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、インドとパキスタン間の領土問題かもしれない
2025年の春に起きた印パの争いは記憶に新しい。4月にインド側のカシミールでインド人や外国人観光客が武装した複数人に銃撃されるというテロ事件が発生、その背後にパキスタンがいると考えたインド政府によって、インド軍がパキスタン側のカシミール地方にミサイル攻撃を行い、パキスタン軍とインド軍の交戦に発展。それぞれに死傷者を出している。5月には両国が即時停戦合意を発表したものの、いまだに両国はカシミールをめぐって緊張関係にある。
© Sumit Gupta
そんな係争地としてのカシミールではなく、天然繊維のカシミヤから、カシミールに想いを馳せる人もいるかもしれない。美しい手工芸が息づくカシミールのことを知ろうと、現地でカシミヤブランドの〈Pashmkaar〉を立ち上げた、Tariq Ahmad Darさんに話を訊いた。
「カシミールはヒマラヤ山脈に抱かれた山岳地帯です。
Dal湖、丘陵地GulmargやSonamarg、谷の町Pahalgamは季節ごとに美しく、春はアーモンドの花が咲き、夏は美しい川が流れ、秋はいろんな種類のリンゴや胡桃が実り、冬は高原が雪化粧されます。それにカシミールはValley of Sufis(スーフィーの谷)とも呼ばれていて、スーフィズム(イスラーム神秘主義)の聖地なんです。あらゆるものに霊性が宿るようなところですよ」
どんな場所に暮らしているの? そんな質問に、カシミール生まれのTariq Ahmad Darさんは目を細めて答える。そして言葉をつづける。
「美しい手工芸もあります。カシミールの中心都市Srinagarは、ユネスコから“世界工芸都市(Creative Craft City)”の称号を授かっています。絨毯、ウォールナットの彫刻、ペーパーマシェ(紙のちぎり細工)、そして私がやっているようなカシミヤのショールや手刺繍といった工芸品が生まれる場所でもあります」
カシミヤヤギの毛を使ったカシミヤの織物は、この地域が生んだ美しい工芸品だ。
18世紀末頃から、カシミール地方の織物が欧州に伝わって王族や貴族に愛され、地域名のカシミール(Kashmir)から、カシミヤヤギの天然繊維を、カシミヤ(Cashmere)と呼ぶようになったともいわれている。かのフランスのナポレオンも、恋人のジョセフィーヌにカシミールのショールを送ったとか。
今では、中国やモンゴルなどでもカシミヤヤギの繊維が大量生産されているけれど、〈Pashmkaar〉ではカシミール地方の山で採集したカシミヤヤギの毛を使い続けている。
カシミールのムスリムの家庭で生まれ育ったTariqさんは、モデルとして国内外を旅した後に地元へ戻り、改めて故郷の自然や手工芸の美しさに心を打たれ、織物職人だった父の仕事を手伝いながら、カシミヤブランド〈Pashmkaar〉を立ち上げた。「Pashm」はペルシア語で「上質なウール」、「Kaar」はカシミール語で「仕事」という意味。ブランド名は2つの言葉を合わせた造語になっている。
「〈Pashmkaar〉では、手紡ぎ、手織り、カット、染色、図案描き、手刺繍──そのすべての作業をカシミールで行っています。
こうした技術は、地元でプロダクトをつくりつづけないと、地域に継承されていきません。次世代にも伝統を伝えられるようにと、子ども向けのスクールも開いているんですよ。
とくに私たちは、カシミール地方の古代の織りや刺繍技術の保存・継承を大事にしています。1つのカシミヤショールができるのに、複雑な刺繍のものは3年以上かかることもあるんです。日々の一針ひと針が、祈りのようなものなんです。緻密な刺繍もペルシアの信仰から生まれたともいわれています」
〈Pashmkaar〉は、昔からつづくカシミール地方の手工芸を守ろうとしているだけでなく、現在、地元に暮らす人びとへも眼差しを向けている。
「女性のエンパワーメントにも力を入れています。私のブランドのプロダクトは、500人ほどの職人に支えられていますが、その職人のうち70%は女性が占めています。
ほかにも、芸術や工芸品を教えるための訓練センターを設けたり、職人の社会福祉を支援するために、慈善活動の収入の一部を献金しています。カシミールに恩返しをしてきたいのです」
そんな〈Pashmkaar〉の取り組みが評価されて、Tariqさんは、インドのニュースメディアTimes Nowが主催するインドの経済変革に貢献した人や団体におくられる「BUSINESS CONCLAVE&AWARDS 2025」を受賞している。Tariqさんはインタビューの最後に、故郷への想いをこう語った。
「もちろん、2025年に起きたPahalgam(テロがあった場所)での事件の後、ビジネスは大きな打撃を受けました。カシミールにはほとんど観光客が来なくなってしまいました。それがこの地の伝統工芸のビジネスにも深刻な影響を与えています。私たちは観光客が再びカシミールに戻ってくることを願っています。世界中の人びとが、遺産としての伝統工芸の重要性を理解し、それによって私たちはカシミールだけでなく世界中でビジネスを続けていけるようになることを望んでいます」
美しいカシミヤの織物が世界に届くことで、カシミールの谷のことを想う人が増えるかもしれない。
【Pashmkaar】
カシミール地方で生まれたカシミヤブランド。カシミヤのショールをはじめ、ジャケット、ドレスなどもつくっている。
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