便利なもので溢れる世の中において生まれる、人間関係や社会のわだかまりなどの弊害やストレス。自分のやるべきこと、やりたいことが決まっていれば関係ないという強メンタルな意見もあるが、そんな人たちはごく一部しかいないと思う。ネット社会の現代では情報が飽和して善悪の判断が錯綜し自分にとっての幸せを見失いがち。そんなフラストレーションを一時だけでも離脱&解消すべく、私たちは2泊3日、スマートフォンやパソコン、ライフラインから離れた野営キャンプの計画を立てた。本当に大切な物事は何かを整理することで、人生を豊かにするためのヒントを探す旅だ。何と大層なと思うだろうが、ようは悩める30手前の男2人が「キャンプしようぜ」と言い出しただけの話である。
それでは「こじらせ男子の野営体験記 Day1」をどうぞ。
Photo : Kawai
Text:Atsuya Yamazaki
4月3日(木)雨
キャンプ地|千葉県富津市志駒
移動距離|64km
移動時間|5:30〜11:00
東京都大田区4:20am起床。重たい目をこすりながらカーテンに手を差し伸べる。「どうか雨が降っていませんように……」なんて淡い期待は窓を開けずして打ち砕かれた。
今日は2泊3日の野営キャンプ初日。向かう先は都心から車で約60分の場所に位置する千葉県の野営地。好立地にも関わらず、この場所には100年前の江戸時代に掘られたトンネルが存在するなど秘境感が漂うエリアとのこと。そんな神秘的空間でキャンプができる喜びに胸を踊らせながらパッキングを進める。到着予定時間は11:00。なんでそんなに早起きなの?と思っていることだろう。確かにあと4時間は寝られた。ましてや、狭いテントのなか、硬い地面の上で夜を明かすわけだから寝溜めするのがアンパイだろう。しかしその理由は簡潔だ。今回のキャンプが野営スタイルの本質に基づくものだからである。
野営とは本来キャンプ(Camp)の和訳にあたる言葉で、一般的には管理されたキャンプ場以外で行うワイルドなキャンプスタイルを指す。設備が整っていない場所でキャンプを行うアクティビティは危険や不便さも含めて、アウトドアの醍醐味を味わうことができる。つまりは、困ったときに管理人や周囲のキャンパーが助けてくれることはないということである。自分自身で安全性や快適性を確保しなければならない。身体への負担を軽減するために背負う道具を軽くすることはマストな条件となるだろう。もちろん車で行けばどんなに重たい荷物も持ち運びが可能になる。雨が降っても濡れずに済む。寒かったらエアコンをつけて暖をとることだってできる。ただしそれでは野営スタイルの本質から逸れているのではないだろうか?UL(ウルトラライト)ギアを纏いながら車で行くなんて邪道だと感じ、私たちはあえて睡眠時間を削ってまで己に負荷をかけることで日常生活では味わえないスリルや達成感、そしてドM心をくすぐられる旅に出た。
5:30。傘をささなくてもぎりぎりストレスにならないぐらいの雨のなか出発。「俺にしては上出来だな」。今回、一緒に旅をしてくれる写真家の川井景介が言う。雨男として自負がある彼は、GORE-TEXを身に纏い、雨対策にはもちろん抜かりがない。そして、目的地まで片道約4時間の道のりを電車1時間、バス1時間半、徒歩2時間で向かう私たちは、もちろんUL装備にも抜かりがない。ちなみに新幹線を使って片道約4時間の旅行に出かけるとしたら、東京から広島県まで行くことができる。この旅の目的地はお隣の千葉県。タイパが求められる現代に思いっきり逆行してやるつもりだ。
9:00。目的地の最寄りバス停に到着。ここからは徒歩で約1時間半の道のりを進む。川井の首に掛けられた中判カメラが心配になるぐらい雨が強くなってきた。田園風景がつづく道中、度々鉄格子のようなゲージを目にする。中には黄色い粉が山盛りにされている。地元のあぜ道にも似たような柵があったのを思い出した。確かあれはイノシシを捕獲する罠だった気がする。イノシシは助走なしで1.2mジャンプできるということを聞いたことがある。それでいうとあの柵は助走なしで飛び超えられそうな高さだった。
歩くこと1時間、休憩スポットに到着。ここに立ち寄った理由は単に休憩だけが目的ではない。県道182号沿いの志駒地区にあるこの場所は水室山の中腹にある稲子沢不動を水源とした湧き水、志駒不動様の霊水が引かれているのだ。ザックから給水用ボトルを取り出して早速水を汲む。浄水器は持参しているが今日から3日間おいしい水を飲めるのはここが最後だろう。貴重な水源に感謝をしながら目一杯の水を拝受した。
11:00過ぎ、ついに目的地に到着。雨も少しおさまったことで森が歓迎しているような気がして気持ちが高揚する。そして、思っていたよりも広大かつ人の手が入っていない野営地でさらに胸が高鳴る。
荷物を仮置きして、まずは拠点探し。生活におけるベース地、つまりは住まいを見つける訳だから、あらゆる観点からその場所が安全かつ快適かを慎重に見極める必要がある。傾斜はないか、水捌けはよいか、川が近すぎないか……秘密基地を作ることに夢中だった幼少期のように、私たちは雨が降っていることを忘れてくまなく探索した。この場所はもともと林道だったこともあり、入り口からは軽自動車1台分ぐらいの幅の道が走っていて、約20分歩くと崖崩れで行き止まりになっているポイントに辿り着く。通りには錆びれたガードレールに地層剥き出しのトンネル、無造作に倒れた大木など冒険心がくすぐられる風景が広がっていた。そしてついに拠点が決まった。
川に囲まれた小島のようなロケーションが素晴らしい。ただ、川は近すぎるし、地形は中心に向かって傾いていて水溜りになりやすいし、その付近はもちろん水捌けも悪い。慎重に見極めることができなかった私たちは、約1時間隅々まで目を配り探した結果、やはり外観だけで張り場を決めた。また雲行きが怪しくなってきた。早いうちにテントの設営に取り掛かる必要がある。傾斜や地面の凹凸を避けることを意識しながらベストポジションを決める。それにしても川井のテントは男前だ。シェルター型のテントは室内に床面がない開放的かつ汎用性があるスタイルが特徴で、設営、撤収のしやすさが魅力。フロアがない分、地面からの影響をカバーするためにグランドシートを敷くのがレギュラーとなっている。地面のコンディションが悪い今日はシート1枚だけでは心もとない気もするが、川井は慣れた手つきでテントを張りフロアにタイベック性のシートを広げてなんてことない表情で腰を下ろした。
天気が落ち着いてきたので焚き火の準備の前に昼食をとることにした。野営旅の1食目は台湾まぜ飯。日清のカレーメシと同じ類のインスタント食品。湯煎なので簡単にできてすぐに食べられるから最高。オートキャンプ場などのチェックインは大体お腹が空き始める11:00前後だから、ついてすぐ食べられるように初日の昼食はこの手のものでご飯を済ませることが多い。
食べ終えたら早速焚き火の準備に取り掛かる。拠点を探している最中に拾った焚き木と管理人から頂戴した薪を使ってまずは着火剤となるフェザースティックを作る。フェザースティックとはナイフで木の棒を薄く削り羽毛(フェザー)のようにしたもので、ブッシュクラフトのひとつ。一般的には柔らかくて火がつきやすい針葉樹を使うことがおすすめされている。分かっていたけれど水分を含んだ木はやっぱり火がつきにくい。早々にプラン変更。ソロ用の焚き火台を使って小さな火を起こし、その熱で焚き木を乾かす戦略を立てる。頃合を見て大きな薪に火を移せば火群の完成だ。作戦成功。あとは雨が止んでくれることだけを願ってしばし1/fゆらぎに身を委ねることにした。
焚き火には「明かりを灯す」「暖をとる」「調理をする」の3つの要素がある。住まいに明かりを灯し、夜間の活動範囲を広げてくれたり、身体を保温し衣類を乾かして体温の低下を防いでくれたり、食物や水を加熱調理し、温かい食事を確保してくれたり。このように焚き火は衣食住と密接に関係していることに改めて気づかされた。そして賃貸における日常生活のライフラインでは、未払いがつづくとまずはじめにガスが止まることを思い出した。なんて酷なルールだろう。もし有事が起きたときは真っ先に火を確保したい。それと恋バナで話が盛り上がってしまいグータンヌーボのような世界観が生まれていたことは割愛させてほしい。30前の男2人でなんだか恥ずかしいがこれもすべて焚き火のせいだと思う。
あっという間に日が落ちて辺りは暗くなりはじめていた。そろそろ夕飯の支度をしよう。川井の今夜の献立はガパオライスとトムヤムクンスープとラフロイグウィスキー。なんてお洒落で優雅なメニューなんだ……米と野菜しか持って来ていない自分を少し惨めに感じ、ザックから取り出すのを躊躇ってしまった。スパイスのいい香りが漂ってくる。なんだか悔しくなって900mlのクッカーに米をパンパンに炊いて、ストロングスタイルで気持ちを割り切る。スキットルから注がれるウィスキーはべっ甲色に輝いている。残りわずかだった志駒不動様の霊水は底をついていた。あっけなく白旗を上げてスープをひと口もらうことにした。大自然のなかで食べているおかげなのか川井の料理が上手なのか、これまで食べたトムヤムクンスープの中でトップ3に入るくらいおいしかった。
パチンパチンと火が弾ける。21:00、朝も早かったし普段の倍以上歩いているから疲れが溜まっていたせいなのか、はたまた無言が心地よいと感じる焚き火特有のノスタルジックタイムなのか、悩める30手前の男たちの間に無言の時間が流れる。空中に立ちのぼる煙に誘われてふと空を見上げると幾つかの星が見えた。明日の天気予報は確か晴れだった気がするが、雨男川井がいるからいま晴れていても明日の朝の雲行きは怪しいことだろう。そのまま静かな時間は続き、とうとう言葉を発することはなかったが「どうか雨が降りませんように」と川井に強く念じて次の朝を迎える準備を整えた。
写真家
川井景介
1996年12月11日(28歳)。バンド「オレンジスパイニクラブ」のベース、コーラスを担当。また、個人名義の「川井景介」ではMV監督やスチールを手がける。
1996年12月11日(28歳)。バンド「オレンジスパイニクラブ」のベース、コーラスを担当。また、個人名義の「川井景介」ではMV監督やスチールを手がける。
デザイナー
山崎敦也
1996年9月7日(28歳)。デザイナー。クリエイティブスタジオ「PAUSEE(パウジー)」のメンバー。
1996年9月7日(28歳)。デザイナー。クリエイティブスタジオ「PAUSEE(パウジー)」のメンバー。