水野仁輔のカレーの旅、スパイスの謎。
vol.7 インドネシア
「ナツメグは豪快に穏やかに」

水野仁輔のカレーの旅、スパイスの謎。
vol.7 インドネシア
「ナツメグは豪快に穏やかに」

People: 水野仁輔

TRAVEL&LEARN&EAT

2025.07.28

3 min read

古代より重宝されてきた香辛料は、シルクロードや海をわたり世界地図を広げ、各地で個性豊かな食文化を拓いてきた。この連載は、カレー&スパイスにまつわる著作や活動で知られる水野仁輔さんの、飽くなき探究心が導いた、世界を旅した記録と記憶である。

第7回は、多くのスパイス原産国であるインドネシアで出合ったカレーについて。

Photo : Jinke Bresson

Text:Jinsuke Mizuno

あまり知られていないことかもしれないが、インドネシアは、コショウやシナモン、クローブやナツメグなど多くのスパイス原産地である。実際に訪れてみたいという、かねてからの願望を叶えて2018年、インドネシアへ飛んだ。向かったのは、カリマンタン島の東に位置するスラウェシ島。現地でコショウの生産を行う友人の高橋仙人くんとともにスパイス会社を営むイルワンを訪ねた。
 
3人で農家を回る。地面にシートが敷かれ、ナツメグやメースがどっさり天日干しされている。袋やボトルに入った状態で購入しているスパイスがむき出しの状態でそこにある。それを目の当たりにしただけで胸が高鳴る。

家の裏手にある斜面を登ると、ナツメグの木がそびえたっていた。15m以上はあるだろうか。巨大な梅の実のようなものがぶら下がっていてかわいらしい。収穫期を迎えたものは、桃のようにくっきりとした筋が入ってパックリと割れ、メース(網目状の赤い仮種皮)に包まれた褐色のナツメグの種子が姿をのぞかせる。
 
メースがこんなに赤い状態で見られるのは産地ならでは。乾燥して流通するころにはすっかり茶色に変色してしまうからだ。アーシーでシャープな香りのするこのスパイスを拝み、愛でた。ナツメグからの抽出物はコカ・コーラの原料になることもあるそうだ。そればかりか現地のカレーに使われることも後に知ることとなる。

別日にスパイス会社を営むイルワンの運転するバンに乗り、山間を登った。
 
「このあたりからクローブの木があるよ」
イルワンが指さす山の斜面に目をやっても、特徴のない木々がそびえているばかり。
「ちょっと降りてみよう」
 
車のドアを開けた直後に全身がかぐわしいクローブの香りに包まれた。感嘆の声が漏れる前に体がのけぞるほどだった。すぐ道路に降り立ち、深く息を吸い込む。クローブ特有の媚薬のような甘く深い香りが辺り一面に満ち溢れている。

梯子をかけて木に登り、クローブの花やつぼみを摘み、写真を撮った。どの木も10m近いとろこまで伸びているから存在感はあるが、まさか天日干しもしていないクローブが、花のつぼみもまばらになっている程度のクローブが、こんなに香るとは。
 
イルワンが、足元に落ちている枯葉を両手いっぱいにすくって、少し揉んだ。鼻を近づけると甘い香りがする。ふー。思わずため息が出る。あの短時間で普通の人なら一生分のクローブの香りを摂取したといっていい。
 
イルワンとは出会ったその日にすぐカレーの話になった。インドネシアは東西に長く、スマトラ島の北西部にはカレーがあるが、そのほかの地域にはカレーはほとんど見かけない、と聞いていた。実はイルワンの両親が北スマトラのメダン出身で、そこにはカレーがあるという。
 
「明日、うちで母親に作ってもらおうか?」
 
翌日、イルワンの母に会いに行くことになった。

床にしゃがみこんだお母さんは、ペースト作りからスタート。ミキサーに次々と材料を放り込んでいく。その中にあのナツメグがあるのを僕は見逃さなかった。ナツメグが丸ごと放り込まれたとき、思わず息をのんだ。
 
着々と調理は進む。スパイスの使い方はインド料理に似ている一方、ペーストを作ってココナッツミルクで伸ばす手法はタイ料理に近いのが興味深い。インドとタイ双方の魅力を見事に折衷したようなスタイルなのである。

ふくよかでおいしい味わいのこのカレーは、ごはんにかけるだけでなく茹でた麺を浸して食べることもあるという。あんなに豪快に入れたはずのナツメグは穏やかに香っている。毒性があるからという理由で一度に大量摂取することが危険視されることもあるナツメグだが、みごとに溶け込んでいた。カレーがもつ底知れない包含力を目の当たりにし、「次の行き先はメダンかな」と心に留めた。

Profile

水野仁輔(みずの・じんすけ)

1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。

1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。

Profile

記録写真家

ジンケ・ブレッソン

学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。

 

学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。

 

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Yayoi Arimoto

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