連載:NIPPONの国立公園
National Parks of Japan.
連載:NIPPONの国立公園
TRAVEL & THINK EARTH
2025.03.21
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阿寒・摩周・屈斜路の3つの湖が広がる阿寒摩周国立公園。
はるか昔の火山活動によってつくられたカルデラ地形はその中で遊ぶ人をおおらかに迎え、人と自然のあり方を教えてくれる。
北海道の阿寒摩周国立公園への旅を前編「山を滑り、川を下る」、後編「自然の時間と人間の時間」に分けてお届けします。
Photo : Eriko Nemoto
text= Yuriko Kobayashi cooperation= Tomoki Kokubun, Junki Yarinome, Kawayu Visitor Center
2日間のガイドを終えて別れ際、「時間があれば訪ねてみるといい」と國分さんが知人を紹介してくれた。磯里博巳さんは古くから湖のほとりに暮らす屈斜路アイヌの家系で、木彫り作家として伝統を受け継ぎつつ、エゾシカの角や皮、ガラス玉などを使って小物なども作るアーティスト。アイヌの歴史や文化を学んだパートナーの齋藤敬子さんとアトリエ「Kussharo Factory」を開き、木彫り体験やアイヌの暮らしの語り部を行っている。
屈斜路アイヌの家系を継ぐ磯里博巳さん。地元の若い人にもアイヌの昔話を気さくに話し、伝えている。
「同じ国立公園のなかでも阿寒湖にはアイヌコタンがあって、立派なシアターで伝統舞踊とか映像とか見られるでしょ。かつては屈斜路や川湯でもアイヌ文化を広く紹介していたけど、今は後継者がほとんどいない。でも観光的な部分では見えてこなくても、屈斜路アイヌとしての芸術や文化はたしかにある。もしそれを知りたいという人がいたら僕たちは喜んで迎えるし、伝えていきたいと思っているんです」と磯里さん。アトリエには欧米を中心に外国人も多く訪れる。この日はキハダという植物の実を乾燥させて煮出すアイヌ伝統の茶でもてなし、敬子さんが昔ながらの手法で作った草木染めのテキスタイルやアイヌ刺繡を見せながら、そこに込められた意味や暮らしの知恵を話してくれた。春先のギョウジャニンニク、秋のマイタケ、川に糸を垂らせば簡単に釣れる魚。幼い頃から歩き、今もその恵みをいただく山や森、川の話を聞いていると、さっきまで見ていた風景が違って見えてくる。それはただ美しいだけではない、たしかに命を宿し、人と共にある自然だ。
キハダはアイヌの人びとが大切にしている植物のひとつ。乾燥させた実は薬として使い、煮出して茶にすることも。大切な儀式の際に出す料理にも欠かせない。
「自然の中を案内する者として、僕たちはもっと磯里さんの話を聞きたいんです。たとえアイヌではなくても、この土地に伝わる大切なことを伝えていくことには意味があると思うから」と國分さんが言っていたことを思い出す。その言葉の裏には、今このエリアで進行中の開発計画がある。観光客が増えるのは喜ばしい反面、じっくりと土地の自然を感じることができなくなっては本末転倒 だ。だからこそ地元に根を下ろし、その本質を知る人びとの手で丁寧にその魅力を伝えていきたい。磯里さんもまたそう考えている人のひとりだ。
「僕は伝統的な服を着たり踊ったりしないけど、大切なのは、そういうことだけじゃないよね。話せるのはささやかなことばかりだけど、そこにもまたこの土地のよさが詰まっている。そんなふうにして自分が育ってきた場所の魅力を伝えていきたいし、静かにゆっくりと自然を楽しめるような土地でありつづけてほしい。そのためにどんな工夫ができるか、必要か、考えていきたい」
アイヌの木彫り体験を行う磯里さん。それぞれの模様に込められた意味も解説する。アトリエでは磯里さんが製作した小物類の販売も。
開発か保護か、自然環境や地域のあり方について考えるとき、その二元論だけでは必ずこぼれ落ちてしまうものがある。さまざまな立場から自然を見つめる人びとが、この土地の未来について少しずつ声をあげ、語り始めている。
磯里さんと別れ、屈斜路湖畔を歩く。まさに夕 日が落ちようとするときで、空も湖面も山もすべてが薄桃色に染まった。湖では極北から渡ってきたハクチョウが羽を休めていて、これから厳しい冬を越えて、春には北へ帰る長い旅に出る。この土地の自然をつくった火山の活動と同じく、彼らの渡りもまた人ひとりの一生をゆうに超えて、悠久の昔から連なる自然の営みの一部なのだ。
藻琴山へ向かう途中、展望台から雲海に覆われた屈斜路湖が見えた。前日の日中と翌朝の気温差が大きいときにだけ見られる幻想的な風景。
長い時間がたったあと、この土地はどんなふうに変化しているのだろう。あるいは自然には「いい変化」も「悪い変化」もないのかもしれない。この世の終わりのような火山噴火が数十万年後に美しい風景をつくり、人の豊かな営みを生んだように、自然のサイクルはいつだって何かをもたらす。そのなかで人間がどういう役割を果たしていけるのか、私たちにはそれを考えることしかできない。その長く、広い世界の捉え方を、まなざしを、この土地の自然と人が教えてくれたのだ。
今も噴煙をあげるアトサヌプリ。カルデラをつくった火山活動を彷彿とさせ、地域に豊かな温泉をもたらす。
本記事はTRANSIT67号より再編集してお届けしました。
日本の国立公園
北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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環境省・日本の国立公園