#What's ポーランド? 
ポーランドのなかのユダヤ人
アウシュヴィッツ強制収容所が
ポーランドにつくられた理由とは?

#What's ポーランド?
ポーランドのなかのユダヤ人
アウシュヴィッツ強制収容所が
ポーランドにつくられた理由とは?

TRAVEL&LEARN

2025.01.27

4 min read

ポーランドときいて思い浮かべるのは、クラシックを聴く人であれば「ショパン」、歴史に関心があるなら「アウシュヴィッツの悲劇」、雑貨好きなら「ボレスワヴィエツ陶器」などではないだろうか。

歴史も文化もある懐の深いポーランドだけれど、実際に訪れたことのある人となると、その数は限られてくるかもしれない。今回は、そんな神秘のベールに包まれたポーランドを、「ワルシャワが世界遺産になった理由」「ショパンの望郷」「ポーランドのなかのユダヤ人」の3つのテーマに絞って、この国を紐解いていきます。

vol.3では「ポーランドのなかのユダヤ人」の足跡を追いかけながらポーランドを歩く。

Text & Photo:Sachiko Suzuki(RAKI COMPANY) Cooperation:ポーランド政府観光局

いまこそ知っておきたい、ポーランドのユダヤ人のこと

ポーランドのユダヤ人歴史博物館に描かれた昔のユダヤ人の姿。

ポーランドを旅したことがあるという人にその訳を聞くと、「アウシュヴィッツ強制収容所を一度は見ておきたかったから」という理由が多くあがる。収容所があったアウシュヴィッツにはなかなか足が向かないという人もいるかもしれないが、首都ワルシャワでも「なぜポーランドにはユダヤ人が多く住み、ナチス・ドイツに虐殺されたのか」を知ることができる。
 
第二次大戦前のポーランドのユダヤ人は全人口の9.7%(約350万人)で、ワルシャワにおいては市民の約3割がユダヤ人だったという。第二次大戦時のナチス・ドイツの政策は、ユダヤ人に限らずポーランド人を奴隷労働者にすることであり、知識人階級が迫害の対象となり大量逮捕と処刑は日常だった。
 
とりわけ凄まじかったのがユダヤ人への迫害だ。
ユダヤ人を隔離するために、四方をコンクリートの高い壁で囲んだ「ゲットー」に閉じ込めて、ドイツ軍から配給される1日の食事はわずか180kcalほどで、栄養失調で自然死するよう計画されていたという。結果、約50万人の人びとがゲットーの中で亡くなったといわれている。さらには、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にヨーロッパ中から少なくとも約130万人の囚人が集められて、うち約110万人が虐殺されたことはご存じのとおりだ。アウシュヴィッツ以外にも強制収容所が点在していて、囚人の多くはユダヤ人が占め、ほかにポーランド人、ロマ、ソビエトの捕虜、同性愛者なども含まれていた。

クラクフは14世紀から300年にわたりポーランド王国の首都がおかれた古都で、ポーランドの京都ともいわれる。

なぜ、ポーランドに多くのユダヤ人が住んでいたのか。
その理由は、14世紀にさかのぼる。ポーランド王国の基盤を築き、「木の国からレンガの国に変えた」と評されたカジミエシュ大王(在位1333-70)が、ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人を熱心に保護し、当時首都だった南部の街クラクフに多くのユダヤ人が住むようになったからだ。
 
現在のクラクフには、大王の名を冠したユダヤ人街「カジミエシュ地区」が残り、シナゴーグはもちろん、ユダヤ人の家屋を改装した洒落たホテルやカフェ、ショップなどが建てられ、通りを歩くとストリートミュージシャンたちのジューイッシュ音楽が聞こえてくる。

クラクフにあるかつてのユダヤ人居住区「カジミエシュ地区」。

それでは第二次大戦中にナチス・ドイツによってヨーロッパ中のユダヤ人がポーランドへ集められた理由はなんだったのか。
それはポーランドがヨーロッパ大陸のほぼ中央に位置していて、東西の鉄道路線の乗り入れが充実しており、皮肉にも近隣諸国からユダヤ人を移動させやすかったためとされている。

POLINポーランド・ユダヤ人歴史博物館。シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が再現されていたり、映像資料も豊富。

そんなポーランドとユダヤの人びとのつながりを知るうえで、ワルシャワでぜひとも訪れてたい博物館がある。
それが〈POLINポーランド・ユダヤ人歴史博物館〉だ。なぜユダヤ人たちが過去に「POLIN(ヘブライ語でポーランドの意味)」の地を目指したのか、その後はポーランドでどのような暮らしを送っていたのか、ポーランドのユダヤ人に特化して彼らの1000年の歴史をマルチメディアを駆使して解説している博物館だ。キリスト教では、金銭を扱う仕事が忌み嫌われたことから、古くから金融関連の仕事にユダヤ人が携わってきたことなども紹介されている。
 
日本語音声ガイドがあるので実にわかりやすく、ビジュアル的にも没入できる。訪れる前に、旧約聖書『出エジプト記』について調べておくとより深く理解できるだろう。

ワルシャワ蜂起博物館内の展示。時折、ショッキングな映像もある。

またポーランドと第二次世界大戦を知るうえで訪れておきたいのが、〈ワルシャワ蜂起博物館〉だ。「ここを見なければ本当のポーランドは理解できない」と地元民が強く勧める場所でもある。
 
第二次大戦末期の1944年8月1日、ナチス・ドイツ軍の恐怖の占領に対し、ワルシャワ市民が立ち上がり蜂起した。その闘争のすべてと結果をリアルに紹介している。第二次大戦中に、ユダヤ人のみならず、人口の約3分の1にあたる10万人以上の罪のないポーランド人がナチスやソ連に虐殺された事実も知っていただきたい。20世紀初頭の路面電車用発電所内を利用した建物自体も見どころのひとつとなっている。

森の中にある〈パルミリ・メモリアルミュージアム〉。

時間が許せば、ワルシャワ郊外のカピノス国立公園を訪れてほしい。ここには、第二次世界大戦中の1939年から1941年、広大な森の21カ所で約1,700人の知識人が虐殺されて埋められた、〈パルミリ・メモリアルミュージアム〉がある。

俯瞰で見るワルシャワ旧市街とヴィスワ川。

史上初めて原爆が落とされた広島や長崎の原爆資料館と同様、人類が必ず見ておきたいポーランドのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)関連の博物館。ポーランドの地に来るたびに、凄惨な過去や、そしていまでもつづくロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・ハマス戦争のこと、世界で起こる許されざる問題を真剣に考えずにはいられない。
 
しっかりとこの国の抵抗と挫折の過去を知り、そして、不屈の精神でワルシャワ歴史地区を蘇らせ、力強くたおやかに生きるポーランド人の話を聞こう。同胞として惜しみない援助をつづけるウクライナ人への気持ちを知ろう。ポーランドを知るの最初の一歩は、歴史をたずねる旅からはじめてみてはいかがだろう。

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Yayoi Arimoto

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