連載:NIPPONの国立公園

山奥の温泉郷を訪ねて、日光へ

National Parks of Japan.

連載:NIPPONの国立公園

日光国立公園(後編)
温泉郷へつづく奥鬼怒の雪道

TRAVEL & THINK EARTH

2024.12.05

10 min read

威風堂々たる男体山を中心に、標高2,000m以上の火山が連なる日光連山。
その山塊の麓で絶えず湧き出す温泉は、ときに旅人の疲れを癒やし、ときに落武者の傷を癒やした。一面雪に閉ざされ、俗世と隔絶された世界においても。
 
日光への旅を前編「こんこんと湧く泉のそばで」、後編「温泉郷へつづく奥鬼怒の雪道」に分けてお届けします。

Photo : Takeshi Miyamoto

Text:Keiko Sato(TRANSIT)

修験の聖地、男体山。均整のとれたその山容は富士の山にも引けを取らない。

翌朝、今度こそ徒歩で行こうと意気込んでいた雪道は、昨日の雪でスノーシューがないと厳しい状態と山田さんに言われてしまい、結局まともに話を聞くこともできず、やむなくバスで戻ることになった。しかし、本当にこれでよかったのだろうか? 国立公園の取材なのにろくに歩くこともなく、極寒の地でただ温泉に浸かっただけになってしまった……。そんなことを考えていると、山田さんが山道の中腹でバスを止め、左手をご覧くださいと言った。
 
窓の外には深い谷が広がり、その果てしない谷底には雪に埋もれた〈八丁湯〉の屋根がわずかに見えた。スタッフの間ではここからの眺めを「八丁見晴らし」と呼んでいるのだそう。「この景色を見て、“後ろ髪を引かれる” というお客さまもいらっしゃいます」と山田さんは言った。「奥鬼怒は春の桜、夏の新緑、秋の紅葉と1年中美しいところです。次はぜひ季節を変えていらしてください」とつづける山田さんの言葉に、車内からは自然と拍手が起こった。

最初からやり直し。

温かい気持ちに包まれたまま駐車場に着き、車に乗り込む気満々の写真家・宮本氏に私は「ちょっと歩きませんか?」と提案した。幸い2人とも靴だけは冬用のものを履いていたので、奥鬼怒遊歩道を少しだけ歩いてみたいと思ったのだ。完全装備の登山客の視線が痛かったが、道は思っていたより踏み固められ、実際はスノーシューなどなくても難なく進むことができた。日光の雪は水分をほとんど含まない正真正銘の粉雪で、踏み締めればクッションのように柔らかく、握り締めれば掌からこぼれ落ちるほどきめが細かい。少し体が温まり、喉の渇きを感じたところで試しに雪を頰張ると、まるでふわふわのかき氷のようにあっという間に口の中で溶けてしまった。

奥鬼怒温泉郷へつづく奥鬼怒遊歩道の景色。

遊歩道の途中には小さな氷瀑も見られた。 

遊歩道は鬼怒川の源流に沿って歩くため、アップダウンがほとんどない。3分の1ほど進んだところで引き返すか、このまま進むかを宮本氏に問う。すると宮本氏は「行こう」と答えた。つまり、私たちはもう一度〈八丁湯〉を目指すのだ。一面雪に包まれた静謐な世界を、元いた場所に2時間かけて戻るというやや自虐的な気分で歩く。しかし、真冬の凜とした空気に触れ、雪で喉を潤し、絶えずそばを流れる水の音を聴いてようやく、私は奥日光の自然を全身で受け止めていた。

湯元温泉のシンボル湯ノ湖。その名にはほど遠い極寒の風が吹き荒れていた。

埼玉と千葉で別々に暮らす南晄三朗さんと睦月いよさん親子は、晄三朗さんの84歳の誕生日を祝して〈八丁湯〉にやってきた。晄三朗さんはまだ〈八丁湯〉が山小屋だった70年前にも来たことがあるのだそう。

本日二度目の帰路で。

手荷物すら持たない身軽さで再びフロントに現れた私たちを、山田さんは特段驚くふうでもなく、少しだけ呆れた顔で迎えてくれた。それもそうだろう。「後ろ髪引かれる思い」は誰にでもあるかもしれないが、本当にそのまま戻ってくる奇特な客は滅多にいるはずもない。
 
そして、山田さんはあろうことか「よければ温泉に入って行ってください」と言った。粋な申し出に甘えて、さっそく露天風呂に向かう。今ようやく、江戸から何日もかけてやってきた大名たちや、厳しい修行に励んだ修験者や、ここに安息の地を見つけた平家一門の気持ちが少しだけわかったような気がした。

山小屋からスタートした〈八丁湯〉は、登山客から「ランプの宿」と呼ばれていたそう。

山小屋時代の面影を残す内湯。

二度目の帰り道、その日の宿泊客を迎えに行く山田さんのバスに同乗させてもらう。実は20年来〈八丁湯〉の常連客で、6年前に東京から日光へ移住したのだと山田さんは教えてくれた。その姿には充実感が漂っている。
 
再び駐車場が見え、「もう戻って来ないと思います」と告げると、「本日は満室のご予約を頂戴しておりますので、戻られましてもお部屋の用意はございません」とこの2日間一番の笑顔で山田さんは言った。
 
歴史がそうしてきたように、これからも日光の大地と豊かな泉は、季節を問わず多くの人を迎えていくに違いない。しかし、次に訪ねるならやっぱり冬を選ぶだろう。日光の自然が厳しければ厳しいほど、温泉と人びとの温かさが身に沁みてわかると思うから。

〈八丁湯〉のスタッフを統括する山田さんと、温かく迎えてくれる外国人スタッフたち。行き届いたサービスは申し分なく、客の多くはリピーターになるそう。

〈COLUMN〉日光の大地が生み出す多様な温泉。

男体山、女峰山、赤薙山などの2,000mを超える成層火山やドーム状の溶岩円頂丘、小規模火山が連なる「日光火山群」は、日本有数の温泉地帯を生み出してきた。湯ノ湖を形成した火山・三岳の影響を受けているといわれる湯元温泉、鬼怒川流紋岩から湧出する奥鬼怒温泉や鬼怒川派川の湯西川流紋岩から湧出する湯西川温泉、数泉の間欠泉がみられる川俣温泉など、火山の恩恵にあずかる湯がごまんとある。また、湯元温泉は788年、修験者の勝道上人に開湯されたと伝わり、湯西川温泉は壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門により発見されるなど、限られたエリアでさまざまな温泉と人の歴史を内包しているのもおもしろい。泉質の多くは単純泉だが、湯元のみ硫化水素型の単純硫黄泉で、エメラルドグリーンの源泉は空気に触れると乳白色になることから「霊湯」として崇められた。

本記事はTRANSIT63号より再編集してお届けしました。

Information

日本の国立公園

北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
日本の国立公園について知りたい、旅したいと思ったら、こちらも参考に。

01

AD AD
AD

TRaNSIT STORE 購入する?

ABOUT
Photo by

Kei Taniguchi

NEWSLETTERS 編集後記やイベント情報を定期的にお届け!