ポーランドときいて思い浮かべるのは、クラシックを聴く人であれば「ショパン」、歴史に関心があるなら「アウシュヴィッツの悲劇」、雑貨好きなら「ボレスワヴィエツ陶器」などではないだろうか。
歴史も文化もある懐の深いポーランドだけれど、実際に訪れたことのある人となると、その数は限られてくるかもしれない。今回は、そんな神秘のベールに包まれたポーランドを、「ワルシャワが世界遺産になった理由」「ショパンの望郷」をテーマにこの国を紐解いていきます。
ここでは「ショパンの望郷」としてのポーランドを散策します。
Text & Photo:Sachiko Suzuki(RAKI COMPANY) Cooperation:ポーランド政府観光局
ポーランドが生んだ天才作曲家、フレデリック・ショパン(1810-1849)。ワルシャワは、ショパンが幼少から青年時代の20歳まで過ごした生まれ故郷だ。
「僕はしょっちゅう夢を見るのです、国境という障害を飛び越えて、お父さん、お母さんのほうへ逃げていくというような。それが現実でないことはわかっていますし、お会いすることも僕の幻の中でしか叶わないでしょう。けれど、ポーランドの諺に、’夢で戴冠式までいったとさ’とあるじゃありませんか。この僕は、生粋のマゾフシェ人なのです」
これは、パリから両親に宛てたショパンの手紙の文面の一部である。マゾフシェとは、ポーランドの16ある県のひとつで、首都ワルシャワがある県のこと。これほどまでにショパンはワルシャワを愛していたが、20歳にウィーンへ演奏旅行に出かけたのを最後に、二度と母国ポーランドへ戻ることがなかった*。その旅の途中で、当時ポーランドを統治していたロシアに対してワルシャワ革命軍の蜂起がおこり、革命軍がむなしく鎮圧された報せを聞いて、彼は衝撃を受ける。その後、パリに到着して作曲したのが、練習曲第12番『革命」だ。
ショパンは39歳で亡くなるまでパリで過ごし、「ポーランドの魂、その本質を伝える活動をすることこそが、ポーランドの土で培われた芸術家の真の生きる道」と、祖国への愛を音楽で貫いた。
7歳で『ポロネーズ・ト短調』を作曲し、8歳で初演奏会デビュー。「ワルシャワの天才児」は、幼少のころから病弱で結核を患っていた。さまざまな療養先に滞在するなかで、ポーランドの田舎の美しい風景や民俗音楽に出会う。ショパンの曲は、ポーランドへの愛に満ちている。パリで病床に伏しているときでも、ポーランド語で話しかけると元気を取り戻したというショパン。そんな彼が愛したワルシャワを歩いてみよう。
ショパンゆかりの地はワルシャワ市内に十数カ所あるが、なかでも外せない5つのスポットを取り上げる。ジェラゾヴァ・ヴォラの生家以外は、至近距離にあって歩いて回れるのでワルシャワ散策にもいい。
世界最大のショパンコレクションを誇る博物館。ショパンが弾いていたプレイエル社のピアノや、直筆の譜面、書簡、日常の愛用品、肉親や生前に親しかった人びと、恋人の写真や衣装などが展示されている。ショパンがラブリーなもの好き、風変わりなお守り好き、という趣味も伺えておもしろい。3カ月に1度、展示内容が変わるので、訪れるたびに新しいショパンの資料に出合える!
Frederik Chopin Museum(Muzeum Fryderyka Chopina)
住所
19世紀初期、ワルシャワ最大の教会だった聖十字架教会。イエス・キリストがはりつけにされた十字架の板の一部が残されているという噂もある。ここはショパンの家族が通っていた教会で、彼の「本物の心臓」が収められている。「体は戻れなくても心臓だけはワルシャワへ戻してほしい」というショパンの遺言により、その心臓は姉ルドヴィカが特注クリスタルの器にアルコール度数60度のコニャック酒を入れて保存され、スカートの下に隠してパリからワルシャワへ持ち帰えられた。数年に一度、ショパンの心臓の調査が行われているのだが、現在でも酒の量はほとんど変わらず、ショパンの心臓の大きさも亡くなったときのままだという。ちなみに遺体はパリに埋葬されている。
Church of the Holy Cross (Warsaw)/Kosciol Swietego Krzyza
住所
ショパンが7歳から17歳まで住んでいたのが、現在のワルシャワ大学日本語学科の校舎。父がワルシャワ大学でフランス語を教えていた関係で、大学構内はショパンの遊び場だったことが伺える。寮に住む地方の生徒たちと親しくなり、長い休みになると遠方の友人宅へ遊びに行って、各地方の民俗音楽に触れていたという。
住所
学生だったショパンがミサのオルガンを弾いていたローマンカトリック教会。17世紀に建てられたこの教会。第一次、二次世界大戦の戦禍を逃れ、建造当時の姿を残している。内装も美しく、船型の演台は必見。
Visitationist Church(Kościół Wizytek)
住所
ショパンが生後7カ月まで住んでいた生家。ショパンはこの生家とジェラゾヴァ・ヴォラの村に、休暇のたびに姉と一緒に訪れていた。周辺は公園として整備されていて散策を楽しめる。ショパンが夏に訪問したときには、ピアノを庭に出して小演奏会が開かれていたそうだ。現在の生家は、当時の暮らしぶりをもとに再建されたもの。ワルシャワの西約60kmにある。
Żelazowa Wola
住所
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