連載:NIPPONの国立公園
National Parks of Japan.
東照宮、中禅寺湖、華厳滝。都内から特急電車で2時間弱の日光は、観光地としてはメジャー中のメジャーだ。かくして軽装備の私と写真家の宮本氏は、行楽気分で真冬の日光に降り立った。しかし待ち受けていたのは、想像を絶する日光連山の厳しい寒さと、「北関東」のイメージからはほど遠い、粉雪舞う一面白の世界だった。
成層火山の男体山や女峰山が連なる日光連山周辺は、全国有数の温泉地帯だ。その日光が一躍脚光を浴びるのは、徳川家康の遺言により1617年に東照宮が造営されてから。以降は幕府の直轄領となり、家康の命日には歴代将軍による日光社参が行われ、現在の鬼怒川温泉周辺が整備されて各地の大名が行き交った。しかし、その1000年近く前にはすでに修験道の聖地として崇められ、多くの修験者が男体山を目指したという。名峰白根山と男体山に囲まれた湯元温泉もこの頃発見されたと伝わり、以来霊湯として珍重されてきた。また、福島との県境に近い湯西川温泉周辺には、壇ノ浦の戦いで落ち延びた平家一門が山深いこの地に温泉を見つけ、傷を癒やしてここを永住の地に定めたという平家落人伝説が残る。
このように、特異な自然環境と各地に湧き出す豊富な湯に導かれ、目的も立場も異なる者が時代を超えて日光の地を訪れてきた。もちろん自分も、その歴史の延長線上にいる。ただ、浅草から新型特急「スペーシア X」に乗って2時間足らずで到着したのと、レンタカーで一気に高度を700mほど上げ、一目散に温泉を目指すところが大名行列とも修験道とも違っていた。
幻影かと思われた粉雪は、東武日光駅を出てものの十数分で確信に変わった。あっという間に視界は覆われ、凍結した山道の途中で日はとっぷりと暮れてしまい、墨汁を垂らしたような色の中禅寺湖は、吹雪の中で不穏な波風を立てている。目的地の湯元温泉に着いた頃には、長野県民の私たちも怯むほどの雪の壁が道沿いに連なり、風は轟音を立てて次々と粉雪を巻き上げていた。その日の宿〈万蔵旅館〉の湯に浸かってようやく生きた心地を取り戻す。この辺りの湯は近くの源泉小屋から引かれる成分の濃い硫黄泉で、開湯時には「薬師湯」として崇められた。1200年前、極寒の地に霊験あらたかな湯を見出してくれた勝道上人に感謝せずにはいられなかった。
翌日は華厳滝や東照宮に立ち寄りながら、次の目的地である奥鬼怒温泉郷を目指す。ここは日光の最奥地にあたり、地元民により受け継がれてきたことから関東最後の秘湯といわれる。現在この地で湯を守るのは、たった4軒の温泉宿だ。その日の朝、〈万蔵旅館〉の落合さんにこれから奥鬼怒へ向かうと言うと、ここより寒いので気をつけてとの答えが返ってきた。正直、これを超える寒さを想像できなかった私たちは、駐車場から宿まで徒歩2時間のハイキングを早々にあきらめ、宿泊先の〈八丁湯〉に送迎バスを申し込んだ。
奥鬼怒温泉郷へつづく山道は一般車両が入れないため、途中の女夫渕駐車場から温泉へは宿泊先のバスに乗るか徒歩で向かうかの2択しかない。送迎バスも4軒のうち2軒しか運行しておらず、利用は宿泊客に限ることも秘湯を秘湯たらしめる理由の一つだろう。バスは走り出すなり急カーブの山道をぐんぐん登り、周囲はあっという間に白一色となった。吹雪で遮られる窓の外を見て、送迎バスの選択は賢明だったと妙な自負を覚える。
バスの運転からフロント業務までこなすスタッフの山田さんはとにかく忙しそうだった。宿の話を聞こうにも、その尻尾すらまともに摑めない。その日の取材はあきらめ、ひとまず温泉へと向かうことにする。4年の創業時からある源泉かけ流しの露天風呂は、雪と満月というこの上ない贅沢なシチュエーションだった。
本記事はTRANSIT63号より再編集してお届けしました。
日本の国立公園
北から南まで、日本に散らばる国立公園をTRANSIT編集部が旅した連載です。
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