世界の器や道具には、土地の風や手仕事の時間が宿っている。 東京・学芸大学駅で世界各国の料理やお酒をたのしめるお店〈HÅN〉を営む料理家の口尾麻美さん。口尾さんが日々使っている器や道具は、世界各地に出向いて自分の目と手で選び、やってきたものばかり。それらは料理の味わいや佇まい、そして旅の記憶とどのように結びついているのだろう。
Photo:Atsuya Yamazaki(TRANSIT) Text:Risa Isobe(TRANSIT)
Index
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気づけば集まっていた、旅の器たち
街の食堂で見かける白いスープボウル(トルコ)
牡丹と鶏柄のスープボウル(マレーシア)
マーブル柄の器(ルーマニア)
炊き込みごはん「プロフ」を入れる器(ウズベキスタン)
動物の骨でできた盃(ジョージア)
旅の味を思い出す調理道具たち
コーヒーを淹れるための「ジャズベ」(トルコ)
伝統的な土鍋「タジン」(モロッコ)
チャイを淹れるための「サモアール」(トルコ)
時を超えて使われている「電気釜」(台湾)
パスタを作る道具「ノケドリ サッガトー」(ハンガリー)
足つきのまな板(ウズベキスタン)
チェコスロバキア時代のボウル(インド)
器にまつわるストーリーに向きあうとともに
学芸大学駅から歩くこと約5分。道路沿いの建物の2階にひっそりと佇む〈HÅN〉。冬の柔らかな日差しが差し込むなか、無数の器や道具たちが静かに光をまとっていた。
口尾麻美さんが器や道具を集めはじめたきっかけは、いったい何なのだろうか。
口尾
もともと子どもの頃から何かを集めることが好きだったので、気がついたら世界各国の器や道具を集めていました。
世界中を旅するようになって、やっぱりその国で日常的に使われている器や伝統的なもの、新しいものより誰かが使ってた器に惹かれるようになった気がします。
旅先の一般家庭にお料理を習いに行ったりすることもあるのですが、その家で使われている器や料理道具、日用品を見て、ああ、いいなと思って。「どこで売ってるの?」と聞いて街に探しに行くことも。そうして集められたものたちがたくさんあります。
口尾さんに、〈HÅN〉のお店で使っているものや個人的にも愛用している、お気に入りの異国の器と調理道具を見せてもらった。
口尾
これはトルコの業務用のスープボウルです。問屋街で買ったのですが、今でも「ロカンタ」と呼ばれる大衆食堂や、居酒屋のような立ち位置の「メイハネ」では使われることもあるそうです。トルコでは、こういったシンプルな白い器も使うんだ、という意外な発見でした。
口尾
これはマレーシアの昔の業務用の器。 マレーシアなどの東南アジアでは「バクテー」というスープがあるのですが、それを食べるときに昔から使われていた器です。
バクテーはかつて中国系移民の労働者たちが朝ごはんとして体力をつけるために食べていたもので、マレーシアの文化を象徴する存在でもあります。
そんな背景を知ると、器にもいっそう愛着が湧いてきますよね。また、現代でも牡丹や鶏は縁起がいいものとされているので、アジア各地の器にも描かれていることが多いです。
口尾
続いてはルーマニアです。2025年に初めて訪れたのですが、私にとってはまったく未知の国でした。東欧と中央ヨーロッパ、さらにオスマントルコの影響も受けながら、時代を重ねてきた土地でもあり、その背景に強く惹かれていました。
口尾
それから、ルーマニアの“農民文化”にも惹かれています。暮らしのなかから生まれた服や器などの素朴な佇まいがなんとも好きで。とくに、ほかの国にはない独特のマーブル模様のような風合いもあって、不思議と心をつかまれるんです。
トランシルヴァニア地方などでは、発酵したお酢を加えた少し酸味のある「チョルバ」と呼ばれる具だくさんのスープがあって、この器に注ぐと、見た目からしてもうおいしそうであたたかくて。
口尾
ルーマニアの人びとはこの器にたっぷりスープを注いで、パンを浸して食べます。ちなみに、ルーマニアでは蒸したジャガイモをつぶして生地に混ぜ込む「ジャガイモパン」が名物です。
口尾
これは、ウズベキスタンの炊き込みご飯「プロフ」を食べるときによく使われている器。蚤の市で手に取ったのですが、コットンの花が描かれています。
ウズベキスタンがソ連を構成する国の一つだった時代に、「綿花をもっと生産せよ」という方針のもと、国中で綿花栽培が一気に広がりました。
そのまま1991年にソ連崩壊を迎えてウズベキスタンが独立すると、広大な農地のほとんどが綿花に置き換わっていたため、食料が不足し、人びとはしばらく厳しい暮らしを余儀なくされたそうです。
口尾
それでも、このコットン柄はいまもウズベキスタンを象徴する器の文様として息づいています。ぱっと見るとただかわいらしい綿花の模様なのに、その奥には歴史が折り重なっているように感じます。
こうして見渡してみると、器にはその土地をそっと象徴するような文様が潜んでいることが多いですよね。中東では子孫繁栄を願うザクロ、魔除けの唐辛子……。器に込められた背景を知ると、日々の食卓の風景も少しだけ豊かになる気がします。
口尾
これはワイン発祥の地、ジョージアの盃です。ジョージアには村の大事なことを話し合う場でもある「スプラ」という伝統的な宴会文化があります。タマダ(宴会の司会役)が乾杯を告げるたび、参加者は杯を飲み干さなければなりません。
その際に使われることもあるのが、この盃。注がれるとテーブルに置けないかたちになっていて、その場ですべて飲みきらなければならないという、そんな遊び心のある盃なんです。しかも、これは本物の動物の骨でできています。
口尾
私が現地で体験したスプラでは、地元の男性と夫が大きな盃で飲み交わし、テーブルには取り分け式の料理が次々と並びました。日本人にもなじむ温かい食文化です。
宴の席にはポリフォニー(多声音楽)を歌う男性もいて、歌声が響くなかで過ごす時間が本当に素敵でした。
その土地ならではの文化や、かつての時代模様を映し出す器たち。口尾さんは次々とお店の棚から世界中で集めた民藝を取り出して、旅先の記憶を語ってくれる。
口尾
よく使っているのが、この「ジャズベ」と呼ばれるトルコの小さな片手鍋。トルココーヒーは粉と砂糖、水を入れて沸かし、デミタスカップに注いで粉が沈むのを待って、上澄みだけを飲みます。そのコーヒーを淹れるための道具で、トルコのお土産屋さんや問屋街などどこに行ってもよく見かけるものです。
口尾
装飾のあるものから日常づかいのものまで、ジャズベにはさまざまな種類があるんですよ。
© 口尾麻美
口尾
トルココーヒーを作るのにもいいですが、私は自宅ではチコリコーヒーやマサラチャイを作るとき、牛乳を温めるときにも使います。
須浪
これは、モロッコで伝統的に使われている鍋「タジン」。帽子のようなかたちをした土鍋で、これは比較的小さめですが、現地には20〜25cmほどの大きさや、無地のものなど多様な種類があります。
野菜や肉を入れて蒸し焼きにする鍋で、加熱によって食材の水分が蒸発し、フタの中で循環します。砂漠地域では水が貴重だったので、食材の水分だけで調理できるよう工夫された道具だそうです。
わたしが初めて出版したレシピ本がタジン料理の本だったこともあり、思い出深い調理道具です。タジンがなかったら、料理家人生も始まっていなかったかもしれません。
口尾
この銀色の筒状のものがトルコの「サモアール」と呼ばれる、紅茶やチャイを淹れる道具です。
野外ピクニックなどで使うものなのですが、トルコにはそれぐらいチャイを飲む文化が根づいています。中央の空洞で火を焚いて、外側の容器で水を沸かします。沸騰したら、上のティーポットにチャイとお湯を入れるんです。
サモアールは、トルコだけでなく中央アジア一帯、さらにはロシアなど幅広い地域でも使われている道具です。
口尾
これは台湾の電気釜で、東芝の電気釜がルーツといわれているようです。日本ではすでに使われてなくて博物館に展示されていたりするのですが、台湾ではその当時の機能とデザインがほとんど変わらず使われているので、おもしろいですよね。
ご飯を炊くだけではなく、スープを煮込んだり、蒸し料理を作ったりなど、いろいろな使い方をしています。
口尾
これはハンガリーの「ノケドリ」という卵と小麦粉を使ったパスタのような麺を作るときに使われる道具「ノケドリ サッガトー」です。
生地をこのヘラに押し付けて沸騰したお湯に落とすと、つぶつぶの小さな麺が茹で上がります。
口尾
そういえば、ウズベキスタンで見つけたまな板も印象深いです。理由はわからないのですが、ウズベキスタンのまな板は足つきが多い印象でした。ちょうど足つきのまな板を探してたときに出合ったので、今でも重宝しています。
口尾
インドは、20世紀半ばにチェコスロバキアとの輸出入が盛んだったんですが、今でもインドを歩いていると、ひと昔前のチェコスロバキアの品々に出合うことがあります。これは、チェコスロバキア時代の古いボウルたち。調理にも使っているお気に入りの器です。
口尾
器や道具と民藝の関係は、料理と同じように“暮らしに馴染んでいる”というところにある気がします。器そのものに染みついた時間や、そこに生まれた歴史の気配のようなものに惹かれるんです。ただ見た目が好き、というだけではなくて、その土地の物語を手のひらで感じられるような——そういう背景があるものが好きなんだと思います。
手で作られた温かみや、器にまつわるストーリーは、調味料ではないけれど、料理の味わいにもそっと寄り添ってくれる気がします。だから、その国の味には、その国の器を添えたくなるんです。
登場頻度の少ない器もあるのですが、置いておくだけでうれしい存在なんです。出番を待って佇んでいる感じも愛らしいし、久しぶりにその国の料理を作ろうと思い立って手に取ると、また新しい気分で向き合える。
器や道具は毎日使うものだからこそ、時間とともに大事に育てていきたいと思っています。
料理研究家・フォトエッセイスト
口尾麻美
旅で出合った食材や道具、ライフスタイルが料理のエッセンス。異国の家庭料理やストリートフード、食文化に魅せられ、写真に収めるとともに、各国のキッチン道具を収集。2022年、各国のローカルフードとお酒を楽しめる〈HÅN〉を東京・学芸大学駅の近くにオープン。著書に『旅するリトアニア』」『旅するキッチン 異国で出合った道具とレシピ』など。
旅で出合った食材や道具、ライフスタイルが料理のエッセンス。異国の家庭料理やストリートフード、食文化に魅せられ、写真に収めるとともに、各国のキッチン道具を収集。2022年、各国のローカルフードとお酒を楽しめる〈HÅN〉を東京・学芸大学駅の近くにオープン。著書に『旅するリトアニア』」『旅するキッチン 異国で出合った道具とレシピ』など。