アフリカ最高峰・キリマンジャロを登る 
in タンザニア/下山編
レモショルート5〜7日目

アフリカ最高峰・キリマンジャロを登る
in タンザニア/下山編
レモショルート5〜7日目

People: 森川幹人

TRAVEL&THINK EARTH

2025.03.14

9 min read

マサイの民が「ンガイエ・ンガイ(神の家)」と呼ぶキリマンジャロ。標地元の人にとって、信仰の対象であり、観光客を呼ぶ経済の拠り所でもあるアフリカ最高峰を、旅人の視点で見つめる。「準備編」「登山編」「下山編」の3本立てで、キリマンジャロに登るまでをお届け。

「下山編」では、キリマンジャロのレモショルートを7日間歩いた行程の、最後の3日間を記していく。

Photo & Text : Mikito Morikawa

キリマンジャロ登山 5日目

1月6日
標高|4050〜4673m
移動距離|3.7km
キャンプ地|バラフ(Barafu)
移動時間|8:30〜12:00

5日目の歩く時間は短い。翌日に登頂を目指して真夜中の0時から出発することになるため、体力温存というわけだ。今日も快晴で、カランガのキャンプサイトからはキボ峰がいよいよ眼前に迫って見える。

標高4000m以上になると植生の限界を超え、山砂漠と呼ばれる荒涼とした風景が広がる。太陽の紫外線も強いためサングラスや日焼け止めは必須。唇が荒れるためリップクリームも欠かせない。また、頭痛のリスクを下げるためにも直射日光を避けることが大切だ。

雲のなかでアフタヌーンティーをしていたのは、アメリカのニュージャージー州から来ていたデヴィッド(右端)とディートロ(右から2番目)の親子。左から2番目のジョシュアは旅行代理店Gladys Adventureのガイド。

稜線に、ベースキャンプに設置されたテントが小さく見える。テント内では太陽が顔を出すと室温が上がってぽかぽかだが、雲に隠れると急激に下がり、日光のパワーを感じる。

今日は歩く距離は短いものの、標高は4673mまでいっきに上がった。私はベースキャンプに到着した頃に高山病の症状が始まり、頭痛に加えて吐き気もするなど体調が悪化してしまった。

キリマンジャロ登山 6日目

1月7日
標高|4673〜5000m
移動距離|12km
キャンプ地|ムウェーカ(Mweka )
移動時間|0:00〜13:00
 
陽があるうちに必要な準備を済ませておき、20時から23時までは仮眠する。眠れなくても横になり休息することが大切だ。23時から登頂の最終準備をする。真夜中の気温はかなり下がるため、ダウンジャケットとダウンパンツを着て、その上にレインジャケットを羽織った。肌着、ベースレイヤー、ミドルレイヤー、アウターを基本としつつ、動いて暑くなればジッパーを開いて調整する。汗をかくと、それが冷えたとき体温を下げてしまうからだ。水分補給は、ハイドレーションの水が凍ることもあるので、中身の温度を保てるサーモスも持っていくようアドバイスを受けた。
 
0時にテントを出ると、体感で気温は0℃ぐらい。頂上付近では氷点下10〜20℃まで下がることもある。とくに、午前3時あたりは冷え込みも厳しく、疲労もたまるのでゾンビタイムと呼ばれるとか。ただ、休憩のため長い時間立ち止まると体がすぐに冷えてしまうので、ゆっくりでも動き続けることが大切という。テント前でガイドのグラッドストーンと待ち合わせると、バックパックを背負っておらず手ぶらだった。
 
この日はほかの登山者も皆同じ時間帯に出発するので混み合っている。ベースキャンプを出発すると、すぐにゴツゴツした岩場の急勾配の坂道がつづく。前後で列をなしながらゆっくり登っていくが、私はすぐに息が絶え絶えになってしまった。後ろも詰まっているので、みんなのペースに合わせて歩くと、すぐ息が上がってしまう。グラッドストーンが私のバックパックを担いでくれた。彼が手ぶらで来ていたのは、もしものときに私のバッグを背負うためだったのだと気づく。「絶対に登れるんだと、気持ちをポジティブに保て。先にある頂上ではなく、今の一歩に集中しろ」とアドバイスをくれる。また、口で激しく息をするのではなく、鼻で深く、静かに呼吸するようにという。

私のガイドを務めてくれたグラッドストーン。この道16年の経験と知識に裏打ちされた優秀なガイド。危険を伴う場面ではあえて茶目っ気を見せるユーモラスな一面も。

2時間ほど歩くなかで様子を見ていたグラッドストーンが「君と一緒に登頂したいが、安全にというのが条件。場合によっては決断をしないといけない」とリタイアについて考えることを促した。きつい状況ではあったものの、限界までは来ていないと感じたのでもう少し歩くと伝える。天気は良好で、ヘッドライトで見えにくいものの夜空には幾多の星が輝いていた。
 
さらに30分ほど歩いたところで、グラッドストーンが再度リタイアを促す。決断はあくまで本人にさせるというスタンスで、私の意思を尊重してくれた。ただ、これまでの経験から無理して登りつづけることのリスクを考えての促しなのだと感じた。「これから上に行くほどに苦しさは増す」という。断念したいくないという気持ちと、苦しさから逃れたいという気持ちが拮抗するなか、2時半頃にリタイアすることを決めた。
 
大勢の登山者が上ってくるなか、道を空けてもらいながらベースキャンプまで下りていく。下山を決めた場合、なるべく速く高度を下げたほうがいいので、効率的かつ安全に戻るためにグラッドストーンが私の片腕をホールドし、私は半分抱えられるようにして下山した。途中でグラッドストーンが私に水を飲ませてくれた際、「水を飲まなくていいの?」と聞くと、「ガイドをしているときは登山者の命が最優先で、自分のことはあまり考えない」という。ベースキャンプに到着した後、テントに転がり込んで睡眠を取る。体調に問題がなければ朝8時ぐらいに出発し、3100mのムウェーカのキャンプサイトまで下るという。
 
朝6時頃に尿意を催してテントの外に出ると、朝日が上ってくるところだった。空、山肌、キャンプサイトが、赤から黄色へ刻一刻と変化していく。登頂者たちは頂上で同じ風景を見つめているのだろうと思いながら、人気のないベースキャンプで朝日が照らし出す燃えるような光景を眺めていた。

ベースキャンプから眺めるキリマンジャロの頂。すぐそこにあるように見えて、そこまでの道のりは遠い。

自分の限界を判断し、受け入れるのは難しい。ベースキャンプまで歩いて戻ってこられたので、最悪の状況を回避できた点は良かった。キリマンジャロでは毎年死者も出るし、高山病で動けなくなった登山者を救助するためにヘリコプターが毎日飛んでいる。同時に、もう少し頑張れたのではないかという気持ちにしがみつきたくもなる。
 
朝8時に出発して下山する途中でベースキャンプにいた登山者と目が合い、「頂上から戻ってきたの?」と聞かれた。体調不良のため5000m付近で引き返したと伝えると、「グッドチョイス!」と励ましてくれた。ボーイフレンドと登山に来たというジュリアは、彼女も彼も体調が悪くなったのでベースキャンプに留まり、頂上に向かった同じグループの登山者を待っているという。彼らは頂上まで登らない選択をすることで、ベースキャンプで静かで穏やかな朝の時間を満喫していた。頂上を目指すもの、それとは別の愉しみを見つけるもの。いろんな山との向き合い方ができるのも、キリマンジャロの懐の深さゆえかもしれない。

アムステルダムから来たシアー(左)とジュリア(右)。10年ほど前にネパールのアンナプルナサーキットを歩いたこともある。

キリマンジャロ登山7日目

1月8日
標高|3100〜1637m
移動距離|8.6km
キャンプ地|ムウェーカゲート
移動時間|7:30〜10:30
 
翌日目覚めると、高山病の症状はかなりやわらいでいた。ムウェーカのキャンプサイトは、標高も3100mまで下がり、熱帯雨林エリアで酸素も濃いので呼吸が楽になるという。出発前、私のために1週間さまざまなサポートをしてくれたクルーが、キリマンジャロを賛美する歌を披露してくれた。歌いながら彼らは自然に踊り始め、私も輪に加わった。1週間という時間を共有できたことに感謝の思いがわいてくる。

前列左から時計回りに、ガイドのグラッドストーン、ポーターのアンダーソン、ジョシュア、グッドリーズン、シェフのクリスベン。彼らは同じテントで寝起きし、仕事がないときも終始おしゃべりを楽しんでいた。

キャンプを出て、少し名残惜しさを感じつつ、穏やかな気持ちで熱帯雨林の道を歩いた。1日前にいた荒涼としたエリアとは打って変わって緑豊かなキリマンジャロの森を歩く。

熱帯雨林地帯に生息するブルーモンキーの親子。母親は子どもを抱いて、枝から枝へ移動していく。名前に反して体は青くない。

下山中、大きな荷物を抱えて山を上っていくポーターたちとすれ違う。現場で働く彼らは誰よりもきつい役割を担っているが、賃金は安い。キリマンジャロ登山業界には、明確なヒエラルキーがあると、この7日間の旅の間に聞いた。ツアー代金の半分近くは国立公園の入山料やテント使用料で、政府の収入となる。また、マーケティングやマネージメントを担う旅行代理店も大きな利益を得る。タンザニアの観光産業は、欧米とつながりの深い現地人が既得権益を握る構造がある。大手旅行代理店のオーナーは、海外に住んでいる場合も多い。
 
旅行代理店がガイド、シェフ、ポーターに支払う額は少なく、登山者が払うチップのほうが多いという。チップの額は1日50ドル(それ以上の額は登山者に委ねられている)で、それを3者で分ける。ガイドは国家試験に合格しなければならないためハードルが高く、チップの分前が一番多いものの、今回ガイドについてくれたグラッドストーンは奥さんや3人の子どもと食べていくので精一杯だという。
 
今回の登山を通じ、私は自分のひ弱さを痛感することになった。自然のなかでは、自分の実力を鏡のようにそのまま突きつけられる。私が高山病でダウンしていたときにサポートしてくれた優しく強いクルーたち。キリマンジャロの登山カルチャーを育んできた彼らに、尊敬の念を強くする。

モシに戻ってホテルから市街地まで30分ほど歩く途中、地元の人に話しかけられた。キリマンジャロの登山ガイドをしているというリーガンによれば、ガイドやポーターが登山の仕事をするのはオンシーズンの7カ月ほど。オフシーズンに稼ぎを得るため、アート作品や工芸品などをつくって販売するコミュニティが立ち上げられ、絵や工芸を学べる学校もあるという。

リーガン(左)と、絵や工芸品を販売するBlacknwhite Art Galleryのマネージャーであるアキダ(右)。キリンやシマウマをモチーフにしたマスクはローズウッドが80ドル、ジャカランダが45ドル。サラダボウルはローズウッドが90ドルなど。

Information

Blacknwhite Art Gallery

住所

Shule Street, New St, Moshi

営業時間

8:00〜18:30(日曜と公休日は17:30)

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キリマンジャロは地球の活動によって何十万年も前に誕生し、そこにずっと佇んでいる。その麓に人びとが移り住むようになり、キリマンジャロと暮らすなかで山は信仰の対象となり、生活の糧を得るための手段にもなった。なにより、彼らはキリマンジャロとともに生きることを誇りに思っている。見上げると、そこにはいつも故郷の山がある。

Profile

編集者

森川幹人(もりかわ・みきと)

『TRANSIT』副編集長を務めたのち、『週刊ダイヤモンド』で委嘱記者、デジタルエージェンシーのインフォバーンでコンテンツディレクターを務める。現在はロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズでイノベーション・マネジメントを学びながら、長期休みを利用して欧州を中心に各地を訪問。趣味のサルサダンス歴は早20年。

『TRANSIT』副編集長を務めたのち、『週刊ダイヤモンド』で委嘱記者、デジタルエージェンシーのインフォバーンでコンテンツディレクターを務める。現在はロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズでイノベーション・マネジメントを学びながら、長期休みを利用して欧州を中心に各地を訪問。趣味のサルサダンス歴は早20年。

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Yayoi Arimoto

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