中国最後の皇帝が退位した日

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中国最後の皇帝が退位した日

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2025.02.07

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2月12日は、中国最後の皇帝が退位した日。

3歳で満州国の皇帝位を継承した中国最後の皇帝、溥儀。彼は摂政の下で3年間統治したのち、1912年2月12日、中国革命を受けて退位を余儀なくされ、267年つづいた清朝の中国統治と2000年つづいた皇帝制度は終焉を迎えました。

© Dunk

中国の歴史は、4000年以上にわたる王朝の歴史そのものです。漢の時代には日本にも中国文化が伝わり、『魏志倭人伝』に倭(日本)との交流が記録されるほか、唐の皇帝が日本に遣唐使を派遣するなど、思想、芸術ほか多岐にわたる分野で、長い間互いに影響を与え合ってきました。

百人一首百首「安倍仲麻呂」 、葛飾北斎。

最後の王朝である清の時代、日本では江戸幕府が統治を担っていました。キリシタン弾圧をへて鎖国への道を選んだ日本は、貿易を通じて宋から明末・清初にかけての500年分の思想を同時進行的に学び、朱子学・陽明学・考証学などの学問を発展させていきます。
 
とくに、清代の実証主義(考証学)は、江戸時代の学術や文化の発展に大きな役割を果たし、狩谷棭斎、伊沢蘭軒、渋江抽斎など多くの学者が影響を受けたといわれています。

福建会館天后堂。

© NAGASAKI CITY

清王朝との交易の窓口となったのは、長崎。現在も数多くのゆかりの地が残されており、唐人屋敷跡は代表的な史跡のひとつです。
 
かつて中国人は長崎市内に自由に居住していましたが、幕府は密貿易やキリスト教の浸透を防ぐため、1689年に唐人屋敷を建設。ここに中国人を収容・隔離し、出入りを厳しく管理する体制を整えました。こうして、唐人屋敷は出島とともに、海外交流の拠点として大きな役割を果たすようになったのです。

© NAGASAKI CITY

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ほかにも、中国の文化や風習は、長崎くんちの「龍踊り(じゃおどり)」や「精霊流し」、「卓袱料理(しっぽくりょうり)」や「ランタンフェスティバル」としてかたちを変えて、今日に至るまで長崎の地で受け継がれています。
 
西洋と東洋が交錯する街、長崎。かつて日本の窓口として栄え、今も多様な文化が息づくこの街を、ぜひ暖かな春の旅先に選んでみてくださいね。

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Yayoi Arimoto

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