古代より重宝されてきた香辛料は、シルクロードや海をわたり世界地図を広げ、各地で個性豊かな食文化を拓いてきた。この連載は、カレー&スパイスにまつわる著作や活動で知られる水野仁輔さんの、飽くなき探究心が導いた、世界を旅した記録と記憶である。 第4回は、スパイスのなかでも身近な胡椒の産地、カンボジアでのストーリー。
Photo : Jinke Bresson
Text:Jinsuke Mizuno
カレーを求めて旅をし、スパイスの謎に振り回される。そんな体験をこれまで何度も繰り返してきた。なかには密接に関係しているはずの両者が、互いに目も合わせず背中合わせでいる現実に遭遇することもある。
カンボジアのカンポットという場所は、胡椒の産地で知られている。栽培や収穫を見てみたい、と農家を訪れた。首都プノンペンから南へ。胡椒の産地は南インドとされているが、この地ではタイランド湾に流れ出る川の恵みもあって気候条件が胡椒の栽培に適している。
かつてこの地で胡椒に熱を入れたフランス人が協会をつくり、厳格な栽培基準を定めてカンポットペッパーをブランド化したそうだ。畑に足を踏み入れると収穫真っ最中。胡椒の実は緑色を中心に黄色、オレンジ色、赤色と熟度によって思い思いの色を成す。食べてみると鮮度抜群。弾けるような鮮烈な風味と辛味に興奮した。
もとは同じ胡椒の実だが、精製過程によってブラックペッパーとホワイトペッパーに分けられる。東南アジアではとくに後者が料理に活躍する。ホワイトペッパーは、完熟前の実を水に浸し、適度に発酵させて皮を取り除く。ところが独特の香りを生み出すこのスパイスがカンボジアカレーに使われるわけではないことは、後で知ることとなる。
プノンペンから今度は北へ移動。アンコールワットのあるシエムリアップまで車で4時間以上揺られた。シエムリアップ近くの村でカンボジアスタイルのカレーを習うことになっていたのだ。土ぼこり舞う道を揺られるとポツンと家が建っている。高床式の1階部分、解放感のあるスペースで青空クッキングが始まった。
調理プロセスを細かく追いかける。鍋に油を入れ、包丁でペースト状になるまでチョップした唐辛子を炒める。唐辛子は割とサイズが大きめの乾燥したものを水で戻していて、辛味はそれほど強くない。量もほんの少し。カンボジアのカレーは、たとえばタイのカレーのように鮮烈な辛さがあるというよりも、甘くて優しい味わい。だから、この唐辛子は辛みというよりも香りづけなのだろう。
次に小えびの発酵調味料をドサッと加えてつぶしながら炒め合わせる。「こんなに入れるの!?」というほどの量だ。この時点でカレーのおいしさのベースは決まる。達磨に片方の目を入れるような大事なプロセスである。
カンボジアカレーのペーストには、ニンニクや生姜に加えて、生のターメリックやレモングラスが入る。叩きつぶすのに使う道具は、石臼ではなく木の臼。昔は石臼がよく使われていたが、重いし使いまわしが大変との理由で木が主流となったそうだ。
1・2・3/シエムリアップ近郊の村のとある家でカレーづくりを習う。木の臼でスパイス&ハーブを叩き潰したり、パームシュガーも手づくり。
調理は進むが、胡椒が出てくる気配はない。代わりに手づくりのパームシュガーがトロトロトロ。まだまだもう少し、トロトロ、トロロロと注がれる。続いて鶏肉。薪火が生み出す熱は強烈で、鍋に顔を近づけるとのけぞるほどの湯気が立ち上っている。
ココナッツミルクの一番搾りが入ると、鍋中はすっかりカンボジアカレーの様相になった。ここで第2の発酵調味料「プラホック」が登場した。淡水魚を発酵させている。タイ東北部で「プラーラ―」と呼ばれているものに似ていて、かなりクセの強い香り。これでプラホックで達磨の目は完成するのだ。
とうとう最後まで胡椒は使われなかった。良質のスパイスが採れるからといって、その土地のカレーに使われるかどうかは別の問題だ。胡椒とカレーが縁遠い関係であることも少なからず要因になっているのだろう。それが現実だとはいえ、一抹の寂しさはある。
甘味と発酵香がほどよくバランスをとるカレーを食べながら、「僕ならあの胡椒をこのカレーに応用するのにな」と妄想を膨らませた。そう、胡椒とカレーとを結びつけるのは、帰国してから独自に実現させればいい。それこそが僕が世界を旅する理由なのだから。
水野仁輔(みずの・じんすけ)
1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。
1974年、静岡県生まれ。幼少期に地元・浜松にあったインドカレー専門店〈ボンベイ〉の味に出合ってから、スパイスの虜に。自ら料理をつくり、本を執筆し、イベントを企画して、スパイスとカレーにまつわるおいしく楽しいカルチャーを世に広めている。
記録写真家
ジンケ・ブレッソン
学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。
学生時代、バックパックで訪れたパリで写真に目覚める。以後、ライフワークである世界各地への旅にカメラを携え、記録をつづけている。