連載:NIPPONの国立公園

伊勢志摩、神島から半島へゆく。

National Parks of Japan.

連載:NIPPONの国立公園

伊勢志摩国立公園(前編)
海とともに暮らす人びと

TRAVEL & THINK EARTH

2024.11.21

10 min read

伊勢神宮が鎮座し、数多の神々が棲まう志摩半島一帯は、深く広い森やリアス海岸といった自然に恵まれた、風光明媚な土地。人びとが育んできた営みの、その先にあるものを追いかけて。伊勢志摩への旅を前編「海とともに暮らす人びと」、後編「伊勢神宮が育んだ森」に分けてお届けします。

Photo : Yusuke Abe

Text:Sayoka Hayashi  Supported by THE NORTH FACE

入り組んだリアス海岸が特徴的な英虞湾。伊勢志摩国立公園を代表する、横山展望台からの風景。

伊勢の市街地をすぎたあたりから、列車は青々とした木立の中を走っていた。青空とのコントラストが清々しく、”空気が変わった”ことが列車の中からもわかる。左の車窓に現れた海が、思いのほかきれいなエメラルドグリーンだったことで、いっきに胸が高鳴った。ここは、太陽神であり、日本人の総氏神でもある天照大御神が鎮座する場所。伊勢にきたのならまずはごあいさつを……というところではあるが、今回はその名前に導かれるようにして、鳥羽から神島行きの船に乗り込んだ。

伊勢湾に浮かぶ神島に流れる時間。

島の西側、古里の浜にある八畳岩。岩の上に八畳ほどの広さがあることから名付けられたそう。西日が神々しい。

定期船に揺られて30分。到着した島は、ミステリアスな雰囲気や厳かな気配もなく、とても小さな漁村だった。やや拍子抜けしつつも、宿に荷物を置いて、早速、反時計周りに島を歩くことにした。ここ神島は島全体が伊勢志摩国立公園で、「近畿自然歩道」という名の島一周トレイルが整備されているのだ。唯一の集落がある島の北側には、港から山頂まで、身を寄せ合うように階段状に家々が軒を連ねていた。

しかし、一歩集落をはずれると、家はもちろん、人工物の姿はない。ワイルドに茂る常磐色の草木の間からは、午後の光をまっすぐに受けた紺碧の海が見えた。鳥のさえずりと、ときおり汽笛が聞こえるだけ。島に流れる悠久の時に思いをはせ、海浜植物の花咲く海岸沿いや、草木のトンネルを歩いた。その心地よさに時間を忘れてしまい、伊勢志摩国立公園の特徴的な地形とされる石灰岩のカルスト地形をあるニワの浜へ辿り着いた頃には、光はやわらかなオレンジ色に変わっていた。

カルスト地形は、石灰岩が雨水に溶け、侵食されてできたもの。石塔がいくつも聳えているような独特の景観。

翌朝は八代神社に参拝する道すがら、集落のある港付近を散策した。コンビニやスーパー、八百屋などの個人商店もないから、出歩く人も少ない。坂道の途中、ベンチに腰掛けていたおばあさんに神社の方向を尋ねると、ちょうど家に帰るところだからと、案内してくれた。神島出身だという彼女は、最近まで名古屋の病院に入院していたのだとことわりをいれ、そろそろと歩いた。この島には診療所があるだけだという。

214段の石段を登った先にある神島の八代神社。木立の間から海が見える。

もともと神島は、近世までは東の諸国と伊勢神宮を結ぶ中継地として、その後は伊勢湾の要港として重要な役割をはたし、漁業で栄えた島だ。だが、小中学校はあるが高校はないため、たいていの若者が進学や就職で島を離れていく。つまり漁師も人口も減る一方。島特有の神事で、元旦に行われるゲーター祭は、担い手が不在なことからこの2年ほどは開催されていないという。おばあさんに礼を言って別れ、八代神社の213段の階段を上りながら、宿の女将に聞いていた昨今の状況や、「かつて島には4つの集落が存在していた」という古い資料の一節が思い出された。

海の神様「綿津見命」が祀られる八代神社では、人びとは豊漁や海上安全を祈願する。

社殿に到着すると、”子どもみくじ”と書かれた箱があった。おみくじをひくと、「おっとめでたい」(大吉という意味だそう)の吉凶とともに、「神島には悪いことを古い太陽に見立てて突き落とし、新年の初日の出を幸せに見立てるゲーター祭があります」と、かわいらしい字で書かれていた。島の100年後、いや10年後はどうなってしまうのだろう。その手書きのおみくじを手に、複雑な気持ちで神島をあとにした。

豊かな海が育む文化と人びと。

「鏡石」のある辺りから、古里の浜方面を望む。集落を離れると、青い海と常緑広葉樹林のグリーンに覆われる。

展望台周辺の自然歩道。双眼鏡を携えた男性が、早朝ひとり歩いていた。

もこもこ、むくむく。そんなオノマトペが思い浮かぶ常磐色の森と、翡翠色の海面の距離はわずか数センチ。半島や小島をぬうようにしてカヤックで入り江を進むと、ジャングルクルーズへやって来たかのような冒険心が湧き上がった。リアス海岸らしい複雑に入り組んだ入り江が多い志摩半島では、近年、自然アクティビティとしてシーカヤックが人気だという。

英虞湾や的矢湾、五ヶ所湾などの湾内は波が穏やかなうえ、大小さまざまな島があり、無人島に上陸したり、珍しい海浜植物を観察したり、海食崖や海食洞といった特有の地形に出合えるからだ。志摩半島一帯の、伊勢市、鳥羽市、志摩市、伊勢町にまたがるおよそ6万haの伊勢志摩国立公園。大きくは神宮を中心とする森のエリア、複雑に入り組んだリアス海岸に代表される海のエリアとに分かれるが、指定区域の96%が民有地で、公園内に多くの人びとが暮らしているというのが特徴である。

志摩半島の入り江ではシーカヤックが人気。海に浮かぶように見えるのは、ウバメガシなどの常緑広葉樹の森。

カヤックに乗って海上から自然景観を楽しむなかで、沿岸部では多くの定置網や養殖筏を見かけたが、聞けば、伊勢神宮があることで神宮林と呼ばれる広大な森が守られ、山から運ばれてくる養分を含んだ水は、漁や養殖に適しているのだという。このような環境で暮らしを営んできた人の話を聞くため、的矢湾の海女小屋で昼食をとることにした。サザエ、ヒオウギ貝、大アサリにイセエビ……。中央に設えられた竈では、備長炭で熾した火加減をみながら、海女さんたちが手際よく魚介を焼いてくれた。焼き立てのヒオウギ貝をほおばると、磯の香りとぎゅっと詰まった旨みが口の中いっぱいに広がった。先付けに出されたヒジキの煮物も肉厚でジューシー、やさしい甘さが体に染みいる。日本各地を訪ね歩いた天照大御神が、海の幸の豊かなこの地に棲まうことを決めたというのも納得である。

サザエ、ヒオウギ貝、大アサリに干物。海女小屋〈はちまんかまど〉では、目の前で海女さんが焼く姿も楽しい時間。

この日訪ねた〈海女小屋 はちまんかまど〉で海女頭を務める御歳89の野村禮子さんは、14歳で海女になり、80歳までもぐっていたと胸をはる。野村さんをはじめ、海女歴50年ほどの女性たちが、夫婦で担う伝統的な漁のエピソードや、外海からもっとも近い的矢湾が風待の港と呼ばれ、よその地域との文化の交流地点となったこと、リアス海岸ゆえに陸よりも海上での交易が発達したこと、伊勢湾台風のときの過酷さなど、海とともに生きてきた人びとの暮らしや歴史を、朗らかな口調で語ってくれた。

そのなかでも印象的だったのは、魚や貝は大切な資源だから、小さいものは決してとらないということ。そして、1日1回、9時~10時半の1時間半だけというように、地域ごとに潜る季節や時間が細かく定められているということ。神宮のお膝元である志摩の国は、アワビやサザエ、塩などの海産物を、神様のお食事である神饌として納めていた御食国。海女や漁師の仕事は、神代の時代、2000年前からつづく伊勢志摩の産業であり、文化なのだ。彼らがプライドをもって自分たちで漁のルールを決め、永遠の繁栄を願って歴史を紡いできたことに、頭が下がる思いだった。

的矢湾の海女さんたち。左から岡野みつゑさん、松本志も子さん、世古陽美さん、野村禮子さん。近年は温暖化の影響で、水温が下がらないと出てこないなまこの漁獲量は以前の3分の1だと教えてくれた。

本記事はTRANSIT50号より再編集してお届けしました。

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日本の国立公園

北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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Kei Taniguchi

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