古代より重宝されてきた香辛料は、シルクロードや海をわたり世界地図を広げ、各地で個性豊かな食文化を拓いてきた。この連載は、カレー&スパイスにまつわる著作や活動で知られる水野仁輔さんの、飽くなき探究心が導いた、世界を旅した記録と記憶である。
第1回はインド洋に浮かぶ島国、マダガスカルで出合った「バニラ」について。
Photo : Jinke Bresson
Text:Jinsuke Mizuno
満開に咲いたジャカランダが継ぎはぎに街を彩る10月、僕はアフリカのマダガスカル島にやってきた。この地でホテルを経営するセドリックが「今がベストシーズンなんだ」と胸を張る。マダガスカル人にとってこの紫色の花は、日本でいう桜のような存在だ。
エチオピアでトランジットして20時間。はるか遠くの島を目指したのは、目当てのスパイスがあったからだ。
世界最高級バニラである。
セドリックの弟・ニコラスがスパイス会社を経営していて、島の南岸にいくつかの農園を所有しているという。空港のあるアンタナナリボから車で8時間ほど南下。海沿いのコテージに泊まった。翌朝、海に昇った朝日は拝みたくなるような美しさだった。
マダガスカルは、歴史上、さまざまな国の文化が混ざり合ってきた。最初にこの地を踏んだのは、舟でたどり着いたマレーシア人とインドネシア人。以降、アフリカ内陸部のバントゥの民、アラブの商人、大航海時代のポルトガル人、インド洋を渡ったインド人、イギリス人宣教師なども降り立ったが、フランス統治による影響が強く、そこいらでフランス語が飛び交う。
一方、食文化への異国の影響はそれほど強く感じない。朝はお粥を食べ、昼は屋台で焼きもの。煮ものやスープ、サラダもあるが極めてシンプルな料理だ。バニラはもちろん、各種スパイスを使う料理にも滅多に出合わない。目立った活躍をしているのは唐辛子を木臼で叩いた調味料くらいだろうか。
ニコラスの会社で扱うスパイスは、バニラをはじめ、シナモン、クローブ、ペッパー類など多岐にわたり、もっぱら輸出商材として栽培している。生まれて初めて訪れたバニラ農園は、厳重に柵で囲われ、整然としていた。
バニラはラン科の植物で、徳利型のつぼみが白い花を咲かせる。長く伸びた種子鞘をスパイスとして利用するのだが、そこまでの道のりが長い。メキシコ原産のこの植物を受粉させられるオオハリナシバチがいないため、人間が指先で花の一つひとつを受粉させるのだ。
収穫は完熟を待たない。「泥棒に盗られる前でなくちゃね」とニコラスはうそぶくが、実際にはその後の作業のためだ。バニラは収穫時点であの特有の香りはしない。「キュアリング」と呼ばれる発酵と乾燥の末に香りが生まれる。
完成したバニラは予想通り、素晴らしかった。甘い香りと同時に昆布のようなふくよかな香りがする。過去に僕が対面したもっとも上質なバニラは、パリでスパイスブレンダーのローランジェ氏が貯蔵しているものだが、あのときの記憶が蘇った。マダガスカルでパリを思う。不思議なようでもあり、真っ当なようでもある。
マダガスカルにバニラを持ち込んだのが誰なのかはわからない。気候や風土が栽培に適していて、需要の多いヨーロッパ諸国へのアクセスがよい。そのおかげか、世界のバニラ生産量の80%近くがこの地で栽培されているようだ。
「上質なバニラは4度香るんだ」
ニコラスが今度は真面目な顔をして言った。
たとえば、最初は種を削ってアイスクリームに使う。2度目は残った鞘をシュガーボックスに入れる。3度目はホワイトラムのボトルに放り込む。4度目は自家乾燥させ、挽いてパウダーにする、など。
ちょっとした秘密も教えてもらった。実はバニラの香気成分バニリンは、種自体にはないという。すなわち、バニラの種だけを使ってもバニラの香りはしないというのだ。種にこそ香りが詰まっているんじゃないの!?
バニリンはあの微細で黒い粒々ではなく、鞘の内壁に存在する。そのため鞘に切込みを入れ、スプーンなどで内壁をこそぐようにする必要がある。残った鞘がさらに3度も使えるのは、バニリンが鞘に残存しているからだ。
虚実を切り裂くナイフを手にしたつもりでいい気分に浸った僕は、エチオピア行きの飛行機に乗り込んだ。
帰国して以来、まとめて購入したバニラを2本ずつラップに包み、ことあるごとに友人にプレゼントしている。「4度香るんだよ」とか「バニリンはさ」だなんて、物知り顔で既に20回ほどは話しただろうか。手持ちのバニラがなくなるまで、同じ話を繰り返すつもりだ。
水野仁輔(みずの・じんすけ)
1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。
1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。
airspice
記録写真家
ジンケ・ブレッソン
学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。
学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。