古代より重宝されてきた香辛料は、シルクロードや海をわたり世界地図を広げ、各地で個性豊かな食文化を拓いてきた。この連載は、カレー&スパイスにまつわる著作や活動で知られる水野仁輔さんの、飽くなき探究心が導いた、世界を旅した記録と記憶である。
第10回は、南インドから海を渡った人びとが故郷の味として親しんだ、とあるスパイスをマレーシアに求めて。
Photo : Jinke Bresson
Text:Jinsuke Mizuno
苔のようなものをスパイスとして使うインドの料理がある。真相に迫るべくインド……ではなく、マレーシアへ向かった。
なぜなら、この地にもとあるスパイスの痕跡が残っていると聞いていたからだ。スパイスの名は、カルパシ。「石の花」とも呼ばれる地衣類で、松の木の幹に張りつくように生える。香りはウッディかつアーシー、それでいてスモーキー。どことなくトリュフのよう。かつて南インド・チェティナード地方から海を渡った人びとが故郷の味として親しんだ料理に使われる。
クアラルンプールのインド人街へ行くと、立ち並ぶレストランの看板に「Chettinad」の文字。この店も、向かいのあの店も、その隣りも……。おいおいおい。僕は興奮した。
どの店に入ってもショーケースにはずらりと料理が並んでいる。脇に小さくてカラフルなプラスチック製の平皿が積み上げられていて、食べたい料理を盛りつけ、席へ運ぶシステムだ。あっという間にテーブルの上は小皿であふれかえった。
いくつかを口に運ぶと、どれも濃厚なうま味を感じる。同時に口の中に広がるお香のような独特の香りが印象的で、他の料理に手を伸ばしてもお香はずっとそこにいつづけける。この風味はもしや噂のスパイスが生み出しているのだろうか。
チェティナード料理の特徴は、南インドと東南アジアの食文化がハイブリッドした点にある。異なる風味をもつ食文化が融合してスター性を帯びた料理が生まれる例は、インドにはいくつかある。
中東方面から侵略したムスリムが影響を与えたバターチキンやコルマなどのムグライ料理。ポルトガル料理の影響を色濃く残すゴア州のポークビンダルー。イギリスに渡って改良を重ねられたチキンティッカマサラ。
食が海や陸を越えて混ざり合い、どこかの地で僕の前にふっと現れる。ここにいながらにして別のどこかを旅できるような不思議な感覚が心地よい。
新たに入った店で店員と話していると、チェティナードミックスマサラなるものを使っていると言う。そこに大きなヒントがありそうだから、ミックスしているスパイスを紙に書き出してもらうことにした。
クミン、フェンネル、スターアニス、カルパシ、マラティムク、ナツメグ、メース、シナモン、グリーンカルダモン。
お、やはりカルパシが入っている。別の店で聞くと、カルパシのほかにフェンネルとスターアニスも重複している。これらがある比率で配合され、加熱調理されることでお香のような香りが生まれるのだろう。
調理場を見せてもらうと、棚に小さめのバケツのような容器が並び、よく使うスパイスが分類されている。カルパシ、カルパシ……と探すとすぐに見つかった。
チェティナード料理の特徴を店のスタッフやシェフに尋ねると、みんなが口をそろえて「スパイシーだ」と言う。これには2つの意味「辛い(ホット)」と「香り高い(アロマティック)」が含まれている。確かにスパイスの使用量は他エリアのインド料理に比べても多い印象がある。
商魂たくましく財を成した彼らは金に糸目をつけず、食材やスパイスにつぎ込んだ。やがて彼らの勢力が衰退していった後も生まれたリッチな味わいをもつメニューの数々は、インド本国でも親しまれつづけている。
店を出てつかまえたタクシーのドライバーがたまたまインド人だった。
「もしかして、あなたのルーツはチェティナード?」
「いや、俺は違うよ。ただ、まあ、オールミックスだからね」
彼の先祖は、5世代前に南インドのタミル・ナードゥ州の都市、チェンナイから移住したそうだ。チェティナード地方に近い場所だが、直接的な関係はないということなのだろう。オールミックスという言葉が印象的だった。
人も食文化も混ざり合う。栄枯盛衰を経て受け継がれ、ふいに僕のようなよそ者の前に姿を現すのだ。あのお香のような香りのように。
水野仁輔(みずの・じんすけ)
1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。
1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。
記録写真家
ジンケ・ブレッソン
学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。
学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。