水野仁輔のカレーの旅、スパイスの謎。
vol.5 トルコ
「そこにスパイスは要らない」

水野仁輔のカレーの旅、スパイスの謎。
vol.5 トルコ
「そこにスパイスは要らない」

People: 水野仁輔

TRAVEL&LEARN&EAT

2025.05.22

3 min read

古代より重宝されてきた香辛料は、シルクロードや海をわたり世界地図を広げ、各地で個性豊かな食文化を拓いてきた。この連載は、カレー&スパイスにまつわる著作や活動で知られる水野仁輔さんの、飽くなき探究心が導いた、世界を旅した記録と記憶である。 第5回は、ドネルケバブの香辛料の秘密を探るために訪れた、トルコでのストーリー。

Photo : Jinke Bresson

Text:Jinsuke Mizuno

ときおり「ジュッ」という小さな破裂音を鳴らしながら肉の塊がゆっくりと回っている。瑞々しく肉汁を滴らせ、しっとり艶やかに輝いている。長いナイフが「スッ、スッ、スッ」と縦に動くたびに肉ははらりと重力に従う。辺り一面に漂っている芳ばしい香りは、自分にめがけて迫ってくるような気がして、僕は唾をごくりと飲み込んだ。
 
これが正真正銘のドネルケバブというやつか。

イスタンブールにある老舗店〈KASAP OSMAN〉で僕は感慨に浸っていた。ちらちらと燃え上がる炎を視覚の隅っこにおさめながら、ほお張った。うー、うまい。思わずその場で2度3度、足を鳴らした。僕はこの味を生むスパイスの秘密について探るためにここへ来たのだ。
 
 
店のオーナーを紹介してもらい、いきなり核心に迫る問いを投げかけた。
 
「スパイスは何を使っているんですか?」
 
オーナーの顔を覗き込む。少し間が空いた。トルコではスパイス、またはブレンドされたスパイスのことを総称して“バハラット”と呼ぶ。僕はひと言、付け加えた。
 
「肉のマリネにバハラットを使うでしょう?」
 
返ってきたのは予期せぬ言葉だった。
 
「バハラット? ノー!」
 
 
え? ノー? いま、ノーって言ったよな。彼は右手をじゃんけんのパーの形にして、左の頬のあたりから右の腰の下にかけて、素早く斜めに振り下ろしたのだ。敬礼!の逆回転動画を見ているようだった。
 
マリネに使うのは、タマネギのすりおろし、牛乳、ヨーグルト。唯一使っているスパイスは、ホワイトペッパーのみだという。そうか、ドネルケバブにスパイスは使わないのか。「スパイスを入れ過ぎると色が濃くなってしまう。色を濃くし過ぎないように」とのことだった。

道端のハーブ屋。トルコ人が苦手なはずのパクチーも。

左/ケキッキ。オレガノの一種だがタイムの香りももつ。

右/トルコのスープ「チョルバス」は豆の風味がうまい。

聞けば肉の比率にもこだわりがあるという。90%が牛肉で、10%が羊肉。羊肉の脂肪部分が白い帽子のようにケバブタワーのてっぺんに乗っかっていることに気がついた。その脂は熱によって少しずつ溶け、少しずつタワーの外周を回りながら流れて落ちていく。脂のうま味がつき、肉質をしっとりさせるだけでなく、適度に羊肉のフレーバーが全体を支配する仕組みになっている。
 
話している間も注文は絶えない。従業員が焼けたケバブタワーの外側をきれいに削いでいく。ペランと薄切りされた肉がハラハラと下に落ちていく。この光景を見ながら、改めて不思議に思った。
 
 
ドネルはトルコ語で“回転”を意味する。マリネしたスライス肉を串の周りにテーブルと水平に積み重ねていく。回転させ、横からの火で焼いた後、今度は垂直に切り落とす。普通に考えて、縦と横に刻めば千切りになるところだが、マリネと焼きのおかげで肉どうしがくっつくため、できあがりもまたスライスされた状態になる。このプロセスによって肉の食感は、ただスライスの肉を焼いたときよりもはるかにやわらかく感じられる。
 
いったい誰がこんな工夫をしたのだろう。ぶつぶつ言いながら自分の手のひらを水平に合わせ、それから右手を離して垂直にチョップしてみる。

ケバブには、ケキッキ(ハーブ)と塩漬けのチリフレークをふりかける。

イスラームの国だが、「メイハネ」と呼ばれる居酒屋ではお酒を飲むこともできる。

地元の人びとが集まる市場は観光客向けのとは雰囲気が違う。

「メゼ」と呼ばれる前菜には野菜や豆、魚介の料理がずらりと並ぶ。

03

ケバブは17世紀のオスマン・トルコ帝国時代に考案された手法だという。はじめは羊肉の切り身を横向きに串に刺して焼いていた。それを縦にした男の名は、イスケンデル・エフェンディ。古都ブルサに住んでいた彼は幼少期、父親のレストランで焼かれていた羊肉を見て閃いた。19世紀半ばのことらしい。
 
水平に重ねて垂直に削ぐ。その間に火が入る。にじみ出た肉汁のうま味は余すことなく肉の断面に染み渡る。秘密はスパイスにあるのではなく、調理の仕組みにあるのだった。使うスパイスはホワイトペッパーのみ。肉そのものの風味を活かすために、ときにはスパイスを必要最低限にする判断も大事なのだと改めて実感した。

Profile

水野仁輔(みずの・じんすけ)

1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。

1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。

Profile

記録写真家

ジンケ・ブレッソン

学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。

 

学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。

 

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Yayoi Arimoto

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