『TRANSIT51号 東京〜江戸から未来へ時空旅行!〜』では、時代ごとの東京の暮らしを覗こうと、「東京時代絵巻」をしたためた。政治・経済、娯楽やカルチャーなど、さまざまな視点で、江戸、明治・大正、昭和前中期、昭和後期、平成の暮らしを解説している。ここでは、そのなかから衣・食・住をかけ足で見ていく。3分間の江戸の旅へ!
Illustration:Kaori Yamaguchi Text:TRANSIT
まずは今から200年前、「江戸」へタイムトリップ。
舞台は、日本橋。街道の基点というだけあって、広小路には大店が連なり、街角には屋台が立ち並ぶ。一歩、裏通りに踏み入れば、長屋で肩を寄せ合う庶民の暮らしが見えてくる。江戸幕府のもとで平和がつづき、豊かになっていった時代の人びとは、何を着て、何を食べ、どんな暮らしをしていたのだろう?
当時の女性が生涯に着た服は3、4着だったとされるほど、庶民が所有する衣服は少なかった。
裕福な家では反物を購入してオーダーメイドで着物を仕立てたが、庶民は古着に端切れの布をあてて着用していた。幕府はたびたび奢侈禁止令(しゃしきんしれい)を出し、町人や農民は木綿と麻以外の着物を着てはいけない、藍色、茶色、鼠色などの地味な色の服を着るようになど、細かな身だしなみのルールが定められていた。
蕎麦は1杯16文(約250円)、天ぷらは1串4文(約60円)ほど。1800年代初頭には寿司が考案され、1貫4文ほどで食べられていた。ほかにも稲荷寿司、ウナギ、汁粉などの屋台が道端に立ち、せっかちな江戸っ子の胃袋を支えた。また、江戸中期の人口の男女比は、男性100に対して女性が55。出稼ぎの男性が多く、有配偶率が低かったといわれている。そんな単身男性にとっても、屋台のファストフードは頼れる存在だった。
庭付きの武家屋敷に暮らす侍は別として、江戸の一般庶民が暮らしていたのは、狭くて、安い集合住宅の長屋だった。
親子4人で六畳一間のワンルームが基本。台所のスペースを除くと、実質、四畳半。井戸、厠(かわや)は共有。風呂は火事防止のために、各家庭で設置することはできず、庶民は町の銭湯を利用していた。当時の銭湯は蒸し風呂が基本で、湯が入った現代の銭湯とは異なる。都市ならではの銭湯カルチャーが生まれた。
『TRANSIT51号 東京』はほかにも、各時代の東京を深く知る企画が詰まっています。
過去から未来に想いを馳せて、多層な東京の街を散策してみませんか?
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